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第一章その5 ~負けないわ!~ 蠢き出す悪の陰謀編

殺戮者は理想郷をうたう。蓋を開けると大抵地獄

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 静寂に包まれた闇の中、何者かが近付いて来る。グラウンドは硬い地盤のはずなのだが、一足ごとに大地が軋む。

 それと同時に、何かを引きずるような音も聞こえた。まるで巨大な蛇が這いずり回っているかのようだ。

 足音の主は、やがて正面入り口の前で止まった。

 月明かりを浴びたその姿は、足音からは想像もつかない、小柄な少年だったのだ。

「……やあ、鳴瀬さんだったな。久しぶり」

 少年は静かに言うと、格納庫に踏み込んでくる。

 誠は彼に見覚えがあった。あの出撃前、ブリーフィングルームで暴れた少年だったからだ。

 少年の表情は穏やかだったが、薄皮の下に狂気が滲み出している。顔は作り物のように不自然に動き、右手は人のそれとは思えぬほどに巨大化していた。

 彼が引きずっているのは、迷彩服を着込んだ大柄な男性だ。今はうつ伏せになっているものの、あの第16特別避難区で負傷し、入院しているはずの池谷中佐だったのだ。

 誠は思わず声を上げた。

「い、池谷中佐!」



「ああ、道すがら会ったんでね。少しお礼をしたところだ」

 少年は池谷をこちらに向かい投げ捨てた。

 池谷は床を転がり、小さく呻き声を立てる。あちこち血を流しているが、まだ辛うじて息があった。

 誠は油断なく少年を見据えながら、鶴に伝えた。

「ヒメ子、池谷さんを頼む」

「……分かったわ。でも魔法傷だから、多分魂も傷ついてるわ。ケガを治しても危ないかも」

 傷口をふさぐという事と、魂のダメージは別問題なのだろうか。だが今はとにかく止血が先決だ。

 誠は時間を稼ぐべく、少年に語りかけた。

「随分元気そうじゃないか。そんなに新居が心地いいのか」

「ふふ、俺も力を与えられたんです。こんな船団じゃない、理想の世界を築くんです。まるで神のような技術ちからを持つお方だった」

 少年が右手を掲げると、彼の周囲に赤い幾何学模様が浮かび上がった。

 たちまち格納庫の壁が軋むが、鶴の霊力のおかげか、建物の崩壊には至らない。

「まともな神は、そんな力を与えないよ。ご利益は、本人の力に少しずつ上乗せされるものさ」

 コマもそう言って少年を睨み付ける。

「分不相応な力で登り詰めたら、待っているのは転がり落ちる地獄の苦しみさ。その神とやらは、君を使い捨てにするつもりだと思うよ」

「…………っ!」

 作り物のようだった少年の顔に、嫌悪の皺が刻まれた。

「お前達に何が分かる! 行き場のなかった俺に、あの人は約束してくれたんだ! 今の船団が滅びれば、余った土地は山分けしていいって。そしたら新しい国が作れる。理想の社会が訪れるんだ」

「滅びて理想だって? ちゃんちゃらおかしいね!」

 コマが誠の肩に飛び乗り、強い語気で否定した。

「仮に土地を手に入れて、どうやって暮らすのさ。水や食べ物は? 家も着るものも作り方を知らないし、トイレも下水もないんなら、疫病の時代に逆戻りさ。仲間同士が争っても警察がいない。病気になっても医者もいない。道が荒れたら直すことも出来ないのに、廃墟みたいな土地だけもらって何になるのさ」

「そ、それは……」

 少年は明らかに戸惑っていた。

 今ある船団を壊す事だけ考えて、そうすれば救われると狂信していたのだ。

 革命の甘美な響きに酔いしれ、その後に訪れる、現実的な問題は何も考えていなかったのだろう。

 世界を征服する事より、その後の世界を治める方が、何百倍も難しいというのにだ。

 コマは尚も挑発的に言葉を続ける。

「本当の世直しは、毎日ヘトヘトになって働いてる人達がやってるんだ。一歩前に進むだけで、幾千幾万の問題が出てくる。それでも諦めずに、未来にバトンを繋いでくれた。それを放棄して一からなんて、何千年も前に逆戻りだ。君は薄っぺらい理想に騙されて、悪党の鉄砲玉に使われてるだけなのさ」

「うう、うるさい、うるさい!」

 少年が咆えると、その身から赤い光が火の粉のように噴き出してくる。

 コマが時間稼ぎをしている間、誠は少年を観察していた。

 大幅に体が変形しているし、不可思議な力も使っている。

 しかし精神的にはかなり未熟で、誠の探りにも、コマの時間稼ぎの挑発にも、簡単に応じてしまっている。

 彼が自力であんな力を得られるはずもないが、ただの少年をここまで改造できる機関などそうそう無いはずだ。

 潤沢な資金を持ち、誠達に刺客を差し向ける理由のある勢力。それは恐らく……

 その時鶴が立ち上がる。

「コマ、ありがとう、もう治せたわ。池谷さんを連れてってあげて」

 確かに池谷の傷は、一見塞がっているようだ。

「分かったよ」

 コマは誠の肩から飛び降り、少し大きくなると、池谷を背に乗せて格納庫の外に姿を消した。

 少年はそれに見向きもせず、一歩前に踏み出した。

 メリメリと生木をねじ切るような音が響くと、見る間に体が巨大化し、人ならぬ形に変貌していく。肩は盛り上がり、頭は隆起した筋肉にうずもれていく。

 その様は、まるで人が生きながら餓霊に変わっていくかのようだ。

「……酷い。無理やり邪霊を植えつけられてるわ」

 鶴が哀れむように呟く。

 !!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 少年がおもむろに右手を掲げて叩きつけると、コンクリートの床が隕石でも落ちたかのように陥没した。

「見ろ、これが俺の力だ! お前らなんかに文句は言わせん!」

 彼はそのまま突進して来る。地響きが格納庫を揺り動かし、少年は巨腕を横薙ぎに振り回した。

 誠はすんでの所で身をかわし、銃を抜いて少年の足を狙う……が、銃弾は火花を上げ、粉微塵に弾け飛んだ。

 ハンドガン程度ではとても動きを止められない。

「黒鷹!」

「ヒメ子、魔法は使うな! 元は人間だ!」

 誠は相手の追撃を避けて起き上がる。

(操られてるだけだ、あまりケガはさせたくない。かといって生半可な銃じゃ、あの防御を貫けないし……)

 そこまで考えた時、誠は不意に左手が焼けるように熱く感じた。

「何だ……?」

 目を遣ると、左手の甲に備わる逆鱗が、青く輝き出していたのだ。

 誠はそこで女神の言葉を思い出した。

『我が力を集めて研ぎ出した神器、岩凪の太刀だ』

 誠はその意味を理解し、左手を上げる。

 すると光の玉が逆鱗から浮き上がり、やがて太刀の形になる。黒く頑強な刀身は、凄まじい霊気で覆われていた。

 誠が右手で太刀を掴むと、全身に台風みたいな力が流れ込んでくるのが分かった。

 少年が再び突進して来るが、誠は直感でその一撃を避けない。

 迫り来る巨腕の一撃を、太刀を掲げて受け止めたのだ。

 !!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 巨岩が衝突したような振動が響き渡るも、誠はよろめきもしない。

 この太刀を抜いている間は、人ならざる破邪の力を得ているのだろうか。

「う、嘘だ、なんでだ! 人のままでそんな力、あり得ない!」

 少年はよろめき、悲痛な声で叫んだ。

 少年の体がマグマのように輝くと、無数の角や触手が伸びていく。無いはずの場所に腕が生え、足が生まれ。最早生物としてのていを為していなかった。

 やがて無数の触手が雨霰あめあられと降り注いでくる。

 誠が横っ飛びしながら太刀をふるうと、触手はまとめて切り落とされていた。

 少年は尚もこちらに迫ろうとするが、そこで大きくぐらついた。全身の肉が蠢いて、破裂しそうに脈動している。

(力を制御出来てない。多分このままいけば自滅する……!)

 だが、誠がそう思った時だった。

 不意に入口の方から物音がした。

 誠達が目をやると、扉の前にあの幼子が立っていたのだ。眠そうに目をこすりながら、ふらふらと体を揺らしている。

 なぜこのタイミングで、と思ったが、予測出来ないのが子供の行動だろう。

 物音を聞きつけて近寄ったのかも知れない。誠達や整備班と顔見知りで、格納庫に馴染みがあった事が仇となったのだ。

「…………っ!!!」

 一瞬、怪物の表情に複雑な感情が入り乱れ、次の瞬間、彼は幼子に突進していた。

 やぶれかぶれで道連れにしようとしたのか、それとも人質にしようとしたのか。

 だが少年が今にも幼子を掴もうとした時、足元のコンクリートが盛り上がり、巨大な手と化して少年の足を掴んだ。恐らく鶴の魔法だろう。

 鶴はその隙に幼子に駆け寄り、胸に抱えて走り出す。

「黒鷹、今よ!」

「助かった!」

 誠は答え、少年に向かって突進した。

 だが跳躍しようと身を屈めた刹那、視界は急激に変化したのだ。

「!!?」


 海に浮かぶ無数の和船、あちこちで上がる悲鳴と怒号。

 誠は懸命に駆け抜けていく。こちらの関船せきぶねから相手の安宅船あたけぶねまで、跳躍しようと助走しているのだ。

 鎧の鋼がぶつかる金属音と、口中に溢れる血の匂い。

 海水の飛沫しぶきを浴びた衣は鉛のように重く、傷口に塩が染みる痛みは、疲れで遠のきがちな意識を奮い立たせてくれた。

 そう、紛れもなくその光景は、かつて前世で体験した合戦だったのだ。

 敵船は味方が鉤付きの金棒で引っ掛け、逃がさぬように固定している。この隙に敵の大将を討ち取らねば、疲れ果て、数で劣る味方に勝機はないだろう。

 誠は駆けながら、我知らず雄たけびを上げていた。

「我は三島水軍が陣代、鳴瀬安成! いざや堂々、勝負に参らん!」

 だが誠が思い切り跳躍しようとした時、景色は再び格納庫へと戻っていたのだ。


「!? また急に変わりやがって!」

 誠は一瞬戸惑ったが、覚悟を決めて大きくジャンプ。

 そのまま太刀を振りかぶり、着地と同時に相手をひと薙ぎしていた。

「……??????」

 怪物と化した少年は、何が起きたか理解していないようだったが、やがて彼の腹に、横一文字に亀裂が入った。

 青い体液が噴き出すと、巨体が見る間に崩れていく。数瞬の後、完全に人の姿に戻った少年は、青い血の海に倒れていたのだ。

 誠は少年に刃を向けつつ、鶴と幼子に声をかける。

「ヒメ子、2人とも無事か!?」

「ばっちりよ黒鷹」

 鶴は元気良く答えるが、幼子はまだ寝ぼけていたのか、多少ぐずりながら、鶴の腕で眠り込んでしまった。

「良かった、こりゃ大物だ。派手な夢ぐらいにしか思ってないな」

「ほんとにね」

 2人はそう言って笑顔を浮かべる。

 黒い太刀は再び光の玉に戻ると、誠の逆鱗へと吸い込まれていった。

 そこで鳳と神使達が駆けつけてくる。

「姫様、ご無事ですか!」

 鳳の後ろには、隊員達の姿もあった。

「大丈夫か隊長! うわっ、こいつ結局いなくなってたヤツじゃねえか」

「アホやなあ、うまい話に飛びつくからこないな事になるんや」

「それよりバカ鳴瀬、ケガはない?」

 カノンは誠を腕から包帯でぐるぐる巻きにしていく。

 そんな一同をよそに、鳳は倒れた少年の傍に屈みこみ、手の平に光を宿して全身をなぞっていく。まるでスキャンをかけているようだ。

 やがて彼女は立ち上がった。

「魂にはダメージがありますが、命に別状はないでしょう。ただ、妙な細胞を大量に植え付けられておりますね」

「……こんな改造、どう考えても既存の技術じゃないよな。鳳さん、あの研究所について、何か分かったでしょうか」

「おうとも、ワシもそれを言おうと思っとったんじゃい!」

 眼帯アイパッチをした狛犬が鳳の肩に飛び乗った。

「ワシらも探しとったが、どうも結界が張っとるらしくて、なかなか見つからんのじゃい。それらしい場所をかたぱしから探しとるが、主任研究員はこいつ、爪繰つまぐりっちゅう奴らしいぞ」

 狛犬が差し出す写真を誠は受け取る。

 恐らくは旗艦の監視カメラの映像だろう。蛭間一派を写した写真の隅に、隠れるようにその男は写っていた。

 顔には儀礼的な笑みを浮かべていたが、姿勢や態度から察するに、どうも目立つ事が嫌いのようだ。

 誠はしばらく写真を見つめ、呟いた。

「こんな研究員、高千穂にいなかった」

「それも覚えているのですね?」

 鳳は以前より信頼した口調で問いかけてくる。

「鳴っちの記憶力は変態やから、アテになるんよ」

「それは私も理解しています」

 鳳は素直に頷いてくれた。変態に頷いたのか、アテになる事に頷いたのかは微妙だったが、今はそんな事はどうでもいい。

 鳳は皆をぐるりと見渡して告げる。

「とにかく、研究所については引続き調査を続けますし、この少年の対処は私達が引き受けましょう。池谷中佐については、ここより設備の整った病院が手配されます。皆様も、くれぐれもお気をつけ下さい」

 鳳の言葉に、誠達は頷くのだった。
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