72 / 89
一ヶ月後(その八)
しおりを挟む「おはようございます!」
翌朝、部屋の扉を開けると、みんなが一斉にこちらを向く。
まずは成田課長のデスクに向かい頭を下げる。
「課長、昨日は申し訳ありませんでした!」
顔を上げ、姿勢を正す。
「本日より、気持ちも新たに一所懸命やりますのでよろしくお願いします!」
「なんだ、もういいのか?」
「はい、もう大丈夫です」
「ーーそうか、わかった」
成田課長はそれ以上なにも言わず、視線をデスクの上に戻した。
一礼をし、振り返ると今度はみんなに頭を下げる。
「皆さん、ご心配をおかけしました! 本日よりまた、よろしくお願いします」
「ユリさん。もういいんですか?」
「ユリさん、無理したらいかんよ? なあ、島ちゃん」
「……ああ、島やん。木花、大丈夫なのか」
「はあ。俺ならもう少しズル休みするのに。もったいない……」
「木花は真面目なんだよ。お前と一緒にすんじゃねーやい」
いつもと変わらないみんながそこにいるのが嬉しかった。
うん。私は大丈夫だ。がんばろう。がんばれる。
一日終わりの夕方、鑑識との話を済ませると、自販機の缶コーヒーが目に付き突然のコーヒーブレイクタイム。
「はふー」
奥にある椅子に座り、しばし休憩。
(ここで飲むのって初めてかも。ちょっと奥まっててゆっくりできそう。たまにはいいよね)
「こら、サボってんな」
「んぐっ」
急に声をかけられ振り向くと、成田課長が自販機の横からひょこっと顔を出す。
「びっくりさせないでくださいよー」
「ははっ、悪い」
成田課長はコーヒーを買うと、私の横に座った。
* * * * * *
「こんなところに自販機があるんだな」
「ええ。私、初めてここで飲みました」
「そうなのか」
「はい」
たわいない会話をしていると、成田課長が意外なことをきいてきた。
「ユリ。……錬っていう奴と、あれから会ったのか?」
缶コーヒーを持つ手が止まる。
「……どうして……春輝が、そんな、こと?」
思わず春輝と呼んだことに、私は気づいていない。
「……」
(上川課長の送別会のときにはきけなかったが、あれからアイツ、錬は……ユリに会いに来てはいないんだ。このごろずっと様子が変なのは……たぶん、これが原因だろう)
「親戚じゃ、ないんだろ? ……彼」
春輝の質問に、言葉が出てこない。
「……このごろ元気がないのは、そのせいなんだろう? ……ユリ、バカげているだろうけど、俺、まだお前のことが好きなんだ。俺は、お前の力になりたい。俺でよければ話を聞くからーー」
春輝がそう言ってユリのほうを見ると、うつむいたまま、缶コーヒーを持つ手がカタカタと震えているのがわかった。
(俺はバカだ。こんなこと、きくんじゃなかった。しかも、署内で)
「ーーごめん。俺、先戻るわ」
立ち上がろうとした春輝の上着の裾が、クイっと引っ張られる。
「ユリ?」
「……たの」
「えっ?」
「会いに行ったけど、いなかったの……」
「……」
「どこかに、引っ越して、いなく……なってた……ううっ」
大粒の涙がユリの目からこぼれると、春輝は思わずユリを抱き締めていた。
(俺が守らなきゃ。上川課長の代わりでいい。俺が、ユリを守る)
「辛いことをきいて、悪かった。……今は、胸を貸すから、泣きたいだけ泣けよ」
「ううっ、うっ、春輝……ごめ……」
抱き締められ、春輝の胸の温かさを感じる。
(あったかい、春輝の胸……。このまま、錬のことも、環くんのことも、忘れられたらいいのに。ふたりのことを、忘れるくらい、季節がうんと早く過ぎればいいのに)
自販機の陰に隠れるようにして、ふたりはしばらくの間抱き合っていた。
* 一ヶ月後 終わり *
0
お気に入りに追加
29
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
悪役令嬢は王太子の妻~毎日溺愛と狂愛の狭間で~
一ノ瀬 彩音
恋愛
悪役令嬢は王太子の妻になると毎日溺愛と狂愛を捧げられ、
快楽漬けの日々を過ごすことになる!
そしてその快感が忘れられなくなった彼女は自ら夫を求めるようになり……!?
※この物語はフィクションです。
R18作品ですので性描写など苦手なお方や未成年のお方はご遠慮下さい。
絶倫彼は私を離さない~あぁ、私は貴方の虜で快楽に堕ちる~
一ノ瀬 彩音
恋愛
私の彼氏は絶倫で、毎日愛されていく私は、すっかり彼の虜になってしまうのですが
そんな彼が大好きなのです。
今日も可愛がられている私は、意地悪な彼氏に愛され続けていき、
次第に染め上げられてしまうのですが……!?
※この物語はフィクションです。
R18作品ですので性描写など苦手なお方や未成年のお方はご遠慮下さい。
王女、騎士と結婚させられイかされまくる
ぺこ
恋愛
髪の色と出自から差別されてきた騎士さまにベタ惚れされて愛されまくる王女のお話。
性描写激しめですが、甘々の溺愛です。
※原文(♡乱舞淫語まみれバージョン)はpixivの方で見られます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる