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「月末の舞踏会で、私のパートナーになってほしいの」

 心臓の音が、アッシュにも聞こえてしまいそうだ。
 どうしても勇気が出なくて、ズルズルと先延ばしになってしまった結果、エスターとの約束の最終日になってしまった。
 舞踏会は三年生以上の生徒に参加資格が与えられるが、下級生もパートナーとしてなら舞踏会に行くことができる。勿論、アッシュが承諾すれば、の話ではあるが。

 恐る恐る顔をあげると、アッシュは口を開け、ぽかんとしていた。
 リリアの言葉を飲み込めたのか、徐々に頬が赤みを帯び始めている。

「リリア先輩は、エスター先輩と行くのだとばかり…」
「エスターとは行かないわ。貴方が頷いてくれなければ、エスターに引きずられて舞踏会会場に出向くことになる、かもしれないけどね」

 リリアは、自分で想像しておいて嫌な未来に顔をしかめた。

「俺はエスター先輩避け、ということですかね」
「うっ、それだと私が後輩を利用する悪い先輩みたいじゃない。否定できないけれど」

 初めは、確かにエスターとのパートナーを回避できるのなら誰でもいいとまではなくとも、それに近いことは思っていた。

「貴方はどう思っているか知らないけど、私なりにこの一週間接してきて、仲良くなれていると思ったし、貴方の無遠慮な物言いにも慣れてきたわ。口には出さないけれど、私がこの教室に馴染めるよう、手を回してくれていることもわかってる。だから、エスターを避けるため、という目的もないわけじゃないけど……私が、アッシュと踊りたいのよ」

 圧力を込めて見つめると、アッシュの方が居心地悪そうに顔を逸らした。やっぱり、アッシュは明け透けに乞われることに弱い。
 ほとんど寝ないで脳内シュミレーションした甲斐があった。

「そ、それで返事は?」
「構わない、丁度、体を動かしたいと思っていたところだ」
「決まりね!」

 ぱちん、と手を打ったところで扉が開き、双子先輩と先生が入ってきた。
 先輩方、滑り込みセーフである。



「と、言うわけで、私は約束を遂行したわ。次は貴方の番よエスター! レティシアさんにまだパートナーがいないことは確認済みだからね!」

 エスター、リリア、カイル、マリーナは四人で顔を突き合わせ、食堂で夕食を取っていた。相変わらず、四人の周りには結界でも張られているかのように人が寄り付かず、勝手に人払いをしたような有様である。エスターだけであれば女子が寄ってくるので、もしかしなくてもリリアの影響であった。
 カイルもマリーナも約束のことは知っていて、エスターから想い人であるレティシアの話も含め打ち明けられた。場は一気に恋バナムードに差し掛かっている。

「……失礼だが、君のパートナーの名前を聞いても? 一応、学園の生徒名簿にあるかどうか確認しておきたい」
「往生際が悪いわね。そんなに約束の結果が不服なの?」
「エスターさんって爽やかな顔して意外と粘着質ですよね」

 リリアの強い味方、マリーナの茶々が入る。しかし、粘着質な男、という評にも負けず、圧をかけてくる。

「どうせ舞踏会で会うことになるから言うけれど、一年生のアッシュ・トライトンよ。私と取っている授業が同じで仲が良いの」
「恋人なのか」
「違うわよ。ただの後輩。っというか、私の恋愛ごとに気を配る余裕があるんだったら自分の恋愛ごとについて考えなさいよ」

 痛いところを突かれた、とエスターの顔が曇る。
 だがそれで引くリリアではない。エスターとの約束に勝利し、調子に乗ったリリアは見つけたてのエスターの急所にちょっかいをかける。

「あれ? どうしたのかしら、レティシアさんのことが好きなんでしょう? 結婚したいと思っているんでしょう? 身分差なんて大したことないわ、貴方なら彼女を振り向かせて結婚まで漕ぎつけられるわよ」

 自分で言っておいて、エスターへの密かな恋心にザクザク刃物が刺さってしまった。けれど、一度目の人生で失恋を悟ってから長い年月が経っている。失恋のプロと化したリリアは自分の胸の痛みを無視できるようになっていたし、それがあったとしてもエスターの恋路を応援したかった。

「……レティシアさんを見ていると、言葉が出てこない。話しかけられる自信がないんだ」

(わあ…)

 いつものはっきりした物言いとは遠く、もごもごと秘密を打ち明けられる。
 エスターは、好きな女の子には自分から話しかけられない、ということらしい。

「エスターがヘタレだったなんて」
「……」

 すごく何か言いたそうだったが、堪えたようだ。口を開きかけたのを閉じ、エスターはにこりと微笑む。

「僕のタイミングで僕からレティシアさんにパートナーにお誘いするよ」

 微笑んでいるが、先ほどの発言からして、ずっともごもごして終わりそうだ。レティシアも優しいので、エスターが話があると言えば根気強く待ってくれるかもしれないけど、エスターが一回目の人生で想いを伝えることなく死んだのを思えば、彼のヘタレぶりは想像以上かもしれなかった。
 この際、助太刀することも視野にいれよう。
 どうせ、エスターを囲う女子生徒達を散らさなければ、エスターはレティシアに近づくこともままならないはずだ。

「約束が果たされたかどうか、私も確認する必要があるし、レティシアさんと二人きりの状況が作れるよう、私も協力するわ」
「君にここまで背中を押されるのは複雑な気持ちだよ」
「それは…」
「あ~、悪いけど私たちはもう自分の部屋に戻るわね。ごゆっくり!」

 マリーナとカイルは気まずさに耐えられなかったのか、さっさと食べてしまうと席を外した。

「こほん。複雑な気持ちってどういうことか聞いてもいい?」
「正直に言えば、僕は僕がレティシアさんを好きなことを金輪際誰かに打ち明けるつもりはなかったんだ。僕は、リリアと結婚するつもりだったからね。両親の期待もあるし、僕としても、リリアは幸せになってほしい相手であるのに間違いない。僕がついていない時のリリアは危うくて、とても他の男には任せられないと思っている」

 エスターは、リリアに恋愛感情以外の全てを捧げていた。
 自分の感情がコントロールできれば、リリアを妹のように思わずに、恋心だって向けたかったところだろう。いくら大人びたエスターでも、思春期の恋を支配できなかった。感情に振り回される年頃なのだ。

「君の意志は尊重するが、僕たちは貴族だ。こんなことは言いたくないけれど……貴族の結婚は義務に近い。君の努力は、僕との結婚を拒否しているように思える。僕に気に入らないところがあるのなら直そう。君が嫌だと言うのなら、なるべく側にいるようにするのも辞める。今回の舞踏会も、今後も、君がそうしろと言うのならレティシアさんを誘うよ。僕は君に歩み寄る。だから、僕と結婚する未来があることを意識だけでもしておいてくれないか?」

 エスターは、常に将来を見据えていた。

「勿論……君ではない女性に恋心を抱いてしまった僕に非があるのはわかっている。そのせいで、君に、他の男と舞踏会に行くことを強いてしまった。一週間前の僕が愚かだったんだ」

 違う。
 違う。
 何も伝わっていなかった。

「私こそ、エスターに甘え過ぎていたわ。他でもない貴方なら、私の意図を汲んでくれると思っていたけれど、それがいけなかったのね」

 エスターは、リリアのこれを、ただの少女が思い付きで考えた、突発的な行動だと思っている。親しい男友達の恋心に気づき、それを応援するという、一時的な遊び。
 エスターの中でそう処理されていたことに気づけなかった。

「幼い頃、私とエスターの間に婚約するという話が出たのを覚えている? 私があの婚約を白紙にしたことも。私の気持ちは、あれから一度たりとも変わっていない。貴方は今までもこれからも、私の友人であり続けるわ」

 目を見つめる。
 エスターの覚悟を徹底的に折らなければならない。自分のことよりもリリアを優先する覚悟を折り、彼がショックを受ける様を網膜に焼き付けなければいけない。
 これはリリア・エンダロインが、エスター・カンザスの人生を縛っていた証拠。
 罪の証拠だ。

「エスター、私、貴方とだけは結婚しない」
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