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第2部

蘇芳の反省(1)

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ピシ、と花鶏の身体が強張った。ぎくしゃくと蘇芳を見れば、先ほどの屈託ない表情から一転、瞳を細めたなんとも妖艶な笑み。花鶏は長椅子の上をゆっくりと這うように移動して蘇芳から距離をとった。
「先生、夜も遅いのでそろそろ……」
夜着の裾を掴まれ、心臓が跳ねた。
「お待ちなさい、まだ先生が話しているのに行儀の悪い」
「だからこういう時先生って言うのやめてくださいって!」
蘇芳はあの、普段見せないような妖しい笑みを浮かべた。花鶏の心臓はもはや太鼓のようにどくどくと煩い。
「こういう時?それってどんな時ですか?ただ殿下とふつうにお喋りしているだけではありませんか」
(普通の会話に求婚って言葉は出てきませんよ、先生!)
「何を怖がってるんです?私が殿下を困らせるようなことをするとでも?この私が?」
(してる、してますよ今!)
「……分かりました。花鶏に嫌われたくはないので」
渋々、と言った様子で身を退いた蘇芳は、落ち込んでいるように見える。花鶏は胸に痛みを感じた。
(俺が意気地なしのせいで先生に要らぬ恥をかかせてしまった)
自分の言動で蘇芳を悲しませるなど、それこそ最も恥じて嫌悪すべきことだというのに。
それに比べたら己の未熟さを暴露して、正直に話した方がずっとましというものだ。

「先生そんな顔しないでください。俺が悪かったです!ただちょっと物怖じしてしまって……先生を嫌うなんてそんなの、あるわけないじゃないですか!」
「本当に?」と蘇芳が上目遣いに見つめてくる。
蘇芳は先ほどまで床に座り書を書いていたので、正座したままの蘇芳が上目遣いにこちらを見上げてくるという構図が一幅の絵のようだ。
その何とも儚く、守ってあげたくなる様子ときたら……!
「先生のお願いなら何でも聞くと言ったでしょう。俺、ほんとにそうするよ」
蘇芳はそれを聞いて、ふっとほころぶように微笑した。うっとりと見惚れる花鶏の頬に手を伸ばし、その耳元で囁く。
「じゃあ、この間の続きをしても?」
直接耳に息を吹き込まれ、蘇芳はん?と硬直した。
(この間っていつだ。まさかあれか、あの時か、続きってなんだ)
いやまて。貴方にまだ教えたいことが山ほどある、と先生は言っていなかったか!?
(山ほどってなんだ?俺はもう一杯一杯なのに。いつもは俺の言うこと聞いてくれるのに……今まで余裕がないのは先生の方だったくせに……!)
なぜか立場が逆転していはしまいか。先生は奥ゆかしいので、自分が主導しなくてはと息巻いていた当時の馬鹿な自分を殴ってやりたい。この人はお前の手に負える人じゃないから<予習>だけは怠るなと。
せっかく恋人だと言質をもらえたというのに、これでは先生を満足させられないばかりか、つまらない、情けないなどと早々に飽きられてしまったら。想像しただけでも全身の血が引いてゆく。
一度掴んだ僥倖を失くしたくない。そのためなら、どんな努力でもする。なにしろ蘇芳と相思相愛になれたのでさえ、気も狂わんばかりに幸せなのだ。
それに、先生は言ってくれたではないか。貴方以外の誰ともこんな風になりたいと思いません、と。先生は嘘など吐かない。勇気づけられて、自分に足りないものは何かと考えてみる。経験値、は……口惜しいことに、今まで蘇芳と関係した人間がいるなど嫉妬で焼き切れそうだが、それはもういい。過去のことだ。今花鶏を恋人だと言ってくれる先生への想いが全てだ。
せめて、せめて……。
「俺の準備ができるまで、もうしばし待っていただけないでしょうか……」
恥を忍んでお願いすると、彼の最愛の人は不思議そうに目を丸くした。


蘇芳はほぼ感心と言っていいような心持で、頭を下げた花鶏の旋毛を見下ろしていた。
ふたりとも落ち着いて、長椅子に腰かけている。
(この子の真面目さが俺にとって望ましからぬ方向に暴走してるな)
花鶏からすれば、最初に暴走したのは蘇芳の方だが、蘇芳にはあずかり知らぬことであった。
考えてみれば、虐王と呼ばれたもう一つの未来で、彼は江雪によって魅惑的だが寵の道具としかならない女たちを何人も与えられ、まさに酒池肉林の檻の中飼いならされた挙句、政治に関与する余地もなかった。

それを知っていたので、花鶏には婦女子に優しくせよ、尊重せよと教えてきたし、またそうさせてきた。
貴族二姉妹の一件でやや女性不信にはなったものの、基本的に花鶏は女性に対して優しく紳士的だ。そうすれば、いつか花鶏の良さに見合うだけの女性と出会い、温かい家庭を築けると思ってきた。

それが頓挫した責任は蘇芳にある。この点は、いくら花鶏が自分から迫ったと言っても譲る気はない。生きた年数、経験、倫理、そして他人の居場所を奪って花鶏の人生に介入している罪悪感……花鶏に情が沸くまで感じなかったそれらを天秤にかけて、あの子を恋人にした時点で、責任はすべて蘇芳が持つべきなのだ。

だからその分幸せにしてやろう……とは思っていない。その考え方は花鶏に失礼だ。結局、花鶏が幸せなら自分もそうなので、これは無責任な男が恋しい相手となんとか一緒に幸せになりたいという、それだけの話なのだ。

結果、蘇芳は花鶏に対して遠慮をしない。好意を小出しにしない。駆け引きもやめた。もったいぶらず惜しみなく与えてやりたいし、自分も貰う。与えながら奪うし、これほど全力で相手に挑むような恋愛はしたことがないが、花鶏相手だと自然とそうなってしまうのだ。大事な子なのに、まるで肉食獣がウサギを見て食べちゃいたいくらいに可愛いと思うような……。ウサギの立場からしたら迷惑千万どころではない話だ。

(純愛小説を手本にしてる花鶏から見たら、俺……相当がっついてこの子を怖がらせてるんじゃないか……?)

花鶏も言っていたではないか。先生が思ってたのと違う、と。
あれは本当に、慕っていた蘇芳の本性があまりに俗物でがっかりした、という意味を含んでいたのではないか!?
蘇芳の血の気は一気に下がり、ここに来て冷静を通り越して青くなってくる。
自分はとんでもなく逸りすぎたのでは?花鶏に嫌われたり、失望されるような言動を連発していたのでは?
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