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酔っ払い魔法使い

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曇り空の下、カガンの街では露店が軒を連ね、常連客達が忙しなく商品を手に持ち店主と話し込んだり、値付けに文句を言ったりしている。特に農作物を売る店は、今年は特に品ぞろえが悪く、やっと店先に並んだものも質が落ちた、そのくせ値段が去年より高いなどと客が不満を垂れていた。
ここ数年、粉物を扱う商いをしているデオは内心不審に思っている。
パレステア公国は10年前に現れた聖女様のおかげで、国中に恵みの雨が降り注ぎ、魔獣を退け、大地は実り豊かで国民は飢えず、争いもない……とされてきた。
実際、デオの見る限りそれはその通りだった。しかしここ数年の間に、徐々にだが実りが減り、干ばつの報告がされ、はてはわけの分からない奇病が流行っているなんて噂まである。
デオはそうした噂には懐疑的で、田舎者の取り越し苦労だと思っている。多少実りが減ったとしても、もともとパレステアは豊かな国なのだ。こうして恵みの雨も毎年滞りなく降っている。考えすぎだ。今がちょっと不作なだけで、いくらでも取り戻しがきく。よその国と違い、わが国には聖女様のご加護があるのだから。

「小麦と塩を買いたい。いくらかな」
下の方からしわがれ声がして、見ると腰の曲がったローブの老人が杖をついて立っていた。よく見ると、目を黒い布で覆っている。
「爺さん、小麦なら1袋20フィニーだ」
「随分高いのう、いつもなら半分の値で買えたはずだが」
デオはチッと舌打ちした。このやり取りはいい加減うんざりしていた。
「爺さんいつの話をしてんだ。ここ数年は不作でどこも同じ値段さ。悪いがね。そうだ、おまけに塩を安くしてやるよ、特別にな。合わせて25フィニーだ」
「そうか……それは悪いことをした」
なぜか老人は謝りながら、いそいそと財布袋を取り出す。と、その時、横から別の手が出てきて、老人の手をそっと止めた。
「不作で高騰してるのは仕方ないとしても、あんたの店はそれまでの備蓄分を売ってるんだから、せめてもう少し安くならないか」
若い男の声だ。ああ?と凄んだデオは、老人の隣に立つ男が予想外に逞しく威圧的で、やや怯んだ。しかしすぐに威勢を取り戻し
「文句があんのか、嫌ならよそへ行きな」と睨んだ。
若い男は背が高く、肩幅ががっしりしていて、ローブを目深にかぶっている。
「気を悪くしたなら謝るよ、別に文句を言う訳じゃない。そうだ、さっき別の店で買った鹿肉がある。これと15フィニーでさっきの小麦粉を売ってくれないか。塩は今日は手持ちがないからやめておくよ」
デオは少し考えてから、まあそれなら、と小麦の袋を男に渡した。もちろん念入りに肉の状態を確かめてからだ。家畜以外の肉は高価で、町民はなかなか手に入らない。この若い男はどうやら鹿肉がパンの3倍の値がすることも知らないらしい、とデオは呆れた。
「どうもありがとう」
愛想よく言った男のローブの隙間から、大きな尖った獣耳が覗き、あっと思た瞬間には、男は老人と一緒にさっさと雑踏に紛れてしまった。

市場から離れた場所で、ユシウスはローブを外した。通行人の何人かが、体格の良い端正な顔立ちの獣人にちらりと目をやったが、その首に嵌った黒い皮の首輪を見て、特に気に留めることなく歩き去っていった。
「あんな嘘を吐いて。あなたが今朝、森で狩ってきた鹿肉ではありませんか」
老人のしわがれ声が、途中からしみとおる楽器のような美しい声に変った。小さな声で話しているため、周りは気付いていない。
ユシウスはにっこりした。
「ちゃんとレネ様の分の肉は取ってありますよ。いいじゃないですか、誰が獲った肉でも。よし、これでクルミ入りのパンを焼こう」
相場より安く手に入った戦利品にほくほくしているユシウスに呆れながら、レネはふと思い出した様に言った。
「……冬が近くなるので、またあなたに面倒をかけますが」
ユシウスは屈みこむと、老人姿のレネの顔にすり、と猫のように甘えた。傍目には、爺に甘える図体のでかい孫のように見えるだろうな、と考えると愉快だ。
「迷惑なんてとんでもない。この冬も薪をたくさん用意してあったかく過ごしましょうね。いっぱいレネ様の好物を作ってあげます。俺がずっとついてますから、春までゆっくり療養しましょう」
甘ったるい声で囁くと、ユシウスは荷物を持って、行きましょうとレネを促した。日が暮れるまでに森に帰るために、そろそろ街を出なくては。

「……けだま?」
その声はユシウスの鋭い聴覚だからこそ、雑踏の中から拾いあげることができた。ぴくっと耳が動く。遠い昔の記憶がよぎり、思わず足が止まった。
「ユシウス?」
レネが怪訝そうに呼んだ。音の先を辿ると、頭上にかかる橋の欄干から身を乗り出すようにして、黒髪の獣人がユシウスたちを凝視していた。目が合うと、青い目が大きく見開かれた。
「……レオ?レオニールか?」
相手にも聞こえたようだった。強張った顔がぱぁ、と輝き、獣人の青年は迷うことなく欄干を飛び越え、無駄のない動きで地面に着地した。近くにいた通行人がキャッと驚くのも無視して駆け寄ってくる。レオニールはユシウスの肩を確かめるようにばしばしと叩き、腕を広げて抱き着いた。
ゴロゴロ、と耳の横で喉を鳴らす音がする。
「生きてたんだなっ!てっきりあの時の魔法使いに毛皮を剝がされて死んじまったかと思ってたよ。あれからどうしてたんだ?……ん、首輪してるってことは主人がいるのか、まさかあの魔法使いじゃないだろうな」
ユシウスはちらっとレネを見遣ってから、落ち着け、とレオニールの背中を叩いた。
「あの頃は俺より身体が小さかったのに、でかくなったな!」
「本当にレオニールか?……こんなによく喋る奴だったっけ」
コホン、と咳払いがした。レオニールが身体を離して、レネを見下ろす。
「こちらの御老人は?」
ユシウスは首の後ろを掻きながら、目を逸らした。お前がさっき言っていた魔法使い様だよ、とは言いにくい。
「随分と小綺麗になりましたが、記憶力は良くないようですね」
レオニールがぎょっとなった。それはそうだ。腰の曲がった老人に、美しい若い男の声でいきなり嫌味を言われたのだから。
「あの時もいきなりわたくしに飛び掛かってきて、危うく嚙みつかれるかと思いましたよ」
レオニールは少しの間固まっていたが、あっと声を上げ、レネを指差し、ユシウスを見て叫んだ。
「あの時のすげぇ美人で口の悪い魔法使い!」
レネは鼻で笑い、ユシウスは眉間を押さえた。数年の間に何があったら、こんなにうるさい阿呆になるんだろうか。

結局、町から出るのは明日の朝にして、近くの宿屋に部屋を取り、夕食を取ることにした。
レオニールも二人の泊まる部屋に上がり込んでビールをあおっている。俺の奢りだ、と言われれば断る理由もない。
今はユシウスだと名乗ると、レオニールは舌に馴染ませるように何度か名前を呼んだ。
「いいじゃないか、毛玉ってのよりよっぽど似合ってる」
「わたくしが名付け親なのですから、良い名前に決まっています」
レネも珍しくビールを飲んでいる。心なしか顔が赤いのはそのせいだ。そして姿を変える魔法を解いているので、神秘的な美貌の持ち主が木製ジョッキを片手に酒をかっ食らうという世にも稀な光景が生まれていた。
「……」
レオニールは、こそっとユシウスに耳打ちした。
「この人、あの噂のレネリウス・ザラで合ってる?銀髪に目を隠してるから、まさかと思ったんだが」
「……良い噂ならその通り。悪い噂なら忘れろ、デマだから。あとこの人は」
「そこ、聞こえていますよ。わたくしの噂が何ですって?」
「耳がいいから気を付けろ」
レオニールはぽかんとした後「聞いてたのと雰囲気が違うなぁ」と首を傾げた。
「聖女様を妬んで呪いをかけたうえ、それがバレて国王様たちに城を追放された卑怯で非道な魔王使いって聞いてたのに」
「おい、レオニール」
ユシウスが低い声で唸ったので、レオニールの耳がぺしょんと下がった。
「ああ、呪い……そういえば掛けましたね」
レネがとろんとした声音で言ったので、二人はえっ、と同じ反応をした。
「え、本当に呪ったんですか、レネ様」
「ふふ……色々やってやりました。飲むお茶が全部渋くなる、部屋に飾った花がすぐ萎れる、歌声を披露している最中に声が裏返る、本を読もうとしたら結末が最初に書いてある……あと、ん~」
指折り数えて自慢げに披露してくれるが、ユシウスとレオニールは脱力してきた。
「それって、ほんとに呪ってるのか?なあ、どう思う?」
「レネ様が言うんだから、そうなんだろ。……レネ様、そろそろお酒やめましょうね」
「まだ飲めます!わたくしの邪魔をしないでください、酒如きに負けるはずがありません」
「酒と勝負してたんですか?でも二日酔いになったら辛いのはレネ様ですよ。ね、ほらいい子だからジョッキ渡して」
抵抗するレネから強引に酒を奪うと、レネはいたく傷心したように机に突っ伏した。
「ユシウスがわたくしを虐めている……いつもは優しいのに……わたくしの楽しみを奪って喜んでいる、う、うう」
「……嘘だろ、泣き出した。あのレネリウス・ザラが」
レオニールは気味悪い物でも見たようにつぶやいた。
「泣き上戸なんだよ。ワインも駄目だ」
ユシウスはレネの肩を優しくなでて、旋毛の上にキスをした。レオニールがぎょっとなって椅子から落ちたが、無視してレネを抱き上げる。
「もう寝ましょうね。ビールはまた二人きりの時に飲んでいいですよ」
「ユシウス」
寝台に運び、靴を脱がせてから丁寧に毛布を掛けてやっていると、舌足らずな声で呼ばれた。
「はい、ここにいますよ」
レネが腕を伸ばし、ユシウスの襟首をつかんで引っ張る。ユシウスは微笑んで、レネの額に落ちる髪を避けると、そこにもキスを落とした。
「おやすみなさい、レネ様」
寝る前の習慣が済んで満足したのか、レネはふにゃんとした笑みを口許に浮かべると、そのまますやすやと眠りについた。
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