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一ヶ月後(その六)
しおりを挟む小雨が降っている。
傘で姿が隠せてちょうどいい。
私は今ーーあのマンションの前に立っている。
どうしよう。来てしまった。
あんな勝手な書き置きひとつで出てきたのに。
私はずるい。
彼らが署には来ないと踏んで、書き置きを残した。
私が傷つくようなやり方はしないだろうから。
そしてそのとおり、彼らは一度も署には来ていない。
ーー私は、本当はどうして欲しかったのだろう。
署まで迎えに来て欲しかったのか?
それとも、自宅を探し当てて欲しかったのか?
あれからなんの音沙汰もない。
電話も着拒しているのだから、当たり前だ。
私が望んだことなのに、なぜこんなにもずっと、心が寒いままなのだろう。
この雨が、一層心を寒くする。
マンションを見上げていると、住人らしき若い女性がふたり近づいてくるのが見えた。
怪しまれないよう、ゆっくりと歩き出して立ち去るフリをする。
「ねえ、知ってる? ここさー、めちゃくちゃカッコいい双子の男の子がいたじゃん? あの子たち、引っ越しちゃったんだってー」
「えーっ、マジでー。ショックー」
「えっ⁉︎ その話、本当?」
女性たちがびっくりして振り返る。
私が急に話に割って入ったからだ。
「ねえ、教えて。それいつの話?」
「え……おばさん誰?」
「ーーああ、すみません。……えっとー、私は……、以前にその双子の方たちに、道中体調を悪くしていたところを助けていただいた者です。それからずっと、彼らの行方を探していたんです!」
我ながら変なことを言っているとは思ったが、女性は不思議そうな顔をしながらも「ひと月くらい、前かなあ」と答えてくれた。
「それでどこに行ったとか、そういう話はわかりますか?」
「うーん、そこまではわかんないですけどー。あたしもチラッと聞いただけなんでー」
「……」
「ねえ、おばさん、大丈夫? 顔色悪くない?」
「あ……はは、いえ、大丈夫。どうもありがとう」
* * * * * *
お礼を言うとその場を離れ、近くの商店街へと向かう。
以前に錬と行った商店街だ。
しばらく歩くと、環くんのサンドウィッチを食べた公園に出る。
ここはその夜、春輝と別れた後、フラフラと歩いて辿り着いた場所でもあり、錬と環くんが私を探しに来てくれて再会した場所でもある。
その公園の端に立つと、彼らとの思い出がよみがえる。
錬と初めて出会ったときのこと。
キスをされ、気絶させられ、連れてこられたこと。
気づくと、手錠でつながれていたこと。
環くんと出会って、双子だと知って驚いたこと。
ふたりにちょっとえっちなことをされ、からかわれたこと。
環くんとお菓子を作ったこと。
後に聞いた、睡眠薬で眠らされたこと。
錬とデートしたこと。
ここでまた出会って、家に戻ったこと。
そしてーー錬と環くんに、抱かれたこと。
彼らとの出来事が、一気に頭の中を駆け巡る。
……環くんの電話番号はわかっている。
でも、電話をしてどうするの?
なんて言うの?
ていうか着拒されてたら?
コールして出なくて、履歴に私の名前があったら一体どう思う?
いや、私の番号はもう、消されているかも。
……大学もわかってる。
そんなところまで、会いに行けるわけない。
それに……
彼らは引っ越した。彼らなりの考えがあってそうしたのだ。
元々は……私が望んで彼らから離れたのだ。
「うっ、うう……ひぐっ、うええ」
ああ、結局、泣いてしまう。
彼らには、もう会えない。
どこかへ、行ってしまった。
「うわあーん……」
いつの間にか傘を離し、雨に打たれていた。
この雨が、全てを流してくれたらいいのに。
彼らの温もりも、思い出も、全部。
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