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6話 初恋と失恋

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(精神体のまま物に触れる? そんなことできるんですか?)
「できるかどうかは君次第だが、ちょっと興味深いしやってみないか?」

 診察にやって来たリディオが突拍子もないことを言い出した。
 目を覚ましたイリアに見せてきたのは妖精の本だった。

(どうしてこんなことを?)
「もし精神体のままこの世界に影響力を持たせることができるなら、何かあった時も自分で対処できるかもしれないだろう?」
(何かとは?)

 いまいち言っている趣旨がわからなくて首を傾げたイリアにリディオは頭を掻いた。

「あーとにかく、なんでも試してみようってことだ。君が身体に戻るための方法が何かわかるかもしれないし」
(はあ……わかりました。それでどうすればいいんですか?)
「そんな難しいことはないさ。えーっとまずは精神を集中して……」

 精神を集中し、触れるものを意識する。そのものから浮かぶオーラを見るつもりで触れる。
 よくわからないまま、とりあえずイリアはそばにあったランプに触れようとしてみた。けれどすかすかと手が素通りするだけだ。

「もっと集中するんだ。君の手は物に触れられる。そのランプの感触を思い出すんだ」
(触れませんけど)
「もっと、もっと集中するんだ! がんばれ! ほら!」
(なんでいきなり熱血先生みたいになってるんですか!? もう!!)

 イリアはぎゅっと目を閉じて精神を集中させた。

(触れる……触れる……妖精達よ、私に力を貸してください!)

 そう思ってぴとりと触れたランプは冷たかった。

(あ……)
「押してみろ」
(えいっ)

 ぐぐっと力を入れて押すと普段より何倍も力が必要だったがわずかにランプが動いた。はっとイリアはリディオを見つめた。

(う、動きました)

 おそらくイリアの姿が見えない者が見れば、ランプが勝手に動いているように見えたことだろう。

「こんなすぐにできるようになるなんてさすがイリアだ」
(そ……う、ですか?)
「ああ」

 物に触れられたことよりも、褒められたことよりも初めて名前を自然に呼ばれたことに一瞬イリアは驚いてしまった。今まではずっと『君』と呼ばれていたから。
 イリアの態度に不思議そうにリディオが首を傾げた。

「どうした?」
(……あ、他の物も触ってみますね!)

 誤魔化すようにイリアはベッドから降りてカーテンへと触れてみた。集中すればなんとか触れられる。ソファに箪笥の引き出しもなんとか引っ張り出せる。

(なんだか不思議ですね。触れられるのが当たり前だったのに、今はそれがとても嬉しいんです)
「それって、元の身体に戻りたいってことじゃないのか?」
(そうでしょうか)

 ふとカーテンに触れながら窓の外を眺めてイリアは呟いた。自分は元に戻りたいのだろうか。戻ったとして今後はどうなるだろう。
 隣に並んだリディオの眠そうな横顔を見上げてそっと触れてみた。びくっと肩を跳ねさせて驚いた顔でこちらを見つめるリディオにイリアはいたずらが成功した子供のような気持ちになった。

(リディオ先生も触れましたね)
「君なあ」

 ただ今はこうやって穏やかに過ごしていたいと思った。



「別に貸すのはいいけどそんなもの読んで楽しいか?」
(ええ、とても勉強になるので)

 いつも通り診察にやってきたリディオから借りたのは医学書だった。それを集中してなんとか自分で開く。誰もいないときにこっそりと読んでいるのだ。物に触れられるようになったため読書が可能になったのはイリアにとってとても嬉しいことだった。最初こそ何もせずのんびりできることに喜んだイリアだったがそれも数日続くと退屈になってきていたのだ。

(この部屋にある本は全部読んだことがあるし、それに医療に興味があるんです)
「医者になりたかったのか?」
(お医者様でも看護師でも……とにかく医学に携わりたいと思ったことがあったんです。母が病気がちだったので)

 イリアの母はずっと病弱だった。そしてイリアが5歳の頃、流行り病で亡くなってしまったのだ。よく寝込んでいた彼女を助けたくて医療の道に進みたかった。もちろんそんなことイリアが言えるはずもなかったのだけれど。

「……だったら今から目指せばいいんじゃないか?」
(え?)

 いつも通りイリアの身体を淡々と診察しながらリディオが言った。
 思わずイリアは顔を上げた。

「だって君、もう王子の婚約者じゃないんだろう? だったら時間だってあるんだから目指せばいい。君は優秀なんだろうから不可能じゃないだろ」
(そうできたらいいですけどね……)

 リディオは当たり前のように突拍子もないことを言う。
 まるで自分のことを認めてくれているようで少しだけ嬉しかった。

(無理ですよ。私はセルラオ公爵家の人間ですから。王子との婚約は破棄になったけれど、きっとまた他の有力な貴族と婚約することになります。それが私の役目なんです)

 貴族の結婚とは家と家との契約だ。
 貴族の子供というのはその道具にすぎないのだ。
 ちらりとこちらを見たリディオは点滴を用意しながらつまらなそうに呟いた。

「そうだろうな」
(わかっているならそんなこと言わないでください)
「いや、そうじゃない。それでも目指したいなら目指せって言ってるんだ。結婚したからって医療の勉強ができないわけじゃないだろう?」

 少々拗ねたような口調になってしまったことを内心反省していたら意外な言葉が返ってきた。

「イリア、君はセルラオ公爵家の一人娘だ。その役割はとても重いんだろう。だけどな、生きていれば道は必ずあるさ。やりたいことがあるなら目指せる方法を考えろ」
(簡単に言いますね……)
「はは、まあな」

 隣に座ったリディオの言葉に今度こそイリアは拗ねて口を尖らせた。
 イリアは今まで親や周囲に用意された道を歩むことしか許されなかったのに。そんな簡単に自分で道を選べたら苦労はしない。
 不貞腐れていたらふっと影がよぎった。

「応援ぐらいはしてやるよ。だから早く目を覚ましてくれ」

 触れた感触はないけれど、リディオがそっとイリアの髪を優しく撫でていた。
 その瞬間、なぜか今はここに無いはずの鼓動が大きく跳ねた気がした。

(応援……)
「君が行きたがっていたカフェだったか? あとテーラーと祭りだったか? どこでも連れて行ってやるから」
(目が覚めたら?)
「ああそうだな」

 以前イリアが話したことを覚えていてくれたのかと思うとなんだか無性に恥ずかしかった。けれど現金なもので、リディオの話を聞いて少しだけ眠りから覚めてもいいかななんて考えてしまう。
 もうずっと眠っていたいと思っていたのに。

(リディオ先生……)
「うん?」

 意識を集中させて妖精達に願う。どうかこの人に触れさせてほしい。
 そうするとわずかだけリディオの手の温かさを感じることができた。
 ああ、私はこの人が好き。
 イリアは自然とそう思った。
 リディオは気づいてないかもしれないが、彼はイリアを認めてくれた。前向きな言葉でイリアの背中を押してくれた。
 いつも飾らない態度で接してくれるリディオとの会話はイリアの心を少しずつ癒してくれていた。
 イリアはいつの間にか彼が来ることが待ち遠しくなっていたのだ。

(もし眠り病が治って目が覚めたら、先生の助手になろうかしら)
「俺の助手?」

 驚いて紫の目を丸くするリディオにイリアは少し恥ずかしがりながらも微笑みかけた。
 イリアの諦めたはずの夢は少しだけ具体的なものになった。
 けれど苦笑したリディオはまるで幼い子供を窘めるように言った。

「なーに言ってるんだ。君は優秀なんだから仕事はちゃんと選べ。俺みたいな平民と変わらない医者じゃなくて、もっときちんとした立場の技術や知識を持ってる医者だっているんだからさ」

(…………)

 それは言外にイリアとリディオは立場が違うのだと言っているように聞こえた。
 確かにそれはその通りだった。イリアは王子の婚約者にもなるほどの公爵家の令嬢で、リディオは男爵家の息子。本来であれば接点すら持つことはなかっただろう相手だ。
 そんなずっと立場が上の家の娘に好かれてもきっと彼は困ってしまうだろう。

(……ええ、わかってます。ちょっと言ってみただけです)

 胸の痛みを隠すように笑って見せる。妃教育で社交のためにと練習した作り笑いがこんなところで役に立つとは皮肉なものだ。
 イリアの恋は自覚したのと同時に終わってしまった。
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