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 古来、人は遠方から友人が訪ねてくるのを楽しみとしてきたものだが、遠く離れた思い人との逢瀬もまた喜ばしいことであろう。しかも、それを手助けしてくれる利器が存在しているのは、私にとっても彼女にとっても非常にありがたいものであった。

「もしもーし……聞こえる?」
「うん。聞こえるよ」
「映像も大丈夫?」
「大丈夫。こっちは?」
「見えてるし聞こえてるよ」

 二週ぶりの顔合わせにお互い頬が緩む。直接会えればそれに越したことはないけれども、私達はそれが年一回しか許されない境遇にある。
 ほんの数日前、お義父さんからいきなり天網通信に使う機材が送られてきた。「こうするくらいなら妻と一緒に住むことをいい加減認めてくれれば良いのに」と内心不満に思ったものの、口に出して機嫌を損ねれば下界にまで雷が降り注ぎかねないし、大人しく受け取った。妻にも同じく送り届けていたようで、どうやらこれで通話するのは問題ないそうだ。

「昔は手紙さえダメだったのに、何でもない日にこうして顔を見てお話しているのって変な感じだね。もう千年経てば、お父さんも許してくれるかも!」
「万年かもよ?」
「ふふっ……それでも良いかも。いざ一緒になったら戸惑っちゃいそうだもの」
「たしかに千年以上続けた生活習慣を変えるのは骨が折れそうだ」
「一緒に住むのを諦めた訳じゃないけど、これはこれで居心地が良くなっちゃってね」
「わかるよ。僕も同じ」

 相手が恋しいのは今もなお変わらない。ただ、別離に嘆き沈む時期はとうに過ぎている。この状況をありのままに楽しむようになって幾星霜、今では軽口まで飛ばし合える。

「それにさ、年一回だと焦らされた分、やっぱり気持ちが燃えるしね」
「それにしたって私達もう銀も金も白金も遥か昔に超えてオリハル婚ってくらい長いのに、よく気持ちが切れないね……」

 妻は呆れ気味にそう返しつつ、ぼそっと「まあ私も同じだけど」と呟いた。すかさず「そう思ってくれてるなら僕も嬉しいよ」と言ってやると、「えっ?今のマイクに乗ってた!?」と頬を染めて慌てふためいて実に愛らしい。いつまで経っても少女のようなあどけなさを失っておらず、変わらない彼女は私に安らぎを与えてくれる。
 乙女はなおも「もうやだー恥ずかしー……」と画面の向こうでじたばたしている。「でもさ」と私は声のトーンを落として、しみじみと語りかけた。

「今年も会えて良かったね。下界が大変なことになって、こっちも自粛しようかって動きになってたし」
「うん。でもごめんね。今回は私が丸一日爆睡して終わっちゃったし……」
「会えただけで嬉しいから気にしないで。無理してたみたいだし、ゆっくりできて良かったじゃん」
「私達の母国……になるのかな?そこきっかけでもあるしね……。色んな神仙達から「布マスク織ってくれ」って頼まれてほんっと大変だったー。私じゃなくて医術の神なり健康や長寿の神なりに相談すりゃ良いのに」
「まあまあ黄帝様や西王母様、それに華陀さんも忙しかったらしいし」

 現在の下界の混迷っぷりは神すら神頼みする程であった。人の世は常にどこかしらで何かしらの事件と災害に見舞われてきたものの、世界全体を揺るがす規模の混乱はしばらくぶりではなかろうか。
 無論、天上にもその影響が現れた。多くの神々が「人間の為に」と行動を起こし、不浄から身を守るべく様々な対策を取りつつ、下界に降りていった。彼女が織る布マスクもその一環でかなりの需要があり、一時期は眠る暇さえなかったようだ。今年の顔合わせの日には忙しさも多少落ち着いていたものの、本人曰く「会って安心したらそれまでの反動がきた」らしい。いちゃつく間もなく、私はただただ妻の寝顔を眺めるだけの一日を過ごした。

「すっごい楽しみにしていたのに……んー!もう最悪!」
「こっちは寝顔に癒されてたから別に良いけど」
「それじゃダメ!あなたが良くても私が良くない。たしかに添い寝は最高だったけど……じゃなくて!とにかく、何が何だかわからない内に大事な日が終わってしまったのが嫌なの」

 むくれる彼女の言わんとしていることを察した。千回繰り返そうと、年一回のこの日の価値は変わらない。それが簡単に終わってしまったことがこの上なく忍びないのだろう。

「なるほど、つまりこのビデオチャットは君なりのお詫びって言いたいんだね」
「そう!その為にお父さんにお願いして、この機材を送らせたんだから!今年の上半期だけで数年分は働いたから良いでしょってね」

 そこまで言えるのなら渡河の条件を緩めてくれても良いと思うのだが……。少なくとも私達の住まいを隔てるあの河に、橋を架けるくらいは認めてくれそうなものだ。

「それは下界に影響が出るからって反対されちゃった。細かいことだと行事の回数が増えちゃうし……。何より神は象徴としての役割が大事なんだって。逸話を通して自然に意識を向けてもらったり、伝承から教訓を与えたり、他にも色々あるみたい」
「たしかに僕達があっさりと一緒に添い遂げられてしまったら印象が薄まるし、僕達の存在も忘れ去られていくだろうね。そうなると行事を通して自然に目を向けることも減っていくかもしれない」
「ぽけーっと年月を重ねていたら、雁字搦めでもう身動きできなくなってしまった感あるよね……。だから尚更二週間前の自分が許せないし、あなたにも申し訳が立たないの」

 画面の向こうから潤んだ眼差しが向けられる。彼女の思いはよくわかった。同じようなことがあれば、私だって同じ気持ちになっていただろう。

「で、お詫びの内容というか、むしろ私からのお願いと言ってはあれなんだけど……」

 急に歯切れが悪くなった妻の口調に、どきんと胸の内が弾む。これは彼女なりのサインだ。いくら経験を積んでもなおあの手の行為に恥じらいを抱く所がいじらしい。
 もじもじとしおらしくしている姿を見て、むくむくと欲望が顔を覗かせる。素知らぬ顔で「どうしたの?」と問いかけ、意地悪を小出しする。「わかってる癖に」と訴えかける視線が突き刺さり、下腹がゾクゾクとこそばゆくなった。黙って先を促すと、乙女は訥々と言葉を紡いで願望を吐露した。

「あのー、この前会えたのにできなかったから、えっと……。したかったんだけどできなくてその……この機会にどうにかできないかなって。せ、せっかくだしここ数年と違う趣向で楽しめないかなと思って、この間あなたが贈ってくれた物を使ってる所を……その……」

 過去の中でアブノーマルあるいはインモラルな行為に耽った時期もあるにはあった。ただ、それも一周してここ二、三百年はノーマルな性行為に勤しむようになっていた。
 初めてのオンライン上での逢瀬だし、通常とは少々趣きが変わる。その実感が彼女の劣情を余計に高ぶらせているのかもしれない。
 少し俯いて話す彼女の顔はもうすっかりのぼせてしまっており、プシューと茹った擬音すら聞こえてきそうであった。囁きはぼそぼそとか細くなっていき、ついに無言に。潮時と踏んで、私はそっと彼女を後押しする。

「大丈夫。どうしたいのか教えて?」

 天女はぽつりと願望をさらけ出す。表情は慎みの経糸に淫欲の緯糸が絡まっているようで、味わい深い綾をなしていた。

「見てください……」

 今夜は下界に雨が降りそうだ。

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