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49 予期せぬ出来事 1
しおりを挟む「フィー…リア、か?」
苦しそうに下を向いていたダウール様は、フィーリアの声に顔を上げた。その額にはしっとりと汗を滲ませ、話すことが辛そうなほどに息が荒く、苦しみに耐えるように眉間にしわが寄っている。
その苦しそうな様子に息を呑む。
「そうだよ。どうしたの? お兄」
普段ではありえない、見たこともない姿に、良くない想像がかき立てられた。
まさか、──毒?!
あまりにも想像していなかった出来事に直面して、ダウール様を助け起こそうと伸ばした手が震える。
「フィーリ…ア、静かに」
苦しそうに喘ぎながらも注意されて、咄嗟に自分の手で口を塞いだ。
ザーッと血の気が引いていく。ダウール様に指摘されるまで周囲に気を配るという考えに至らなかった。
毒を飲まされ、こんな人気のないところに一人でいたということは、犯人から逃げてきたのかもしれない。それなのに自分のせいで逃げてきた犯人に見つかってしまうかもしれない。そんな恐怖に突如襲われ身体が震え出す。
「陛下、どういう状況なのでしょうか」
ラマも周囲に気を配りながらダウール様の傍らに膝をつくと、声を潜めて問いかける。
「ちょ…っと、な」
緊迫した空気の中、ダウール様は喋るのも辛そうにしながらも言葉を濁した。
ちょっと、とはどういうことだろう。
毒を飲まされたならすぐに解毒薬を飲まなければならないし、追われているならば逃げなければならない。状況を教えてもらえないと何も出来ないのに。迅速な対応が必要な時に、なぜはぐらかすの?
「はっきり仰っていただけませんか?」
ラマも同じように思ったのか、問う言葉がきつくなり始めた。
「……油断、してしまっ…ただけなんだ」
またしても決まり悪げに視線を逸らすダウール様に、フィーリアは不安からダウール様の次の言葉を待つことが出来なかった。
「毒を……飲まされたん…じゃないの?」
毒、と口にすることさえ恐ろしくて、声が震える。
違っていて欲しい。けれど、苦しむダウール様の姿がそうだと言っているようでたまらなかった。
毒を飲まされたのなら、早く解毒薬を飲んで欲しい。手遅れになる前に、一刻も早く飲んで欲しい。
この場でダウール様が話すのを待つ時間がとても長く感じて、事実確認をしなければいけないと頭ではわかっていても、はやる気持ちが抑えられなかった。
「っ?! ──違う」
フィーリアの問いにありえないことを聞いたとでも言うようにダウール様は目を丸くして固まった。そして次の瞬間慌てたように否定した。
……違う? なにが?
フィーリアが想定していた言葉と違う返事に、一瞬何を言われたのかわからなかった。
混乱したフィーリアは僅かばかりの間、ダウール様と見つめ合う。
次第に言葉の意味が脳に浸透して心にまで落ちてくると、フィーリアの身体から力が抜けた。
「……よ…かった……」
……毒を飲んだんじゃなくてよかった。
……毒殺とか恐いことにならなくてよかった……。
もう……毒なんて物語の中だけで十分だよ。ふぇぇぇぇん……。
物語を読みすぎて、ダウール様の今の状況が毒を飲んで苦しんでいると思い込んでいた。というか決めつけていたことにやっと気付いた。
恐怖から解放されたフィーリアは、ダウール様の隣に崩れ落ちるように座り込んだ。
そんなフィーリアに驚いたのか、ダウール様は重たい身体を動かすようにゆっくりとフィーリアに向き合うと、苦しい表情を浮かべながらも困ったように笑った。
「悪い。……心配、させ…てしまったんだな。毒じゃ…ないから安…心してくれ」
フィーリアが心配のあまり涙を浮かべたのがわかったのだろう。動かすのも辛そうなのに手を伸ばし、労るように指で涙を拭った。
「では、どういう事態なのでしょうか?」
横からラマの冷静な問いかけに、一瞬で涙が引っ込んだ。そういえば泣いている場合ではなかった。
ダウール様がなぜこんな場所で、一人で苦しそうに座り込んでいたのか。まだ、何も分かっていなかった。
「ちょっと、な。……油断したんだ」
ダウール様は先ほどとまた同じ言葉を繰り返した。
こちらには詳細は言えないということだろうか。
それはラマにも分かったようで、追及する言葉に棘が混ざり始めた。
「詳しくは言えないけれど、陛下の失態の上でこのような状態に陥っていると?」
「……まあ、…そう、だな」
ダウール様はビクリと身体を震わせ、視線を逸らす。ラマに叱られるのを避けようとしているようだ。なんとか誤魔化そうと追及を逃れようとしていることが見てとれる。
いつものダウール様とラマのやり取りになってきて、本当に緊急性が低いとわかり、少し心が落ち着いてきた。
とはいえ、依然としてダウール様は苦しそうな荒い息づかいをしているし、額にはびっしりと汗をかいている。
「それで、どうすればいい? ラマと一緒に部屋へ送ればいい?」
「いや、……うまく歩けないし、……女性、二人では……俺を運…ぶことも、難しいだろう(今は身体に触れられるだけでも危険だからな)」
ダウール様の状態を知らないフィーリアは支えようと伸ばした手をやんわりと断られた。
「カブルを、呼んで……来て欲しい」
「かしこまりました。呼んで参ります」
即座にラマは頷くと、フィーリアに視線を寄こした。
「……お嬢様は陛下と一緒に居てください」
「わかった。お願いね」
心配そうに一度フィーリアを見つめた後、ラマは急ぎ足でカブルを呼びに向かった。
ラマの瞳がダウール様と二人きりにはしたくないけれど、かといって苦しんでいるダウール様を一人にしておくことも出来ないと逡巡したのがわかった。こんな時でも過保護なラマは通常通りで少し笑えた。昔から、殊更ダウール様と二人きりはいけません、許しませんと言ってどこであっても同席していたのだ。
そんなラマのお陰で強張っていた肩の力も抜け、隣に座るダウール様の様子を窺う。
どういう事情があるのかわからないけれど、辛そうなダウール様を通路の床ではなく別のところで休ませてあげたかった。今までの言動から考えても人目のつくところは避けた方がいいだろうと周囲を見回す。ちょうど近くに空室があったことを思い出し、ダウール様に声をかけた。
「お兄。座ったほうがいいんじゃない? 近くに空室があるから、そこに行かない?」
「……そうだな。あまり、知られたく……ないしな」
立ち上がろうとして苦戦しているダウール様を見かねて、強引に腕を掴んで持ち上げた。
途端、ダウール様はフィーリアが驚くほどにビクンと大きく震えた。
強引に掴みすぎて驚かせてしまったかと、どうにか立ち上がれたダウール様を見上げると、支えるために身体を寄せた時には気付かなかった至近距離にダウール様の顔があって、何か言いたげに見つめていた。その瞳には何かを耐えているような、葛藤しているような複雑な色合いを帯びていた。
「……行こう」
「……うん」
結局何も言われずに、ふいっと視線を逸らされ、部屋へ促される。
歩き始めたダウール様は気力を振り絞ったかのように、フィーリアの支えが必要ないくらいしっかりと歩いていた。
こんな時くらい身体を預けてくれてもいいのにと、頼られなかったことに少し寂しさを感じる。
部屋までの僅かな距離とはいえ、支えたダウール様の身体は服越しでも分かるほど燃えるように熱かった。
こんなに熱が出てるなんて、風邪でも引いたのだろうか。と思ったが風邪を引いたのならばフィーリアに言えないなんてことはないはずだった。
ダウール様の不調について考えても、やはりわからないことばかりだった。
考えても仕方ないことは止めにして、とにかく今はダウール様が少しでも楽になれるようにと、辿り着いた部屋へと入り、ゆったり座れそうな椅子へと歩み寄る。そしてダウール様を座らせた。
座ったことで安心したのか、ダウール様は大きく息を吐き出した。しかし相変わらず苦しそうに荒い息を繰り返していて、苦しみを和らげてあげたくて、フィーリアでも出来そうなことを提案してみた。
「背中をさすれば、少しは楽になる?」
「……いや、だめだ」
提案は素気なく却下されてしまった。それでも何かしたくて次の提案をする。
「じゃあ、横になったほうがいいんじゃない? 手伝うよ」
「今は……だめだ」
「なにが?」
「……そこに座って……いて、くれ」
指で示された先は、ダウール様が座っている長椅子とかなり離れた場所にある椅子だった。
どうしてそんなところを指定されたのかわからなくて、でも、言われたので仕方なく従うことにした。
ただその前にもう一度何か出来ることはないかと確認するために、ダウール様に近づく。
「本当に、何かして欲しいことない? 何でもするよ?」
俯くダウール様を覗き込んだ瞬間、引っかかったようにバランスを崩してフィーリアの身体がダウール様のほうに倒れ込んだ。
「ごめ……」
苦しむダウール様に抱きとめさせてしまったことに申し訳なく思い、慌てて離れようとしたが、ダウール様の腕がフィーリアを抱きしめるように回されて動けなかった。
どうしたのかと仰ぎ見ると、そこにはフィーリアを見つめる、熱を孕んだダウール様の瞳があった。
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