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時の移ろいは早く、縄痕が消え失せて記憶も遠き過去のよう。されど思いを馳せれば感覚は瞬く間に甦り、心は悶え、身は無為によじれる。
あの日……。一年に一度のあの日だけ、私は心の檻を破れる。襟元をなぞれば拘束の残滓が肌を伝い、小さく息が漏れた。
しかし、あの圧迫は独りでは味わえない。彼に身を委ね、為すがまま為されるがままに導かれなければ……。淫蕩の海は茫洋として広く、快楽の舵取りが居なければ求める境地へは至れないのだ。
麻の蛇が後ろ手に巻き付き、しゅるりしゅるりと背から這い寄る。私が身じろぐ度に長躯を食い込ませ、ギシギシと囁いた。私に「啼け」と。
そこから先は記憶がおぼろげだ。夢心地に宙に吊られ、侵入を繰り返すあらゆる悦楽を私は貪った。全身を縛られ、思うがままに身を動かせなくとも、あの時の私は間違いなく自由だった。
もしかしたらあれは夢だったのかもしれないとさえ思った。人は理性や知性といったもので身心を正し、秩序を作り、健やかな営みを紡いできた。その一方で感情や欲望といったもので身心を乱し、倒錯を求め、いかがわしい自己満足に耽りたいと首の付け根辺りで想像を膨らませている。あの夜の一幕は間違いなく私が求めていたものだった。昨年の同じ日、枕上で私がこぼした妄想を相手は余すことなく取り入れて、一年掛かりでシチュエーションから展開や世界観に至るまで仕上げてくれた。まさに珠玉の逸品と言える一夜であり、落ちる汗は流星となって降り、涙とよだれは夜露に変じ、股間に湛えた色香は燻されるような湿気を大地にもたらしただろう。
しかし、燃え上がる熱情も一度去れば思考は静謐を取り戻す。涼風が草叢をそよぎ、熱気の残滓を押し流すように体験は遠い過去の出来事に移り変わる。そして「思い出を辿る私」と「交わって乱れる私」は果たして同一なのか、今ここにある意識と記憶との認識に齟齬が生まれる。だから夢だったのかもしれないなどと宣ってしまう。
ただ、夢か現実かなんて大事なことではない。交わした言葉が口吻が抱擁が虚ろな夢であったとしても、とめどなく逝って逝って逝きまくっていた以上、私の意識が快楽を感じ取っていたのは間違いない現象なのである。
私が経験したことと同様の出来事は人類の歴史上に何度も観測されている。例えば、同じ集落に住む者から真面目さを称えられている、純朴な羊飼いの青年がいた。青年はある日、夢精した。そして夢の内容を思い返し、酷い自己嫌悪に陥る。密かに好意を寄せている幼馴染との情交ではなく、己が愛でる羊の毛に逸物を押し付けた末に精を吐き出すというものだったからだ。もし、幼馴染との交わりを夢見て吐精したのなら彼も本望だっただろう。いや、もちろん彼は浄い交わりを熱望しているのであり、あるいは穢れた情欲が湧く己の卑しさに失望したかもしれない。
ただ、彼はそれが人間の建前だと理解しており、本音を言えばいずれはそういう関係になりたいと、首と頭の境目辺りでひっそりと意識していた。そこに欲の引き金がカチリと動いたことで青年は禁断の獣姦を為す夢を見た。夢は夢だ。大切に飼育している羊をふしだらな目で見るなんてあり得ない。が、彼の股間はこの上なく張り詰め、過去にない量を吐いて下衣と寝具を濡らした。目覚めた彼の眼下に広がる染みは現実だ。
それから彼は幼馴染と顔を合わせる度に、夢で行った羊相手の慰みを思い出すようになる。自分は心の奥で人間の女と羊を同列に視ているのかもしれないと怖れを抱いた。それからしばらくして、彼は十字架を切って崖から飛んだ。禁止への侵犯は思考が蕩ける程の昂揚と悦楽をもたらす。たとい夢で経験した出来事だとしても彼はそれを知ってしまったのだ。そして、それは死に対しても同じであるとも。だから死ぬ前に神へ祈った。自死の罪を犯す為にあえて十字架を切って、課せられた道徳を踏み越える快感に包まれながら……。
夢は夢。そう思えたなら彼は自らの内に秘める情欲を自覚し得なかっただろう。夢の中で羊を辱めるのに躍起になっていたことと幼馴染に対する淡い恋心は人の意識の中では両立する。けれども青年はそれを併せ呑めるほど、器が出来上がっていなかった。だから自死という逸脱、言い換えれば禁忌への侵犯を以て救われようとした。人間は個々の内面においても、または集団で形成する社会においても、多面的で多くの矛盾を孕んでいる。
それは私も例外ではない。かつての過ちから一年に一度のみ想い人と逢える身の上に、下界の人々はロマンスを感じ取ってくれる。一方で実際はどうなのかと問われれば、「それはそれ」と答えられるくらいにはもう擦れていて、穢れた妄想をどうにか具現化できないかとあくせくしているのが実情だ。永く人間という存在を見つめ続けて道理を心得ていても、ふとした時に蒸れた内心と静かな日常との結露に焦燥のようなものを覚えてしまう。だから余計にあの人を求めてしまい、卑しい行為に耽るのだ。
これは人に与えられた呪い。そして――。
「――危ないっ!」
あらぬ所に飛んでいた意識を揺り戻し、我に返る。その瞬間に眼前で敵機が一筋の閃光に撃ち抜かれた。機体はくの字に折り曲がり、宙を揺蕩った後に爆散する。白光がコンソールを覆い、コックピット内を明るく照らす。破片がぶつかる音と細かい振動が伝わってくる。この世界で長く奏でられ続けている死の音色だ。天の川の流れは混沌として清らかならず。無数の文明が生まれ、滅びゆくこの銀河では絶えず星間戦争が繰り広げられている。
「ぼさっとするな! 死にたいのか!」
声の主は巧みに機体を接近させ、こちらの目の前で制動した。敵の攻撃はまだ続いている。身を挺して私をかばいながら彼女は悪態を吐いた。
「くそっ! どうしてこんな淫乱ビッチを……」
「誰が……あっ!」
反論しようと口を開いた所で下腹が疼いた。「こんな時に……!」
――タンザクより総員へ告ぐ。退却せよ。繰り返す。タンザクより総員へ告ぐ。退却せよ……。
冷淡な声に乗せて命令が下される。火線もますます激しくなり、劣勢だと肌で感じ取れた。
だが、体は思うように動かなかった。胸先がもどかしく腰が震える。口から熱い吐息が漏れ、膝がわななく。この場にふさわしくない身体上の異変が私を襲う。そう、感じているのだ。何故、感じるのか。それは私が乗るこいつのせい。しかし、説明しようにも今は間が惜しい。
「おい! 何してんだよ!? とっととずらかるぞ!」
こちらの機体の腕を引こうとする友軍機を振り解いた。このままでは巻き込んでしまう。
「私は、良いから!」
「良くねえって!」
言葉を交わしている間も砲火は私たちに襲いかかる。盾を構えながら彼女は応戦するが、間もなく榴弾の一つが命中し、盾は砕け散った。二機共に衝撃に弾き飛ばされながらも、彼女の機体を受け止めて姿勢を整える。
「いいの! 離れて!」
私は後方へ流されながらも巴投げのように機体を回転させ、無理くり味方を蹴り出した。その勢いのまま敵軍に向かい、スラスターを噴かせ、加速する。「おい!」と呼びかける声を振り切り、コンソールを操作した。
「サーキバス! 今こそ呪いの力を……!」
――Gドライブ最大出力、エクスタシウム臨界値へ上昇。オーガズムリンクリミッターカット。
――πアタッチメント、エンゲージプラグ接続、性感度良好、最大稼働でアクティブ。
〈警告。ヤリマスカ? ヤラレマスカ?〉
「……やるしかない。そうでしょ?」
〈承認。システム天河――起動。敵性精力の殲滅を最優先とする〉
それから先は覚えていない。一瞬、ほんの一瞬だけ絶頂の感覚がやってきて、意識が真っ白になって浮遊感を覚えた後――暗転。
目覚めた私に待っていたのは治癒カプセルの強化ガラスに覆われた狭い視界。そして胸の突端と下腹を焼くような痛み。額の脂汗を指で拭いつつ私は呟いた。
「夢じゃなかったのか……」
夢ではないなら、ここは戦艦タンザクの医務室に違いない。何度も見た景色だ。
断片的で曖昧な記憶を辿る。迫りくるビームの閃光、ミサイルの嵐、待ち構える敵機、迸る剣戟の火花、ひしゃげる敵機の四肢、真っ二つに割れた殻と粉々の実、逃げ惑う背、突き立てる刃、ノイズ混じりの断末魔、気持ち良くなる私。胸糞悪い。夢であったなら……と、言葉にならない思いに胸を締め付けられる。
自動ドアが開く音がした。「具合はどうだ?」と、起伏に乏しい声音で何者かに尋ねられる。
「艦長……」
表情を崩さず、女性はツカツカとこちらに近寄ってカプセルを覗き込む。私は窮屈な空間内でどうにか敬礼しようとしたが手振りで制された。
「この艦が生き残り、味方の損害も最小限で済んだのは貴官の奮戦のおかげだ」
「それは……ありがとうございます」
不服そうな私の表情を気に留めず、艦長は「いつ出られそうだ?」と無機質に問う。
「ドクターによればあと二時間もすれば……今の医療って本当にすごいですね。擦り切れて血が滲む皮膚も粘膜もここで数時間寝れば、元通り乙女の桃肌に戻してくれるし、何なら手足が吹き飛ぼうが首と胴が無事なら生きられるのですから、死ななければ安いなんてよく言ったものですよ」
吐き捨てるように発された軽口を黙って受け止めてから艦長は「……悔やんでいるのか?」と気遣う。兵士の心を案じているのか、それとも兵器の稼働が気がかりなのか、口振りからは窺えない。
「よく覚えてもいないから悔やみようがありません」
戦闘後に残るのはグシャグシャの脳内映像と強烈な快感の余韻、そして節々折々の痛みのみ。戦闘の記憶が鮮明に残る分、他の兵士の方が気の毒に思えた。
「適合試験には自分から志願しました。文句は言いますが、命令には従いますよ」
「Gは我々に残された希望で君は唯一の適合者だ。苦労を掛ける」
「希望……ですか」
「G式0ドール「サーキバス」とそのパイロットのオリヒメ=ツムグ。君たちの戦果を見ればそうとしか言えないだろう?」
「やめてください。あれは……」
禁忌の侵犯を容易く行なえてしまう程に戦いは人を狂わせる。いや、戦争を始める時点で人はもう狂っている。一度踏み越えてしまえばもう戻れない。待っているのは更なるタブーの超越。終焉は全てが塵芥に帰した先にしかない。それがわかっていても人は止まれない。
「わかっているさ。君とあれが何と呼ばれているのかも」
艦長は視線を落とし、「士気高揚の為には藁にも悪魔にも縋らねばならないのだ」と自嘲気味に呟いた。
「……今度はどこが落ちたのですか?」
「デネブだ」
「っ!! 大三角の一角が……!?」
「生き残った者はわずか。それも会話がままならん有様だ」
艦長は憮然としたまま言葉を続ける。
「決死の玉砕も阻まれ、かと言って退くことも許されず、徹底的に殲滅されたようだ」
「まるでお前と同じような戦い方だ」と彼女は眼で語りかける。敵を滅するまで止まれない。私の駆るあれに課せられた呪いの力。
「得られた情報はただ一つ。通信に残った「星が爆ぜた」との言葉だけ……。そこからわかるのは向こうも新兵器を投入したらしいということだ――こちらよりも完成度が上のな」
G型は試験も不十分なままロールアウトされ、適合者である私もまだ経験が少ない。劣勢続きの戦況に追い立てられるがまま実戦投入され、火事場の馬鹿力で無茶苦茶な戦い方を続け、ここまでどうにか首の皮一枚で生き残ってきた。そんなものに希望を見出さねばならない司令部にも我ながら同情する。
「あちらの新兵器がドールだというのなら、パイロットもさぞ気を良くしているでしょうね」
狂燥の波は敵方にも及んでいるらしい。こんな馬鹿げた兵器が二つと存在しているのなら世界は滅んだ方が良いとさえ思えた。
「奴と出くわしたら――」
「ヤりますよ」
言葉を遮り、すかさず私はそう答えた。艦長は「そうか」とだけ呟き、小さく息を漏らす。彼女が言わんとしたことは何となくわかっていた。上も下も右も左も戦いに憑かれて疲れている。
それを聞いてしまえばきっと私は受け入れてしまう。戦えない己を。この世界では戦えない者がどのような運命を迎えるのか……言うまでもない。
「「魔女」に祝福を」
「魔女に加護なんて与えられるものでしょうか」
「細かいことを気にするな。サーキバスの修理はじきに済む。傷が癒えれば――」
「出ますよ。その為にいるのですから」
無言で頷き、礼を交わすことなく彼女は踵を返して退出する。わざわざ出向いて私の身を案じてくれたことへほのかに謝意を抱きつつ、私は一眠りすることにした。
あの日……。一年に一度のあの日だけ、私は心の檻を破れる。襟元をなぞれば拘束の残滓が肌を伝い、小さく息が漏れた。
しかし、あの圧迫は独りでは味わえない。彼に身を委ね、為すがまま為されるがままに導かれなければ……。淫蕩の海は茫洋として広く、快楽の舵取りが居なければ求める境地へは至れないのだ。
麻の蛇が後ろ手に巻き付き、しゅるりしゅるりと背から這い寄る。私が身じろぐ度に長躯を食い込ませ、ギシギシと囁いた。私に「啼け」と。
そこから先は記憶がおぼろげだ。夢心地に宙に吊られ、侵入を繰り返すあらゆる悦楽を私は貪った。全身を縛られ、思うがままに身を動かせなくとも、あの時の私は間違いなく自由だった。
もしかしたらあれは夢だったのかもしれないとさえ思った。人は理性や知性といったもので身心を正し、秩序を作り、健やかな営みを紡いできた。その一方で感情や欲望といったもので身心を乱し、倒錯を求め、いかがわしい自己満足に耽りたいと首の付け根辺りで想像を膨らませている。あの夜の一幕は間違いなく私が求めていたものだった。昨年の同じ日、枕上で私がこぼした妄想を相手は余すことなく取り入れて、一年掛かりでシチュエーションから展開や世界観に至るまで仕上げてくれた。まさに珠玉の逸品と言える一夜であり、落ちる汗は流星となって降り、涙とよだれは夜露に変じ、股間に湛えた色香は燻されるような湿気を大地にもたらしただろう。
しかし、燃え上がる熱情も一度去れば思考は静謐を取り戻す。涼風が草叢をそよぎ、熱気の残滓を押し流すように体験は遠い過去の出来事に移り変わる。そして「思い出を辿る私」と「交わって乱れる私」は果たして同一なのか、今ここにある意識と記憶との認識に齟齬が生まれる。だから夢だったのかもしれないなどと宣ってしまう。
ただ、夢か現実かなんて大事なことではない。交わした言葉が口吻が抱擁が虚ろな夢であったとしても、とめどなく逝って逝って逝きまくっていた以上、私の意識が快楽を感じ取っていたのは間違いない現象なのである。
私が経験したことと同様の出来事は人類の歴史上に何度も観測されている。例えば、同じ集落に住む者から真面目さを称えられている、純朴な羊飼いの青年がいた。青年はある日、夢精した。そして夢の内容を思い返し、酷い自己嫌悪に陥る。密かに好意を寄せている幼馴染との情交ではなく、己が愛でる羊の毛に逸物を押し付けた末に精を吐き出すというものだったからだ。もし、幼馴染との交わりを夢見て吐精したのなら彼も本望だっただろう。いや、もちろん彼は浄い交わりを熱望しているのであり、あるいは穢れた情欲が湧く己の卑しさに失望したかもしれない。
ただ、彼はそれが人間の建前だと理解しており、本音を言えばいずれはそういう関係になりたいと、首と頭の境目辺りでひっそりと意識していた。そこに欲の引き金がカチリと動いたことで青年は禁断の獣姦を為す夢を見た。夢は夢だ。大切に飼育している羊をふしだらな目で見るなんてあり得ない。が、彼の股間はこの上なく張り詰め、過去にない量を吐いて下衣と寝具を濡らした。目覚めた彼の眼下に広がる染みは現実だ。
それから彼は幼馴染と顔を合わせる度に、夢で行った羊相手の慰みを思い出すようになる。自分は心の奥で人間の女と羊を同列に視ているのかもしれないと怖れを抱いた。それからしばらくして、彼は十字架を切って崖から飛んだ。禁止への侵犯は思考が蕩ける程の昂揚と悦楽をもたらす。たとい夢で経験した出来事だとしても彼はそれを知ってしまったのだ。そして、それは死に対しても同じであるとも。だから死ぬ前に神へ祈った。自死の罪を犯す為にあえて十字架を切って、課せられた道徳を踏み越える快感に包まれながら……。
夢は夢。そう思えたなら彼は自らの内に秘める情欲を自覚し得なかっただろう。夢の中で羊を辱めるのに躍起になっていたことと幼馴染に対する淡い恋心は人の意識の中では両立する。けれども青年はそれを併せ呑めるほど、器が出来上がっていなかった。だから自死という逸脱、言い換えれば禁忌への侵犯を以て救われようとした。人間は個々の内面においても、または集団で形成する社会においても、多面的で多くの矛盾を孕んでいる。
それは私も例外ではない。かつての過ちから一年に一度のみ想い人と逢える身の上に、下界の人々はロマンスを感じ取ってくれる。一方で実際はどうなのかと問われれば、「それはそれ」と答えられるくらいにはもう擦れていて、穢れた妄想をどうにか具現化できないかとあくせくしているのが実情だ。永く人間という存在を見つめ続けて道理を心得ていても、ふとした時に蒸れた内心と静かな日常との結露に焦燥のようなものを覚えてしまう。だから余計にあの人を求めてしまい、卑しい行為に耽るのだ。
これは人に与えられた呪い。そして――。
「――危ないっ!」
あらぬ所に飛んでいた意識を揺り戻し、我に返る。その瞬間に眼前で敵機が一筋の閃光に撃ち抜かれた。機体はくの字に折り曲がり、宙を揺蕩った後に爆散する。白光がコンソールを覆い、コックピット内を明るく照らす。破片がぶつかる音と細かい振動が伝わってくる。この世界で長く奏でられ続けている死の音色だ。天の川の流れは混沌として清らかならず。無数の文明が生まれ、滅びゆくこの銀河では絶えず星間戦争が繰り広げられている。
「ぼさっとするな! 死にたいのか!」
声の主は巧みに機体を接近させ、こちらの目の前で制動した。敵の攻撃はまだ続いている。身を挺して私をかばいながら彼女は悪態を吐いた。
「くそっ! どうしてこんな淫乱ビッチを……」
「誰が……あっ!」
反論しようと口を開いた所で下腹が疼いた。「こんな時に……!」
――タンザクより総員へ告ぐ。退却せよ。繰り返す。タンザクより総員へ告ぐ。退却せよ……。
冷淡な声に乗せて命令が下される。火線もますます激しくなり、劣勢だと肌で感じ取れた。
だが、体は思うように動かなかった。胸先がもどかしく腰が震える。口から熱い吐息が漏れ、膝がわななく。この場にふさわしくない身体上の異変が私を襲う。そう、感じているのだ。何故、感じるのか。それは私が乗るこいつのせい。しかし、説明しようにも今は間が惜しい。
「おい! 何してんだよ!? とっととずらかるぞ!」
こちらの機体の腕を引こうとする友軍機を振り解いた。このままでは巻き込んでしまう。
「私は、良いから!」
「良くねえって!」
言葉を交わしている間も砲火は私たちに襲いかかる。盾を構えながら彼女は応戦するが、間もなく榴弾の一つが命中し、盾は砕け散った。二機共に衝撃に弾き飛ばされながらも、彼女の機体を受け止めて姿勢を整える。
「いいの! 離れて!」
私は後方へ流されながらも巴投げのように機体を回転させ、無理くり味方を蹴り出した。その勢いのまま敵軍に向かい、スラスターを噴かせ、加速する。「おい!」と呼びかける声を振り切り、コンソールを操作した。
「サーキバス! 今こそ呪いの力を……!」
――Gドライブ最大出力、エクスタシウム臨界値へ上昇。オーガズムリンクリミッターカット。
――πアタッチメント、エンゲージプラグ接続、性感度良好、最大稼働でアクティブ。
〈警告。ヤリマスカ? ヤラレマスカ?〉
「……やるしかない。そうでしょ?」
〈承認。システム天河――起動。敵性精力の殲滅を最優先とする〉
それから先は覚えていない。一瞬、ほんの一瞬だけ絶頂の感覚がやってきて、意識が真っ白になって浮遊感を覚えた後――暗転。
目覚めた私に待っていたのは治癒カプセルの強化ガラスに覆われた狭い視界。そして胸の突端と下腹を焼くような痛み。額の脂汗を指で拭いつつ私は呟いた。
「夢じゃなかったのか……」
夢ではないなら、ここは戦艦タンザクの医務室に違いない。何度も見た景色だ。
断片的で曖昧な記憶を辿る。迫りくるビームの閃光、ミサイルの嵐、待ち構える敵機、迸る剣戟の火花、ひしゃげる敵機の四肢、真っ二つに割れた殻と粉々の実、逃げ惑う背、突き立てる刃、ノイズ混じりの断末魔、気持ち良くなる私。胸糞悪い。夢であったなら……と、言葉にならない思いに胸を締め付けられる。
自動ドアが開く音がした。「具合はどうだ?」と、起伏に乏しい声音で何者かに尋ねられる。
「艦長……」
表情を崩さず、女性はツカツカとこちらに近寄ってカプセルを覗き込む。私は窮屈な空間内でどうにか敬礼しようとしたが手振りで制された。
「この艦が生き残り、味方の損害も最小限で済んだのは貴官の奮戦のおかげだ」
「それは……ありがとうございます」
不服そうな私の表情を気に留めず、艦長は「いつ出られそうだ?」と無機質に問う。
「ドクターによればあと二時間もすれば……今の医療って本当にすごいですね。擦り切れて血が滲む皮膚も粘膜もここで数時間寝れば、元通り乙女の桃肌に戻してくれるし、何なら手足が吹き飛ぼうが首と胴が無事なら生きられるのですから、死ななければ安いなんてよく言ったものですよ」
吐き捨てるように発された軽口を黙って受け止めてから艦長は「……悔やんでいるのか?」と気遣う。兵士の心を案じているのか、それとも兵器の稼働が気がかりなのか、口振りからは窺えない。
「よく覚えてもいないから悔やみようがありません」
戦闘後に残るのはグシャグシャの脳内映像と強烈な快感の余韻、そして節々折々の痛みのみ。戦闘の記憶が鮮明に残る分、他の兵士の方が気の毒に思えた。
「適合試験には自分から志願しました。文句は言いますが、命令には従いますよ」
「Gは我々に残された希望で君は唯一の適合者だ。苦労を掛ける」
「希望……ですか」
「G式0ドール「サーキバス」とそのパイロットのオリヒメ=ツムグ。君たちの戦果を見ればそうとしか言えないだろう?」
「やめてください。あれは……」
禁忌の侵犯を容易く行なえてしまう程に戦いは人を狂わせる。いや、戦争を始める時点で人はもう狂っている。一度踏み越えてしまえばもう戻れない。待っているのは更なるタブーの超越。終焉は全てが塵芥に帰した先にしかない。それがわかっていても人は止まれない。
「わかっているさ。君とあれが何と呼ばれているのかも」
艦長は視線を落とし、「士気高揚の為には藁にも悪魔にも縋らねばならないのだ」と自嘲気味に呟いた。
「……今度はどこが落ちたのですか?」
「デネブだ」
「っ!! 大三角の一角が……!?」
「生き残った者はわずか。それも会話がままならん有様だ」
艦長は憮然としたまま言葉を続ける。
「決死の玉砕も阻まれ、かと言って退くことも許されず、徹底的に殲滅されたようだ」
「まるでお前と同じような戦い方だ」と彼女は眼で語りかける。敵を滅するまで止まれない。私の駆るあれに課せられた呪いの力。
「得られた情報はただ一つ。通信に残った「星が爆ぜた」との言葉だけ……。そこからわかるのは向こうも新兵器を投入したらしいということだ――こちらよりも完成度が上のな」
G型は試験も不十分なままロールアウトされ、適合者である私もまだ経験が少ない。劣勢続きの戦況に追い立てられるがまま実戦投入され、火事場の馬鹿力で無茶苦茶な戦い方を続け、ここまでどうにか首の皮一枚で生き残ってきた。そんなものに希望を見出さねばならない司令部にも我ながら同情する。
「あちらの新兵器がドールだというのなら、パイロットもさぞ気を良くしているでしょうね」
狂燥の波は敵方にも及んでいるらしい。こんな馬鹿げた兵器が二つと存在しているのなら世界は滅んだ方が良いとさえ思えた。
「奴と出くわしたら――」
「ヤりますよ」
言葉を遮り、すかさず私はそう答えた。艦長は「そうか」とだけ呟き、小さく息を漏らす。彼女が言わんとしたことは何となくわかっていた。上も下も右も左も戦いに憑かれて疲れている。
それを聞いてしまえばきっと私は受け入れてしまう。戦えない己を。この世界では戦えない者がどのような運命を迎えるのか……言うまでもない。
「「魔女」に祝福を」
「魔女に加護なんて与えられるものでしょうか」
「細かいことを気にするな。サーキバスの修理はじきに済む。傷が癒えれば――」
「出ますよ。その為にいるのですから」
無言で頷き、礼を交わすことなく彼女は踵を返して退出する。わざわざ出向いて私の身を案じてくれたことへほのかに謝意を抱きつつ、私は一眠りすることにした。
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