自粛の世界と一割の本物

壬生葵

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 オンライン購入じゃ届くまで日数がかかるから来店したものの、結局こちらも一日潰すほど時間がかかった。店員のお姉さんと濃厚接触……不謹慎にも程があるからこれ以上は止そう。
 自粛中の街はいつもよりひっそりしていて、鳥のさえずりとうららかな春の陽気がもったいなく思う。長閑且つもの寂しい光景がみられるようになってから、随分経つが慣れないものだ。
「もう夕方だし、お見舞いは明日にしようかしらん。あの二人に連絡を入れないとね」とでも考えつつ、駅前を通り過ぎようとしたら妙な集団を見かけた。
 これに対して「このご時世に何集まってんだろう」と足を止めたのが悪かった。

 ――パンツ、被っても良いですよね?

 集団の一人にいきなり声をかけられた。
「知らんがな……いや、ダメでしょ」と脳内で自分にツッコミを入れる。社会のルールを守れぬ変態は無視するに限る。無言のまま足早にその場を離れようとする私に、その男はなおも食い下がってくる。

「マスクがないならパンツを被っても良い。あなたもそう思いませんか?」
「…………」
「だって下着会社がブラジャーをマスクにしているんですよ? これってつまりパンツも良いってことですよね?」
「知りません。っていうか良くないです。警察を呼びますよ?」
「構いません。私達は正義を叫んでいるのですから」

 しまった。これは道理が通じないタイプの変態だ。力づくで来られたら一たまりもない。とにかく助けを求めないと。

「ちょっとあんた、何してんだ?」

 困っていた所、通りすがりらしき別の集団が声をかけてきてくれた。「良かった! 助かった!」と思ったのも束の間、彼らもとんでもない言葉を発する。

「パンツはダメに決まってんだろ。パンストにしろ」
「は?」

 皆、どうしたの? 自粛のストレス? 変態は変態を呼ぶとでも言うの?
 あぁ……お母さん、私はもうダメかもしれません。
 気付いた頃には彼らは私を挟んで言い争いを始めていた。人数は五分、どうやら私を引き入れた方が勝ちらしい。

「パンストはダメだ。生地の目が粗いし簡単に破けるからマスクに適さない。何より顔が不細工になってしまうではないか」

 パンツも被ればブスになると思う。

「パンツ派は愚かだな。マスクは通気性も重要だ。これに関してはパンストの方が優れている。そして目の粗さに関しては、ウィルスの感染を防ぐ為に唾の飛散を止められたらそれで十分なのだ。耐久性も乱暴に扱わなければ問題ない。女性の扱いと同じだ。それに見た目を気にする辺り、あんたらは女性のことをわかっていないな」

 こんなことを熱弁している男に女性を語られたくない。

「通気性ならパンツも十分だ。それに感染を防ぐ為ならばやり過ぎというものはない。パンツの鉄壁さに比べたらパンストは軟弱だ。優しく扱ったとて、洗濯を繰り返せばパンツよりも早く劣化する。女性の脚よりもずっと太くて大きい頭をねじ込むせいで余計にな。パンツは首元や顎下に腰の部分が来るようにすれば容易には伸びん。それにパンツは視界が損なわれないのが大きな特徴だ。視界がベージュや黒一色に染まるパンストでは外を出歩く、いや、屋内でさえ危険だ」

 あんた達のような人々が出歩いている事実が危険だ。

「被るだけがパンストではない。口元に巻いて覆うこともできる。それも方法次第では一般人からスカーフのように見えて、変態と思われないで済むようにできる。社会に溶け込む形で下着をマスクに変えたのがブラの事例だ。ストにだってそれが可能なポテンシャルがある。パンツにはそれができまい。」

 こんな無駄なことを考えているあなた達のポテンシャルはどうなのよ。
 議論は過熱し、滾々と続いていく。隙を見計らって逃げられないかと思ったけど、すでに変態の編隊は私を取り囲んで論戦を繰り広げており、それも叶いそうになかった。
 ほとほと困り果てた状態で小一時間ほど経った。無心で嵐が去るのを待っていると、唐突にピインと張りつめた感覚が私の体を通過した。この感覚はつい最近経験している。

「こんなとこで何してんだ?」
「康さん!」

 渡りに船、地獄に仏、痴漢に警察とはまさにこのこと! 静止した人の輪を抜けて、どうにかこの場から逃れられた。

「変な人達に絡まれて……。ありがとう! 本当に助かったよ」
「今はカリカリしている人多いしな。ちょっとしたことでも揉め事になるから気ぃ付けろよ?」
「揉め事は揉め事だけどちょっと毛色が違うというか……。まあそれはともかく、康さんは何しているの?」
「俺もいるよ」
「うわぁっ!」

 声と共に生首状態のうすにんがぬっと現れる。体の一部だけ透明化を解くこともできるのね。それにしても透明だということはまたこの男は露出行為をしているのか。

「こいつが俺の正装なのよ」
「マジで一回捕まれ」
「死ねとまで言わない辺り、君は優しいね」
「きも」
「それで良い。そう思える感性を忘れちゃいけない」
「あなたって可哀そうな人ね」
「それは効くからやめてほしいな」
「二人共、漫才していないで早く行くぞ」

 駅前を離れても二人は「心配だから家まで送る」と言う。断った所で全裸の透明人間がこっそりついてくるだろうし、快くお願いした。そもそもどうして折よくあそこに居たのだろうか。

「頼まれてきた?」
「そう。「嬢ちゃんが困っているから助けに行ってやってくれ」ってな」
「何でその人は名乗り出ないのよ? それに知り合いがあの場にいるのも出来すぎでしょ」
「そこはまだ言えん」
「まだってことはいずれ話すのね?」
「そうだな。しかも俺達からではなく本人の口からな」
「うーん、釈然としないけど良いわ」

 ビデオのモザイクと同様に、解けないものにいつまでもしがみついていても仕方ない。口止めしている本人がのこのこ現れたらとっちめてやる。
 そうこうしている内に夕方の放送が町内に流れる。不要不急の外出を辞め、感染を防ぐ努力を求める文言が赤い空にこだましている。それが何だか無性に寒々しい光景に感じた。一応付言しておくが別に人肌が恋しくなった訳ではない。

「ねぇ二人共、この後は暇?」
「まあね。どうした?」
「助けてもらって何のお礼もしないのはあれだし、うちで夕飯でもどうかなって?」

 私の申し出に康さんが渋い表情を浮かべる。へぇ、業界の人ってこういうの慣れていると思っていたけど案外普通なんだな。

「おいおい嬢ちゃん、女一人の家に男二人はまずいよ」
「ご近所さんに目撃されたとしても、うすにんさんは周りから見えないじゃん」
「だとしたら俺と二人きりに見られちまうじゃねえか」

 私は別に変な噂が流れようと構わないけど、彼らからしたら少し面倒なのかもしれない。業界にいるからこそ、女性に対して人一倍警戒感を抱いているとしたら……。
 と、思っていたらうすにんがあっけらかんとした様子で「だったら康さんも能力使って入れば良いでしょ」と言って、康さんの背を押した。どうやらその点は杞憂だったらしい。
 うすにんは「せっかくの女子からのお誘いだし、ここは受けるのが男ってもんですよ」と、悪魔の囁きの如くさらに言葉を続ける。姿が見えないのに声は聞こえるから本当に悪魔のようだ。
 なおも康さんは渋るので、私が引導を渡した。

「不法侵入かましてんだから今更気にする必要ないでしょ。それに……一軒家に一人ってたまに寂しくなるのよ。友達とも会えないし、単純に話し相手がほしいの」

 気ままな自粛生活を謳歌していても、ふとかつての日常のことが頭に過ると、満たされない思いで胸が騒ぐ。今までそれほど興味がなかったポルノの世界にのめり込み出したのも、社会的欲求の不満を生理的欲求を満たすことで代替しようとしているからなのかもしれない。

「……そこまで言うならご随伴に預かろう」
「康さんは堅いなぁ。だから妙に女優さんから好かれるんだろうけど」

 何となく想像がつく。ビジネスの立ち振る舞いをわかっていそうだし、照れた時は強面とのギャップがあるし、業界で擦られた(実際は物を擦る方だがってやかましいわ)女優さんからしたら安心感があるのだろう。

「そうそう業界の話もじっくり聞いてみたかったの。こんな機会、滅多にないし!」
「ちゃっかりしてんな。話せる範囲で良いならな」
「もちろん! さあて、そうと決まったら早く帰ろ! あ、うすにんさんは家に入ったらすぐ服着てね」
「年下なのに有無を言わせないこの感じ、たまらないね。もっと見下されたいよ」

 この人は女優さんに好かれていない噂があるけどたぶん本当だわ。


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