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少年とゾンビとお嬢様

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 今は午後2時ごろ。達也は縁側ですることもなしに空を見ていた。
「達也いるかー?」
 玄関のほうで誰かがそう叫んでいる。それが誰だかわかっているのか達也は、上がってこーい、と叫び返す。
「新しいゲームあるんだろ、それで遊ぼーぜ」
 寝癖をそのままにした高身長でのんびりした雰囲気のある少年があくび交じりに言った。それは達也の友達である隆平だ。
「お前ゲーム目当てかよ」
 達也はため息をつきながら言う。
「別にいいだろう」
 突然、隆平の後ろから声が聞こえた。
「佑太、いたのか!」
 隆平の後ろから姿を現したのはもう一人の友達の佑太だ。
「俺らは高1といってもまだ子供だ。夏休みに暇を持て余した結果、ゲームをしたいというのも道理だろう」
「まぁ、そうだけどさぁ………」
 この屁理屈をこねる佑太と能天気な隆平、それに達也の三人がこの仲居村に住む唯一の高校生だ。(といっても他にいる子供は小学生が4・6年生の4人だけだ。)
「という訳で、ゲームやらせろ」
「どういう訳だよ!」
 絶叫した達也を佑太は静かに見ている。
「夏の暑さでおかしくなったか?」
「そんな訳あるかぁ!」
 再び絶叫すると佑太は、だろうな、と冷静に言った。
「じゃあふざけるなよ……」
 達也は心の中で愚痴る。
 ――なんでいつも俺がツッコミになるんだ。俺はどっちかっていうとボケ側の人間だぞ!?――
「そんなことよりゲーム~」
 隆平は今の会話を聞いていたのかいないのか相変わらずのんきだ。
「その前に飲み物用意すんぞ」
「飲み物って何飲むの?」
「緑茶」
 そこまで達也が言ったところで佑太が、おいと声をかける。
「達也お前なぁ。なんでこんな暑い季節に好き好んで熱いもの飲まなきゃいけないんだよ」
「いや実はこれが手に入ってな」
 達也は台所から持ってきたものを掲げる。
「「ペットボトルだ!!」」
 ここで話は少しそれるがこの仲居村はド田舎である。病院どころか診療所もない。学校なんかもなく一番近いコンビニは自転車で45分かかる。しかもボケたおじいさんがやっているから大半は賞味期限が切れている。
 そんな調子だからこの村ではペットボトルが珍しいのだ。
「よしみんなで飲もう!」
 達也は3人分のコップに入れて皆で一気に飲んだ。
「「…………」」
「まぁ、普通の緑茶だよな……」
 静寂の中、佑太の言った一言がすべてを表していた。



 ゲームをやろうとした隆平がリモコンを取ってテレビの電源を付けた。するとテレビから緊迫した声が聞こえてきた。
「謎の感染症が全国に広まっています!この感染症はどういったものなんでしょう山口教授?」
 山口教授と呼びかけられた白衣を着た男性は顔を険しくしている。
「実にこれは不思議なんですが昼間は特に症状が出ないんですよ」
「昼間は、と言いますと?」
「夜中、寝ている最中に急に苦しみだしたり症状の悪い人だと発狂したりするんです。」
 アナウンサーはかなり深刻そうな顔をする。
「それは夢遊病のようなものでしょうか?」
「そんな生易しいものではないです。この病気は体が徐々に腐ってしまうんです」
 しばらくするとアナウンサーが少々顔を引きつらせながらどうやって感染するんですか?と聞いている。
「これは空気感染ではありません。主に感染者の体液が血液に触れると感染します。発狂した感染者は噛んでくることもあるので気を付けましょう」
 じっとテレビを見ていた隆平がこの村は大丈夫かな、とつぶやく。
「大丈夫だろう。こんなちんけな村にまで広がるなんてないだろうからな」
 そういった佑太も心なしか不安そうな顔をした。
「と、とにかくゲームしようぜ」
「……そうだね」
 隆平がそう言ってゲームの電源を付けた。達也は心の中にある不安を振り払ってテレビ画面に目を向ける。そこでは、
「グボァァァ……」
「ギャァァァ……」
 オープニング画面からすでにゾンビがうごめいていた。そしてその様子はさっきテレビで話を聞いた、体が腐って暴れる病人を連想させるものだった。
 それはほかの2人も同じだったのか、顔色が悪い。
「今日は終わりにしておくか……」
 佑太が言ったその言葉に隆平と達也は一も二もなく頷いた。



 隆平がゲームの電源を切った直後に、ただいまと言ってばぁちゃんが帰ってきた。
「お帰りー」
「たっくん、隆ちゃんや佑くんと一緒に遊んでたんかい?」
 達也のばぁちゃんは昔から3人を、たっくん、隆ちゃん、佑くんと呼ぶ。
「うん、まぁね」
「隆ちゃんと佑くんは今日泊まってくといいよ」
 達也のばぁちゃんの言葉に達也たちは喜んだ。
 ……もう高校生なのに少しだけ心細かったのかもしれない。そう達也は思う。
 電話借りるーと言って隆平と佑太が廊下に出ていくと、ばぁちゃんは豪華なご飯作らなきゃねぇと台所に向かっていった。
「ん?」
 達也の横を通り過ぎたばぁちゃんから何かおかしな臭いがした。
「気のせい……だよな?」
 考えすぎだと達也は頭を振った。それが逃避でしかないと心のどこかで理解しながら。



 夜半、達也はなかなか寝付けなかった。今日のテレビでやっていた感染症のことが気になってしょうがないのだ。
 横を向くと隆平と佑太がぐっすり眠っている。
 ――この村に感染者が出ないなんてそんなことがあるのか?――
 そんなことを考えていた達也の耳に、

             ガタッ

 と小さな、しかしなかったことにできない大きさの物音が居間のほうから聞こえてきた。
「……っ!」
 あまりにもタイムリーな物音に体が強張る。
 ――ばぁちゃんか?いや、この時間はもう寝てるはず。だったら、泥棒か?こんな田舎に?と、とにかく佑太たちを起こそう――
 そう思い立った達也は佑太たちの肩を揺さぶる。
「おい、起きろよ!起きろったら!」
「んー?なんだよ?」
 眠気まなこの隆平に達也は必死に説明する。
「居間のほうで物音がしたんだよ!」
「ねずみとかじゃなくて?」
 いつの間にか起きていた佑太が眼鏡をかけながら言った。
「もっとおっきかったって!泥棒かもしれない」
「……まじか」
 やっと佑太たちも緊張感のある顔をする。
「様子を見に行こう」
 達也はそう言うと机の脇に立て掛けてあった木刀を手に取った。
 この木刀は中学校の修学旅行先の京都で買ったものだ。定番だからと買ったはいいが使うことはないな、と思いながらも捨てられずに放置していた。
 まさかこんなところで役立つとはな、とつぶやきながら達也は廊下に1歩踏み出す。
 廊下は不自然なほど静まり返っている。遠くからかすかにカエルの鳴き声が聞こえるくらいだ。
「……廊下は誰もいないな」
「うん、そうだね……」
 隆平はうなずくと、なぜか椅子を構えて廊下を歩きだす。
 ギシ、ギシ、ギシ
 廊下が音を立てて軋む。達也たちは居間のほうに耳をそばだてながら進む。
 達也は居間の前にたどり着き扉の向こうの気配を探る。
「………………」
 そこにあるのは静寂。
 扉を開けようとする手が震える。達也は扉の向こう側にある静寂は何か不吉なものを孕んでる気がして仕方なかった。
「開けるぞ……」
 達也は後ろの二人がごくりとつばを飲み込むのが聞こえる。
 ガチャリ、と音を立てて向こう側が見える。
 何の変哲もないいつも通りの光景が広がっていた。
「はぁぁ……」
「何もないじゃないか」
 佑太が安堵の息を漏らす。
「戻ろう戻ろ、う……」
 隆平が部屋に戻ろうとして固まる。
「どうした?」
「あれお前のばぁちゃんだよな?」
 隆平が指さした先は玄関だった。
 そこにポツン、と人が立っていた。それは隆平が言ったとおり達也のばぁちゃんだった。



「ばぁちゃん?」
 達也の声に反応したのかばぁちゃんは顔を上げた。
 顔が腐っていた。
「ひっ……!」
 生きてる人間ならあってはならないほど白くなった頬、今にも零れ落ちそうにぐらぐらしている目玉。
 あぁぁ、と呻きながらこっちに向かってくる自分を育てくれた人のなれの果てを見て、達也は吐き気が込み上げてきた。
 そして嫌悪感を抱いたことに気付いてさらに気持ち悪くなる。
「おい達也、どうすんだこれ!?だってこれテレビでやってた……」
 佑太が珍しく慌てた声を出す。
「え?あ、あぁどうすりゃいいんだろう?」
 達也は呆然としていた。自分に近しい人がこんな無残な姿になれば誰だってそうなるだろう。
「ヴァァァァ!」
 いきなり奇声を上げてばぁちゃんは隆平に襲い掛かった。
「うわぁっ!」
 いくら無残な姿でも達也のばぁちゃん。そんな人に椅子を振り下ろすわけにもいかない。しかし椅子を掲げているためよけることもできずに押し倒される。
 口を開けて隆平に噛みつこうとするばぁちゃんを見て達也は思わず飛び出した。
「ああぁぁあぁぁ!!」
 そしてばぁちゃんの側頭部にフルスィングされた木刀がのめり込む。その生々しい感触に怖気立つ。しかし達也はそのまま振りぬいた。
 あっけなく飛んでいき、動かなくなったばぁちゃんを肩で息をしながら見る。
「大丈夫か?」
 佑太の気遣いでやっと自分が大事な人を思いきり殺意を込めて攻撃したことに実感がわいた。
「あぁ、大丈夫だ」
 無理して笑う達也を見て佑太が顔をゆがめる。
「なんて顔してんだよ佑太。大丈夫だって言ってんだろ」
「でもよ、おま――」
「達也ありがとぉ!!」
 佑太の声を遮って隆平が達也に抱きついた。こんな時までお前はのんきにっ!とイラつく佑太は達也の次の行動ではっとさせられた。
「暑っ苦しいんだよ!」
 苦笑いだが作ってない笑顔。隆平も達也のこと自分なりにを考えていたのだ。
「ふぅ、とりあえず外に出るぞ」
「なんで?」
 達也の言葉に隆平が質問した。家の中に引きこもってたほうが安全だと思うからだ。
「助けられる人がいたら助けたい。どのくらい感染者がいるか知っておいたほうが都合もいいしな。佑太の妹も気になるし」
「そうじゃん!瑞希!」
 佑太が達也の話補聞いていてもたってもいられず妹の名前を呼んで走り出す。
「おい、待てよっ!」
 達也と隆平も佑太を追いかけるため走り出した。



 外は大変なことになっていた。
 隣の家のたまに野菜をくれたおじさんが、いつも明るく男気(?)のあるおばさんが、みんなみんな真夜中なのに村を徘徊し家に入り込む。そこらじゅうで悲鳴が聞こえた。
 たとえド田舎でも50人近くがいた村の中で今では半分近くが感染していた。
 その中で佑太は自分の家に走っている。
 はぁ、はぁ、と佑太は息を切らしながらも家の前に到着した。
 あとから達也と隆平も追いかけてくる。
「焦りすぎだ佑太!」
「窓が割れてる」
「え?」
 この村では珍しい完全に洋風な建物の窓は確かに割れていた。
 佑太たち3人は靴を脱ぐ間も惜しんで家の中に入る。
「親父も母さんも今は泊まり込みで仕事だ。だからこの家にいるのは瑞希だけ……!」
 佑太はそういうと2階に一直線に向かう。
 そこでは、瑞希が廊下に血の跡をつけながら這ってきた。その眼は死人のように濁っている。
「おにぃぢゃぁぁん……」
「み、ずき……」
 明らかに感染してしまっている瑞希の声に佑太はうろたえる。
「逃げるぞ」
「で、でも!」
「もう感染してる」
「俺の名前を呼んだんだ!まだ間に合うかもしれないだろ!」
 冷静に言う達也に佑太は激昂する。
「間に合わないに決まってんだろ!俺らはまだ高校生なんだよ!これは一高校生がどうこうできる次元じゃないんだよ!」
「でもよ!」
「でもじゃねぇよ!」
 達也は苦々しげな顔をする。
「こうなった以上は襲い掛かってくるのは時間の問題だ!襲われたら殺すしかねぇだろ!それが嫌なら見捨てるしかないんだよ!」
「……分かったよ!」
 佑太は最後に瑞希を見ると、ごめんと謝り家を飛び出した。



「自転車で逃げよう。知り合いがいるとこよりも遠くに逃げたほうがつらくないからな」
 佑太のその提案によって、達也たちは村から出る唯一の道(それも砂利道という悪路)で自転車を走らせていた。
「佑太これからどうすんだ?」
 隆平が当然ともいえる疑問を口にした。
「あぁ、全く考えてなかった」
「おいおい、どうすんだこれからうわぁぁ!なんかいたぁ!」
 そう叫んだ達也が急ブレーキをかける。それにつられて佑太と隆平も自転車を止めた。
 そして達也の自転車のライトが照らしていたそのなんかとは美少女だった。
 つやのある黒髪は緩くウェーブになっている。服装はどこかの制服なのでたぶん中学か高校にそれもお嬢様学校に通っている学生なのだろう。
 その制服は紺色を基調としたワンピースタイプで清楚、とか純真とかのイメージを受ける。
 そんな少女がこんな真夜中にど田舎につながっている路上に倒れている。
 色白の肌に浮かぶバラ色の唇からは浅い吐息が漏れ、長いまつげは苦しげに伏せられている。
「かわいい……」
 誰からともなくつぶやいた。
「俺が様子を見に行こう」
「いや、俺が見に行くよ」
「お前らには任せられん。俺が見に行く」
 結構危険な状況だったことを忘れ、達也たちは言い争いをしていた。基本的にこの人たちはアホなのである。
 ついには殴り合いに発展しそうになった時、倒れている美少女がうーんと呻いた。
 びくぅ!と一気に静かになる3人に、
「……お腹空いた……」
 かなり間の抜けた一言が聞こえた。



 ボケたじいさんのやってるコンビニの中で達也は食べられる食べ物を探していた。(ちなみにコンビニはドアが壊され何かが徘徊した跡があったのでボケたじいさん自体はもう助からないだろうことが推測された)
「これも賞味期限切れてる!」
 達也はいら立ち紛れに商品棚にパンを投げつける。
「……本当にすいません」
「い、いや和泉さんが悪いんじゃぁないから謝らないでって!」
 この和泉という少女はさっきから謝っていた。



 少し時をさかのぼる。
 お腹を空かせて倒れている少女を前におろおろしている達也たち。
 その時少女がガバッ、と音を立てて起き上がった。
「あ、あのぅ」
「はい、何かな?」
 さっきまでのばか騒ぎしていた様子が鳴りを潜めいつものクールキャラを前面に押し出し始める。
「何か食べるものってあるでしょうか?昨日から何も食べてなくて……」
「それは大変なことだな。いったい何があったんだ?」
「それは……皆さんが変になっていって、それでお父さんに田舎の病院にいるおばぁちゃんのところに逃げなさいって言われて……」
「そうか……」
 少し神妙になったところにぐぅう~、とお腹が鳴る。
「すみません……」
 顔を赤らめうつむく少女。かなりかわいいと達也は胸がキュウ、となるのを感じた。
「とりあえず向こうにコンビニがあるからそこに行こう」
「こんびに、ですか?」
 首をかしげる少女。動作がいちいち可愛らしい。
「コンビニっていうのはいろんなものが売ってるところだよ」
「そうなんですか……世間知らずですいません」
「あははっ、謝んなくていいよ。大丈夫、大丈夫」
「ありがとうございます!」
 こちらに向けられた笑顔に達也たちは一様に赤面した。



 そして今に至る。
 道中、お互いに自己紹介をして彼女の名前が和泉だと知った。
「で、でも私のせいで達也さんたちに迷惑かけてる」
「全然迷惑じゃないどころか逆にうれしいってあったあった」
 達也は賞味期限の切れていなかった缶詰(サバの味噌煮)を手に取った。
「隆平!佑太!缶詰あったぞ!」
「おぉー!サバの味噌煮、イワシの味噌煮、サンマの味噌煮、……味噌系ばっかだな」
「缶詰ってこんなものなんですね」
 和泉の言葉に缶詰も知らないなんて……!と達也は少々びっくりする。
「住居スペースに缶切りあったぞー」
 隆平が奥から出てきて缶切りを放り投げてきた。
 それを佑太が受け取って手際よく缶詰を開けていく。
「達也これ温めてこい」
「おう」
 佑太から缶詰を受け取り、もう何年も使われた形跡のないレンジに向かう。
「私も手伝います」
「和泉さんありが――」
「やっぱり俺がやろう」
 達也の持っていた缶詰を奪い取って歩き出す佑太と、それについていく泉を見て達也は憮然とするのだった。



「これからどうする?」
 腹ごしらえを終え、達也たちはこれからどう動くかを話し合おうとしていた。
「とりあえず朝が来たらこの家で1回寝よう」
「まぁそれが妥当だな。俺ももう疲れた」
 佑太がため息をついた。この一連の事件で達也たちはかなり消耗していた。
「なぁ、和泉ちゃん」
「はい、なんでしょうか?」
 唯一和泉のことを和泉ちゃんと馴れ馴れしく呼ぶのは隆平だ。
「おばぁちゃんは大丈夫なの?」
「……!」
 和泉の肩が震える。それを見て達也は首をかしげた。
 ――なんだろう和泉さんの顔が強張ってる。なにかあったのかな?――
 達也の心配をよそに和泉の顔はいつもの見ているととろけてしまいそうな顔(あくまで達也の印象)に戻った。
「こんなことになってしまった以上、もうおばぁちゃんの所に行くのはたぶん難しいと思います。だから私は助けてくれる人が来るまでじっとしたいと思います。私にできるのはそんなことしかないから…………達也さん私の顔に何かついてますか?」
「い、いやいや何もございません、ございません!あはっ、あはははは……」
 まさか見惚れていたとは言えまい。達也は必死に首を横に振り手をバタバタさせ誤魔化そうとした。
「あ!達也、和泉ちゃんのこといやらしい目で見てたな!」
「変態だな。まぁ前から知っていたが」
「おい隆平、お前は変な勘繰りをすんな!それと佑太お前そんなこと思ってたのかよ!もう許さねぇ!!」
「達也さん私のことそんな目で見てたんですか?」
「うぇ?」
 達也が和泉のほうを向くと和泉のつぶらな瞳と目があった。
「達也さん?」
「そっ、そんなこと無くもないことは無きにしも非ずと思わないこともないなんて思ってなかったり思ってたりしないことでなく――」
「どっちですか?」
「いやらしい目では見てない(断言)」
「そうなの?」
「まぁ、いやらしい目では見ていないよな。いやらしい目では、な」
「じゃあ、どんな目で見てるかなー達也?」
「うるせぇ隆平、佑太!!」
「「あはははは!」」
 ――ばか騒ぎってやっぱ楽しいな――
 達也は心の底からそう思った。
 そして、達也たちの間で少しの時間、笑い声がこだました。



 夜が明けた。
「まぶしい……」
 達也は庭に出て朝日を浴びていた。
「もう寝たほうがいいよ達也」
「隆平」
 目をしばしばさせた隆平がいつも通りの様子で言った。
「感傷なんか浸ってると考えなくても、いや今は考えちゃいけないことまで考えちゃうから」
「そうだな、おやすみ」
 家の中に入っていく達也を見ながら隆平はつぶやいた。
「もうやってらんないよなぁ……」
 一方、佑太は部屋の中で押し入れにあった比較的きれいな布団の中で体を丸めていた。
「瑞希、おまえの分までお兄ちゃんは頑張るからな」
 佑太の心はギリギリまで追い詰められていた。
 佑太だけではないだろう。隆平も達也もそれぞれが苦しんでいた。今は和泉がいるから明るくふるまっているがいなかったら今頃、通夜みたいな雰囲気だっただろう。
 こちらは達也。
 達也はまどろみの中で今までのことを意図的に思い出していた。
 和泉の行動に少し違和感を覚えていたのだ。いや、正確には今までに和泉の言っていたことで明らかにおかしいものが混じっていた気がするのだ。
 ――何だ、何がおかしいんだ?考えろ、考えろ……――
 達也は思い出す。和泉と出会った時のことを、和泉との会話を、そのすべてを。
 そして、違和感の原因に思い当たったと同時に、あまりの疲れに意識が遠のいていった。



 達也が目を覚ますともうすでに空は赤く染まっていた。
「うーん……」
 達也は寝起き特有のぼんやりした頭のまま起き上がった。
 どうしたんだっけ?と達也は周りを見回し、自分の状況を思い出す。
「はぁ、いっそ夢ならよかったな」
 ぼそりとつぶやきながら達也はほかの人を探す。
 コンビニスペースのほうに行くとみんながいた。
「おはようございます。達也さん」
「おはよう、和泉さん」
 達也と和泉は笑顔であいさつを交わす。
「お早うって言っても今は夕方だけどな」
「すまんすまん」
 佑太とも軽く挨拶をしてきょろきょろとする達也。
「どうした?」
「いや、隆平がいないなって思ってさ」
「あぁ、あいつは買い物に行ってる」
「今外行くのは危なくないか?」
「忘れたか達也。日が出てるうちは感染してても普通の人だよ」
 だから安全なうちに買い物に行ってもらった。と佑太は続ける。
 そこにただいまと言って隆平が返ってきた。
「おか、え…り……」
「達也どうしたその顔」
 達也は自分の顔が強張っているのを感じていた。それは佑太や和泉も同じことだった。
 皮が所々めくれ、そこから腐った肉が見え隠れしている男が、メリィ、とさけていて異様なほど大きくなった口を笑顔の形にして両手を振りかざし、隆平の後ろに立っていた。
 その男が1歩前に踏み出した。目玉が片方ぼとっ、と音を立てて落ちる。
「……っ!隆平、後ろ!」
「え、うわぁあ!」
 隆平が後ろを振り向くの男が隆平の体を掴むのは同時だった。
「隆平っ!」
 達也と佑太は隆平に向かって走り出す。しかし如何せん隆平まで距離がある。
「う、あぁぁぁああ!」
 男の口が大きく開かれる。反射的に嫌悪感にさいなまれた隆平は思わず腕を振るって男を押しのけようとした。
 そして、その手を男が掴んだ。
「やめろよっ!」
 やっと隆平のもとにたどり着いた達也は、男に思いきり蹴りを入れる。
 男は雑木林に飛んでいき、そこから逃げていく気配を達也は感じた。
「隆平大丈夫か!?おい、達也!救急セットを!」
 達也がそちらを見ると隆平が右手を押さえて蹲っている。掴まれたところを怪我しているようだった。
「わ、分かった。救急セットだな」
「意味ねぇよそんなの!」
「え?」
 声を上げて叫んだのは隆平自身だった。
「どういうことだよ?」
「あいつに掴まれてケガしたんだっ!これで俺も感染しちまう、そんなのやだよ!!」
 めったに怒鳴ることのない隆平が叫ぶのを聞いて達也は衝撃を受けた。
 ――隆平もギリギリだったのか……俺はあいつが苦しんでんの見抜けなかった。友達なのに――
「落ち着け隆平。……達也、俺はとりあえずこいつを落ち着ける。だから和泉と一緒に外見張っててくれるか?」
「分かった」
 隆平と佑太が移住スペースに消えていくと和泉が心配そうに眉を曇らした。
「隆平さん大丈夫ですかね」
「正直分からない。隆平があんな取り乱してるのなんて初めて見た」
「私にできることは無いんでしょうか……」
 達也は和泉の横顔を見ながら、今日眠る前に考えてたことが本当かどうか考えた。
 そして、一つ深呼吸すると和泉に、和泉さんと声をかけた。
「なんですか達也さん?」
「一つ聞きたいことがある」



「ずっと気になってた事があるんだ」
 達也は真剣な表情で続ける。和泉はそれを見て何を思っているのか表情からは察することができなかった。
「和泉さんは『田舎の病院にいるおばぁちゃんのところに逃げなさいって言われて』て言ったよな?
だけどさ、和泉さん。俺らがいた村には病院どころか診察所もないんだよ」
 そう、前に説明したように仲居村には病院も診察所もない。だから和泉の言っていたことは明らかにおかしいのだ。
「何でそんな嘘をついたんだ?和泉さんは何を隠している?」
「……何を言っているんです達也さん?私は何も隠していませんよ。達也さんの住んでいた村は確かに病院はないかもしれませんが私の行こうとしたところには病院があるんです」
「でも和泉さん。あの道は俺らの住んでる村にしか続いてないんだよ。あの道が俺の村の唯一の入り口であって出口なんだ」
「道を間違えちゃったんです。ここ一帯の地理に疎くて」
「じゃあ和泉さんのおばぁちゃんは?」
「どういうことですか?」
「もともとこっちに来たのはおばぁちゃんに会うためだろ。なのに会いに行こうとしない、連絡もしない、まるでそんな人物なんていなかったみたいに」
「…………」
 達也は和泉が返答するのを待っていた。和泉が何か隠し事をしていると後々危険な状況になる可能性があった。だから達也は和泉にこのことを話したのだ。
「……よく、分かりましたね」
「やっぱり何か隠してるのか」
 恐る恐る聞く達也にいっそ清々しそうにはい、と答える。
「達也さんたちが優しかったのであまりにひどい現実を教えたくなかったんです」
「ひどい現実ってどういうことだ?」
 達也は胸騒ぎを覚えていた。これを聞いたらもうどうにもならないことを無意識に自覚させられるようだった。
「もうどこにも逃げれる場所なんてありません。もう私たちが感染するのも時間の問題でしょう」
 ぐらぁ、と世界がゆがんだように達也は感じた。達也にとってそれほど衝撃的な現実であった。
「そ、そんな訳ないだろ?こんなときにいやな冗談なんてやめてくれよ」
 一縷の望みをかけて達也は和泉に言うが、和泉は悲しそうに首を振った。
「冗談ではありません。都市部に行けばいくほど、正確には人口密度が高いところに行くほど絶望的な状況です」
「……どういうことだ?」
「私はもともと都市部で暮らしてました。ですがそこでは……
 感染している人も感染していない人もみんな死ぬ恐怖におびえ、自暴自棄になっていました。どうせ死ぬならいっそと、自分の欲のままに盗み、壊し、犯し、殺しをする人がいれば自殺や心中する人もいました。交通機関も止まっており、道路も逃げようとした車が事故を起こしたままだったり乗り捨てられているのでひどい有様でした。そこら中に血だまりがあり路肩には無数の死体が――」
「もういいよ」
 顔が青白くなりながらも説明を続ける和泉を達也は止めた。さすがにそこまで言われればどんな状況になっているかは簡単に想像できるだろう。
「和泉さんはそんな中どうやって逃げてきたんだ?」
 そう達也が聞くと和泉が一層悲壮な顔になった。
「途中までは兄と一緒にバイクで移動しました。ですが兄は死にました、私を守って」
「感染者にか?」
「いいえ、感染者に襲われたならまだ生きてはいるはずです。兄を殺したのは私を犯そうと襲ってきた人間たちです」
「和泉さん、つらいこと聞いてごめんな」
「私こそ隠し事してしまってごめんなさい」
「大丈夫だよ、俺も和泉さんの立場だったら俺も同じことをしたさ」
「そう行ってもらえるとだいぶ楽になります」
「そうだったらうれしいな。……でもこの状況はどうするかな」
 達也が道路のほうを見るとそこには大量の感染者がいた。
「こりゃあ生き残んのも無理かもなぁ……」
 そう呟いて達也はそばに立て掛けてある木刀を握りしめた。
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