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三章

29.強く美しいアルファ

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「ノア、残念だったな。せっかくその身を捧げたというのに。あの様子では、二人は…ふふふ 」

 フィリップは下卑た笑みを浮かべる。フィリップにも、俺たちの関係が知られている?何故だ…。それに、フィリップは酷い匂いだ…と言う割に鼻を摘むくらいで防御は殆どしていないのに、マリクのフェロモンに反応した様子がない。薬嫌いだといいながら、ローレンのように今日は抑制剤を飲んでいるのだろうか…。予め、こうなる事を知っていて…?まさか…。

「お前はベータだが、なかなか可愛らしいし華奢な体に、白い肌をしている。私が遊んでやっても良いぞ?」

 フィリップは笑みを浮かべたまま、指で俺の顎を撫でた。そのまま、顎を持たれて唇が近づいてくる…。思わずフィリップの手を振り払うと、手を痛いほど掴まれた。
「大丈夫だ。私は優しい 」

 一切優しさを感じない不敵な笑みのままフィリップは俺を見下ろしている。俺は恐ろしくなり、抵抗した弾みでフィリップの手に爪を立ててしまった。フィリップの手に血が滲む。
「死にたいのか!」
 優しいと言ったはずのフィリップに凄まれ、へたり込むとまた、馬が嘶いた。

 そして、大きな足音。
 ーーこれは…!

 顔を上げると再び、猪が眼前に迫っていた。猪は馬に乗っていない、フィリップと俺目掛けて突進してくる。騎士達が止めようと矢を放ったが、止まるどころが余計興奮して勢いが増す。

「チッ!」

 フィリップは舌打ちすると、腰から杖を取り出し呪文を詠唱する。すると瞬く間に猪の走る地面に魔法陣が展開した。魔法陣からは焔が吹き出し、猪たちは焔に焼かれ、恐ろしい雄叫びを上げる。獣の焼ける匂いが辺り一面に充満した。

 助かった…フィリップの魔法のおかげだ。
 フィリップは抑制剤を飲んでいるはずだから、魔法は使えないと思ったが…。フィリップの魔法がなかったらと考えると、背筋が凍る。危なかった…。

 フィリップはローレンと違い、抑制剤を飲んでいても強い威力の魔法が使えるようだ。抑制剤の種類が違うのだろうか…。魔法が使えるなら、初めの段階で逃げずに魔法を使って助けてくれれば良いものを!そうすればマリクもヒートを起こさずに済んだのに…。やはりフィリップは良いやつじゃない。初めて会った時の俺の予感は的中した。

「ここに長居しても良いことはないな。おいノア、帰るぞ。マリクの馬を頼む 」
 フィリップはニヤリと笑って、持っていた杖を俺に投げつけた。
「それを使え。どうだ、ありがたいだろう?戻って来られたら先ほどの無礼は不問にしてやる。戻ってこられればな?」

 俺は騎乗出来ないのだ、それを、戻ってこられればだって…!?
 フィリップは俺が騎乗できないと知っていたはずだが、騎士達を指揮して、馬に騎乗するとすぐに走り出した。ちら、と俺に視線を送る騎士もいたのだが…。「早くしろ」とフィリップに怒鳴られると、無言で行ってしまった。

 俺も馬に乗ろうとしたが…出来そうにない。無理に乗って落馬した方が死ぬ可能性があると思い直し、馬の綱を引いて帰ろうとしたが、結局、馬にも逃げられてしまった。

 森の中まで馬できたのだ。どのくらいの距離まで来たのか分からない。方位磁石もマリクが持っていってしまった。それだけでも受け取っておくんだった…。早くしないと日も暮れてしまうのに、どの方角に向かえば良いのか…俺は途方に暮れた。
 
 太陽を頼りに歩いて帰ろうとあたりを見回すと、土が掘られた場所が何箇所かある事に気がついた。そこには黄色い、木の実とも違う、根菜類の様な物が食い荒らされた跡がある。

 先ほどの猪が食べたあとだろうか…?でも、なぜこんなところに?
 目を凝らすと、少し先にも同じ物がある。俺は何だか気になってそれを一つずつ辿った。そこには先程と同様に芋のような瓜のようなものが食い荒らされている。エヴラールの森の木の実はよく採っていたが、これは初めて見た。こんな野菜のような実は森ではならないはず。それにこれは掘り起こされて土がついているものの、茎などがなく自生したとは思えない。まるで人為的に土を被せたようだ。
 猪は土を掘る習性があから…猪に食べさせて誘き寄せるためのもの?まるで、餌を使った罠のようではないか?
 猟師が用意した餌だろうか?しかし猟師はもっと森の手前を提案していた。すると、誰が…?

 何個かその罠を辿って行くと、どんどん森は暗くなっていく。俺は怖くなって慌てて引き返した。
 またその餌を辿って行くと、先ほどの猪の焼け焦げた死体の前に辿り着き、一番初めに見つけた子どもの猪がいた辺りにも、餌のようなものを見つけた。
 
 誰かが、猪たちを誘い出したんだ。この場に…。

 狩りをする目的で?しかし…あんなに大型の猪が何匹も来て、狩りどころではない。下手したら死んでいた…。
 戦ってくれたのはローレンだけで、危険を察知したフィリップや騎士達は逃げてしまったのだ。まるで示し合わせたかのように…全員。 

 示し合わせたなんて、まさか。でも、偶然にしては、出来すぎている。フィリップや逃げた騎士たちが示し合わせて、俺たちを獣に襲わせた可能性があるのではないだろうか…。
 ローレンにマリクを助けさせて危機的な緊張感から発情を誘発する目的とか…?いや、発情させて番にする為にしては手が込みすぎている。二人を番にするなら部屋に閉じ込めるだけで十分なはずだ。
 なら、三人のうち誰かを殺そうとしたとか…?…だとすると、誰を狙った?

 マリクはエヴラール家の嫡男で従順そうにしていたからマリクではないと思う。
 一番有力なのは、森に取り残された俺だが…俺はただの孤児。フィリップに殺される理由が見当たらない。俺の出自は以前…ひょっとして王子…現王と番の子かも知れないと期待したけど違ったのだ。それはクレマンが証言したから間違いない。それに俺が本当に番の子だったとしても、借金持ちでベータで痩せっぽちの平凡な俺が、王妃の子で第一王子のフィリップを脅かし、襲われるまでになるとは到底思えない。

 王妃の子、第一王子のフィリップの地位を脅かすとしたら…、それはフィリップ以上に優秀で、強く美しいアルファのはずだ。


 俺は死体のそばで考え込んでいたが、烏の鳴き声で我に返った。

 死体のそばはまずい…。雑食の他の獣が寄ってくる可能性もある。上空では烏が数羽、様子を伺って鳴いている。何としても日が昇っているうちに森を出ないと。獣達は夜行性なのだから。

 太陽の位置を確認して出発しようとすると、獣の鳴き声が響いた。怖い…!

 俺は恐怖に震えながら走り出した。すると、足音はどんどん迫ってくる。神様…助けて…!…ローレン…!

 無我夢中で走っていると、木の根に躓いて転んだ。転んでなんかいる場合じゃ無いのに…何とか立ち上がったが、獣の足音はすぐ近くまで迫ってきている。だめだ、追い付かれる…!俺はロザリオを持って祈った。


 祈りの中、獣の足音に混じって馬の蹄の音が聞こえる。

「ノアーッ!!伏せていろ!!」

 俺が頭を伏せると、弓矢の風を切る音が俺の頭上を通過し、すぐ後ろに迫っていた獣を射抜いた。矢に射抜かれた獣の走る速度は落ち、馬は俺を追い越すと俺と獣の間に立ちはだかる。馬に乗った人物が剣で獣を切り裂くと、獣は雄叫びを上げながら頽れた。


「ノアッ!無事か?!」



 ――いた!フィリップ以上に優秀で、強く美しいアルファが…、ここに!



「ローレン!」


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