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三日目(その十三)
しおりを挟む車が走り出してしばらくすると、春輝は雑談をしてきた。
どこそこの署でこんなことがあったとか、あの事件はどうとか。
でも、こんな話をするために車に乗ったんじゃない。
「春輝、話ってなに? まさかこうやって雑談をするために誘ったわけじゃないでしょ」
「なんだ。そんなに早く帰りたいのか? さっきのレンとかいう奴のところに」
「あのねー、そんなこと春輝に関係ないでしょ。話がないなら帰るわよ」
「夕飯を一緒にどうだ? 好きだったろ? 花宿亭の生姜焼き定食」
「十五分って話でしょ。行かないわよ」
花宿亭は、付き合っていたころにふたりでよく行ったお店だ。
いろいろな定食があって、おいしくて、ゆっくり落ち着けて……本当に好きだった。
でももう、過去の場所。今はただ、懐かしく思うだけ。
「あいつはユリのなんなんだ? まさか、彼氏ってわけでもないだろう?」
「だから、親戚の子だって言ったでしょ。それも全部春輝には関係ない話よ。そんな話をするなら降りるわ。車を止めて」
やっぱり乗るんじゃなかった。
「待てよ。悪かった」
「……」
「あー、元気だったか?」
「言ったでしょ。私は元気よ」
「そうか。……その、ユリ、悪かった」
春輝はまっすぐ前を見て、ハンドルを握ったままで言った。
* * * * * *
「……なにが?」
「……」
「私と別れて、警視監の姪っ子と結婚したこと?」
「……そうだ」
「しかもたいした話し合いもできないままずっと放置されて、いつの間にか結婚されて、四十歳を過ぎたおばさん刑事は警視監の姪っ子に男を取られ、捨てられたって噂にされたこと?」
「……そうだ」
「ははっ……」
なにを今更……こんな話。せっかく何年もかけて、忘れようとしてきたのに。
「それで? なんなの。まさか悪かったって、謝りたかったとでも?」
「ああーーずっと、謝りたかったのは事実だ」
「はっ。それで私にどう答えろと? あのときは辛かったって言えばいい? それとも、もう気にしてないって言えばいいの?」
「……」
なによ。返事に困るくらいなら言わなきゃいいのよ……そんなこと。
バカだな、私。なんでのこのこ車に乗っちゃったんだろう。
涙が勝手に出てくる。情けないや……
鼻を啜ると、春輝がこちらを気にしながら声をかけてくる。
「ユリ、ごめん。でも俺……」
「やめてっ! 言い訳なんか聞きたくない!」
思わず大声が出る。
「私……もう、帰るわ。車を止めて」
「ユリ、落ち着いて話そう」
「なにを落ち着いて話すの? もういいから、降ろして!」
あのときの辛かった気持ちが、一気に私の中に込み上げてきた。
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