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協力者(2)
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「旦那様、もう一度お尋ねしますが……ああいや、ちょっと待ってください」
ちょっと時間をください、と早蕨は目元を覆った。
ー少し前。
早蕨はぐるぐる回る頭を何とか落ち着かせようと、寝椅子に寝そべった主人から目をそらした。
(江雪様が花鶏殿下を軟禁……?毒を盛っている?何を言ってるんだこの人は……やっぱりまた頭の具合がおかしくなったのか?)
洪庵先生をまた呼ぶべきだろうか。早蕨は自分の考えにぶんぶん頭を振った。
(駄目だ!江雪様は蘇芳様の遠縁にあたるお方で、そんな方が皇族殿下を庇護の名のもとに軟禁してあまつさえ毒盛って洗脳……そんなこと外部に漏れたら蘇芳様の正気が疑われる)
いや、正気を疑われるだけならまだいい。
(最悪、命が危ない)
政治は位が上がれば上がるほど、利権が絡み他人同士の情の入る余地はない。
蘇芳は江雪に可愛がられているが、それは結局、自分のためによく働く駒の一つだからだ。
少なくとも早蕨にはそう見える。こんなことを言ったら気分を害した蘇芳に折檻されるだろうから言わないが、早蕨は江雪に関して主人ほど心酔してはいなかったので、その寵愛がいつまでもつか疑わしく思っていた。
もっと若い頃は、早くそうなったらいいのに、とさえ思っていた。
(もしそうなったら……もし蘇芳様が見捨てられて、凋落したら俺は)
「大丈夫か?落ち着いたか?」
声をかけられて物思いから覚める。
果たして当の本人は、悠々と寝そべって片手で頭を支えながら早蕨を見上げていた。
そんなくつろいだ格好、子供のころにも見たことがない。
まるで気心の知れた相手を前にしたような。そこまで考えて、早蕨はひやりとしたものを背筋に感じた。
(最近この方の様子がおかしいのを、俺はあえて気にしないようにしてきた。気にしたって分からないからだ。
俺のわからないことは、他の奴だって、江雪様だってわかるわけがない)
「……それで先ほど、胃の中のものを吐くためあんなに苦しんでおられたのですか」
「ああ」
「そうですか……」
頭が痛くなってきた。尋常でない様子に何事かと思って駆け付けてみれば、本当に毒にあたりでもしたように苦しむ主人の姿にどれだけ肝を冷やしたことか。
「旦那様が今申されたことは、この私の胸の中にしまっておきます。ですからどうか、絶対によそでそんなことは口にされないでください……これは不敬罪どころではありません」
「もちろんだ。不敬罪どころか、これは反逆罪だぞ」
「証拠はないではありませんか」
「花柳草のことか。あれは江雪殿が調合したものを私が屋敷で受け取っているから、家探しをすればどこかに備蓄があるかもしれない」
恐ろしいことを言う。
「絶対におやめください!」
「そうだな。しばらくは穏便に出方をうかがわなくては。殿下と引き離されたら元も子もない」
「……あれだけ虐めておられたのに、どういう風の吹き回しで」
「それだ。うん、それでいこう。最初から殿下に辛く当たっていたのだから、これからも江雪殿に疑われないよう表向きはこのままでいるのが最善だ。だが裏ではなんとか殿下の信頼を得て、なるべく早く屋敷からお救いしたい」
早蕨はもはや話についていけない。
「一応聞きますが、お救いして何処に匿うのですか?殿下の処遇を江雪様に委ねたのは主上ですよ。ほかに行く当てなどはない。まさかここに連れてくるおつもりで?」
「それも最初は考えたんだが」
考えたのか。早蕨は頭だけでなく胃も痛くなってきた。
「何かあった時にここでは護衛もないし、なにより今の殿下が私を頼るとは思えない。ものすごく嫌われてるからな」
そんな自信満々に言うことだろうか。
「なので取り急ぎ」
ばっと身を起こして、ちょいちょいと早蕨を手招く。
嫌そうに近づく従者にそのまま内緒話をするように顔を寄せた。身にまとう麝香が鼻腔をくすぐる。
涼やかな美貌が近くなり慌てたが、蘇芳本人は全く気にもしていないようだった。
「殿下には学舎に入っていただこうと思う」
「学舎、ですか」
唐突な話の転換に思わずおうむ返しにしてしまった。
蘇芳はにっこり笑って、そうだとうなづいた。
「だからお前にも、いろいろ手伝ってほしいのだよ」
早蕨が彼の主人の唐突な江雪離反宣言に内心でパニックを起こしている時。
一方で、早蕨の懊悩を知らない蘇芳も、一応彼のことを考えていた。
ゲームの世界の、あれは確か黒南風ルートだったと思うが、早蕨が花鶏に対して同情的なシーンがあるのだ。
彼は蘇芳の支配下から抜けた後、科挙試験の推薦を受けて官吏となった。
そしてかつての主人とその裏で糸を引いていた黒幕の存在を自分なりに追ううちに、真相にたどり着きそれを主人公たちに伝えるという役割があった。
このルートではそれを契機に、江雪一派が捕えられ、暗殺された雨月皇子に代わり黒南風が即位し、主人公は皇妃となる。
もちろん蘇芳もこのとき江雪と一緒に処刑されるのだが、早蕨はこの時、かつての主人に向かってこんなことを言う。
「あなたに虐げられても、あなたしか傍に縋るものがなかった子供に、よくもこんな仕打ちができたものだな」
敵対する花鶏に同情的な考えを抱くキャラクターは他にいなかったから、メインストーリーではないのに印象に残っていた。それを思い出したのもあって、蘇芳は早蕨を味方に引き込もうと決めた。
それに、彼は一番近くで蘇芳に仕えてきた従者だ。
この先蘇芳が一人で動くには限界があるし、彼と江雪を両方出し抜いて花鶏を救済する自信がない、というのが一番の理由だった。
それになんとなく、早蕨に対しては初対面から好感を持っていた。
主人公キャラが無茶をしたり、一見誰かのためであっても周りに相談なくことを動かそうとする場面で、彼だけはしっかり彼女を叱っていたのだ。
ただ彼女を守るだけでなく、駄目なところは理由つけてしっかり諭す。そのうえで、ちゃんと本人の言い分も聞く。
(何というか……まじで理想の子育てだわ)
一応乙女ゲームなので、感心するべきポイントは間違っているのだが、現実では社会人歴がある蘇芳から見ても早蕨は好感が持てる人間性をしている。
(ほんと、蘇芳の下にいて性格がねじ曲がらなかっただけでもすげーよ、お前は)
だからこそ、そんな彼を味方に引き入れておきたいのだ。今後の、花鶏と蘇芳自身のために。
ちょっと時間をください、と早蕨は目元を覆った。
ー少し前。
早蕨はぐるぐる回る頭を何とか落ち着かせようと、寝椅子に寝そべった主人から目をそらした。
(江雪様が花鶏殿下を軟禁……?毒を盛っている?何を言ってるんだこの人は……やっぱりまた頭の具合がおかしくなったのか?)
洪庵先生をまた呼ぶべきだろうか。早蕨は自分の考えにぶんぶん頭を振った。
(駄目だ!江雪様は蘇芳様の遠縁にあたるお方で、そんな方が皇族殿下を庇護の名のもとに軟禁してあまつさえ毒盛って洗脳……そんなこと外部に漏れたら蘇芳様の正気が疑われる)
いや、正気を疑われるだけならまだいい。
(最悪、命が危ない)
政治は位が上がれば上がるほど、利権が絡み他人同士の情の入る余地はない。
蘇芳は江雪に可愛がられているが、それは結局、自分のためによく働く駒の一つだからだ。
少なくとも早蕨にはそう見える。こんなことを言ったら気分を害した蘇芳に折檻されるだろうから言わないが、早蕨は江雪に関して主人ほど心酔してはいなかったので、その寵愛がいつまでもつか疑わしく思っていた。
もっと若い頃は、早くそうなったらいいのに、とさえ思っていた。
(もしそうなったら……もし蘇芳様が見捨てられて、凋落したら俺は)
「大丈夫か?落ち着いたか?」
声をかけられて物思いから覚める。
果たして当の本人は、悠々と寝そべって片手で頭を支えながら早蕨を見上げていた。
そんなくつろいだ格好、子供のころにも見たことがない。
まるで気心の知れた相手を前にしたような。そこまで考えて、早蕨はひやりとしたものを背筋に感じた。
(最近この方の様子がおかしいのを、俺はあえて気にしないようにしてきた。気にしたって分からないからだ。
俺のわからないことは、他の奴だって、江雪様だってわかるわけがない)
「……それで先ほど、胃の中のものを吐くためあんなに苦しんでおられたのですか」
「ああ」
「そうですか……」
頭が痛くなってきた。尋常でない様子に何事かと思って駆け付けてみれば、本当に毒にあたりでもしたように苦しむ主人の姿にどれだけ肝を冷やしたことか。
「旦那様が今申されたことは、この私の胸の中にしまっておきます。ですからどうか、絶対によそでそんなことは口にされないでください……これは不敬罪どころではありません」
「もちろんだ。不敬罪どころか、これは反逆罪だぞ」
「証拠はないではありませんか」
「花柳草のことか。あれは江雪殿が調合したものを私が屋敷で受け取っているから、家探しをすればどこかに備蓄があるかもしれない」
恐ろしいことを言う。
「絶対におやめください!」
「そうだな。しばらくは穏便に出方をうかがわなくては。殿下と引き離されたら元も子もない」
「……あれだけ虐めておられたのに、どういう風の吹き回しで」
「それだ。うん、それでいこう。最初から殿下に辛く当たっていたのだから、これからも江雪殿に疑われないよう表向きはこのままでいるのが最善だ。だが裏ではなんとか殿下の信頼を得て、なるべく早く屋敷からお救いしたい」
早蕨はもはや話についていけない。
「一応聞きますが、お救いして何処に匿うのですか?殿下の処遇を江雪様に委ねたのは主上ですよ。ほかに行く当てなどはない。まさかここに連れてくるおつもりで?」
「それも最初は考えたんだが」
考えたのか。早蕨は頭だけでなく胃も痛くなってきた。
「何かあった時にここでは護衛もないし、なにより今の殿下が私を頼るとは思えない。ものすごく嫌われてるからな」
そんな自信満々に言うことだろうか。
「なので取り急ぎ」
ばっと身を起こして、ちょいちょいと早蕨を手招く。
嫌そうに近づく従者にそのまま内緒話をするように顔を寄せた。身にまとう麝香が鼻腔をくすぐる。
涼やかな美貌が近くなり慌てたが、蘇芳本人は全く気にもしていないようだった。
「殿下には学舎に入っていただこうと思う」
「学舎、ですか」
唐突な話の転換に思わずおうむ返しにしてしまった。
蘇芳はにっこり笑って、そうだとうなづいた。
「だからお前にも、いろいろ手伝ってほしいのだよ」
早蕨が彼の主人の唐突な江雪離反宣言に内心でパニックを起こしている時。
一方で、早蕨の懊悩を知らない蘇芳も、一応彼のことを考えていた。
ゲームの世界の、あれは確か黒南風ルートだったと思うが、早蕨が花鶏に対して同情的なシーンがあるのだ。
彼は蘇芳の支配下から抜けた後、科挙試験の推薦を受けて官吏となった。
そしてかつての主人とその裏で糸を引いていた黒幕の存在を自分なりに追ううちに、真相にたどり着きそれを主人公たちに伝えるという役割があった。
このルートではそれを契機に、江雪一派が捕えられ、暗殺された雨月皇子に代わり黒南風が即位し、主人公は皇妃となる。
もちろん蘇芳もこのとき江雪と一緒に処刑されるのだが、早蕨はこの時、かつての主人に向かってこんなことを言う。
「あなたに虐げられても、あなたしか傍に縋るものがなかった子供に、よくもこんな仕打ちができたものだな」
敵対する花鶏に同情的な考えを抱くキャラクターは他にいなかったから、メインストーリーではないのに印象に残っていた。それを思い出したのもあって、蘇芳は早蕨を味方に引き込もうと決めた。
それに、彼は一番近くで蘇芳に仕えてきた従者だ。
この先蘇芳が一人で動くには限界があるし、彼と江雪を両方出し抜いて花鶏を救済する自信がない、というのが一番の理由だった。
それになんとなく、早蕨に対しては初対面から好感を持っていた。
主人公キャラが無茶をしたり、一見誰かのためであっても周りに相談なくことを動かそうとする場面で、彼だけはしっかり彼女を叱っていたのだ。
ただ彼女を守るだけでなく、駄目なところは理由つけてしっかり諭す。そのうえで、ちゃんと本人の言い分も聞く。
(何というか……まじで理想の子育てだわ)
一応乙女ゲームなので、感心するべきポイントは間違っているのだが、現実では社会人歴がある蘇芳から見ても早蕨は好感が持てる人間性をしている。
(ほんと、蘇芳の下にいて性格がねじ曲がらなかっただけでもすげーよ、お前は)
だからこそ、そんな彼を味方に引き入れておきたいのだ。今後の、花鶏と蘇芳自身のために。
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