海鳴り

野瀬 さと

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明希子と行信の話

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家に帰るとまだ船で作業のある親父と明希子あきこを残して、飯を作るために母屋に向かった。
勝手口から入ると、お袋が台所でテレビを見ていた。
普段は漁協で仕事をしているんだが、今日は漁に出ている連中が少ないから早く帰ってきたそうだ。

今日は明希子が来てると告げるとお袋は嬉しそうに立ち上がった。

「まあ。明希子ちゃんになに食べさせようかね」
「肉出してやれ。肉。あいつ痩せすぎだ」
「…そうだねぇ。ちょっと角屋商店行ってくるわ」

鈴のついた財布を持つと、エプロンをつけたまんま外に飛び出していった。

「おうおう…車、気をつけろよ!」
「わかってるわよ!」


俺はこの家の長男坊で、一人っ子だ。
二人目をこさえようとした頃、ちょうど親父が海で事故にってしまって。
その保証やらなにやらで、それどころじゃなくなったそうで。

お袋は本当は女の子が欲しかったそうだ。
こんないかついゴリラよりも女が欲しかったと平気で言う。
悪かったな…ゴリラで。
親父に似たんだから文句を言うな。

だから俺には早く嫁を貰えとうるさい。
早くお嫁さんと、旅行とかカフェとかに行きたいそうだ。
まだ21歳なんだから、遊ばせろ。

だが明希子が来るとそんなことも言わない。

まあ、そんなこと考える余地もねえというか…


行信ゆきのぶくん」
「おわっ…」

勝手口にたたずんでいる俺のすぐ後ろに、明希子が立っていた。

「な、なんだよ?」
「おじさんが、あみしまえって」
「ああ。わかった。今行く…」

ちっこくて細っこい明希子は、骨惜ほねおしみせずよく働く。
それもそうだ。
今日の昼飯と晩飯がかっている。
こいつなりに、必死なんだ。

「あ、明希子」
「ん?」
「親父の湿布しっぷ余ってるから、帰り持ってけや」
「え?いいよ…別に…」

額の汗を手の甲で拭きながら、曖昧あいまいに笑う。

「…いいから。それ、目立つし」
「あ…ごめん」
「謝るなよ、ボケが」
「…うん…」


明希子は虐待ぎゃくたいされてる。
それも多分、実の父親にだ。


頭のねじりタオルを取ると、明希子の頭にかぶせた。

「わっ…」
「それ、使え。今日あんまり汗かいてないから」
「ぶ…ちょっと…行信くんの使いさしなの?」
「なんか文句あっか?」
「信じられない。女子高生にそんなもの使わせる?」
「やかましい。嫌なら返せ」
「しょうがないから。使ってやりますよ~」
「あ、このやろ」


あいつがここに来たのは、一年前の夏。
学校が夏休みに入ったくらいの時期だったと思う。
東京に出るのに二時間以上かかるこんな街に、都会からえらい別嬪べっぴんが引っ越してきたと話題になっていた。

地元の高校の編入試験を受け、2年に入ってきたという噂はすぐに伝わってきた。
俺はもう当時は漁師になっていたから、ションベンくせえガキのことなんかどうでも良かったんだが。
お袋がどこからか噂を仕入れてきて、いちいち俺や親父に教えてくるからだ。

「あんな綺麗な子が、うちのゴリラの嫁に来ないかねえ…」
「おいお袋。俺の前でうちのゴリラとかやめろ」
「ほんと、うちにはゴリラが二匹いるだけで、潤いがないんだわよね」
「人の話を聞け、クソババア」

そんな感じで、半年間はふわっとした噂ばかり聞いていた。
お父さんと二人暮らしだとか。
おじいさんとおばあさんがいるからこっちに来たんだとか。
どうやら親は離婚したそうだとか。

ちゃんちゃら興味がなかったが、お袋がうるさかったからなんとなく俺も覚えてしまった。


去年の年末。

お袋が、あいつを家に連れてきた。
年が変わる、そんな時間帯に。

ほとんど素っ裸の明希子を。
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