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第一章 学校と洋講堂にて
硝子のきらめき
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「どうする?」
潤は、瑶に聞いた。瑶は、迷った。潤は引き戸を開けて洋講堂書店へ入った。潤が、引き戸に手をかけて、ちらと瑶を振り返った。たとえ向こう側が見えるガラス戸であっても、戸を立てられてしまえば、潤のいる向こう側へは行けない。瑶は、手を伸ばして、瑶らの間に戸を立てられるのを阻止することを選んだ。潤は、取っ手から手を離した。
「来るんだ?」
潤は、聞いた。瑶は、頷いた。潤は、微かに微笑んだかのように見えた。あるいは、それは春の午後の陽光が、歪んだガラスに反射した、繊細な煌めきだったのかもしれない。瑶は、その微細な微笑みの儚さに、ずきずきと胸が痛んだ。それは、まるで、消えやすく脆く壊れやすい少年時代の夢のようだったから。
潤は、また何か本棚から抜き取って、一冊、本を買った。
「潤、小遣いたくさんもらっているんだね」
とうらやむと、
「そうじゃなくて、書店の支払いだけはしてもらえるんだ」
と潤は言った。
「ええ? いいなあ、瑶がもしそうだったら、棚ごと全部くださいって言うよ」
潤は失笑した。
「家にある本とかぶってしまうから、俺は、それはないな」
瑶は少しカチンときた。
「へえ、ずいぶん蔵書家なんだね」
「俺の蔵書じゃないけどね」
潤は、プライバシーに踏み込まれるのが嫌いで、家族の話をしたがらない、という噂だったので「じゃあ、誰の?」という問いを、瑶は飲み込んだ。それでも、きのうは機嫌よく、お兄さんのことや、お父さんのことまで話してくれたのは幸運だった。
「行こう?」
と、潤が、瑶を優しくいなすような口ぶりで誘って、瑶に右手を差し出した。
「え」
と瑶は、差し出された手に戸惑って言った。ちらと店主の方を見たが、作業をしていて、下がった眼鏡の間から、ちょっとこっちを見ただけだった。
瑶がためらっていると、潤の方から、半ば強引に、瑶の左手をつかんだ。潤に初めて手を握られて、瑶は、たちまち、ぼうっとなった。どきどきして何も考えられなくなり、瑶は、そのまま手を引かれて、二階への階段を上った。
潤が、喫茶室の扉を開けるために手を離すと、瑶は、やっと人心地がついた。中に入ると、コウさんが、潤と抱擁を交わしてから、
「二人きりになりたいって顔に書いてあるね」
と言った。
「えぇ?」
と潤が甘えたように聞くと、
「そっちの子が、潤くんと」
と言ってコウさんは出て行った。
「あの、僕、二人きりになりたいなんて、思ってないよ」
と瑶が弁解すると、
「気にしないで。コウさんは、ただ、自分が恋人に会いに行きたいからいいわけしたんだ」
と、潤は、ため息をついた。
「潤のお兄さんに会いに行くの?」
「知らない」
潤は、ぷいとむくれて言った。
「まあいいや。瑶で遊ぼう。昨日の続き。どこまでしたんだっけ?」
「あの、続きとか、しなくていいよ」
瑶は卑猥なことをする罪悪感から遠慮した。瑶で遊ぶという言い方も気になった。そんな玩具みたいな言い方をされるなんて。
「わかった。続きじゃなくて、新しい遊びをしよう」
潤は、昨日の場所へ瑶の手を握り、連れて行った。そういう意味じゃないんだけど、と瑶は思ったが、潤に手を握られると、また、瑶の思考能力は、がくっと落ちて、潤の言いなりになってしまった。潤は、まるで妖しい媚薬のようだった。
潤は、瑶に聞いた。瑶は、迷った。潤は引き戸を開けて洋講堂書店へ入った。潤が、引き戸に手をかけて、ちらと瑶を振り返った。たとえ向こう側が見えるガラス戸であっても、戸を立てられてしまえば、潤のいる向こう側へは行けない。瑶は、手を伸ばして、瑶らの間に戸を立てられるのを阻止することを選んだ。潤は、取っ手から手を離した。
「来るんだ?」
潤は、聞いた。瑶は、頷いた。潤は、微かに微笑んだかのように見えた。あるいは、それは春の午後の陽光が、歪んだガラスに反射した、繊細な煌めきだったのかもしれない。瑶は、その微細な微笑みの儚さに、ずきずきと胸が痛んだ。それは、まるで、消えやすく脆く壊れやすい少年時代の夢のようだったから。
潤は、また何か本棚から抜き取って、一冊、本を買った。
「潤、小遣いたくさんもらっているんだね」
とうらやむと、
「そうじゃなくて、書店の支払いだけはしてもらえるんだ」
と潤は言った。
「ええ? いいなあ、瑶がもしそうだったら、棚ごと全部くださいって言うよ」
潤は失笑した。
「家にある本とかぶってしまうから、俺は、それはないな」
瑶は少しカチンときた。
「へえ、ずいぶん蔵書家なんだね」
「俺の蔵書じゃないけどね」
潤は、プライバシーに踏み込まれるのが嫌いで、家族の話をしたがらない、という噂だったので「じゃあ、誰の?」という問いを、瑶は飲み込んだ。それでも、きのうは機嫌よく、お兄さんのことや、お父さんのことまで話してくれたのは幸運だった。
「行こう?」
と、潤が、瑶を優しくいなすような口ぶりで誘って、瑶に右手を差し出した。
「え」
と瑶は、差し出された手に戸惑って言った。ちらと店主の方を見たが、作業をしていて、下がった眼鏡の間から、ちょっとこっちを見ただけだった。
瑶がためらっていると、潤の方から、半ば強引に、瑶の左手をつかんだ。潤に初めて手を握られて、瑶は、たちまち、ぼうっとなった。どきどきして何も考えられなくなり、瑶は、そのまま手を引かれて、二階への階段を上った。
潤が、喫茶室の扉を開けるために手を離すと、瑶は、やっと人心地がついた。中に入ると、コウさんが、潤と抱擁を交わしてから、
「二人きりになりたいって顔に書いてあるね」
と言った。
「えぇ?」
と潤が甘えたように聞くと、
「そっちの子が、潤くんと」
と言ってコウさんは出て行った。
「あの、僕、二人きりになりたいなんて、思ってないよ」
と瑶が弁解すると、
「気にしないで。コウさんは、ただ、自分が恋人に会いに行きたいからいいわけしたんだ」
と、潤は、ため息をついた。
「潤のお兄さんに会いに行くの?」
「知らない」
潤は、ぷいとむくれて言った。
「まあいいや。瑶で遊ぼう。昨日の続き。どこまでしたんだっけ?」
「あの、続きとか、しなくていいよ」
瑶は卑猥なことをする罪悪感から遠慮した。瑶で遊ぶという言い方も気になった。そんな玩具みたいな言い方をされるなんて。
「わかった。続きじゃなくて、新しい遊びをしよう」
潤は、昨日の場所へ瑶の手を握り、連れて行った。そういう意味じゃないんだけど、と瑶は思ったが、潤に手を握られると、また、瑶の思考能力は、がくっと落ちて、潤の言いなりになってしまった。潤は、まるで妖しい媚薬のようだった。
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