暁の標

鳥栖圭吾

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三章 風雲急を告げる

都の動静

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 都の朝は冷える。いつも華やかな京の都だが、底冷えのする朝は誰も外へ出たがらない。それは朝廷で政治を執り行う貴族たちも同様であったが、よほどのことがない限り彼らは宮廷に赴かねばならない。
 そしてそんな貴族の一人である、方字彪永ほうじひょうえいは屋敷の中で大きなくしゃみをした。
 貴族は自動的に氏を得ることができるが、親も貴族である場合は(最もそうでない場合はほとんど無いが)父と同じ名字となる。彪永の名字は曾祖父の代からのものであり、由緒正しい家柄なのだ。
 彪永は夜が明ける前には既に起きていたが、朝が近づくにつれて気温が下がり、少し風邪気味のようである。
 彪永は廊下を歩いて土間にある自分の履物を履くと、用意させていた自分の牛車に乗り込んだ。外はまだ人は少なく、余計寒々しく見える。彪永は宮廷に着くまで目を瞑っていることにした。


 宮廷に着いていつも政治を行う大広間へと彪永は足を向けた。すれ違う貴族に挨拶をしながら、或いはされながら歩いていく。
 彪永は実のところ堅苦しい挨拶と言ったものが好きではなく、もう少し打ち解けた会話をするのが好きだった。勿論公の場ではきちんと受け答えをすることはできるが、やはり面倒で、そんな時はいつも友人の朱雀との会話を思い出した。
 朱雀は年に一度柏木の里からの連絡としてやってくる。博埼守という役職は本来都の北にある港の監督役であるが、いつのまにか京へやってくる特別な客人を迎える役にもなってしまっていた。
 そうして接待の一端として会話をしていたのが、いつの間にか朱雀の妖怪譚や村の様子などを聞いているうちに、面白いと感じるようになっていった。
 ざっくらばんな話し方も彪永の気性に合ったのかもしれない。
 しかし、近頃その柏木の里にて変事が起きたというのを聞いて、彪永は少し気になった。牛鬼が現れたと言う突拍子もない噂だったが、どうやら本当のことのようで、さらなる問題は牛鬼を連れ込んで柏木の里が朝廷への反逆を企てたのではないかという内容だった。確かに柏木の里は万の軍に匹敵する戦力を有しているし、そんな場所に傾国の大妖の一体である牛鬼がいたら様々な憶測が飛び交うであろう。彪永はあの朱雀に限って朝廷に向かって叛旗を翻すような真似はすまいと思っているのだが、王の発言の節々にその噂を信じているような気配があった。
 彪永は一応里との交流があるので様子をよく知っていたが、戦争の計画があるようには思えなかった。この流言は何者かによる柏木の里の者たちを陥れる罠なのではなかろうか。
 そこまで考えた時、目の前を朝比奈将軍が通り過ぎた。無骨な顔で、戦場に長くいるためか体は引き締まっている。まさに豪傑を絵にかいたような人物であった。
 先の内乱では急襲隊を指揮し、遠征でも地道に勝利を重ねる、いわゆる天才肌ではないが戦術戦略をよく知っている名将である。特に補給や大軍の運用などの手腕は他の将軍たちに一目置かれるほどで、こちらから他の国に侵攻するときにはうってつけの人材である。
 朝比奈将軍はそのまま歩き去ってしまう。その腰には短刀を差していた。彪永のような文官と違い、武官は刀を持っている。名目上は護身用のためということだったが、今では単なる装飾品のような扱いである。
 ふと、彪永は朝比奈将軍に違和感を覚えた。恰好や振る舞い方は以前と全く変わらないのだが、背中に一瞬だけ黒い影が見えたような気がしたのだ。ただの気のせいかもしれないが、彪永は何か胸騒ぎがした。
 そして、少し歩くと大広間に着いた。
 いつも政をしている大広間は内乱の際にかなり傷ついたが、血で汚れたり刀で切り裂かれたりした畳や壁は修繕されており、新しいの香りがする。紫色の座布団が並べてあり、彪永はそれの一つに座った。
 彪永が広間の人を数えると、貴族たちの数は半数ほどで、残りは彪永よりも遅くやって来ていた。王の席に目をやると、まだ白寛王は来ていないようだった。白寛王が今までの簾越しに臣下と意見を交わすという風習を嫌い、簾は取り外されている。勿論白寛王はこの簾の件のような細かいこと以外にも改革を行っており、貴族たちの白寛王に対する評価は真っ二つに割れている。彪永はどちらかというと改革を望んでいた人間なので、白寛王の手腕に期待していた。
 しかし、何分王になって日が浅い。心配なのは今日の政でとりあげられることの一つに〝牛鬼を匿っていた柏木の里をどうするか〟というものがあることなのだ。
 どこから上がった話かは知らないが、柏木の里と連絡のある彪永には里の反逆の準備が不可能であることも知っているし、そんな気が無いこともわかっている。しかし、それは彪永が里に詳しいからであって、王がそれを知っているわけでは無い。今日の話し合いで自分が里を弁護しなければ、何も知らない王に柏木の里は処分され、自分自身も有力な勢力とのつながりが消える。何としてでも誤解を解く必要があるのだ。
 玉座の横にある三席のうち一つには朝比奈将軍と神薙将軍が座っている。朝比奈将軍は目を閉じてじっと動かないが、神薙将軍は背筋をすっと伸ばして正座し、しかしながら目は王の出てくる方をじっと見つめている。
 神薙将軍は家柄で選ばれた将軍で、朝比奈将軍のような経験はなく、はっきり他の二将軍よりも軽んじられていたが、一年前におきた高瑠璃との海戦で大勝利し、その才幹を示した。機動性に富んだ戦術を得意とし、反乱の鎮圧や、諜報員の指揮などが主な任務である。因みに神薙将軍は彪永の姪で、有力な味方だ。もしも彼女が柏木の里征伐に向かいでもしたら、どちらが勝とうが彪永には大きな損害なのである。
 暫くして、白寛王が現れた。傍にはお供の相樂将軍が付いている。
 相樂将軍は白寛王の懐刀で、将軍としての力量は勿論、少年時代に漢箭で政を学んできたこともあり、文官としての能力も併せ持つ。それゆえに、右丞相兼将軍という両立することが極めて稀な役職の人間である。
 相樂将軍は白寛王と他の貴族たちに一礼すると、神薙将軍の脇に座った。
「今日の最初の議題は柏木の里の件についてです」
 相樂将軍は腋に挟んでいた紙を見て言った。
「ほう、ことのあらましを告げよ」
 白寛王がそう言うと、相樂将軍は頷いて紙に書かれているであろう文章を読み上げた。
「二週間ほど前、王の継承祭が行われました。その際に里にて存在が隠匿されていた妖怪〝牛鬼〟によって〝運び手〟、鈍国守羽名忠孝を殺害しようという青龍、朱雀両名の陰謀により、羽名忠孝は謀殺されました。これは明らかな朝廷に対する反乱であり、早急に対処しなければならないことと思われます」
 彪永は絶句した。相樂将軍が読み上げた内容は嘘八百で、牛鬼が退治されたことやそれによる柏木の里の被害などは全く報告されていない。この文書を作り上げた人物はの目的は、つまるところ柏木の里を公的に取りつぶすことなのだ。
 それを聞いた貴族たちはどよめいた。このうちの何人かは事前に議題を知っていたはずなので、それは演技だろうが。
 当然その報告を聞いた貴族たちは〝柏木の里を解体すべき〟という意見に流れ始める。この時点ではもう文書の作成者の目論見どおりだろう。
「少し待ってください。この文書は報告すべき点がいくつか抜けております」
 彪永の言葉に貴族たちは静まった。白寛王は片眉を上げて彪永に問うた。
「では、お主の言う欠落している点と言うのを聞かせてほしい」
「僭越ながら。まず牛鬼は、柏木の里に元々いたのではなく、里に侵入してきたのであり、決して反乱を起こすために里が迎え入れたわけではないこと。そして、その牛鬼の討伐戦に里が多大な犠牲を払っていること、です」
 彪永がそう言うと、貴族たちの間にささやきが飛び交う。ひょっとすると彪永は自分とのつながりが深い機関を擁護しているように見えるのかもしれない。白寛王は彪永を厳しく見据える。
「博埼守よ。この議題は反乱を起こした里にどのような処罰を下すかというものであって、反乱を起こしているかどうかの真偽を問う場所ではない。もうそれは事実なのだ。どう弁護しようとも変更はない」
「なっ………」
「これ以降柏木の里に対する無駄な弁護は利敵行為と見做して処罰を与えるぞ」
 王にそう言われては彪永も下がるしかなかった。こうして柏木の里を擁護しようとするものは全員口を閉じ、この後の会議で、柏木の里への解体を命ずる旨の伝達を行うことが決定した。里を解体した後、妖怪をどう抑えるかという点は、他の柳の里と桃李の里に依存するということになった。
 つまり、公式に、柏木の里は解体となったのである。


「どういうことですか、将軍も密偵ぐらいはお持ちでしょう。それならば事実を知っているはずではありませんか」
 彪永は退出する神薙将軍に声をかけた。神薙将軍は反乱分子の監視のため、各地に密偵を放っているのだ。そんな彼女が柏木の里にだけ密偵を用意していないことなどあるはずがない。
 神薙将軍は振り返ると、彪永を見た。そして、その美しい顔に警戒の色がうっすらと現れる。そして、紅のさしていない唇からやや険のある声が紡ぎだされた。
「ええ、事実は知っていますよ。反乱を起こす気配があるという事実をね。そんな里をこれ以上かばうのなら、貴方を王の名のもとに成敗してもよろしいのですが」
「………」
「どちらにしろ、もう決まったことです、叔父上。よく考えてものをおっしゃらないと、あなたの命も危ないのですよ」
 神薙将軍はそう冷たく言い放つと、立ち尽くす彪永の前でくるりと背を
向け、歩き去った。


「…………」
 廊下の曲がり角の影に女官が一人立っていた。今の二人の会話を聞いていたのである。
 その女官は周りを油断なく見回して誰もいないことを確かめると、どこかへ行った彪永を探し始めた。
 ―そういうことか。
 実はこの女官、柏木の里から秘密裏に派遣された六白蓮の一人、如月なのである。牛鬼が死んだ後、国守の話から白寛王が怪しいとみていたが、都にもぐりこんでみると、白寛王だけでなくどうやら神薙将軍まで妖怪に取り憑かれているらしい。どうやら今回の妖怪たちの目的は、単純な殺戮ではなく、謀略を用いて人間を支配することにあるらしい。しかもこの分だと貴族の何人かはもう妖怪に取り憑かれているに違いない。
 そこまで知ることができ、さらに戦争が起こりそうな様子だからすぐに帰還しようと思ったのだが、柏木の里を擁護する彪永と接触しておこうかと考え、彪永を探しているのだ。
 彪永は確かに朝廷内にいる少ない里の味方だが、それを声高に叫んでいると、神薙将軍の言う通り、本当に消されかねない。そのことも含めて彪永に言っておきたいことがいくつかあった。
「あなた、悪いけどこの座布団持って行ってくれない?」
 女官の一人が如月に話しかけてくる。御殿にいる女官は貴族が連れてくるものもいるので、普段と違う顔が混じっていても気づかれにくい。当たり前のことだが、目の前の女官は如月を同じ女官の一人だと勘違いしているのだ。
「はあ、いいですが……その代わり、博埼守様が何処へいらっしゃったかご存知ですか?」
「ああ、貴方方字家の人なのね。博埼守様はもう外にある牛車の方へ向かってるわ」
「それならこれは引き受けられません」
 如月は任されかけていた座布団をその女官に返すと、慌てて彪永を追いかけた。
「待て」
 しかし、誰かに呼び止められて、ぴたりと止まった。振り向くと、そこにいたのは相樂将軍だった。
「なかなか御殿で見かけない顔だな。誰のお供だ」
「は…博埼守様の女官でございます」
「ふうん、そうか」
 相樂将軍は何の気なしに呼び止めたようだったが、如月は正反対に冷汗を流していた。実は相樂将軍には一度都で会ったことがある。もし相樂将軍が取り憑かれていて、自分の顔を思い出されてしまったら……
 相樂将軍は何かを思い出したように目をわずかに開くと、次いでにいっと笑った。
「そうか。お前の名前は如月、だったか里の手先が潜り込んでいたようだな」
「!」
 相樂将軍の手が佩いている刀に伸びる。瞬間、如月は刀の柄を凍結して抜き放てないようにした。
「ぐっ……」
 続けて将軍に術を使って凍らせようとしたが、無効化される。うすうす如月を斬ろうとしたことから分かっていたが、相樂将軍も妖怪に取り憑かれているのだ。その予想は、相樂将軍が人間にも関わらず術が利かないほどの生命力を宿していることを証拠として確信に変わった。
「里の暗殺者が紛れ込んでいたぞ! 来い!」
 相樂将軍の言葉とともに現れたのは兵士ではなく妖怪だった。実体のない幽鬼が天井から染み出して如月に飛び掛かって来たのだ。幽鬼は水のような透明で液体状の体を持っており、念力系や風系統の術者では攻撃を加えることが難しく、その体が顔にまとわりつくと窒息死してしまうのである。
 しかし、現れた幽鬼は跳躍寸前の格好でぴたりと動きを止めた。幽鬼の体は瞬時に冷凍され、氷の彫像となっていた。
 如月はくるりと踵を返すと走り出した。相樂には自分一人の術は通用しないらしいし、何よりまだ敵がいるかもしれないのだ。
 しかし御殿の内部に力の強い妖怪がこっそり隠れ潜んでいるのならわかるが、幽鬼のような低級妖怪がいるのはどうしてだろうか。確か今年都で警備を行っているのは柳の里の者たちで、術者の代表は白虎導師であったはずである。御殿の内部にまで侵入を許すとは、いったい白虎導師たちは何をしているのだろうか。
 如月は女官の服を脱ぎすて、来ている者もの麻の服のみにして、動きやすくする。追いかけてくる相樂将軍を突き放すように駆けると、御殿の外にある外周部にたどり着いた。下は少し高く、飛び降りれば足を捻るかもしれない。
「その女を捕まえろ!」
 後ろから相樂将軍の怒鳴り声が聞こえる。すると如月の右側に警備隊がやって来た。左には通路はなく、追い詰められた形となる。
「くっ……」
 彼らを凍え死にさせても良いが、都からの脱出で使う体力から考えると現実的ではないだろう。逃げる方が得策か。
 如月は身を翻すと、手摺りをこえて植え込みに飛び降りた。


 そして御殿から逃げおおせると、如月は都の街に移動し、休むことにした。御殿から脱出するのに体力を使ったので、少し休まなければ里へは帰還できない。
 できるだけ追っ手に気付かれないようにするため、雑踏に紛れて歩くことにした。ひとまず休む場所を確保しなくてはならないのだが、如月にはその当てがあった。都の術者に割り当てられる館へ向かうのだ。そして休むのと共に、白虎導師たちに妖怪侵入を告げなければならない。
 それまでに都を巡回している衛士に見つかるのは避けたい。万一見つかっても術を使えば衛士自体は倒せるものの、その後が面倒なのだ。
 と思っているうちに、人ごみの向こうに青色の着物を着た二人組の男がやってくるのが見えた。一人は槍を、もう一人はい弩を持っている。街中で青色の着物を着ている者は衛士しかいないので、如月は身を固くした。
 二人組は周りを見ながらこちらへ歩いてくる。油断のない顔つきで、腰には短めの刀を差している。
「………」
 如月はその二人とすれ違った。そのまま衛士たちは歩き去っていくようなので気が緩む。
「待て。こちらを向け」
 衛視の一人がそう言うのが聞こえた。
何も聞こえなかったふりをして歩き去ろうとすると。幾分か厳しさのこもった声で
「お前だよ」
肩を掴んでぐいっと引き寄せられる。
 まさか、ばれたのか。
 ごくりと唾を飲み込む。衛士の一人が如月の服をじっと見た。
「たしか暗殺者は麻の服を着ていたらしいが……」
「そんなもの着ている人はいくらでもいるでしょう。何の用です」
 如月がそう言って衛士を見返す。
「それに答える必要は無い。質問はこちらがする。あんた、荷物は持ってないのか」
「ええ、さっき借金のかたに持ってた物を全部渡しましたからね」
 おそらく何の荷物も持っていないため、怪しまれたのだろう。しかし借金のかたで何もかも取られて一文無し、という人間も珍しいことではないため、うまく切り抜けられるはずだ。
「そうか、俺がもうちょい出世してたらあんたを囲ってたんだけどなあ」
「何言ってんだ、お前はもう所帯持ちだろ」
「冗談だよ、冗談」
 衛士たちは如月を疑うのをやめたのか、口々に勝手なことを言いながら去っていこうとする。如月は溜息をつくと、術者たちの館へ向かおうとした。
「あ、最後に一ついいか。ひょっとしてそこの角を曲がった質屋に行ったのか」
 衛士はそう言って如月を呼び止めた。
「いいえ、借金取りとはいっても商売人ではなく人に借りてたので」
 如月が答えると、衛士たちは急に振り向いてこちらを見た。
「そうか…ならいい。実は都で個人の金貸しは禁じられてるんだがな」
 と言うが早いか、一人の衛士が弩を如月に向けると、引き金を引いた。弩の強力な弦が唸り、矢が射出される。
「っ!」
 ぎりぎりでその矢を躱す。如月の頬に一筋の赤い線がはしった。
「仕方ない」
 如月が呟いた次の瞬間、衛士たちは突然どうと倒れた。顔がみるみる青ざめ、瞳孔が白く濁る。
 衛士たちの体内にある血液は如月の凍結の術によって瞬時に凍り付き、死に至らしめられたのである。その術を受けた本人たちが死んだことを自覚する猶予さえ与えない、文字通り必殺の技であった。
 体内を覆いつくした血液でできた赤い氷は、死体から急速に熱を奪っていく。その様子を見た通行人らから悲鳴が上がった。
 如月は走って術者たちの住まう館へと向かう。こちらへ来る人の波をかき分け、なんとか目的の建物にたどり着くことが出来た。
―これで私はお尋ね者だな。
 妖怪の手先になってしまっているとはいえ、そんな自覚さいない罪のない衛士を殺したのである。勿論彼らを殺さねばあべこべに如月が死んでいただろう。とはいえ、やはり人を殺すのは良い気分ではなかった。
「すみません」
 戸を開いて中に転がり込むと、書物を読んでいたらしい若い男がこちらを見た。
「匿ってください。罠に嵌められて」
 そう言うと、男は値踏みをするように如月を見た後、戸をぴしゃりと閉じ、こちらを向いた。
「これはこれは、柏木の里の六白蓮が来るとは思いもしませんでしたよ。で、何か我らにご用かな」
「ご用も何も、ここの術者は一体何をやっているの。御殿の内部に妖怪がいたのよ」
 如月の言葉に男はぴくりと眉を動かした。
「とにかく白虎導師に会わせて。役人にも妖怪が憑いている。早く対策を練らないと……」
「まあ待ってください。導師は今出かけています。これでも飲んで落ち着いてください」
 差し出されたのは濃い緑に濁ったお茶だった。如月はそれを受け取ると、一口飲んで喉を潤した。
「……ふう、やっと一息つけたわ」
「それで、御殿の中に妖怪がいるというのは本当ですか」
 如月は頷いて、男に御殿の中で見た妖怪たちについて話した。
「だから、放っておくととんでもないことになるわ。今のうちにー」
 その時、如月はばったりと倒れた。腕が、足が、言うことをきかない。
「な、何を……」
「やっと効いてきましたか。一応死にはしない程度体の自由を奪う毒ですから安心してください」
 男はそう言うと、術で攻撃されないようにするためか、如月の顔を床に押し付け、そのまま目隠しをする。
「なるほど、あんたはまだ取り憑かれていないってわけだ。しかもいろいろ知っちゃあならないことも知ってるらしい。これは里に返すわけにはいかないな」
 如月はそれを聞いて驚愕した。まさか、この館の術者までもが妖怪に取り憑かれているのか。
「鵺様に報告だな、こりゃ」
 と男が呟いた時、扉の開く音が聞こえて誰かが入って来たらしいことが分かった。
「誰だ、歳三。その女は」
「白虎導師、それがなんとあの柏木の里の六白蓮ってやつですよ」
 どうやら帰って来たのは白虎導師らしい。老人らしいしわがれた声には聞き覚えがある。如月は必死に白虎導師に呼び掛けた。
「導師、その歳三という男は妖怪に取り憑かれています、気を付けてください!」
「……そうか。なるほど、お前はまだ憑かれていないのか」
「なっ……」
 奇しくも歳三と同じことを言うと、白虎導師は続ける。
「残念ながら、私は白虎に取り憑いている、鵺という妖怪だ。わかるな?」
「………」
 まさか導師まで憑依されているとは。しかも鵺といったら、あの五体の妖怪の一匹では無いか。
 如月はどうにかして逃げようとするが、まだ体はしびれており、少しも前に進まない。
「どうします?」
 歳三の神通力なのだろうが、如月は念力によって空中に吊り下げられた。目隠しをしているので周りの様子は分からないが、着物を引っ張ってつるされているせいか、首が締まって呼吸がしにくい。
「まあ殺してもいいが、六白蓮ともなるとかなりの神通力の使い手だろう。生かして仲間にするべきだ」
 白虎導師はそう言って何か丸い薬のようなもの口を如月の口に押し込んだ。紺碧玉だと悟ったが、麻痺しているため紺碧玉を飲み込んでしまうのを拒むことは出来なかった。
「まだ私は四つに分かれられるし、そのうち一つを憑依させればよかろう」
 それを聞いたとき、如月は急に眠くなってきた。永遠の微睡みへと誘われ、思考が散っていく。
「嫌だ……嫌だ嫌だ嫌だ……っ!」
 叫び続けても覚醒し続けることはかなわず、意識が完全に闇に飲み込まれてしまった。

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