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油断と代償(3)

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(なんで俺、こんな目に合ってるんだっけ……)
肌寒い空気がじかに肌をなで、白い腕には鳥肌が立っっている。
下衣はだぎは身に着けているが、それすら上半身は袖を抜かれずり下げられ、長い黒髪が覆い隠すようにその背中に流れていた。
中途半端に着替え途中のひとみたいだな、などと強がっていられたのは、江雪が蘇芳の髪をすくって前に流しながら「壁に両手をつきなさい」と言った時までだった。

その手にあるものを見て、蘇芳はぎょっとした。
(鞭!?あれって鞭か?本物初めて見たんだけど!あとヒトの髪勝手に触んな)
ここで反抗して書斎を飛び出せばどうなるだろう……。蘇芳の冷静な部分が、それは得策ではないと止めてくる。
何より、江雪の言い方が気になった。前回は……?どういう意味だ。
とにかく、様子を探るしかないと腹をくくる。ここで江雪の言う”私の知っている蘇芳”から外れた真似をして、後々どんなリスクが降ってくるかも分からない。

言われた通り壁に手をついた蘇芳の背後に立ち、江雪はゆっくりと指先でむき出しの背中に触れてくる。
上から下へ、産毛をなぞるように往復する指の腹の感触に、蘇芳は自分の呼吸が浅くなってくるのを感じた。

「もう跡が目立たなくなっているね。綺麗な肌だ」
言いながら、やにわに爪を立てる。
「っ、」
猛禽が獲物をかぎづめで捕らえるようにして、そのままぎりりと肉を爪に食い込ませたまま引き下ろしていく。
「っう……」
その動きはゆっくりであるがゆえに、後ろが見えていない蘇芳の脳裏に、長いみみず腫れ、爪に入った肉片、にじむ血……そんな嫌なものを一気に想像させた。
見えない分、きっと実際よりも酷い惨状を思い描いてしまっている自覚がある。
心臓がバクバクと跳る。蘇芳は口で呼吸しながら、全神経を背後に向けて耐えた。

肩甲骨から腰のまで爪が皮膚を裂きながらたどり着くと、まるで耐えた蘇芳を褒めるように、江雪が蘇芳の頭を撫でた。
しかし次の瞬間、髪を鷲づかみされたまま引かれ、蘇芳はのけぞりながら顔をゆがめた。

のけ反った蘇芳の首筋に鼻先をこすり付けるようにして顔をうずめる。男の吐く息が生温かく首筋にかかり、蘇芳は鳥肌どころではない拒否感で金縛りの状態になった。それがなければ絶対に暴れていただろう。
(何してんだこいつ、ちか、近くないか!?頭おかしいのか!?)

ぞろりと濡れた柔らかい感触がして、すぐにそれが舌が首筋をなぞったのだと知ると、今度こそ本当にうわああ、と叫びだしそうになった。
痛いや気持ち悪いどころではない。それははっきりと、性的な意図を持った行為に思えた。

混乱と嫌悪感で生理的な涙をにじませる蘇芳を後ろから片手一つで抑え込み、首筋を舐っていた舌が離れる瞬間、じゅう、と強く肌が吸われた。薄い皮膚越しに、ピリリとした痛みが残る。
「花鶏殿下のことだが」
(嘘だろ?この状況で?)
嘘のように場違いな平素の声音で、さっきの話の続きを出す男は、後ろから蘇芳の髪をつかんだまま。
為すすべなく苦しい態勢で頭をのけ反らせている蘇芳は、他にどうもできず、背後の江雪によりかかる形だった。
「確かにお前の言う通り、殿下がこのまま健やかに完治し、後嗣の儀で主上の目に留まることは、多々良姫様の……ひいては殿下ご自身のためにもなる。けれどそれには、お前自身の覚悟を証明する必要があると、私は思う」
「……覚悟、とは」
「そうだねぇ」
江雪は自らの肩に蘇芳の頭を寄りかからせると、子供にするように、ぽんぽんと額の生え際あたりを優しく叩いた。
「知っての通り、殿下には後ろ見がない。ほかの御兄弟に比べて、圧倒的に守りがないのだ。その状態で後宮に戻るということは、盾も鉾もなく、小さな御身を政権争いの危険にさらすことになる。私は表向き殿下の後見だが、その私を厚遇してくださった多々良姫様が権力を失われている今、抑止力にはならないだろう。加えて私は四六時中、殿下に付き添えるわけでもないからね」
蘇芳は慎重に、
「でしたら私が、殿下の守りとなります。私なら、巫監術府の職務に穴をあけず、殿下の身辺を整えることができます」
「ほう。お前が後宮で殿下のそば近くに暮らすということかな?」
「地位は今のままで構いません。何なら、降職していただいても結構です。私自身に手当はいりませんが、専用のみやを下賜された暁には、後宮費が適切に花鶏殿下に分配されるよう取り図ってください」
蘇芳は肩口から視線を上向けて、睨むように力を込めた。
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