潤 閉ざされた楽園

リリーブルー

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第七章 潤の部屋にて

割れたカップ

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「何にしたって、うちは異常だって言いたいんだろう?」
「いや、そこまで言うつもりはないけど」
「言えよ、はっきり」
「言うつもりはないよ。詮索しないって約束したんだから」
こんな時だけ約束を持ち出したりする自分の態度が潤の怒りを余計大きくしたのか、潤はムッとした顔をした。僕は、そんな潤に腹が立ってきて、思わず言ってしまった。
「なら言うけど……恋人とか、夫に対するみたいだね、母上の潤に対する態度が」
潤は、真っ青になって、持っていた、華奢な空のカップを床に落とした。僕は、悔やんだ。譲の言葉を直接言うことは控えて、だいぶ遠回しに言ったつもりなのに潤にショックを与えてしまった。
 僕は申し訳なく思い、カップを拾おうとかがんだ。僕がカップに手を触れると、カップは真っ二つに割れた。僕は、それが潤の心であるかのように衝撃を受けた。
「ごめん。潤、僕が、失礼なことを言ったせいで……」
僕はしゃがんだまま、立ちすくんでいる潤を見上げた。
「僕のせいで、潤のお気に入りのカップ、割れてしまった。本当にごめん」
僕は、申し訳なさに、泣きたくなった。
「ごめんね? 潤」
僕は立ち上がって潤の傍らに立ち、潤の呆然とした顔を覗きこんだ。
 潤は答えず、じっと動かないので僕は困って、
「潤、新聞紙か何かある? ここ、危ないから、掃除機で」
と言うと潤が、
「そのカップ、気に入っていたのに」
と言って、女の子のように泣き出した。
「潤……そうだよね。潤が、好きで自分で買ったって言ってたよね……それなのに、ごめん……」
僕まで悲しくて、胸が締め付けらた。
僕は潤が涙を擦ろうとしている手の手首をつかんだ。
「ごめんね、僕が変なことを言ったから」
潤は、
「ひっ」
と嗚咽して、泣きじゃくった。
「潤、そうか、そんなに悲しいんだ?」
僕は、潤の背中をよしよししながら抱きしめた。
 部屋のドアがノックされ、潤の母上がドアを開けた。僕たちが抱き合っているのを見て驚いたようだった。
「違うんです、あの……」
僕は、変に誤解されたくなくて、と言っても、潤とは、もういろんなことをしてしまっていたから誤解でもないのだけれど、なるたけ、潤のためにも僕のためにも、僕らの関係を知られない方がいいだろうと思って、それに今の状況をそう思われるのは違うので、潤の身体から、ぱっと離れて言いわけしようとした。僕がしまいまで言い切る前に、
「勝手に開けるなって言っただろ」
潤が、あからさまに怒った声で言った。
「ノックしたじゃない」
母上は、潤の剣幕に、怯えたような声で言った。
「返事してないだろ」
潤は、怒りを抑えようともせずに言った。
「カップを下げようと思って来たら音がしたから」
母上は、おろおろした様子で言い訳した。
「潤……」
僕は、女性に対して強く言いすぎだと思い潤をたしなめようとした。
「カップを落としたんだ」
潤は、無表情に力なく言った。
「あら、それで泣いてるのね、潤ちゃん。可哀想に。そんなに涙でいっぱいの目で」
潤の母は、僕から潤を奪い、レースの前掛けから白い麻のハンカチを出して、潤の涙を拭った。
「潤さんの、お気に入りだったものね。また、同じものを新しく買いましょう」
「俺に触るな」
潤は、かまう手を邪険に振り払った。母上は、傷ついて呆然とした表情を浮かべたが、すぐに気を取り直したように言った。
「そう。そうね。お友達がいるものね。私は、カップを片付けましょう」
いそいそと片付けようとし始めた母上に、潤は、きっぱり言った。
「俺が片付けるからいい」
母上は、また、傷ついた顔をして、かろうじて言った。
「そう。ご機嫌が悪いのね」
潤の母は、ハンカチで顔を覆って出て行ってしまった。
「いいの?」
僕は心配になって、潤に聞いた。
「じゃあ、どうしろって言うんだよ。さっきは、恋人みたいだって言ったから距離をとったつもりなのに、今度は泣かれて、慰めにでも行けって言うのか?」
潤は、泣きながら怒っていた。
「いや、その必要はないと思うけど」
潤がいいと思うなら、それでよかった。
「罪悪感でいっぱいなのに」
「その必要はないと思うって」
余計なことを言って潤を追いつめてしまったことに、僕は自己嫌悪を覚えた。
「彼女、継母なのに」
潤が言った。
「やっぱり、謝ってくる」
潤は僕の腕をすり抜けた。
「やめなよ、潤」
僕は制止しようとしたけれども、潤は、部屋から出て行ってしまった。僕は、潤が、僕より母上を選んだ気がして、ショックを受けた。自分がそれを促したのだから、後悔もひとしおだった。心にもないことを言うんじゃなかった。僕は、四六時中、誰よりも潤を一人じめしていたいのに。本心を偽って、余裕のあるふりをしたことを悔やんだ。昨日今日の仲の僕よりも、家族を優先させるのは当たり前の気がしたし、それに継母なら余計気をつかって当たり前だろうと心を落ち着かせようとしたけれど、僕の心は、ざわついたままだった。
 しばらくすると、隣の部屋から、女性の……声がしてきた。隣が、夫婦の寝室なのだろうか。生意気なようだが、母上のことは旦那さんに任せた方がいいよと潤に言いたかったので、ある意味、そうだろうなと思った。まあ潤にしたら嫌だろうけど、友達の、それも美人な……なので、ちょっと美味しいと思ってしまったのは内緒だ。
 子ども部屋の隣が夫婦の寝室なのは、日本の住宅事情では仕方ないだろうけど、この家なら、配置によって変えられるはずなのに。まあ、潤は週末しか帰ってこないから、いいのか。あ、そうか、それで母上は、僕にこの部屋で寝るなと言ったのかも。まさか、僕がまだここにいるとは知らないのか。罪悪感……。ちょっと明日の朝、恥ずかしくて顔見られそうもないな。
 それにしても、潤が戻ってきたら、今、潤とこの部屋にいるのは気まずいなあ。僕の泊まることになる部屋に誘おうかな、と思っていると、ドアがノックされたので、潤が帰ってきたと思いドアを開けに行った。
 ドアを開けると、潤ではなく、譲だった。
「やあ、ヨウ君」
譲は、勝手に部屋に入ってきて、椅子に座った。
「あれ? 潤は、いないのか」
「はい。どこかに行きました」
隣から、男女の声が聞こえてきた。僕は恥ずかしくなって下を向き、膝小僧を手でつかんだ。
 譲は、舌打ちした。
「ああ、隣……」
譲も、隣に気づき、気まずそうな顔をした。僕も、ますます居たたまれなくなった。
「場所、移動しよう」
譲が、そう言ったのは、もっともだったので、僕は黙って従った。
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