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21 ルルメの事情 *ルルメ視点
しおりを挟む少しだけ明るい表情になったディル様を見送りながら、わたしはほっと息を吐き出した。
少しでもディル様の役に立てただろうか、と。
ディル様はなぜわたし達が駐屯地に来たのかの本当の理由を知ることはないだろう。
わたし達の自己満足であるし、恩返しなだけなのだから。
駐屯地に来たわたし達は全員ディル様に助けられたことがあった。ディル様の様子を見るに、ディル様は覚えていないみたいだけれど。
かくいうわたしもディル様に助けてもらったことがある。
あれは半年前。
食材の調達の為に町の近くにある森へと出かけた帰り道、運悪くヒュドネスクラ国の敵兵と出会ってしまった。
ヒュドネスクラ国の敵兵は女性を見かけると襲うと噂され始めた時期だった。
わたしは必死で逃げた。
必死で逃げながら、頭の中にあやふやに聞いていた噂が思い出された。
ヒュドネスクラ国の敵兵に見つかって運良く逃げ切れた者もいるという話と、運悪くヒュドネスクラ国の敵兵の魔法で足止めをされて転んで襲われた者がいると……。
わたしは運の悪いほうになってしまった。
魔法で足止めされて転んで襲われた。
もうお終いだと覚悟した。
けれど、運良くディル様がいる騎士の方達が来て、敵兵は逃げていった。
わたしは盛大に転んだから、全身が擦り傷だらけで、深い傷口からは血も流れていた。
助けられたことにまだ実感がなかったわたしは茫然としていて、ディル様が何か話しかけていたけれどその時はあまりよくわかっていなかった。
その間にもディル様はわたしの怪我を治してくれて、完治した頃にやっと正気に返ってお礼を言おうと口をあけたときに、怒鳴り声が響いた。
その怒鳴り声は今思えばメッツァー隊長だったと分かったけれど、その時はなぜ叱責されているのか分からなかった。その人の高圧的な言い分は、平民であるわたしをなぜ治癒魔法で治したのかと責めていた。
状況が分からないまま、追い立てられるように町まで送られて、ディル様にお礼を言うことも出来なかった。
この時はまだディル様という名前も知ることは出来なかったけれど。
家に帰って落ち着いた頃に、わたしはとても稀有な治癒魔法を無償で受けたことに気がついた。
そして青ざめた。家には治癒魔法の治療費を払えるほどのお金なんてなかったから。あとから、高額な請求書が届くのかとびくびくしながら過ごしていた。けれど、いつまで経っても請求書は届かなかった。
不思議に思いながら日々を送っていると、わたしと同じ経験をした人がいると小耳に挟んで、その人に会いに行った。
その人はアイシャさんという女性で町にある酒場で働いている女性だった。
アイシャさんもディル様に治癒魔法の治療を受けたらしく、その時に治療費について聞くことが出来たらしい。けれど、笑って「必要ない」と言われたそうで、代わりに「遅くなってすみません」と謝られたという。
アイシャさんの話を聞いて、わたしは襲われた時のことを思い出すことができた。
そういえば、ディル様はわたしを心配して「大丈夫ですか」と声をかけていた。そして「もう大丈夫ですよ」とだけ言っていた。それ以外一言もお金のことや見返りの要求の言葉を言ってはいなかった。
まさか、という思いが胸に広がる。
無償で稀有な治癒魔法を使う人が本当にいるとは思えなかった。
教会は悪どいことで有名で、足下を見るように平民には高額の治療費を請求していた。
それが平民の常識だったから、ディル様のような人が居ることが信じられなかった。
それからもわたしはヒュドネスクラ国の敵兵に襲われた人がいると聞くと、こっそりと話を聞きに行った。
怪我をして治癒魔法を受けた人に話を聞けば、全てわたしと同じ人から治癒魔法を受けていて、全員治療費の請求や見返りの要求を受けていなかった。
ここまでくれば、わたしも無欲な慈悲深い方なのだと理解できた。
わたしと同じように、治癒魔法を受けた人達はみんな初めて出会った人徳者に言い知れない想いを感じていた。
貴族の中にもそんな人がいたのかという喜びと、そんな人に出会えて無償で治癒魔法を受けることが出来た幸運とに感謝していた。
伝え聞く駐屯地の騎士達はだらけて怠けて、それでいて高慢で平民を見下す傲慢さがあって。
戦争を終わらせるのが騎士達の役目ではないのか、と町の者達は心の中で不満を抱いていた。
町の中で見かける騎士達も女漁りと、傲慢でわがまま放題な要求をして食堂の者達を困らせていた。
だからこそディル様のような人が居るのが驚きであって、信じられなかった。
けれど、信じることが出来たら、今度は無償で治癒魔法を使ってくださる方が居るいうことに不安を感じた。
そんなことが広まると、それを悪用する者が出てくる可能性があった。無償で治癒魔法を受けたいと押しかける者が出るのではないかと。
ディル様にそんなご迷惑はかけたくなかったから、わたしはディル様に治癒魔法を受けた人に会いに行ってディル様のことについては黙っていて欲しいとお願いして歩いた。
それに教会以外で治癒魔法を無償で使っていることはディル様にとっても知られてはまずいことのように思えたから。
わたしがお願いして回れば、みんな肯定的に了承してくれた。
どうやらみんな同じように思っていたらしく、だからこそ、町でそんな噂話を聞かなかったことに後で気づいた。
それから、ディル様にお礼も言えないまま、日々が過ぎていった。
その間もわたしはヒュドネスクラ国の敵兵に襲われても、森へ行くことを止めることは出来なかった。
辺境で暮らすわたし達は戦争中であっても、生きていくためには森に採集に行かなければならない状況にあった。危険があると分かっていても生きていくには仕方のないことだった。
そして、また運悪くわたしはヒュドネスクラ国の敵兵に見つかり襲われそうになった。
ただこの時はすぐにディル様率いる騎士様が駆けつけてくださって、戦闘に巻き込まれたけれど、怪我もすることはなかった。
この時にはわたしも冷静に居ることができたので、やっとディル様にお礼を伝えることが出来た。
そしてディル様の状況を知ることが出来た。
ディル様は全てを1人で背負い込んだようなとても張り詰めた顔をしていて、いつか壊れてしまうのではないかと思えた。
襲われたわたしよりも傷ついたような恐れを感じたような顔をしていた。
そして、わたしとともに来ていたアイシャさんの怪我を治したことで、激しく叱責されていた。
傷を治したことの何がいけないのか分からなかったけれど、ディル様が怪我を治したせいで怒鳴られていることだけは理解できた。
わたしはディル様を守りたいと思った。
こんな優しい方を横暴な騎士達から守りたいと。
烏滸がましい思いかもしれない。
わたし達を見つめる瞳は優しく慈愛に満ちていて、けれど、他の騎士を見るときはとても苦しそうな色を湛えていて。それを少しでもはらして差し上げたかった。
転機が訪れたのは、ジルヴァンという男の子が現れたとき。
ヒュドネスクラ国の敵兵に襲われた女性を送ってきた時にお礼を言うために会った。
その時に「儂は駐屯地に住むことになったんだ。困っていることがあれば、助けてくれるって言ってたぞ」と。
それを聞いて、そんなことを言うのはディル様しかいないと確信した。
そして今なら、ジルヴァンがいることにより、わたしも駐屯地に入れるかもしれないと思った。
1人では追い返されるかもしれないと思ったわたしは、前からディル様に恩返ししたいと言っていた人達に声をかけた。
そして同意してくれた人達と一緒に駐屯地に押しかけた。
その時に行商人も同行することになった。治癒魔法を使える人を探しているのは分かっていたけれど、行商人の荷がディル様のお役に立つかもと思ったので、そのまま一緒に行くことにした。
ディル様を怒鳴っていた騎士が駐屯地のトップらしかったけれど、取り入る方法は入念に確認していた。
おだてに弱く、女好き。
だから、わたし達は見た目を装い、さもあなたのために役に立ちたいのだと言葉を重ねた。
実際はディル様のお役に立ちたいだけなのだけれど。
予想通りわたし達は駐屯地に立ち入る許可が出た。
流石に身の危険も感じたので、断られそうだった行商人も一緒にと願い出たら、渋られた。
結局ディル様に助けられる形で行商人も一緒に立ち入る許可が出た。ディル様に頭を下げさせてしまったことが無念でならなかったけれど。
わたしはディル様に笑ってもらおうと、話しかけたり笑いかけたりした。
けれど、ジルヴァン以外の人と話しているときは、落ち着き払っていて冷静に職務を務めようとしているのが分かる程固かった。
そんなディル様の張り詰めた空気が和らいだのは、ジルヴァンのおかげだった。
ジルヴァンと話しているときだけ、ディル様は年相応の表情を浮かべていた。
ジルヴァン君の行動に振り回されているときはディル様も素が出るのか、楽しそうに怒ったり、慌てたりして、表情をころころ変えていた。
わたしではディル様のそんな表情を引き出せなかったけれど、少しでもディル様の役に立ちたい。
その為に、迷惑になるかもしれないと思ったけれど、駐屯地に押しかけたことは後悔していなかった。
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