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二章

23.自分の言葉

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 俺は教会の主聖堂で祈った。

 俺を十四まで育てた修道院の神を除いては、他に頼れるものがないのだ…。生まれた時から神には嫌われているものの、一度くらい救いをくれても良いのではないか?そんな気持ちだった。

 時間を忘れて祈っていると日はとうに落ちて、主聖堂は僅かな灯りだけの、薄闇…。
 今日は週末でもないから人はまばら。主聖堂の片隅で目を閉じていると、控えめな靴音が聞こえた。

「ノア…。また随分、思い詰めているね 」

 控えめな靴音の主…アロワは俺の隣に座る。

「今日、ここに来ていると思った…。どれ、絵を見せてくれ 」

 アロワは俺の画材が入った袋を指差す。言い訳する気力もなく、俺は数枚、描いた絵を手渡した。

「…ノア…。お前は自己評価が低過ぎる。だから騙されてしまうんだな…?しかし、今度の事で証明された。お前の絵は素晴らしいと… 」

 アロワは俺に微笑んだ。今度の事、と言うのは今日、俺がギルドを通さず市場で絵を売り捕まったことを言っているのだろうか?まだアロワには一度も褒められた事がなかったから、その事がアロワに知られたら、てっきり叱られると思っていたのに。それはとても意外に感じた。

「ノア、私に絵を描いてくれ。題材は『戴冠式』。出来次第だが、銀貨二十枚出す 」
「…ご存知なのですか…?今日の… 」
「…。」
 俺の質問には答えず、アロワは俺をじっと見つめて、手を握る。
「描いてくれ、ノア 」
 アロワは懇願するように俺に言った。むしろ俺が頼む側にも関わらず…何故だろう?
「ノアは私の、希望の光だ… 」
「アロワ先生… 」
 アロワの目は潤んでいる。確か、三年前も、そうだったような…。俺は何と言って良いかわからずじっとアロワを見つめた。

 辺りにいたはずの人々はいつの間にかいなくなっていて、聖堂の中はしん、と静まり返っている。少しすると、出入り口の扉が開く音がした。アロワが丁度、口を開いた時だった。

「ノア、『戴冠式』だ。一旦、下絵だけで良い。三日後、家で待っているから。良いかい…?」

 三日後…罰金の期日は来週。確かに…それだと支払に間に合うからありがたい…。俺がお願いします、と返事をしようとすると、入り口から人が足早にこちらへ向かってくる気配がした。

「そこで何をしている?」

 声をかけた人は、月明かりを背負って逆光の中に立っている。俺は、その人を見て驚き、硬直した。

「王子… 」

 アロワは立ち上がり、やって来た人物を見て少し震えている。その人から視線を晒し、俺に小声で「待っているから」と言うと、出口に向かって歩き出した。
 今しがたやってきたその人はアロワが口走った『王子』ではなかった。フィリップ王子との共通点は金髪くらいで、似ているとは決して言えないその人は、アロワが逃げようとしたと判断したのか、腕を掴み、アロワを捕らえた。

「やましい事があるのか?」
「… 」

 アロワは声を出さず、俯いている。俺は我に返ってその人に声をかけた。

「ローレン様!」
「…答えたらどうだ?」
「ローレン様、離して!アロワ先生は…俺の… 」

 そこまで俺が言うと、ローレンは手を離し唇を噛み、俺を睨む。
 アロワは手を離されると、足早に立ち去った。

 主聖堂の中は俺とローレン、二人きり。どうして…?
 
「何の約束をした…?まさか、売春…?」
「ば…売春?!」

 売春、と言われ、俺は絶句した。そんな事、する筈がない!いや…でも一瞬、娼館に身売りするしかないと思ったのは事実だ。俺は言い返す事が出来ず、沈黙する。

「おい…否定しろ。また捕まえなければならなくなる 」

 ローレンはイライラしているのか、大きな足音を立てて近づいて来る。
 俺は長椅子から立ち上がって、少し後退った。ローレンはその動きで反射的に、俺の腕を掴む。

「売春なんて…していません 」
「では何故家に行く約束をした?」
「それは…先生に絵を習っているからで… 」
「『先生』と、手を握って、見つ目合って…。どんな師弟関係だと言うのだ… 」
 確かに今日の先生はいつもとは少し違ったが、これまで三年間…ずっと真面目に取り組んできたのだ。三年間…俺のことを何も知らない、知ろうともしなかったくせに…。手紙を送っても無視したくせに…。俺はその三年間を思うと、涙が溢れた。俺が掴まれていない方の手で涙を拭うと、ローレンは舌打ちする。

「お前の夫は何をしているんだ…?夜遅くまで働かせて夜道を迎えにも来ない上に、違法に金を稼がせて罰金も支払う様子がない…!挙げ句の果てに売春をさせるなんて…!」
 それは…俺が本当は結婚しておらず、夫がいないからなのだが…。しかも売春はしていないし、元はと言えばローレンが俺を捨ててマリクと婚約して、俺をエドガー家から追い出したから、結婚したと言わざるをえなくなったのに…。俺はどこから訂正して、言い返したらいいか分からずまた涙が溢れた。

「泣くな…!」

 ローレンに怒鳴られて俺はびくり、と震える。何も、怒鳴らなくても良いじゃないか…。そう思うけれど涙を止められない。次から次へと涙が溢れて出てしまう。

「売春なんかしていません。週一度だけ、アロワ先生に絵を習っていて…。それだけ。それ以外は、ちゃんとマリク様に殴られながらも働いて…… 」
「…それで口の端が切れているのか?」
「そうです…。私は他に生きていく術がなく、貴方の婚約者の、世話係をするしかなかった。目の前で婚約を発表されても、我慢して耐えて…。絵を売っていたのも借金を早く返して解放されたかったから…。でも貴方にこんな風に責められて…。嫌になった…もう何もかもが、嫌だ…!あなたの事も…!」

 本当にローレンを嫌いになったのなら泣いたりはしなかった。まだ、好きだからこんなに辛くて涙が溢れてしまうんだ…。

 俺が支離滅裂に言い返すとローレンは怒った顔をした。長椅子に置いてあった俺の絵を数枚掴む。中には大切にしていたローレンの絵が入っていて、ローレンはそれを俺に見せる様に広げた。

「俺が嫌になった…?なら、どうしてこんな絵を描く?俺を見て頬を染めて…。大事そうに持って歩いて…。他の絵は売ってしまって、夫もいるくせに…!嫌なら持って歩くな!こんなもの…!」
 ローレンは俺に怒鳴った勢いのまま、俺の絵を破いた。俺は驚いてローレンの手から絵を奪おうと、ローレンの手を掴む。
「やめてください…!俺にはこれしか無いんだ!マリク様みたいに…オメガじゃないからアルファの…あなたの上着でさえ貸しては貰えない!」

 俺がそう訴えるとようやく、ローレンは手を離した。でも絵は破けてしまって、ほぼ原型がない。ぐちゃぐちゃになった絵を見てまた俺が涙を溢すと、ローレンは俺の頬の涙を上着の袖で乱暴に拭った。

「だから泣くな…!これ以上泣かれたら…、帰せなくなる。…お前を、お前の夫のところへ… 」

 ローレンの言葉は最後、少し掠れていた。俺はローレンをまっすぐ見つめる。

 帰さないでほしい。ひとりにしないで欲しい。側にいて抱きしめてほしい。ずっと、ずっと、そう思っていた。


「…つれていって。あなたが…すき… 」


 今度はエリーのふりはしなかった。それは、自分の口で言った、自分の言葉。



 その夜、俺はローレンに攫われた。

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