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第2部

仲直り?

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黒曜宮に戻って数日経った後も、蘇芳の機嫌は悪かった。

というより、あの時ことを思い出しては羞恥心を暴走させていた。

出仕中はまだ平静を保てるが、帰宅して花鶏と顔を合わせようものなら反射で離れの自室に引き返してしまう。



(やばい。また思い出してきた。俺いろいろ口走ったわ。花鶏の好きなとこ……え、あんなにあるの?毒の効果切れなかったらもっと喋ったかも。いやでも、小さい頃から世話してたらそうなって普通じゃないか?愛情沸くよな?普通の感覚だよな?)



とりとめもないことを考え続け、ついには自室の寝台に勢いよく飛び込んだ。



ーこの世界で一番大事な子。おれが守って、ぜったい、幸せにする。



「あー俺が幸せにってなんだそれ将来の奥さんならわかるけど俺違うしそん時あの子の側にいるかどうかもわかんねぇのに」



「先生」

軽く扉を叩く音に心臓が跳ねた。マズい、完全に素で声に出していた。

「殿下、どうされました」

冷や汗をかいて応えると、いつもは声をかけてすぐに部屋に入ってくるのに花鶏はそのまま遠慮がちに続けた。

「お邪魔してすみません。荷物を整理しているのですが、姉上の絵をどうしたらよいか迷ってしまって。ご相談したくて」



蘇芳の羞恥心の天秤が、”姉上”の言葉にぐらっと揺れた。

(喧嘩してもだいたい折れるのは俺の方。あの子はこういうの、分かっててやってるんだよな)

そんな風に不満を垂れても、結局蘇芳は花鶏のお願いを断れない。

よっこらせと寝台を降りて扉を開けると、ほっとした顔の花鶏が立っていた。



「カデンルラへは船旅ですし、潮気で絵が傷んでしまったらと思うと踏ん切りがつかなくて。でも、姉上を残していくのも忍びないので」

困ったように言う花鶏に、蘇芳はそうですねぇ、と自身も人物画へ視線をやった。

花鶏の居室でひときわ目を引く美術品は、透かし窓の横に掛けられ、ちょうど前に人が立つと絵の人物と向かい合うような位置にある。

「花浴が教えてくれたのですが、凱将軍はこれを見て牡丹天女と言ったそうです」

「ああ、確かに有名な神話ですから題材にする作家は多いでしょうね」

「我が家の大天才画家先生の腕前を褒めていたそうですよ」

悪戯っぽく笑う花鶏に、蘇芳はちょっと得意げな笑みを浮かべた。

花鶏はしみじみと、

「もう花雲のことを覚えている人間はいないのでしょうね」

花鶏の手がそっと絵に触れる。

大輪の牡丹。衣服に描かれた瑞雲模様。それは蘇芳が、見る者が見ればわかるよう暗に込めたモチーフだった。

花鶏は感傷を払うように明るく、

「初めて絵を見た時は本当に驚きました。昨日のことのように覚えてる。後嗣の儀の晩でしたね」

「殿下が大泣きして、東雲が迷子になってみんなで探して……やっとすべて片付いたのが夜更けで」

「大泣きは大げさだ。……先生と離れがたくて部屋に押しかけたら、これを見せてくれて。一目見て、姉上だと分かった。不思議ですよね。当時の俺より年上の姿だったし、俺たちは成長してからはあまり似てないと言われた双子だったのに。でもすぐに分かった……きっと生きてたら、こんな姿だったに違いないと」

当時を思い出してか、花鶏の声には懐かしさが滲んでいる。

「先生は姉上に会ったこともないのに、大人になった姉上がまるでそこにいるような絵を描かれるなんて……いったいこの人は何者なんだと、子供心に思ったものですよ」

「実は私は、第3皇子の側近とは仮の姿で」

「あ、今はいいですそういうの」

蘇芳は沈黙した。そうですか。そういうとこあるよね、昔からね。

「この絵を毎朝見て、姉上におはようを言って。夜寝る前は、今日はこんな事があったと姉上に話してから眠るんです」

花鶏は愛情深い目で姉の絵を見つめた。

「殿下、やはりこの絵は黒曜宮に置いておきましょう。ここで殿下を待っていてもらうのがいい」

「先生。でも」

「言いたいことは分かります。でも、言ったでしょう。私は戻ってこれると思いますよ。何があっても私たちがその気でいれば必ず」

だからこの人にはここで帰りを待っていてもらいましょう。

そう言うと、花鶏は考え込むように蘇芳の顔をじっと見て

「先生は時々、先のことが見えているように話す時がある」

蘇芳は内心ドキリとしたが、何食わぬ顔でご冗談を、と笑った。

「先生は後悔していませんか。あのまま条件を呑んでいれば、ここでの暮らしは安泰だったのに、俺のせいで」

蘇芳は手の平で花鶏の背中を叩いた。

「何を弱気になってるんですか。せっかくですから、あなたも楽しみなさい」

「た、楽しむ?」

「そうですとも。皇族の子弟を勉学のため国外に留学させる国もあるくらいです。せっかく国庫の金で遊学できるんですから、ちょっとくらい楽しまないと損でしょう。まあ殿下が嫌なら無理にとはいいませんが。私は存分にカデンルラの異国文化とやらを堪能して帰ってくるつもりですよ」

花鶏は呆気にとられたように、

「遊学って。なんて能天気な」

「人生いつ何が起こるか分からないですからね。嘆くより楽しんだ者勝ちですよ」

「……先生が俺によく仰る言葉ですね」

「いつ誰と会えなくなるとも限らない。だから悔いのないよう、気持ちを言葉にして周りに伝えておかないと」

蘇芳はにやりと笑って見せた。

「カデンルラは殿下が考えるよりだいぶ面白い国ですよ。あなたの気質に近いものがある。それに、想像してみるとわくわくしませんか?」

「何が、ですか?」

「彼の国では誰も私やあなたを知らない。皇族とその臣下ということだけ。周りが誰も自分を知らない場所で、この国ではしたくてもできなかったことを試すのも、また一興でしょう」

「……したくてもできなかったこと」

花鶏は考え込むように俯いた。

(ちょっと羽目を外して街をぶらついたり、観光したり。もしかすると異国で恋のロマンスが花開く、なんて展開もありかもしれないしな)

それこそ花鶏の好きな小説の鉄板ネタではないか。

うん、異国での思いもよらない運命の出会い。そんなものがあってもいいだろう。

花鶏の表情が明るくなった。

「そうですね、先生。ここではできなかったこと、本当にやってみてもいいと思いますか?」

蘇芳は自分の言葉が届いたらしいことに満足した。勇気づけるように微笑みかける。

「もちろんですとも。あなたの思うようにしたら良いですよ」
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