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第2部
イルファーンの過去(2)
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「カジャ?それは地区名か?初めて聞いたな」
花鶏の言い方がすっかり土地になじんだ人間のそれで、蘇芳は感心した。
日中駆けまわっているだけあって、もう蘇芳よりよほどこの国の土地勘に詳しいようだ。
「ここからずっと東の小国だ。あいつの目の色も髪も、王都じゃ珍しいだろ。もっと東に行くと、そっちの皇女様の母方の一族が昔住んでた土地もある」
「さすがにそこまで足は伸ばせないな」
花鶏が何の気なしに言うと、アジラヒムはふっと笑った。
「行ったってもうないぜ。滅んだ」
花鶏だけでなく、蘇芳も食事の手を止めた。
「……滅んだ?それは」
「親父の代でカデンルラが滅ぼした。当時の族長たちは処刑されたし、5歳未満の子供だけ捕虜として連れ帰ったそうだ。そのあと奴隷として各地に散ったと聞いたよ。イルはその一人だ。族長の孫。両親は処刑されてる」
花鶏は黙って、盃の果実酒を口に含んだ。
イルファーンの階級を考えれば、予想できた出自ではあった。
「……こう言ってはなんだが、それが今カデンルラの時期国王の側近とは、数奇なものだな」
「腹の中でどう思ってるかは分からないけどな。ほら、奴は猫被ってるからさ」
はは、と軽く笑うアジラヒムは特に気に留めた風でもない。
反対に花鶏の方は、どういう顔をしていいか迷っているようだった。
蘇芳も、口にはしないがイルファーンの気持ちは気になった。
(普通の感覚なら、イルファーンにとってアルサスだけでなくアジラヒムも、仇の息子だ。アルマド王なんて、まさに張本人だし。これは偶然で処理していいのか?)
「イルファーン様はすごいんだよ。僕たちが学校へ行けるように、え、っと。ホウセイビをしてくれて、大人になって仕事につけるようにしてくれた。もといた場所だったら、ずっと読み書きもできないままだったし、家もなかったし、姉ちゃんとも一緒にいられなかったもん」
ジェマがにこにこと嬉しそうに言って、パタパタと厨房に戻っていく。その姉の手伝いをするのだろう。
彼も兄のサリムも、朝から正午までは学校へ通う。
奴隷階級の子供だけを集め、読み書きだけでなく、学年があれば経営や法律に関する授業も受けられるというから、職業専訓練学校に近いのかもしれない。
「あの子たちはカデンルラが関与しない小国同士の小競り合いで家を失くしてるんだ」
アジラヒムが小さな背中が去っていった方を見ながら言った。
「姉が娼館に売られてあいつらも家畜みたいな扱いで金も払わずこき使われてたんだと。……カデンルラは奴隷の扱いに厳格な規律がある。破れば貴族だろうと罰せられる。そういう風に作ったのは親父の代でだが、イルも一枚噛んでる。あいつ、若い時から神童って呼ばれてたくらい頭のキレる奴でさ」
懐かしそうに、杯を揺らす。
「アジラヒム様は、イルファーンを尊敬しているのですね」
蘇芳が言うと、アジラヒムはぽかんとした後、
「違う違う!知らないだろうけど、あいつガキだった頃、大人の見てないとこでさんざん俺を虐めたんだぜ。信じられるか?この俺を!超絶いたいけな美少年だった俺をだよ?人の心がないね、あの冷血漢。で、結局俺から兄貴に鞍替えしやがったわけだ」
ふん、と鼻を鳴らして杯を仰ぐ。
「それはお前が相当生意気なガキだったんだろ。ね、先生」
なぜこちらに振る。
蘇芳は知らん顔で野菜と鶏肉のスープを口に運んだ。何を食べても香辛料が効いていて、夏バテの身にはありがたい。
後で厨房に美味かったと礼を言おう。
和やかな食事を共にした5日後、館に凱将軍が駆け込んできた。
扉を蹴破らんばかりの勢いで蘇芳に突進した彼は、相当走ったのか顔から汗が滴っていた。
「蘇芳殿っ、落ち着いて聞いてください!」
「花鶏殿下に何かあったのですか!?」
とっさにそれしか思い浮かばなかった。
将軍は首を振った。ほっと息をついた蘇芳に、
「アジラヒム殿下が賊に急襲を受け、連れ去られたと。それで……」
「アジラヒム様が?」
「身代金の代わりに、瀧華国の皇族を差し出すよう要求が……つまり、この場合、花鶏殿下しかいないのですが」
蘇芳の眦がぎりりと吊り上がった。
凱将軍はごくりと唾を飲み込み、後ずさった。
こういう時の李蘇芳の怒気たるや、現役軍人がたじろぐくらいのそれなのだ。
「舐めた真似しやがって……」
「す、蘇芳殿?」
「うちの殿下が身代金の代わり?たわけたことを。行きますよ、将軍」
「え、どちらへ」
「決まっているでしょう、アルサス殿下のところですよ。圧力掛けられる前に、こっちから釘を刺しに」
「そんないきなり、あ、ちょっと。お待ちください!」
すたすたと玄関へ向かう蘇芳に慌てて追いかける。
「スオー様お出かけ?行ってらっしゃい!」
途中、ひょこっと顔を出した少年が、凱将軍を見て目を丸くしていた。
「行ってきますね、ジェマ。夜には花鶏殿下と戻ります!あ、なので今日の分のお話の読み聞かせは明日にしましょう」
「分かった!」
凱将軍が見ると、蘇芳はもうすでに玄関をくぐっている。
慌てて後を追った。
花鶏の言い方がすっかり土地になじんだ人間のそれで、蘇芳は感心した。
日中駆けまわっているだけあって、もう蘇芳よりよほどこの国の土地勘に詳しいようだ。
「ここからずっと東の小国だ。あいつの目の色も髪も、王都じゃ珍しいだろ。もっと東に行くと、そっちの皇女様の母方の一族が昔住んでた土地もある」
「さすがにそこまで足は伸ばせないな」
花鶏が何の気なしに言うと、アジラヒムはふっと笑った。
「行ったってもうないぜ。滅んだ」
花鶏だけでなく、蘇芳も食事の手を止めた。
「……滅んだ?それは」
「親父の代でカデンルラが滅ぼした。当時の族長たちは処刑されたし、5歳未満の子供だけ捕虜として連れ帰ったそうだ。そのあと奴隷として各地に散ったと聞いたよ。イルはその一人だ。族長の孫。両親は処刑されてる」
花鶏は黙って、盃の果実酒を口に含んだ。
イルファーンの階級を考えれば、予想できた出自ではあった。
「……こう言ってはなんだが、それが今カデンルラの時期国王の側近とは、数奇なものだな」
「腹の中でどう思ってるかは分からないけどな。ほら、奴は猫被ってるからさ」
はは、と軽く笑うアジラヒムは特に気に留めた風でもない。
反対に花鶏の方は、どういう顔をしていいか迷っているようだった。
蘇芳も、口にはしないがイルファーンの気持ちは気になった。
(普通の感覚なら、イルファーンにとってアルサスだけでなくアジラヒムも、仇の息子だ。アルマド王なんて、まさに張本人だし。これは偶然で処理していいのか?)
「イルファーン様はすごいんだよ。僕たちが学校へ行けるように、え、っと。ホウセイビをしてくれて、大人になって仕事につけるようにしてくれた。もといた場所だったら、ずっと読み書きもできないままだったし、家もなかったし、姉ちゃんとも一緒にいられなかったもん」
ジェマがにこにこと嬉しそうに言って、パタパタと厨房に戻っていく。その姉の手伝いをするのだろう。
彼も兄のサリムも、朝から正午までは学校へ通う。
奴隷階級の子供だけを集め、読み書きだけでなく、学年があれば経営や法律に関する授業も受けられるというから、職業専訓練学校に近いのかもしれない。
「あの子たちはカデンルラが関与しない小国同士の小競り合いで家を失くしてるんだ」
アジラヒムが小さな背中が去っていった方を見ながら言った。
「姉が娼館に売られてあいつらも家畜みたいな扱いで金も払わずこき使われてたんだと。……カデンルラは奴隷の扱いに厳格な規律がある。破れば貴族だろうと罰せられる。そういう風に作ったのは親父の代でだが、イルも一枚噛んでる。あいつ、若い時から神童って呼ばれてたくらい頭のキレる奴でさ」
懐かしそうに、杯を揺らす。
「アジラヒム様は、イルファーンを尊敬しているのですね」
蘇芳が言うと、アジラヒムはぽかんとした後、
「違う違う!知らないだろうけど、あいつガキだった頃、大人の見てないとこでさんざん俺を虐めたんだぜ。信じられるか?この俺を!超絶いたいけな美少年だった俺をだよ?人の心がないね、あの冷血漢。で、結局俺から兄貴に鞍替えしやがったわけだ」
ふん、と鼻を鳴らして杯を仰ぐ。
「それはお前が相当生意気なガキだったんだろ。ね、先生」
なぜこちらに振る。
蘇芳は知らん顔で野菜と鶏肉のスープを口に運んだ。何を食べても香辛料が効いていて、夏バテの身にはありがたい。
後で厨房に美味かったと礼を言おう。
和やかな食事を共にした5日後、館に凱将軍が駆け込んできた。
扉を蹴破らんばかりの勢いで蘇芳に突進した彼は、相当走ったのか顔から汗が滴っていた。
「蘇芳殿っ、落ち着いて聞いてください!」
「花鶏殿下に何かあったのですか!?」
とっさにそれしか思い浮かばなかった。
将軍は首を振った。ほっと息をついた蘇芳に、
「アジラヒム殿下が賊に急襲を受け、連れ去られたと。それで……」
「アジラヒム様が?」
「身代金の代わりに、瀧華国の皇族を差し出すよう要求が……つまり、この場合、花鶏殿下しかいないのですが」
蘇芳の眦がぎりりと吊り上がった。
凱将軍はごくりと唾を飲み込み、後ずさった。
こういう時の李蘇芳の怒気たるや、現役軍人がたじろぐくらいのそれなのだ。
「舐めた真似しやがって……」
「す、蘇芳殿?」
「うちの殿下が身代金の代わり?たわけたことを。行きますよ、将軍」
「え、どちらへ」
「決まっているでしょう、アルサス殿下のところですよ。圧力掛けられる前に、こっちから釘を刺しに」
「そんないきなり、あ、ちょっと。お待ちください!」
すたすたと玄関へ向かう蘇芳に慌てて追いかける。
「スオー様お出かけ?行ってらっしゃい!」
途中、ひょこっと顔を出した少年が、凱将軍を見て目を丸くしていた。
「行ってきますね、ジェマ。夜には花鶏殿下と戻ります!あ、なので今日の分のお話の読み聞かせは明日にしましょう」
「分かった!」
凱将軍が見ると、蘇芳はもうすでに玄関をくぐっている。
慌てて後を追った。
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