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第四話 気に入らない
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異常気象のせいか七月にしては朝は寒く、布団から出るのが辛かった。
それでも和真は起き上がり、ヨレヨレになってきたスーツに袖を通して歯を磨いた。兄の明徳は既にこの町唯一のコンビニへと向かったようだった。
家から出るまでは上着を着ていたが、一歩外へと出るとまたもや汗をかき、上着を脱いだ。
なんて温度差なんだとボヤいて。
職場に着くと、高橋一真がロッカーに備え付けられている鏡の前で入念に髪のセットをしていた。後ろから頭皮を見つめ、ハゲてきていればいいのにと見ていると鏡の中の一真と目が合った。
その背中に声をかけた。
「おはよう」
鏡の中の一真が応じるように軽く会釈をした。
「あ、うぃっす」
うぃっす? 一瞬、後頭部を叩きそうになる自分を抑えた。こいつ頭湧いてるのか? お前の上司の主任だぞ? 問題行動として報告してやろうか?
和真は部下の態度に内心苛立ちを覚えながら、今までのようにグッと飲み込み、自分のデスクに向かった。美味いコーヒーが待っている。こいつに構っている暇はないんだ。
その日は何事もなく仕事を終え、帰り支度をしていると、部長の吉田と高橋がやたらと楽しそうに話しをしているのが目に入った。
素知らぬ顔で耳を傾けるが聞こえない。遠すぎる。雑多な音に邪魔をされて聞こえなかった。
高橋が離れて帰っていくと、部長がこちらへと向かって手招きをしている。
例の、足元を見て不機嫌な顔でだ。
ああ……クソッ。
「はい?」
和真は引きつった笑顔で近寄って行った。
「君さ、明日からちょっと違う部署に回ってくれるか?」
「はい?」
「いやなに、視察のつもりでここに書いてある部署を回って、問題があれば報告してくれればいいんだ」
「……はい、分かりました」
意外にも、〈不機嫌な足元クソジジイ〉は書類を渡して去っていった。
〈不機嫌な足元クソジジイ〉の顔をしたタヌキにでも化かされたような気分の和真は家に帰り、玄関の古びたドアノブに手をかけた。また明徳が珍しく掃除機でもかけていないかと耳をすます。
……何も聞こえない。
玄関を開けて中に入った。兄のものである冠婚葬祭用の黒いシークレットシューズが表に出ていた。
いったい何事だと兄の姿を探す。
明徳はクローゼットの前でスーツを着て、頭にクシを通していた。長らくクシすら通していなかった髪の毛は、何度もクシの通り道を塞ぎ、絡まりを余計に強くしていた。
「……ただいま」
「おう、おかえり」
近寄って頭部を見てみると、少し地肌が見え始めていた。
こっちは進行している……っと。
居間に鞄を置き、その場に腰掛ける。
何度もクシが通せない背中に向かって言った。
「散髪した方が早いんじゃない? それだと髪の毛が全部抜けるまでクシと格闘しそうだよ」
「おう、そうだな一年ぶりに行ってくるか」
一年? やたらと汚い頭してると思ったよ。それこそ、へんてこりんなロック歌手にでも影響されたんだと思っていた。
明徳は時計を見つめて言った。
「まだ間に合うかな?」
「さあ? 十九時まではどこでもやってるんじゃないか?」
兄はシークレットシューズを履きながら冷蔵庫に色々あるからと言った。
「ああ、今日は色々ツマミを買ってきたから適当に食べてるよ」
バタンと玄関が音を立てて閉まった。
和真はすぐに立ち上がり、玄関を見つめ、ついで先程まで兄が見ていた鏡の前に行った。鏡の中の自分に白髪を見つけて引っこ抜いた。
「ついでに宝くじでも買ってこいよ。奇跡が続いてるなら」
和真は誰に言うでもなく独りごちた。
チラリと玄関の上を見た。まだ奴はそこに居た。黒い体に、それを覆う毛針。潰したやつとは違うと思うけど、全く同じ場所に同じ格好でくっついていた。まるで黒いナマコのようだ。
「お前、そんなにそこが気に入ったのか?」
和真は靴べらを持つと、玄関を開け放って叩き落とし、外へと蹴って叩き出した。
和真は玄関を閉めながら言った。
「気に入らない」
それでも和真は起き上がり、ヨレヨレになってきたスーツに袖を通して歯を磨いた。兄の明徳は既にこの町唯一のコンビニへと向かったようだった。
家から出るまでは上着を着ていたが、一歩外へと出るとまたもや汗をかき、上着を脱いだ。
なんて温度差なんだとボヤいて。
職場に着くと、高橋一真がロッカーに備え付けられている鏡の前で入念に髪のセットをしていた。後ろから頭皮を見つめ、ハゲてきていればいいのにと見ていると鏡の中の一真と目が合った。
その背中に声をかけた。
「おはよう」
鏡の中の一真が応じるように軽く会釈をした。
「あ、うぃっす」
うぃっす? 一瞬、後頭部を叩きそうになる自分を抑えた。こいつ頭湧いてるのか? お前の上司の主任だぞ? 問題行動として報告してやろうか?
和真は部下の態度に内心苛立ちを覚えながら、今までのようにグッと飲み込み、自分のデスクに向かった。美味いコーヒーが待っている。こいつに構っている暇はないんだ。
その日は何事もなく仕事を終え、帰り支度をしていると、部長の吉田と高橋がやたらと楽しそうに話しをしているのが目に入った。
素知らぬ顔で耳を傾けるが聞こえない。遠すぎる。雑多な音に邪魔をされて聞こえなかった。
高橋が離れて帰っていくと、部長がこちらへと向かって手招きをしている。
例の、足元を見て不機嫌な顔でだ。
ああ……クソッ。
「はい?」
和真は引きつった笑顔で近寄って行った。
「君さ、明日からちょっと違う部署に回ってくれるか?」
「はい?」
「いやなに、視察のつもりでここに書いてある部署を回って、問題があれば報告してくれればいいんだ」
「……はい、分かりました」
意外にも、〈不機嫌な足元クソジジイ〉は書類を渡して去っていった。
〈不機嫌な足元クソジジイ〉の顔をしたタヌキにでも化かされたような気分の和真は家に帰り、玄関の古びたドアノブに手をかけた。また明徳が珍しく掃除機でもかけていないかと耳をすます。
……何も聞こえない。
玄関を開けて中に入った。兄のものである冠婚葬祭用の黒いシークレットシューズが表に出ていた。
いったい何事だと兄の姿を探す。
明徳はクローゼットの前でスーツを着て、頭にクシを通していた。長らくクシすら通していなかった髪の毛は、何度もクシの通り道を塞ぎ、絡まりを余計に強くしていた。
「……ただいま」
「おう、おかえり」
近寄って頭部を見てみると、少し地肌が見え始めていた。
こっちは進行している……っと。
居間に鞄を置き、その場に腰掛ける。
何度もクシが通せない背中に向かって言った。
「散髪した方が早いんじゃない? それだと髪の毛が全部抜けるまでクシと格闘しそうだよ」
「おう、そうだな一年ぶりに行ってくるか」
一年? やたらと汚い頭してると思ったよ。それこそ、へんてこりんなロック歌手にでも影響されたんだと思っていた。
明徳は時計を見つめて言った。
「まだ間に合うかな?」
「さあ? 十九時まではどこでもやってるんじゃないか?」
兄はシークレットシューズを履きながら冷蔵庫に色々あるからと言った。
「ああ、今日は色々ツマミを買ってきたから適当に食べてるよ」
バタンと玄関が音を立てて閉まった。
和真はすぐに立ち上がり、玄関を見つめ、ついで先程まで兄が見ていた鏡の前に行った。鏡の中の自分に白髪を見つけて引っこ抜いた。
「ついでに宝くじでも買ってこいよ。奇跡が続いてるなら」
和真は誰に言うでもなく独りごちた。
チラリと玄関の上を見た。まだ奴はそこに居た。黒い体に、それを覆う毛針。潰したやつとは違うと思うけど、全く同じ場所に同じ格好でくっついていた。まるで黒いナマコのようだ。
「お前、そんなにそこが気に入ったのか?」
和真は靴べらを持つと、玄関を開け放って叩き落とし、外へと蹴って叩き出した。
和真は玄関を閉めながら言った。
「気に入らない」
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