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第2部

アジル

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港から王宮までの道のりは緩やかな勾配になっており、首都の大通りはその中央を蛇行している。大通りからはまるで水路のように道が枝分かれし、また別の道が合流して下から見上げるとまるで迷路のように無秩序に街が形成されていた。



土壁は遠くから眺めると砂色一色だったが、よく見れば赤や青の染料のようなもので壁面に模様が描かれている。

「それは各地区の目印です。所属する地区ごとに色や模様が決められています。ここは地図がないので、他所から来た人間が案内人なしで歩くのは困難でしょうね」

街を手で示しながら、イルファーンはあれそれと花鶏に向かって説明している。

花鶏も周りの喧噪に圧されながらもその目は好奇心を湛えているのが見て取れた。

熱心に耳を傾ける花鶏にイルファーンも気を良くしているのか、時折肩や背に添えて注意を引きながら巧みな口調で面白おかしく街の成り立ちや文化を解説する様子はまさに。

(なるほど優秀なガイドだ。まあ、あれくらいなら俺も教えてやれるけど。……ただちょっと)

「馴れ馴れしすぎやしませんか、あのイルファーンとかいう男」

蘇芳はまじまじと将軍を見返した。

(焦った。俺の思ったことがバレたのかと思った)

「さっきの態度といい、考えすぎかもしれませんが」

蘇芳は苦笑して、

「考えすぎですよ。むしろ殿下に丁重に接してくださるならそれにこしたことはない」

「それはそうですが……そういえば、さっきマルークと言っていたのは何です?」

蘇芳は少し声を落として言った。そんなことをしなくても、この喧噪の中では隣を歩く凱将軍以外の耳には届かないだろうが。

「マレェーク。奴隷階級を表す呼び名です」

将軍が目の奥に驚きを浮かべ、前方のイルファーンの背中を見やった。

彼はにこにこと親し気に花鶏の話に相槌を打っていた。

「正確には支配階級奴隷です。将軍、我々が知る奴婢とは別物と考えてください。彼らは奴隷身分ですが、幼いころから教育も武術も嗜み教養がある。高い身分の主人に仕え、場合によっては主人が亡くなれば跡取りを差し置いてその座に納まることもあるほどです」

将軍はますます信じられないという顔をした。

「世襲を差し置いて?そんな、ありえない」

「お気持ちは分かりますが、この国で奴隷は大事な資産です。だがもちろん、奴隷本来の用途にも使われる。交渉や献上などが良い例です。カデンルラは内乱でいちいち勢力図が変わりますから、昨日まで主人だった者が次の日に奴隷になる、なんてことがあってもおかしくないのです」

将軍は呻吟するように目を閉じた。

文化的ギャップに直面して、それを咀嚼するのに苦労しているようだ。

「まあですから、イルファーン殿も相当優秀だし目をかけられているのでしょう」

「……彼の主人はラジェド殿ということですよね?」

蘇芳はやや考えてから、首を捻った。

「それは、どうでしょう。少なくともかなり地位が高い人物だとは思いますが」



一行は街の活気に急かされる様に緩い坂道を登っていく。

団体ではかえって目立つ、歩きにくかろうということで何人かの塊に分かれて距離を取りつつ進んだ。

無論、先頭の花鶏たち一行に最も護衛の数が割かれている。

瀧華国の服装は目立つので、礼装もいつもより軽装かつ、その上にカデンルラの薄手のマントを羽織っている。



それでも異国民を連れた一団は目立つだろうに、往来を行き交う人々はわずかに視線をやるだけで、すぐに興味を失くしたように去っていく。

(この距離感、都会っぽいな)

そんなことを考えながら前を行く花鶏たちを追う。

相変わらずイルファーンと花鶏の距離は近く、この短時間で随分親密になったように見えた。

(別にいいんだよ。俺以外とも交流しろと言ったのは俺なんだし。ただ立場上、呼んでくれないと俺からそこへは割り込んでいけないんだからさ)

軽く頭を振った。

(今のは大人気なかった……なしなし)

気持ちを切り替えようと、道端の露店に目を向ける。路地のそこかしこにも店が軒を連ね、果物や肉、工芸品や織物、薬草を売っている。

ふと、小さな子供が背伸びして山盛りの赤いごつごつした実に手を伸ばしていた。

露店との距離が近かったせいと、花鶏たちのことを考えて気が散っていた……まあ言い訳をしたとしても。



普段ならしない馬鹿をした。



ん、と大きな実を取って子供に渡してやる。無意識のような行動だった。

日本人ならそれでもいいだろう。

近くにいる親がすぐに支払いをするか、もしくは駄目だと子供を叱って勝手なことをした蘇芳に文句をつけるだろう。

しかしここは日本でも瀧華国でもなく、カデンルラ。



子供はじとりと蘇芳を見つめ、赤い実を奪うように掴むと物凄い勢いで路地を駆け去っていった。

驚いて固まる蘇芳の横で、ガタイのいい男が怒鳴った。

「おいっクソガキ!てめぇ何しやがんだ、ふざけやがって!」

蘇芳はようやく事態を理解して、内心舌打ちした。

(しまった、今のは俺が馬鹿だっ。財布財布……)

「すまない店主、すぐに支払いを」

「ったりめぇだろうがっ!」

がなり声に耳をキンキンさせながら急いで懐を探る……が。

(ない。嘘だろ……どこで落とした?いや、本当に落としたのか)

「おいさっさとしてくれ」

「ま、待ってくれ、財布が。連れが金を持っているのですぐ」

慌てて見回すが、さっきまで近くにいたはずの一団が目に入らない。どっと冷や汗が噴き出た。

(これはちょっとまずいな)

「おいおいふざけてんのかテメェ!」

ぐいと胸倉をつかまれたその時、横からスッと手が伸びたかと思うと店主の太い腕が捻りあげられていた。

「いでぇ、放しやがれ!」

蘇芳が腕の先を辿ると、麻のフードの下から黒髪が見えた。

目深に被っているせいで顔は見えず、うっすらと笑みを乗せた唇と輪郭のシャープな顎先が見える。

「よしなよ。この人、異人さんじゃないか。大目に見てやりなよ」

艶のある良い声だな、とそんな場合ではないのに蘇芳は思った。

「俺の商品を盗人のガキにくれちまいやがって!金を払うのが道理だろうがっ」

フードの男は店主の手に銅貨を握らせた。

「ほら、これでいいだろ。金は誰が払ったって同じだ。さ、そこの別嬪さんも来なよ」

「おい、ちょっと待て」

腕を掴まれぐいぐいと引っ張られる。しかも大通りから外れて路地に入ろうとしている。

蘇芳は慌てて足を地面に突っ張ったが、男は止まらない。

(こいつ、馬鹿力だなおい!)

「放せ!礼は言うが、私の連れとこれ以上はぐれると困るんだ。金は建て替えるからとにかく止まれ!」

「ハァ、あんた見かけによらず気ぃ強いな、美人さん」

「私は男だ!よく見ろ」

男はフードの下で肩を震わせて笑った。

「背格好を見りゃわかるさ!なに、男に美人って言っちゃダメなわけ?俺の知ってる人間の中で最も美しい容姿の持ち主は残念ながら男だけど」

「知らん、言いから離せ」

腕を払ったはずみで男のフードがまくれた。

ふわりと柔らかそうな黒髪が巻き上がる。現れたのはいかにも人好きのしそうな顔だった。

浅黒い肌。黒目がちな垂れ目が印象的で、どこか少年のあどけなさを残したような、可愛げのある顔立ちだった。

花鶏よりも二つ三つ年上に見えた。



男はにやりと人懐っこく笑うと、蘇芳にすり寄った。

「じゃあ美人のお兄さん。せっかく知り合ったんだ、俺のおかげで助かっただろ?借りを返してよ」

「だから連れの所に戻って支払うと言って」

ちっ、ちっ、と舌を鳴らして首を振る。

「そんなのいいって。俺はお兄さんとお近づきになりたいの。お兄さん見たとこカデンルラは初めてだろ?観光案内するよ。何でも聞いて」

「馬鹿らしい。君も私に構っていないで帰れ」

「まあまあそう言わず。目的地があるなら連れて行ってあげるからさ。お兄さんすられたんだろ、俺みたいな現地人がついてりゃ安心だからさ」

(その現地人に盗られたんだがな)

どうにも突き放せないのは、おそらく根っからの悪人ではないとカンが告げてくるのと。

(ちょっとだけ花鶏に似てるんだ……こんなに失礼じゃないが……いやそうでもないな、最近のあの子は割と距離感がおかしいし)

凱将軍が聞いたなら、自分を棚上げした発言に呆れそうなことを考えつつ、蘇芳はため息を吐いた。

脳裏に浮かんだのは、イルファーンと親し気に密着した花鶏の後ろ姿。

(いや、それとこれは関係ない。ただまあ、ここではぐれて一人さ迷うのは得策でないし)

蘇芳の顔を見て、男はにんまりと猫のように目を細めた。

「決まった?それじゃあ行こうか、お兄さん名前は?」

「蘇芳」

「ス、オウ。言いにくいな、スオー、スオウ」

「君は?なんという名だ」

男はちらりと蘇芳を見やって微笑した。

「俺はアジルでいいよ、異国の別嬪さん」
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