異世界おひとりさまOL

佐藤謙羊

文字の大きさ
上 下
20 / 21

03-06 これでいいんだ

しおりを挟む
 ユリアはついに頂上目前まで迫る。
 9合目の果ては別名『地獄』とも呼ばれている、高さが100メートルほどもある垂直の絶壁であった。

 高さだけでいえば、もっと難易度の高い絶壁は他にもある。
 このホワイトキャップの絶壁が地獄とまで呼ばれていたのは、岩肌が焼けた鉄板のように高熱なうえに、そこかしこにある穿孔から炎が噴き出していたからだ。

 近づくだけでも肌が焼かれ、登ろうとする者にはさらなる灼熱を与える。
 噴出する炎に飲まれようものなら、命綱に吊り下げられたまま黒コゲになるだろう。
 やがては命綱も焼き切られて転落。崖下に叩きつけられ、燃え尽きた炭のように粉々になって散り去るという悲惨な最期が待っている。

 ここまでの難所をくぐり抜けた猛者たちでも、死にに行くようなもの。
 誰もが陽炎の壁を前に立ち往生していた。
 そこに、バカンスの最中にふらりと立ち寄ったような風情のユリアが現われる。

「この上が頂上なのだな」

 ユリアは汗こそかいているものの、純白のドレスにはススひとつついていない。

 その姿はまるで、季節を間違えて現われた雪の精のよう。
 壁に向かって歩いていく後ろ姿は、熱にゆらぐ世界が見せた蜃気楼のようであった。
 冒険者たちは困惑しきりだったが、それでも叫んで止めようとする。

「ま……待て、姉ちゃん! なにをするつもりだ!?」

「まさか地獄にアタックするつもりか!? ピッケルやハーケン、命綱もなしに!?」

「それどころか耐火装備も着けてねぇじゃねぇか! 消し炭になっちまうぞ!」

 呼び止めていた足がピタリと止まる「耐火装備ならある」と。
 振り向いた彼女は白い指先で、よりいっそう白い額を指差していた。

「この『ひやピタシート』だ」

「ひっ……ひやピタシートぉぉぉぉぉぉぉぉーーーーーーーーーーっ!?!?」

 それは耐火装備というよりも、微熱が出た時にくらいしか役に立たなそうなシロモノであった。
 そんなもので地獄に挑む彼女は、豆鉄砲ひとつで太陽に挑むハトのように無謀で愚かに見えた。

 しかしその予想は一瞬にして打ち砕かれる。
 ユリアはまるでヒマラヤのヤギのように、絶壁を八艘飛びしながら軽々と登っていったのだ。
 クライミングギアもなしに、己が身ひとつで。
 それはまるで大仕掛けの手品のような光景であったが、タネはすぐに明らかになった。
 ユリアはなんと、先人が残していったハーケンの突起を足掛かりにしていたのだ。

 最後は天高く飛翔。頂上で燃えさかるボルケインを背にムーンサルトを披露するその姿は、さながら不死鳥のよう。
 ユリアはお手本のようなフィニッシュポーズとともに頂上に着地する。
誰かが言った。

「か……彼女はまさか、『ノーマンズ・ウーマン』……!? 男が束になっても到達できない地に、たったひとりで降り立つという、不屈の美女……!」

 生ける伝説はついに、地獄の王と対峙する。
 いや、天を覆い尽くし、天界をも焦がすほどの業火は、もはや地獄の神といってもよかった。
 まるで太陽が降ってくるようなまばゆさと豪熱がユリアを襲う。

 ホワイトキャップにいたすべての登山者たちが、麓の観光客たちが、世界中の人々が、すべてがひとつになって彼女を見守っていた。
 天蓋てんがいの炎はプロミネンスのごとき灼熱の龍と化し、紅蓮のとぐろとなってユリアを包囲する。

「ふはははははは! ここまで来たのは貴様が初めてだ! どうだ、熱いか、苦しいか!? 我が炎で、骨どころか灰ひとつ残さず消し去ってくれよう!」

 終焉の炎のようなボルケインを前にしても、ユリアは動じない。

「言葉が通じるとは、相当に高位な精霊のようだな」

 腰に提げた日本刀の柄に手を当て、静かに目を閉じる。

「ならば言おう。あなたが散らした多くの無念を背負い、わたしはここまで来た。その想いは疾風となり、あなたをともしびとするだろう。……サウンザンド・マウンテニア・ブリーズっ!!」

 居合い一閃。
 かつて火だるまの冒険者を助けた突風、その数倍の圧力がボルケインに押し寄せる。
 ドーナツ雲のような衝撃波が放射状に広がり、炎は一瞬にして吹き飛んだ。

 ユリアが瞼を開くと、ボルケインの心臓ともいえる炎の水晶が浮かんでいる。
 水晶からは小さな炎が噴き上げており、炎は悪魔のような形相で笑っていた。

「ふ……ふはははははは! な、なかなかやるようだな! だが、無駄だ無駄だ無駄だぁ!」

 高笑いしているが、声は引きつっていた。

「この水晶からは可燃性の高い油がつねに滲み出しているんだ! だから小さくすることはできても、消すことはかなわん! すぐにまた元の火力に戻るだけ! どうだ絶望したか! ふははははははっ!」

「やはり食べものに対する思いでないと、威力は弱くなるのだな……。仕方がない、この手だけは使いたくなかったのだが……」

 ユリアは腰のポーチから革水筒を取り出す。

「ふはははははは! 水をかけるつもりか、やってみるがいい! さらに燃え広がるぞ!」

「誰が水だと言った」

「えっ」

 ユリアはボルケインの水晶めがけて水筒の中身をぶちまける。
 それは、黄ばみがかったクリーム状の粘塊だった。
 じゅうっとボルケインの身体から白煙があがる。

「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーっ!? な、なんだこれは、なんだこれはぁ!?」

「マヨネーズだ。マヨネーズの油膜は酸素を断つ効果がある。天ぷら火災などには有効なのだ」

 なんとユリア、地獄の化身のような炎の精霊を、天ぷら扱い……!?
 しかし効果はバツグン。ボルケインの水晶は油膜に包まれて鎮火、力の源である炎を失った水晶はボロボロに崩れ去ってしまった。

 観光客や冒険者、画面の向こうの人々は大歓声をあげる。
 しかしユリアだけは、悔しそうに奥歯を噛みしめていた。

「せっかく『追いマヨネーズ』をしようと思って、ジオンさんに余分に作ってもらったのに……できなくなってしまった……」


 ◆  ◇  ◆  ◇  ◆


 ユリアは焦土となった頂上を練り歩く。
 黒い残骸だけの山小屋。打ち捨てられた金属製の魔導装置は変形しているが、まだ動いているようだった。

 やがて、かつての展望台らしきところを見つける。
 そこは、周囲の景色が一望できる最高のスポットだった。

 本来は転落防止用の柵があるはずなのだが、燃え尽きた炭が転がっているだけ。
 おかげで崖っぷちギリギリまで近づくことができた。

 遮るものなく吹き渡る風はスッキリと冷たく、視界は晴れ渡っている。
 眼下に広がる鮮やかな緑の海原、空と雲がくっつきそうなパノラマ。
 ユリアはプラチナの髪とドレスをなびかせながら背伸びをし、新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込んだ。

「うぅん、実に爽快だ。日差しも気持ちいいし、眺めは最高。絶好のお弁当日和だな」

 ユリアはその場に座り込む。断崖を椅子がわりにして、腰のポーチからバスケットを取りだした。
 ワクワクしながらバスケットのふたを開けてみると、そこには……。

 陽光を受けてキラキラと光る、サンドイッチが……!

 輝くツナのサンドイッチと、黄金の卵サンドの2種類。
 屋台で売られていたサンドイッチのほうが肉も野菜もたっぷりだったのだが、ユリアにとってはこれこそがサンドイッチであった。
 颯風に髪を膨らませ、期待に胸を膨らませながら両手を広げる。

「いただきます……!」

 両手を打ち合わせる音が、こだまのように山々に響き渡った。
 まずは卵サンドから。

 真っ白なパンを手に取ると、指がめり込むくらいに柔らかい。
 三角のサンドイッチを両手で持ち、頂点をはむっとひと口。
 パンのふっくらとした食感のあとに、卵のやさしい甘さが広がる。
 登山の後の軽い疲労感に、心地良く染み渡っていった。

 しみじみ漏らす。「おいしい」と。

「……子供の頃からの夢だったのだ。富士山の上で、お友達100人と、おにぎりとサンドイッチを食べるのが」

 そして笑う。

「ふふっ。ここは富士山ではないし、食べているのもサンドイッチだけ。お友達にいたってはゼロときている」

 食べかけのサンドイッチを青空に向かってかざす。

「だが、いまはこれでいいんだ。わたしはサンドイッチが大好きだから。それに、富士山へはいつかたどり着ければそれでいい」

 『志は高く、目標は低く』。
 そんな声が、麓の村じゅうに響き渡っていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

私は聖女ではないですか。じゃあ勝手にするので放っといてください。

アーエル
ファンタジー
旧題:私は『聖女ではない』ですか。そうですか。帰ることも出来ませんか。じゃあ『勝手にする』ので放っといて下さい。 【 聖女?そんなもん知るか。報復?復讐?しますよ。当たり前でしょう?当然の権利です! 】 地震を知らせるアラームがなると同時に知らない世界の床に座り込んでいた。 同じ状況の少女と共に。 そして現れた『オレ様』な青年が、この国の第二王子!? 怯える少女と睨みつける私。 オレ様王子は少女を『聖女』として選び、私の存在を拒否して城から追い出した。 だったら『勝手にする』から放っておいて! 同時公開 ☆カクヨム さん ✻アルファポリスさんにて書籍化されました🎉 タイトルは【 私は聖女ではないですか。じゃあ勝手にするので放っといてください 】です。 そして番外編もはじめました。 相変わらず不定期です。 皆さんのおかげです。 本当にありがとうございます🙇💕 これからもよろしくお願いします。

天才女薬学者 聖徳晴子の異世界転生

西洋司
ファンタジー
妙齢の薬学者 聖徳晴子(せいとく・はるこ)は、絶世の美貌の持ち主だ。 彼女は思考の並列化作業を得意とする、いわゆる天才。 精力的にフィールドワークをこなし、ついにエリクサーの開発間際というところで、放火で殺されてしまった。 晴子は、権力者達から、その地位を脅かす存在、「敵」と見做されてしまったのだ。 死後、晴子は天界で女神様からこう提案された。 「あなたは生前7人分の活躍をしましたので、異世界行きのチケットが7枚もあるんですよ。もしよろしければ、一度に使い切ってみては如何ですか?」 晴子はその提案を受け容れ、異世界へと旅立った。

平凡冒険者のスローライフ

上田なごむ
ファンタジー
26歳独身動物好きの主人公大和希は、神様によって魔物・魔法・獣人等ファンタジーな世界観の異世界に転移させられる。 平凡な能力値、野望など抱いていない彼は、冒険者としてスローライフを目標に日々を過ごしていく。 果たして、彼を待ち受ける出会いや試練は如何なるものか…… ファンタジー世界に向き合う、平凡な冒険者の物語。

異世界帰りの勇者は現代社会に戦いを挑む

大沢 雅紀
ファンタジー
ブラック企業に勤めている山田太郎は、自らの境遇に腐ることなく働いて金をためていた。しかし、やっと挙げた結婚式で裏切られてしまう。失意の太郎だったが、異世界に勇者として召喚されてしまった。 一年後、魔王を倒した太郎は、異世界で身に着けた力とアイテムをもって帰還する。そして自らを嵌めたクラスメイトと、彼らを育んた日本に対して戦いを挑むのだった。

勇者召喚に巻き込まれたおっさんはウォッシュの魔法(必須:ウィッシュのポーズ)しか使えません。~大川大地と女子高校生と行く気ままな放浪生活~

北きつね
ファンタジー
 勇者召喚に巻き込まれた”おっさん”は、すぐにステータスを偽装した。  ろくでもない目的で、勇者召喚をしたのだと考えたからだ。  一緒に召喚された、女子高校生と城を抜け出して、王都を脱出する方法を考える。  ダメだ大人と、理不尽ないじめを受けていた女子高校生は、巻き込まれた勇者召喚で知り合った。二人と名字と名前を持つ猫(聖獣)とのスローライフは、いろいろな人を巻き込んでにぎやかになっていく。  おっさんは、日本に居た時と同じ仕事を行い始める。  女子高校生は、隠したスキルを使って、おっさんの仕事を手伝う(手伝っているつもり)。 注)作者が楽しむ為に書いています。   誤字脱字が多いです。誤字脱字は、見つけ次第直していきますが、更新はまとめて行います。

悠々自適な転生冒険者ライフ ~実力がバレると面倒だから周りのみんなにはナイショです~

こばやん2号
ファンタジー
とある大学に通う22歳の大学生である日比野秋雨は、通学途中にある工事現場の事故に巻き込まれてあっけなく死んでしまう。 それを不憫に思った女神が、異世界で生き返る権利と異世界転生定番のチート能力を与えてくれた。 かつて生きていた世界で趣味で読んでいた小説の知識から、自分の実力がバレてしまうと面倒事に巻き込まれると思った彼は、自身の実力を隠したまま自由気ままな冒険者をすることにした。 果たして彼の二度目の人生はうまくいくのか? そして彼は自分の実力を隠したまま平和な異世界生活をおくれるのか!? ※この作品はアルファポリス、小説家になろうの両サイトで同時配信しております。

祝・定年退職!? 10歳からの異世界生活

空の雲
ファンタジー
中田 祐一郎(なかたゆういちろう)60歳。長年勤めた会社を退職。 最後の勤めを終え、通い慣れた電車で帰宅途中、突然の衝撃をうける。 ――気付けば、幼い子供の姿で見覚えのない森の中に…… どうすればいいのか困惑する中、冒険者バルトジャンと出会う。 顔はいかついが気のいいバルトジャンは、行き場のない子供――中田祐一郎(ユーチ)の保護を申し出る。 魔法や魔物の存在する、この世界の知識がないユーチは、迷いながらもその言葉に甘えることにした。 こうして始まったユーチの異世界生活は、愛用の腕時計から、なぜか地球の道具が取り出せたり、彼の使う魔法が他人とちょっと違っていたりと、出会った人たちを驚かせつつ、ゆっくり動き出す―― ※2月25日、書籍部分がレンタルになりました。

巻き込まれ召喚されたおっさん、無能だと追放され冒険者として無双する

高鉢 健太
ファンタジー
とある県立高校の最寄り駅で勇者召喚に巻き込まれたおっさん。 手違い鑑定でスキルを間違われて無能と追放されたが冒険者ギルドで間違いに気付いて無双を始める。

処理中です...