26 / 75
貴方のいない部屋で
3.
しおりを挟む
「そう言えば高校の時さぁ。若月の進路がK大学って聞いた奴ら、みんなK大目指してたの、知ってる?」
「え? そう、なの?」
「身の程知らずだよな」
「そんなことはないと思うけど……」
「で、必死になってなんとか合格を勝ち取れた奴らも、いざ入ってみたら、当の若月はいなかった、ってオチ」
「……ごめん」
「俺もびっくりした。後になって橋本たちから、密かに女子大に変更してたんだって聞いた」
奥瀬くんは、そこで口を噤んだ。
きっと、あの頃の私の噂話を思い出していて、さすがにそれを言葉にするははばかられたのだろう。
「あの、それは、女子大の方が、学びたい学部があったから……」
ほとんど嘘に近い言葉をたどたどしく返すと奥瀬くんの表情が曇って、私の心はまたざわつき始める。
私のいま言った言葉は、きっと信じられていないのだろうと思う。
それでも、何度も嘘を上塗りすることでしか、私は自分自身を保てない。
少しはマシになったかと思ったけど、まだまだ私は弱いままだと心の中で落胆する。
「まぁ、K大に行かなくて正解だったかもな。女子大への選択をしたから、今の若月があるんだし」
「……そうだと良いけど」
奥瀬くんはジョッキに残っていたビールを飲み干して、通りかかった店員に「ビールもう一杯お願いします」と声を掛けた。
私は久しぶりのアルコールで、やっぱりちょっと酔い始めている。
「もうひとつ話があって」
「うん、なに……?」
「専務のこと」
「……え、っと、」
「ホントに一緒に住んでるんだ?」
「…………うん」
「付き合ってないって言ってたよな? それなのに専務の家に住んでるって、無理があると思うんだけど?」
「……」
でも、それが真実で。
伊吹さんは、困っていた私を保護してくれただけに過ぎない――そう考えて、胸がチクリと痛む。
「バレたらきっと面倒なことになる」
「うん、分かってる……」
「特に総務部は気を付けた方が良い」
「え、総務部……?」
「秘書課とは仕事上の関係性も深いし、若月の仕事のポジションを狙ってるヤツもいる。用心するに越したことはないって事」
「……うん、分かった。ありがとう」
「何かあったら相談して。力になる。あと……」
そこで一度言葉を切った奥瀬くんは、私の目をじっと見つめていた。
彼の焦げ茶色の瞳が、私を射貫くように……。
「専務のことも。泣かされたら、俺んとこ来い」
「……泣かされたり、しないよ。篠宮専務はそんなこと、しない」
「どうだか」
しないよ。
だって、伊吹さんの心は、はなから私には無いから。
だから、もし私が泣くとしたら、それは伊吹さんに何かされたからじゃなくて、私が勝手に悲しくなってるだけだ。
そんな私と伊吹さんのちょっと特殊な関係を知らない奥瀬くんは、「そもそもあの歳であのポジションにいるのに独身とか、怪しさしかないだろ」と呟いている。
はたから見れば、あんなに格好良くて、御曹司で、会社役員で、32歳なのに結婚してないとか、不思議に思えるのかも知れない。
でも実際は、伊吹さんにお相手がいないわけじゃないから……。
何か理由があって、あの花屋の女性とはすぐには結婚できないんだと思う。
だから、伊吹さんは別に怪しくなんかない。
むしろ、完璧すぎるぐらいだ。
注文したメニューは、こんな微妙な話をしながらも私と奥瀬くんの胃袋の中にほとんど収まった。
と言っても私はもともと食が細い方なので、食べていたのはほとんど奥瀬くんだったけど。
久しぶりに飲んだビールはまだ半分ぐらい残っていて、でもこれ以上飲んだら歩いて帰れなくなりそうだから途中から飲むのをやめた。
「そろそろ出るか」
奥瀬くんの言葉に頷いて、奥瀬くんに続くように席を立つ。
奥瀬くんが会計を終えて店を出た後、お財布からさっき店員が告げた金額の半分を差し出した。
「は?」
「私の分。計算、間違ってないといいんだけど」
「いらない」
「でも、」
「そもそも若月、ほとんど食べてなかったじゃん。それに、話があって誘ったのは俺の方だから」
「え、でもっ、」
「いいから。それより、家まで送る」
「大丈夫、ひとりで帰れるから」
「若月に何かあったら、専務に殺される気がする」
「専務はそんなこと、しないってば」
そんなこと、しない――。
自分で言っておいて、胸が潰れる。
偽の関係と言うその事実に、簡単に押しつぶされそうになる。
「え? そう、なの?」
「身の程知らずだよな」
「そんなことはないと思うけど……」
「で、必死になってなんとか合格を勝ち取れた奴らも、いざ入ってみたら、当の若月はいなかった、ってオチ」
「……ごめん」
「俺もびっくりした。後になって橋本たちから、密かに女子大に変更してたんだって聞いた」
奥瀬くんは、そこで口を噤んだ。
きっと、あの頃の私の噂話を思い出していて、さすがにそれを言葉にするははばかられたのだろう。
「あの、それは、女子大の方が、学びたい学部があったから……」
ほとんど嘘に近い言葉をたどたどしく返すと奥瀬くんの表情が曇って、私の心はまたざわつき始める。
私のいま言った言葉は、きっと信じられていないのだろうと思う。
それでも、何度も嘘を上塗りすることでしか、私は自分自身を保てない。
少しはマシになったかと思ったけど、まだまだ私は弱いままだと心の中で落胆する。
「まぁ、K大に行かなくて正解だったかもな。女子大への選択をしたから、今の若月があるんだし」
「……そうだと良いけど」
奥瀬くんはジョッキに残っていたビールを飲み干して、通りかかった店員に「ビールもう一杯お願いします」と声を掛けた。
私は久しぶりのアルコールで、やっぱりちょっと酔い始めている。
「もうひとつ話があって」
「うん、なに……?」
「専務のこと」
「……え、っと、」
「ホントに一緒に住んでるんだ?」
「…………うん」
「付き合ってないって言ってたよな? それなのに専務の家に住んでるって、無理があると思うんだけど?」
「……」
でも、それが真実で。
伊吹さんは、困っていた私を保護してくれただけに過ぎない――そう考えて、胸がチクリと痛む。
「バレたらきっと面倒なことになる」
「うん、分かってる……」
「特に総務部は気を付けた方が良い」
「え、総務部……?」
「秘書課とは仕事上の関係性も深いし、若月の仕事のポジションを狙ってるヤツもいる。用心するに越したことはないって事」
「……うん、分かった。ありがとう」
「何かあったら相談して。力になる。あと……」
そこで一度言葉を切った奥瀬くんは、私の目をじっと見つめていた。
彼の焦げ茶色の瞳が、私を射貫くように……。
「専務のことも。泣かされたら、俺んとこ来い」
「……泣かされたり、しないよ。篠宮専務はそんなこと、しない」
「どうだか」
しないよ。
だって、伊吹さんの心は、はなから私には無いから。
だから、もし私が泣くとしたら、それは伊吹さんに何かされたからじゃなくて、私が勝手に悲しくなってるだけだ。
そんな私と伊吹さんのちょっと特殊な関係を知らない奥瀬くんは、「そもそもあの歳であのポジションにいるのに独身とか、怪しさしかないだろ」と呟いている。
はたから見れば、あんなに格好良くて、御曹司で、会社役員で、32歳なのに結婚してないとか、不思議に思えるのかも知れない。
でも実際は、伊吹さんにお相手がいないわけじゃないから……。
何か理由があって、あの花屋の女性とはすぐには結婚できないんだと思う。
だから、伊吹さんは別に怪しくなんかない。
むしろ、完璧すぎるぐらいだ。
注文したメニューは、こんな微妙な話をしながらも私と奥瀬くんの胃袋の中にほとんど収まった。
と言っても私はもともと食が細い方なので、食べていたのはほとんど奥瀬くんだったけど。
久しぶりに飲んだビールはまだ半分ぐらい残っていて、でもこれ以上飲んだら歩いて帰れなくなりそうだから途中から飲むのをやめた。
「そろそろ出るか」
奥瀬くんの言葉に頷いて、奥瀬くんに続くように席を立つ。
奥瀬くんが会計を終えて店を出た後、お財布からさっき店員が告げた金額の半分を差し出した。
「は?」
「私の分。計算、間違ってないといいんだけど」
「いらない」
「でも、」
「そもそも若月、ほとんど食べてなかったじゃん。それに、話があって誘ったのは俺の方だから」
「え、でもっ、」
「いいから。それより、家まで送る」
「大丈夫、ひとりで帰れるから」
「若月に何かあったら、専務に殺される気がする」
「専務はそんなこと、しないってば」
そんなこと、しない――。
自分で言っておいて、胸が潰れる。
偽の関係と言うその事実に、簡単に押しつぶされそうになる。
3
お気に入りに追加
150
あなたにおすすめの小説
通りすがりの王子
清水春乃(水たまり)
恋愛
2013年7月アルファポリス様にて、書籍化されました。応援いただきましてありがとうございました。
書籍化に伴い本編と外伝・番外編一部を削除させていただきましたm( )m。
18歳の時、とある場所、とある状況で出会った自称「白馬の王子」とは、「次に会ったときにお互い覚えていたら名乗る」と約束した。
入社式で再会したものの、王子は気付かない。まあ、私、変装しているしね。5年も経てば、時効でしょ?お互い、「はじめまして」でノープロブレム・・・のハズ。
やたら自立志向のオトコ前お嬢を 王子になり損ねた御曹司が 最後には白馬に乗ってお迎えにいくまで・・・。
書籍化に伴い削除したものの、割愛されてしまった部分を「その一年のエピソード」として章立てして再掲載します。若干手を入れてあります。
2014年5月、「通りすがりの王子2」刊行しました。
シングルマザーになったら執着されています。
金柑乃実
恋愛
佐山咲良はアメリカで勉強する日本人。
同じ大学で学ぶ2歳上の先輩、神川拓海に出会い、恋に落ちる。
初めての大好きな人に、芽生えた大切な命。
幸せに浸る彼女の元に現れたのは、神川拓海の母親だった。
彼女の言葉により、咲良は大好きな人のもとを去ることを決意する。
新たに出会う人々と愛娘に支えられ、彼女は成長していく。
しかし彼は、諦めてはいなかった。
俺様幼馴染の溺愛包囲網
吉岡ミホ
恋愛
枚岡結衣子 (ひらおか ゆいこ)
25歳 養護教諭
世話焼きで断れない性格
無自覚癒やし系
長女
×
藤田亮平 (ふじた りょうへい)
25歳 研修医
俺様で人たらしで潔癖症
トラウマ持ち
末っ子
「お前、俺専用な!」
「結衣子、俺に食われろ」
「お前が俺のものだって、感じたい」
私たちって家が隣同士の幼馴染で…………セフレ⁇
この先、2人はどうなる?
俺様亮平と癒し系結衣子の、ほっこり・じんわり、心温まるラブコメディをお楽しみください!
※『ほっこりじんわり大賞』エントリー作品です。
15年目のホンネ ~今も愛していると言えますか?~
深冬 芽以
恋愛
交際2年、結婚15年の柚葉《ゆずは》と和輝《かずき》。
2人の子供に恵まれて、どこにでもある普通の家族の普通の毎日を過ごしていた。
愚痴は言い切れないほどあるけれど、それなりに幸せ……のはずだった。
「その時計、気に入ってるのね」
「ああ、初ボーナスで買ったから思い出深くて」
『お揃いで』ね?
夫は知らない。
私が知っていることを。
結婚指輪はしないのに、その時計はつけるのね?
私の名前は呼ばないのに、あの女の名前は呼ぶのね?
今も私を好きですか?
後悔していませんか?
私は今もあなたが好きです。
だから、ずっと、後悔しているの……。
妻になり、強くなった。
母になり、逞しくなった。
だけど、傷つかないわけじゃない。
隠れオタクの女子社員は若社長に溺愛される
永久保セツナ
恋愛
【最終話まで毎日20時更新】
「少女趣味」ならぬ「少年趣味」(プラモデルやカードゲームなど男性的な趣味)を隠して暮らしていた女子社員・能登原こずえは、ある日勤めている会社のイケメン若社長・藤井スバルに趣味がバレてしまう。
しかしそこから二人は意気投合し、やがて恋愛関係に発展する――?
肝心のターゲット層である女性に理解できるか分からない異色の女性向け恋愛小説!
出会ったのは間違いでした 〜御曹司と始める偽りのエンゲージメント〜
玖羽 望月
恋愛
親族に代々議員を輩出するような家に生まれ育った鷹柳実乃莉は、意に沿わぬお見合いをさせられる。
なんとか相手から断ってもらおうとイメージチェンジをし待ち合わせのレストランに向かった。
そこで案内された席にいたのは皆上龍だった。
が、それがすでに間違いの始まりだった。
鷹柳 実乃莉【たかやなぎ みのり】22才
何事も控えめにと育てられてきたお嬢様。
皆上 龍【みなかみ りょう】 33才
自分で一から始めた会社の社長。
作中に登場する職業や内容はまったくの想像です。実際とはかけ離れているかと思います。ご了承ください。
初出はエブリスタにて。
2023.4.24〜2023.8.9
今更だけど、もう離さない〜再会した元カレは大会社のCEO〜
瀬崎由美
恋愛
1才半の息子のいる瑞希は携帯電話のキャリアショップに勤めるシングルマザー。
いつものように保育園に迎えに行くと、2年前に音信不通となっていた元彼が。
帰国したばかりの彼は亡き祖父の後継者となって、大会社のCEOに就任していた。
ずっと連絡出来なかったことを謝罪され、これからは守らせて下さいと求婚され戸惑う瑞希。
★第17回恋愛小説大賞で奨励賞をいただきました。
【完結】俺様御曹司の隠された溺愛野望 〜花嫁は蜜愛から逃れられない〜
雪井しい
恋愛
「こはる、俺の妻になれ」その日、大女優を母に持つ2世女優の花宮こはるは自分の所属していた劇団の解散に絶望していた。そんなこはるに救いの手を差し伸べたのは年上の幼馴染で大企業の御曹司、月ノ島玲二だった。けれど代わりに妻になることを強要してきて──。花嫁となったこはるに対し、俺様な玲二は独占欲を露わにし始める。
【幼馴染の俺様御曹司×大物女優を母に持つ2世女優】
☆☆☆ベリーズカフェで日間4位いただきました☆☆☆
※ベリーズカフェでも掲載中
※推敲、校正前のものです。ご注意下さい
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる