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第88話 焼き肉屋事件

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「う、美味いよっ! やっぱ、来て良かったよなあ?」

「あ、アイラさん……」

「うっ……、わ、分かったよ。ごめん……」

「お淑やかに願いますよ」

アイラが思わず焼き肉の感想を口にすると、ジーンがすかさずたしなめた。



 ただ、ジーンも焼き肉は美味いと思っているようで、最初は酒はいらないなんて言っていたが、慌てて注文したくらいだし……。



「ほら、コロも食べてみな。美味いからさ」

「ニャア……」

今度は小さな声で、アイラが言う。

 言葉遣いは変えられないので、せめて他人に聞かれないような声で喋るのが、アイラの考えついた策らしい。



 ……って、これ、マジに美味いな。

 うーん、何の肉かな?

 感じからすると、牛や豚ではなさそうだ。

 独特の風味からすると、やぎや羊かもしれない。

 あっ、そう言えば、ジンギスカン鍋の肉は、こんな感じだったような気がする。



「この脂身のところもいけるよ。おっ、良い喰いっぷりだな……。何だ、コロも美味しいと想っているみたいじゃないか」

「……、……」

「いっぱいあるから、そんなにガッつかなくて良いよ。足りなければまた頼むしな」

「……、……」

「おい、口の周り、脂でべチョべチョだぞ。ちょっと、待て、今、拭いてやるからさ……」

「……、……」

アイラは、バスケットから首を出している俺に、次々と肉をくれる。



 うわっ、確かにこの脂身、美味しいよ。

 多分、塩とこしょう、あと香草の類と一緒に焼いているんだろうけど、シンプルな割に肉自体に味がある。

 うーん……。

 人のときに食べた焼き肉も美味かったけど、これはまた別の美味しさだな。

 タレとか、ソースとか、全然必要ないもの。



「あ、アイラさん……。もう少し声を小さく……」

「……、……」

「でも、コロさんも満足そうですね。この酒とも合うなあ……、つい食べ過ぎてしまいそうです」

「……、……」

アイラは、ご満悦のジーンに向かって、ニヤリと笑って見せた。

 その表情は、

「そら、あたしの言った通りだっただろう? やっぱ、たまには外に出た方が良いんだよ」

と、言っているように見える。



 ただ、喋るとまたたしなめられるので、アイラは俺に向かって以外は、一切喋らなかったが……。






「食べながら聞いて下さい……」

「……、……」

ジーンが急に真顔になって、アイラに語りかけた。



 ……って、一杯気分になっているのが明白な、その赤ら顔で言われてもなあ……。

 ジーン、さっきから、結構、飲んでないか?



「ここ、やはり、軍関係者が多いようですね。あちらのテーブルも、その向こうのテーブルも、私服ですが、それらしいのばかりです」

「……、……」

「ヘレンさんの推察は間違っていないようです。これ、アイラさんが稽古着で外に出たら、すぐに正体を探られてしまうかもです」

「……、……」

ジーンは、意外と冷静であった。

 酒を飲みはしても、任務のことは忘れていないらしい。



 もしかすると、酒を飲んでいるのも、周囲に不自然に思われないためかもしれない。



「この店、昼でもこんなに酒を飲む客がいるのですから、夜は盛り場みたいになるようです」

「……、……」

「それに、男性客ばかりですので、アイラさんは目立ってしまいますね」

「……、……」

アイラは、ジーンにそう言われて、周りを見回した。

 そして、不承不承にうなずいて見せる。



 確かに、女性の客どころか、店員さえも男性ばかりだ。

 ギュール共和国は、男尊女卑の国……。

 盛り場に準ずるような店には、女性は来ないのかも知れない。



「ここ、肉は美味いですが、もう、来るのは止しましょう。いつ情報屋がコンタクトをとってくるか分かりませんが、任務に支障を来すようでは、いけませんから……」

「……、……」

「でも、もし、この肉を食べたければ、私が宿にお持ちしますよ。それに、町娘風の格好なら、他の場所なら出掛けるのも許可いたします。ただ、こういうところは、残念ですが、もう……」

「……、……」

ジーンが言い終わる前に、アイラは深くうなずいた。



 しかし、

「今は、もう来ちゃったんだから仕方がないよな……」

と、ばかりに、肉を頬張っているが……。






「おっ、おネエちゃん、良い喰いっぷりだな」

「……、……」

「お父ちゃん、良い娘を持ってるじゃねーか。どうだい、俺らに酌でもしてくれよ」

「……、……」

先ほど、ジーンが指摘していた軍の関係者と思しき一団が、アイラに気づき声をかけた。

 もう、かなり酔っているのか、呂律が怪しい。



「すいません……、娘は不調法なもので……。皆さんに、お酌をするような才覚はないのです」

「何っ? こんなにカワイイ娘が、酌の一つも出来ないだとっ?」

「ええ……。娘は酒席に馴れておりませんので……。まだ小娘ですので、ご容赦のほどを……」

「親父、どうあっても、娘に酌はさせられないと言うのか?」

執拗に絡んでくる男は、一団の中でも一際大男で、見るからに筋肉隆々の身体をしている。



 ……って、こんな大男が、昼からこんなに酔っぱらうなんてなあ……。

 ダーマー公は、水の魔女が成果を上げているから、兵士達をすぐに戦わせる気はないようだな。



「酌なら、私がいたします。どうぞ、これもお飲み下さい……」

「ふんっ! 酒ならこっちにもいっぱいあるんだよ。俺達が欲しいのは、酌をしてくれる女だ」

「そんなことを言わずに……」

「なあ、おまえ達っ! どうあっても、娘に酌をしてもらいたいよなっ?」

「……、……」

一団の男達は、ニヤニヤといやらしく笑いながら、大男の言葉にうなずく。

 それを見て、大男は勢いを得たのか、アイラの右手を握った。



「……、……」

「ふふっ……、華奢な手をしやがって。顔も良いし、いっそのこと、こっちに来て一緒に飲まないか?」

「……、……」

「へっ、そんなに嫌そうな顔をするなよ。何も、ただで酌をしろって言っているわけじゃないんだぞ。ほら、小遣いをやろう」

大男は、調子に乗って、懐から銅貨を二枚取り出すと、アイラの右手に押しつけた。

 アイラは、険悪な顔で、それを拒んでいる。



 よ、よせっ!

 おまえ、アイラがキレたらブチのめされるぞっ!

 お、おいっ……。

 ダメだったら。

 あっ、肩に手を回して……。



 アイラは、しつこく銅貨を押しつけてくる大男に、明らかにイラッとした表情を見せている。

 ただ、ジーンが再三念を押したように、何も言わずにこらえてはいるが……。



「おらっ、受け取れっ! それで、酌をしろっ! 俺様が誰だか知らないのかっ!」

「……、……」

「この、娘……、本当に強情だな。こうなったら、何としてでも酌をさせてみせるぞっ!」

「……、……」

大男は、そう言うと、握っているアイラの右手をこじ開け、掌に銅貨を押しつけた。



「ふふっ……。どうだ、もう受け取ったんだから、酌をしろよっ!」

「……、……」

「親父も、嫌とは言わんよな?」

「……、……」

アイラは、押しつけられた掌の銅貨を、しげしげと眺めている。

 そして、何を思ったか、一瞬、ニヤリと凄惨な笑いを浮かべた。



 お、おいっ!

 アイラ、何をする気だ?

 ダメだぞ、揉め事を起こしては……。



「ありがとうございます……」

「ふふっ……、そうだよ、最初から素直に酌をすれば良いんだ」

アイラは、二枚の銅貨を揃え、親指と人差し指で縦に摘むと、大男に向かって、礼を言いながらニッコリと笑いかけた。



「でも、これはお返ししますわ。あたし、使えない銅貨はいりませんから……」

「何っ?」

アイラの言葉の意味が分からなかったのか、大男が怪訝な顔をする。



 しかし、次の瞬間、大男も、一団の男達も、ジーンも、ハッと息を飲んだ。



「うふふ……」

そう言いながら、アイラが銅貨を二枚とも折り曲げてしまったではないか。



 特に、気合いを入れるでもなく、力んだ様子もなく、さも簡単そうに……。
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