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第2部

虎は騙す(2)

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当初の打ち合わせでは、カデンルラの少数精鋭の王宮付き兵士が後方に待機し、引き渡しが完了し蘇芳たちが離脱してから、賊を追うはずだった。

しかし完全に奇襲を仕掛けるのが早すぎる。何より凱将軍ら瀧華国側の兵を拘束した時点で、これは別の有事が発生しているとしか取れない。

(なぜ友好国の瀧華国をカデンルラが?花鶏殿下を拘束してどうするのだ、何の利がある?まさか瀧華国に霊獣がいるのを知って戦争を仕掛けるような馬鹿をするつもりか)

押さえつけられたまま何とか砂から頭を起こすと、眼前の砂煙の中、両者の攻防が続いているのが見える。あの中に蘇芳と花鶏がいる。花鶏がまだ生きていればだが。

そう思ったとき、ドンっ、という地鳴りとともにひと際大きな砂煙、いや竜巻が起こった。
そして何頭かの馬が倒れ、馬上の人間が放りだされたかと思うと、ぎゃああ、という叫び声。
それは剣の戦いではなく、もっと切羽詰まった悲鳴だった。

砂の中に渦が出来て、ちょうどアリジゴクのようにカデンルラ兵も賊も関係なく土中に引きずり込むのが見えた。
巨大な生き物の胴体が、青白い月に照らされて黒々とうねっている。

(あれは花鶏殿下の東雲か!また大きくなっているような気がするが)
将軍は頼もしく思うよりゾッとなった。

煙塵の中を何かが物凄い勢いで駆け、凱将軍を押さえる兵たちを弾き飛ばした。
ぎゃ、うわ、という悲鳴を上げて、為すすべなく4人の屈強な男たちが後方へ吹き飛ばされる。

「将軍、立てますか!」
「蘇芳殿……ご無事で。申し訳ありません、状況を掌握できず。殿下もご無事ですか?」

珀の背にまたがった蘇芳が乱闘の中を指さすと、黒ずくめの装束の若者が剣を手に手当たり次第に応戦している。

「え、殿下?」

将軍は混乱したが、それよりも花鶏の剣さばきの危うさと防戦一方な様子に青くなった。

「蘇芳殿、殿下のあれは」

蘇芳は凱将軍の側に転がっていた矢筒と長弓を拾うと、殿下!と叫んで大きく放り投げた。

花鶏は素早く声に反応し、身体を反転させながら弧を描いて投げられた一式を受け取った。そのまま弓を構え、重心が不安定なまま矢を放った。それは襲ってきた兵士の急所を外して命中し、花鶏は休む間もなく次の矢をつがえて放つ。

「あの子は昔から剣術は全然だめでしたが、弓の腕はどの皇子より上手いんです」

蘇芳はそう言うと、珀の背中をぽんと叩いた。

「珀、のんちゃんたちに加勢してきてくれ。終わったら雨月皇子の所へもどっていいぞ」

{労いとかないん?千里を超えてきてるんよ、虎使い荒いわ、あとで特別手当請求さしてもらいますわ}

将軍の耳にはガオゥンと勇ましく吠える珀と、はいはいと言って送り出す蘇芳の姿が見える。

(やはりどう見ても、蘇芳殿が使役している)

凱将軍の胸に靄がかかり、それは重苦しくまとわりついた。

それから半刻も経たないうちに、東雲と珀の加勢により、拘束されていた瀧華国側の部下たちが解放されたことで、事態は収束した。

珀をこれ以上人目にさらすことを避け、蘇芳は彼を影に戻した。もしかすると、もう雨月の元へ戻ったかもしれない。

「ああ、やっと終わった。先生、お待たせしました、お怪我はないですか」
花鶏は砂まみれのまま、空になった矢筒を手に戻ってきて、蘇芳を見つけるとにこにこした。
これは花鶏が昔から、蘇芳限定で見せる褒めてほしい時の顔だ。

(ぶんぶん千切れそうなしっぽが見えそうだな……顔に返り血が付いてるけど)

蘇芳は顔に汗で張り付いた砂を優しくこすって落としてやり、袖口で血も拭った。
花鶏は嬉しそうな笑顔を浮かべて、甘えるように頬をすり寄せてくる。

「……相変わらず剣の腕はさっぱりですね、殿下」

「え、こんなに頑張ってきたのに、それだけ?」
がっくりと項垂れる花鶏の頭を手を伸ばしてぽんぽんと叩いた。
「その分、弓の腕なら誰にも引けを取りませんからね、大したものです。怪我もなく私の所に戻ってきて偉いですよ」
「そうそう、そういうのが聞きたかったんですよ!」

花鶏は笑いながら言うと、頭に置かれた手を取って、その手の平に唇を押し付けすぐに離した。
これくらいのことは、蘇芳も慣れっこなのでもう動じない。

『嫉妬の鏡』の件の後、宣言通り「これまで以上に精進」することにした花鶏は、機会があればこうして蘇芳に触れてくるようになった。

蘇芳に拒絶されるでもなく、かといって完全に受け入れられるでもなく、悪く言えば宙ぶらりんな状態なのに、花鶏はどこか楽しそうだった。
カデンルラに来たばかりの頃の嫌な感じのする焦りは消えている。

3か月前の自分にどやされるのを承知で言えば、後ろめたさを差し引いても、蘇芳は花鶏からのそういう意味のアプローチにどきどきしている自分を認めるほかなかった。

蘇芳に意識が乗り移る前、彼にとっての恋愛の発生は、もともと親しい友人関係や仕事仲間から発展したものがほとんどだった。
恋愛感情だけでは恋愛に発展しないという、現代社会においてちょっと面倒な体質を持っていた蘇芳にとって、花鶏との関係は本音を言えば理想が詰まっていたのも事実だった。

もっと言い訳するなら、絆を育んできた相手から捧げられる掛け値なしの恋情は、うっとりするくらい心地よくて、じりじりするほど艶めかしくて……この世界に来て何年も誰かとそういう関係になっていない蘇芳にとって、あまりに甘い蜜だった。

……それに応えるとなると、また話は違ってくるが。

ふいに、花鶏の目が斜め上を向いて、何かに反応したように瞼がぴくりと動いた。
「どうやら東雲が捕まえたようなので、行きましょうか、先生」と、花鶏が促した。

そして横でいつ話に入ろうか迷っていた凱将軍に今はじめて気づいたように「ああ、将軍」と声をかける。

「殿下、この度は私の不手際でこのような」

戦国武士のごとく、今にも腹を切りますと言わんばかりの悄然とした様子に、花鶏はあっさりと笑って見せた。
先生に褒められたばかりで戦闘の疲れも忘れ、機嫌が良かったのもある。

が、もともと他人に大事にされる実感が、蘇芳とそのほか少ない事例を除いて極端に乏しいせいで、ハナから凱将軍を含む周囲に期待していないせいでもあった。

「気にするな、私も探し物があって護衛もつけず方々出歩いていたから。館でじっとしていれば将軍たちにも迷惑をかけなかっただろうに、すまないな」

誘拐犯がその気なら、あの警備の手薄な迎賓館に篭っても意味は無かったろう。
花鶏の言葉は慰めにならないが、将軍はありがたく受け取っておくことにした。

どのみち、この不手際の処断は帰国後甘んじて受けるつもりだった。
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