おなじはちすに

桂葉

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四章

追憶

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「怒っているのか」         
 蓮暁は気遣うように八雲の顔を覗き込み、そう尋ねてきた。   
 あのまま道を変えて、結局また適当な場所に放置されたように佇む廃寺に身を寄せている。そこも人が離れてからずいぶん経つようで裏寂れ、壁も傷んで落ちかかってはいたが、囲炉裏があったので火を起こして、今日はすこしましな夜が過ごせそうだ。
 ちろちろと燃える炎を見つめていると、昼間のことやこれまでの道行きのことが思い返されたが、まあ、互いに後ろ暗い人間だということは知っているし、納得と言えば納得だと思った。
 怒ってはないよと返し、ついでに笑って見せたせいか、蓮暁の眉間の皺はほどかれた。
「最初っからあんたは知ってたんだろうけどな。俺は甲賀者だ」  
「…ああ。見ればわかる」
 だろうな。あの腕を持つ忍びが、そんなこと分からないはずがない。だから、蓮暁は隠していたのだ。素性も、名前でさえも。     
「なあ、俺昔きいたことある。あんた、伊賀者だよな。藤林一族の懐刀、風伐りレンジ」 
「そんな通り名があったのか」   
「やっぱりか」
 さすがに否定する気はないらしい。正体がばれてしまえば、無駄なことだ。
 むしろ、同じ忍びとして今まで気がつけなかった自分が、なんとも情けなかった。流派とか型に拘ることを嫌ってきた自分の浅さを思う。
「なんだよなんだよ、なんでさあ、言ってくれないの」
 敢えて言うならそこだった。忍び同士ならばもっと話が早かったのだと思うのだが、忍びだからこそ身の上を明かさないのも常識である。
 まあ、八雲の気分の問題だ。
「仕方なかろう。今は僧侶なのだから、わざわざ名乗りはしない。もう忍に戻るつもりもない」
「ちゃんと出家してんだもんな。経も読むし。むしろ俺のせいだよな、あんたに刀を抜かせたのは」
 あれが八雲一人でどうにかなる状況なら、蓮暁も刀まで抜くことはななかったことだろう。しかし、そうはならなかった。
 だが、たとえ今避けられたとしても、この道中いつかは同じような流れは訪れたと思われた。互いが思ったよりもすこし早かっただけだ。                                                                                                       
「いや…。私も一人でああして身を守ってきた。お前のせいではないさ。所詮、過去には手を汚してきた人間だ。今さら聖職者気取りで生きようとは思わない。ただ、俗世から離れたいだけだ。経だって、私などが上げるなんておこがましいさ」
 それは方便でも何でもなく、蓮暁の本心であることは伝わってきた。
 忍びなんてとてつもなく汚い生業だ。あの腕ならばいくらでも忍びとしてやっていけたであろうに、そこからの本当の転身。その覚悟となるきっかけがあったことは推し量ることができる。
「…いろいろ、抱えてるんだな。元忍びってだけで、わかるよ、うん。なんとなくさ。でもよく伊賀を出たな。そっちは抜け忍に容赦ないんだろ」              
「まあそうだが、たまたま寺に頼ったら気に入られて、そこの僧正に説き伏せられたんだ。匿いたいとな」
「まさかの、御稚児さん?」
「阿呆。ただのおせっかいだろうさ。実際、夜の務めを求められたことはなかったし、あの方の歳で床技はいろいろ無理だったろうからな。命に係わる」
「…聞きたくねえ」
 しかしなるほど、そういう修行は強いられなかったということらしい。何某かの経験はありそうなことを言っていたが、蓮暁の頼った寺がまともでよかったとつくづく思った。
「世の中、本当に清い場所などそうある訳じゃない」    
「だな」              
 この人は、八雲が想像する以上に過酷な生き方をしてきているのだろう。
 決して弱い人ではない。それはわかるのだが、今の彼を作ってきた過去は、彼の持つ強さに余りある、なにか厳しいものだった。そういうことなのだろう。                                                                   
「きいちゃ駄目なんだろうけどさあ」    
「なんだ」
「どうして抜けたの、伊賀を」
 抜けなければならない何かがあったのだろう。成り行きのように抜けた八雲のような理由ではなく。     
 蓮暁は、困ったようにすこし、囲炉裏に燃える頼りない火を見つめた。炎に揺れる彼の瞳は、それでも澄んで見えた。                             
「…やっぱ話してくんないか。抜けても伊賀忍だもんな。どんな小さいことでも情報は漏らさないか」
 伊賀の抜け忍に対する追跡はかなり厳しいと聞いている。黙って抜ければもちろん始末対象。長に申し出ての離脱でも、里についての一切の情報を漏らさぬと誓約書を書かされ、抜けた後も監視が付くらしい。それだけせねばならぬほど、様々な機密によって統制されているということだ。
「違う。そうじゃない。…そうじゃ、ないんだ」
 蓮暁の横顔が、苦し気に陰った。そして、また口をつぐむ。
 いいと思った。無理に聞いたって仕方がない。ひとの過去をほじくり返す無神経な奴だとは思われたくなかった。
 かわりにすこし、八雲は自分のことを話すことにした。こちらはそんなに重い過去ではない。 
「…風斬りレンジってやつの話を聞いたのは、たぶんかなり前のことなんだ。親父が生きてたころで。親父は戦忍びだったから、敵やら伊賀のやつらとも接触が多かったんだろうな。面白い伊賀者がいるって、話してたうちの一人だったと思う」
 語りだした八雲の声を、蓮暁は聞いている。何を伝えようとしているのかと関心を持ってくれたことに安堵し、八雲は続けることにした。
「父君は、亡くなったのか」
「ああ。ある城の任務で負け戦に巻き込まれたらしい。冷たくなって帰ってきた。帰ってきただけましだ」   
「…そうか」  
 呟いた蓮暁の顔が一段と曇ったことに、八雲は気が付いていなかった。その脳裏に残る、からからとよく笑った父の面影をたどっていたから。    
 戦にばかり駆り出されて、あまり家にはいない父だった。だが隊の小頭に若い頃から任命されていて、自分の部下を手足のように扱う父を誇りに思っていた。それでも、家に帰れば八雲をずいぶんかわいがってくれたし、忍術だって教えてくれた。母にも優しく、男らしい人だったと思う。よく冗談を言って笑わせてくれたから、父についてはいつも笑っているという印象だ。  
 変わり果てた姿で帰ってきた時はさすがに泣いたが、父がいつそういう事になっても不思議ではない役目を果たしていることは理解していた。
 その懐に自分が作ったお守り袋を持っていてくれたことが、純粋に八雲を喜ばせた。いまそれは、八雲の懐に入っていて、中には父が使っていた極小のしころを入れている。                                            
「親父が死んでからは、俺は里の長のもとで孤児ばっか集まって修行してたから、外の話を聞くことってなかったし、一人立ちして俺もやっぱ戦忍びに入れられたんだけど、もうレンジの話は聞かなくなってたな」   
「その時には抜けていたからだろう」
「…そっか」
  そこで、ふと沈黙が落ちた。
 蓮暁は決して話し上手な方ではない。言葉も多くはない。それでも黙りきってそのまま、背を丸めうつむいてしまっているのは不自然に思えた。
「どうした?」  
 ほつれた髪が影を作る、もともと白い顔色がさらに血の気を失っている。もしや、彼にとって何か都合の悪いことに触れているのだろうか、自分は。     
「わり。やっぱ気分悪いよな、昔の自分の話なんか。あんた、隠してたんだもんな」
「…そうじゃないんだが」                                           
「なに?」                                    
「念のため尋ねるが、お前の父君が亡くなったのは、ちょうど十年前なんじゃないか」
「あ、ああ。そんなもんになるかな」   
 今八雲は十七。父を亡くしたのは七歳になった年だった。
「…名を、なんという?」
「え。ああ、笹原平八郎。その八の字をとって、俺の名が八雲なんだ」 
 問われるから答えるといった返し方ではあったのだが、八雲の言葉を聞くたびに、蓮暁の気配が変わる。
 動揺…だけではない何か激しい感情を孕んだ気配で、八雲は上手い嘘でもつけばよかったかと後から思った。
「もしかして…」
 もはや、蓮暁の顔に人間らしい表情がなかった。ただ、強く目を見開いて、しかし八雲ではない何かを凝現している。
「おい、蓮。大丈夫か」
 声は届かない。肩をゆすっても、こちらに目線を合わせてこない。
 様子を変えた蓮暁が確信したであろう事実に、八雲も思い当たる。先ほどの問いは、答えたことそのものの持つ意味だけに留まらないことが、今の蓮暁を見れば明らかだ。  
「蓮。おい。蓮暁」
 名を呼ぶが、反応がない。
 間違いない。蓮暁の持つ矢立は、父のものだ。そして、たぶん、彼を 「蓮」と呼んだのも。
 気が付くと、蓮暁が不自然に息を吸い込んで詰まるような仕草を見せた。まずい。過呼吸を起こしているようだ。
 は、は、と浅い息をただひたすら吸いたがる。吐こうとしないから、詰まってせき込む。また吸いたがる。とにかく吐こうとしない。呼吸を自分で制御できなくなるのだ。
 心的な原因でこういう現象が起こることは知っていた。これは薬物に詳しい甲賀忍びでなくても対処方は単純である。八雲は自分の懐から三尺手ぬぐいを出し、蓮暁の口元を覆った。吸い過ぎる空気を薄くするのだ。それだけで過剰な呼吸の乱れは落ち着く。
 そうしてしばらく、背をさすりながら呼吸が整うのを待つ。
「大丈夫だ。ゆっくり息するんだ」      
「ハ…ア…」  
「うん。大丈夫だ。大きく、吐け」
 うずくまる蓮暁の広い背に覆いかぶさるようにして、八雲は彼の体を抱きかかえていた。
 どこまで聞こえているものかわからなかったが、根気強く続けているうちに次第に呼吸はゆっくりになり、背をなでる八雲の手の動きに合わせて整った。
「…落ち着いたな」
 こちらも息をついて身を離すと、「済まなかった」と言って蓮暁は、なんとか自力で体を支えた。
「いや、謝んのは俺の方」
 何人もの山賊相手に一切怯まなかったこの人が、八雲に抱き込まれ身を縮める姿など、誰が想像できただろうか。その変貌ぶりは驚くよりいっそ痛々しい。
 そしてそれよりももっと衝撃であったのは…。
 蓮暁はそれ以上言葉を発しない。その力を失った青白い横顔に、八雲は自分の存在そのものへの罪深さを思った。なにも、こんな偶然などなくてもいいんじゃないのかと、天さえも恨む。
 すべては繋がった。こんなにも近く。
 八雲はただ目を瞑った。蓮暁を見つめることができなくなったのだ。そして心に思う。
 ごめんな、あんたの傷を思いっきりひっかいてしまった。
 あんたが親父とそんなかかわりのある人だったなんてな。この偶然って、なんなんだ。親父の差し金か? ならどうして、蓮暁がこんなに辛そうなんだ。           
 親父、あんたこの人に何したんだ。なにを残したんだ。
 ――胸が、痛い。

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