パスコリの庭

リリーブルー

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プロローグ

出会い

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 僕、木下千蔭(きのしたちかげ)は、当時二十三歳で、大学を卒業して小さな事務所に勤め始めたばかりだった。
 僕が、広居弓弦(ひろいゆづる)さんと出会ったのは、勤務先にも僕の住処にもほど近い、出身大学の街にある、小規模な専門機関のイタリア語講座だった。弓弦さんは、仕事帰りらしき折り目正しいスーツ姿で、眉目秀麗な青年だった。弓弦さんは、二十七歳で、貿易関係の仕事をしていると言っていた。落ち着いていて、時折見せる笑顔のまぶしい人だった。僕は、あまりすぐ人と打ち解けて話せるほうではないのだけれど、弓弦さんの穏やかで優しそうな笑顔が、僕を安心させた。僕は職場に同年代がいなかったし、男の兄弟もいないものだから、弓弦さんのことを、先輩のように、兄のように慕った。
 そもそも、仕事もろくに覚えていない癖に、仕事と全く関係のない講座に通おうと思った理由は、友人を作ろうと思ったからだった。仕事も覚えていない癖に、とは言ったが、これは、職場の人からのアドバイスでもあった。何か、趣味を持った方がいいとか、職場だけでは、何の出会いもないぞとかなんとか。出会いなどは、僕はどうでもよかったけれど、確かに、年配の人しかいない、小さな職場では、友人を求めることは、難しかった。気分転換のためなら、もっと、スポーツか何かの方がよかったかもしれない。が、僕の、あまり多いとは言えなかった給料の一部を、講座のために支払わせたものは、運命だったのだろうか?
 僕は、弓弦さんに、初対面から妙に引き付けられた。僕はいつも、何かに吸い寄せられるように、弓弦さんの隣に座った。
 隣の席でテキストを静かにめくる弓弦さんの美しい指が視界に入って、思わずじっと見つめてしまい、視線を感じて目を上げると、弓弦さんの三日月形に笑った目と出会い、ばつの悪い思いをすることもあった。
 テキストを朗読する弓弦さんの甘い声に、我知らず、聞き入ってしまうこともあった。何でもない解説の文章でも、弓弦さんにかかると、急に命を吹き込まれて、壮大な古典の叙事詩であるかのように感じさせられた。熱を帯びた弓弦さんの声が、僕にふっと恋に似たような気持ちを呼び起こさせた。
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