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第四章その8 ~ここでお別れです~ 望月カノンの恩返し編

もう魔法は解けたから…!

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 立ち上がったカノンを見据え、刹鬼姫は笑みを浮かべた。

「どうした七月なづき、今更やる気か?」

「…………」

 カノンは答えず、右手をそっと胸に当てた。

 パイロットスーツ越しでも分かる。体の表面を包む薄膜……自らの力をおさえるべく、遠い昔、女神がくれた封印だ。

 カノンは右手を握り締める。手の内に宿る何かが、弾力をもって指を押し返すが、かまわず更に力を込めた。硬い鎖が……金属が破断するような感覚があった。

 燃え上がるような赤い光が身の内から噴き出し、はらわたが、心臓が、焼きつくように脈打っている。

 指先から髪の毛の先まで、熱い血潮が駆け巡るような感覚で、カノンはのけぞり、口を開いた。

「あああっ…………あああああっ………!!!!!」

 言葉にならない声と吐息……けれどそれを発する口元には、鋭い牙が伸び始めていた。

 頭蓋骨の内側から、鐘を突くようにどんどんと激しい脈動が起こり、割れんばかりの頭痛が襲う。

 赤く染まった髪を掻き分け、2つの角が伸びていく。

 灰被り姫シンデレラなどとおこがましいが、もう魔法は解けてしまった。

 自分はけがれた魔族の娘。500年前、三島の浜を逃げ惑い、白砂はくさにまみれたあの日のままだ。

 いかに人を真似まねようとも、結局何も変われなかったのだ。

 激しい波動が周囲に広がり、鬼どもはひるんだように後ずさった。

(………………ああ、破ってしまった)

 カノンは怖くて振り返れない。

 本当は、彼に話しかけるべきだ。かつての礼を言うべきなのだ。

 でもどうしても振り向けなかった。

 心臓が壊れたようにどきどきと脈打って、金縛りがごとく動けないのだ。

 だがその時だった。

「……カノン」

 その声を聞いた途端、びくりとカノンの身が震える。

 1秒……2秒…………耐え難い時が流れる。

 なじられるのだろうか。だましていた事を責められるだろうか。

「…………っ」

 カノンはぎゅっと手を握り締める。

 耐えなければ。どんなに責められても、それも仕方のない事だ。

 だが次の瞬間、彼は言ったのだ。

「…………いいじゃん……似合ってるじゃんか」

 刹那せつな、カノンの脳裏に遠い記憶が蘇った。

『その……似合ってはいると思う』

 あの日初めて人の姿に変わった時、彼はそう言ってくれた。そして今再びだ。

 長い長い時をて、あの時と同じ言葉を……それも今の姿に向けて……!!

 せきを切ったように、熱い涙が溢れ出す。

「~っっっ!!!」

 もうたまらなくなって、カノンは振り返った。膝をつき、彼の前にしゃがみ込む。

 震える指を胸の前で組み合わせ、何とか言葉をしぼり出した。

「ご、500年、待ちました……!」

「うん」

「あ、あの日助けていただいた、あわれな鬼にございます……!」

「うん」

 彼は静かに頷いている。

 その目で見つめられると、頭の中がパニックになって、何を言っていいのか分からなくなる。

 というか今、自分は何を口走っている?

 これではまるで鶴の恩返し、昔話の報恩譚ほうおんたんだ。

「ちっちがう、そうじゃないのっ、そういう事が言いたいんじゃなくて……そのっ、」

 500年分の思いがぐちゃぐちゃになって、カノンは焦った。

(彼に何を言おうと思ったんだろう?)

(どうお別れしようと思ったんだろう?)

(何も分からない、思い出せない……どうしよう、どうしよう……!)

 完全に気が動転している。

 あれからあんなに努力したのに。人の世の事も沢山学んで、色んな知恵も身につけたのに。

「……知ってたよ。てか、さっき見た。高千穂研ここって、心の中が伝わるみたいで……」

 言葉が出ないカノンに代わって、彼はそう言ってくれた。

「俺の恥ずかしい思い出とかは、見えてないといいんだけどさ。毎日車にはねられたり、猪に追いかけられて泣いたり……」

(猪? 猪……食べ物……そうだっ!)

「……っ!」

 そこでカノンは思い出した。

 焦りながらパイロットスーツの腰部収納部サイドポケットを探る。銀色の包みを取り出し、そっと開いた。

 白く平べったいそれは、オーブンで作った干しいいだった。

 震える手で彼に差し出し、そっと手に握らせる。

 本当は、もっと美味しい料理を作ってあげたかったのに。もっと沢山、素敵な恩返しがしたかったのに。

 けれど今の自分には、これしか持ち合わせがないのだ。

「ありがとう」

 それでも彼はそう言ってくれた。

「あんまり旨そうにしてたから……一回食べてみたかったんだ」

「………………っ」

 カノンは泣き笑いのように微笑んだ。

 それから恐る恐る顔を近づけ、震える唇を重ねた。

 彼は少し身を震わせたが、拒んだりはしなかった。

 愛しい! 大好き! このままずっと離れたくない!

 大音量で叫ぶ心の首根っこを引き捕まえて、カノンはなんとか唇を離した。

 目の前がちかちかする。頬が、眉間みけんが、喉が熱くて……そして心が燃えている。もうこれで、思い残す事は何も無いのだ。

「ここでお別れです……!」

 カノンは勢い良く立ち上がり、振り返った。

(……もう……魔法は解けたんだ……!!)

 立ち並ぶ襲撃者しゅうげきしゃどもをにらみつけ、カノンはそう心で念じた。

 鬼に戻って背が伸びたためか、パイロットスーツがどうも窮屈きゅうくつだ。

 やにわに腰の部分の布を掴み、勢い良く引き千切った。肩から肘にかけての布も、ももの所も破り捨てる。アーマー部位以外、何もかも破り捨てた。これで動きやすくなっただろう。

 ささらに乱れた胴の布が、腰巻きのように垂れてなびいた。その感触を、不思議と懐かしく感じてしまう。

 腰のサイドポケットから小刀を取り出すと、力を込めて「変われ」と念じる。

 小刀はたちまち光を帯びると、金棒へと姿を変えた。

 あの剛角のものほど太くはないが、代わりに長く、武器として洗練された形状である。

 金気かなけを自在に操る術……鬼神族でもごく一部しか使えない特別なわざだ。

 カノンが足を踏みしめると、床が大きくひび割れた。

「さあかかって来い、群れるしか能の無い腰抜けどもが! この七月姫が相手だっ!」
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