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第二十章 麓戸の店で

イケメン教師、調教師との初めての出会い

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 麓戸と初めて出会ったとき、小坂はぼろぼろだった。

 ビル内部。暗い夜の階段をひたすら上っていた。上へ上へと。
 足取りは重い。死刑台への階段のようだ。人気のない空間に自分の足音だけが響く。
 キィィー、バタン。
 下の方で鉄扉の重い開閉音がした。
 小坂はぎくりとして足を止めた。
 靴音がした。
 誰か来る。まさかあいつら……。こんなところまで追いかけて来るなんて!
 息を潜め祈る。
 どこかへ行ってくれ。お願いだ。やめてくれ。もうこれ以上。
 小坂は凍りついて動けない。

「誰かいるのか?」
下の方から男の声がした。
 靴音は迫って来る。

 上を見る。下を見る。ほかに逃れられる手立てはない。上へ行くしか。
 小坂は必死で上へ上る。
 追いかけてくる革靴の足音はすこぶる速い。
 行き止まりだ。鉄の扉が小坂の行手を阻む。

「どこに行くつもりだ? その先は屋上だぞ」
男の声が追いかけてきた。

 小坂は鉄扉のドアノブに手をかけた。
 ガチャッ、ガチャッ。
 虚しく金属音が響いた。鍵がかかっていた。

 階段を上がる男の靴音が迫ってくる。

 小坂が振り向くと、薄暗い闇の中から、男の白い顔がぼうっと浮かびあがった。暗闇と同化しているかのような黒っぽいスーツ姿の男。

「誰……」
小坂は聞いたつもりだったが、唇が震えて、ほとんど声にならなかった。

 男が口を開いた。
「俺はこのビルのオーナーになるものだ」

暗闇から現れた男は地の底から這い上がってきた闇の使いのように小坂には思えた。

 悪徳の象徴のように黒と闇を纏った男の声は、だが、ベルベットのように艶やかだった。

 薄暗がりで容貌ははっきりとはわからなかった。
 ぴったりとした細身のスーツに包まれた肉体。

 ビルの所有者だという男は一歩一歩、近づいてきた。
 男は小坂の目の前で歩みを止めた。
 小坂より背が高い。遠目には細身の男に見えたが、近寄ると肩幅も胸板の厚みもある。   
 目測で、敵わない相手と判断して身がすくむ。
 しかし一方で小坂は、男の発する色香に惹きつけられた。

 己の相反する気持ちに戸惑いながら、
「オーナーなら鍵を持っているでしょう。開けてください」
小坂は男の胸板を睨みつけて怒りをぶつけた。

 ビルのオーナーだなんて出まかせだと疑ったのだ。
 だが男は、
「そうだな。屋上も見ておこう」
と、ポケットに手を突っ込みジャラリと鍵束を出した。
 男は小坂を追い越して、鉄扉の前に立った。男が鍵穴に鍵を差し込んで回し扉を押した。キイイと軋んだ音がした。
 暗闇に、一条の光が差しこんだ。光は徐々に広がって小坂の足元にまで達した。
 夜の匂いがした。

 屋上の上には夜空が広がっていた。
「ああ屋上は気持ちがいいな」
麓戸は両腕を上げて伸びをした。

 優しい夜風が頬を撫でた。
 美しい月が空から照らしていた。
「きれいだな」
麓戸は空を見上げ独りごち、小坂を振り返った。
「名前は? 俺は麓戸遥斗(ろくと はると)」

「小坂……愛出人」

「オデト? 変わった名前だな。本名か?」

偽名であるものか。見知らぬ男に思いきって本名を名乗ったのに疑われたような気がして不愉快だった。
「ロクトとかいう苗字も変わってますよね」
うさんくさい男だと思った。

「そう、つんけんしなさんな。君は教師をしてるのか?」
麓戸が聞いた。

「なぜ知ってるんですか?」
小坂はギクリとした。警戒した。

「さっき、そう呼ばれていたじゃないか」
男は気さくに言ったが小坂には恐怖だった。

「見てたんですか」
見られていた。見知らぬ他人に。きっとこの男も、あいつらと同じだ!

「いや、全部は見ていない、俺は助けを呼ぼうと」
慌てたように打ち消す男の言葉をしまいまで聞かず、小坂はカッとなって駆け出した。
 小坂は屋上の柵を乗り越えようとした。
 見知らぬ人にあんな恥辱を見られていたという恥ずかしさと、また傷つけられるかもしれないという恐怖と起こってしまったことへの怒り、防御できなかったことへの悔しさと悲しみと絶望感が、この苦しみの感情から自分を守るために自分を消滅させようと駆り立てた。

 後ろから強い力で引っ張られた。男の手が小坂の身体をつかんでいた。
「死ぬな!」
振り返ると必死の形相の麓戸がいた。

「離して!」

小坂が暴れると後ろから強く抱きしめられた。
「ダメだ。絶対離さない」

「どうして。あなたには関係ない!」

「関係ある。俺は好きだった人に死なれたことがある。もう誰にも死なれたくない」

「そんなこと、僕とは何の関係もない!」

「関係ある。このビルで人が死んだとなれば価値が下がる。やめてくれ」
麓戸の声が冷静に言った。

「ああ。そういうことですか」
小坂は暴れるのをやめた。

 なんだ。そういうことか。
 僕のことを心配してくれたわけじゃないんだな。それはそうか。当たり前だ。見ず知らずの他人なんだ。この人は僕のことを何も知らない。
 妙にホッとした。

 眼下には街の灯が見えた。
「この一つ一つの灯の下に幸せがある。そして不幸も」
小坂はつぶやいた。

「そうだな」
男が小坂の背後で相槌を打った。

「僕の知らない何百、何千の」
そう思うと不思議な気持ちになった。


「今は死にたい気持ちかもしれない。でも俺がついているから。いっしょに警察に行こう。被害届を出したほうがいい」
麓戸は静かに小坂を説得した。

「僕は被害者なんかじゃありません」
小坂は拒否した。

「好きでやっていたとでも?」
麓戸の声が耳を撫でた。

「僕が悪いんです。だからほっておいて」
小坂は身をよじって麓戸の腕から逃れようとした。

 あんなところに、のこのこ行った自分が悪い、と人は自分を責めるだろう。そんなことを言われて自分が傷つく前に、そう言ってしまえばいい。面倒だ。どうせ分かってなんかもらえない。

 だが麓戸の手は小坂の腕を掴んで離さなかった。
「いや、あなたは悪くない。それに小坂さん、俺は、あなたのことが心配だ。あなたを、ほうってなんかおけない」

「なんでわかるんですか。僕のこと何も知らないくせに!」
小坂は食ってかかるように喚いた。

「大勢でよってたかって、あなたのことを」
麓戸は冷静に言いかけた。

 小坂は遮った。
「やめてください。忘れてください。僕はここでは死にませんから。もうあっちへ行って」
小坂は麓戸の身体を押しやろうとした。


 なのに麓戸は言うのだ。
「ここで死ななくても、他で死なれても困る」

「僕がどうなろうとあなたは何も困らないでしょう。あなたは僕とは何の関係もないんですから」
小坂は言い返した。

「関係ある。このビルで起きた事件で人が死んだとなれば、ビルの価値が下がる。あなたには生きてもらわないと」
麓戸の口ぶりは、あくまで冷静だった。


「麓戸さん。こんなところにいらっしゃったんですか」
屋上の入り口に人影が見えた。
「警察の人が話を聞きたいと言っていますが」


「ああ。今行きます」
麓戸が答えた。
 麓戸は小坂の肩を抱いて促した。
「さあ、行きましょう。大丈夫ですよ。私がついていますから」
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