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つまるところボクら排他的社会人
過去の所在は人ありき その3
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「神智学協会って知ってるか?」
無論、知る由もない。
ハヤトがボクより多くのことを知っている
コトは今に始まった話じゃないから。
「まあ無理もないさ。
学会というからにはそりゃあ学術的な側面もあるが
大方は宗教論みたいなもんさ。
高度成長期、アカだの右だの左だので
混乱していた日本に輸入された考え方の一つで
叶芽夫婦はその宗教法人に入り込んでいる。」
「そっか。
百合音は話したがらなかったけど
何となくそういう過去があったのは知ってる。
でも何処の宗派かってのは初耳だよ。」
「成程な。まあ当然っちゃ当然だ。」
少し間を置いて説明を再開するハヤト。
「宗教ブームで異質で過激な活動内容が
問題視された団体は幾つかあったんだ。
ただ、そこの宗教法人、「天羅協会」は善良そのもの。
自然派って言うのかな、
来たる事象に対しなにもしないんだ。」
「ーーー、なにもしない?」
「達観的っていうか諦念的。
これから起こる出来事は俺たちの認知出来ないような
高次元で仕組まれたシナリオで………
心の平穏と調和でもってそれらを受け入れ
その高次元ってのに対する理解と
祝福を得ようとする動きだな。」
思わず身をすくめる。
ソレってさ。
今ある暮らしから視点をずらして
ノーサイドどころか蚊帳の外にいて
傍観者として生きるってことなんじゃないか?
話の腰を折らないように口にしなかった感想。
そんなのは素振りで簡単に見透かされてしまったようで。
「ははっ、そりゃお前はそうだろうな。」
長い付き合いの親友は短く苦笑した。
「そんな理念の団体だから
資金の使われ方はちょっとした田舎に
コミューンを設立し、」
ほんのりおどけた尊大な声色で
「うつしよに疲れた迷える仔羊たちを
阻むことなく受け入れていたわけだ。」
「………ウツシヨってのは?」
「現世!現代社会のことだよ!」
………なるほど。
確かに何もしていない。
環境を整えるのみで悟りに対する教導は
自主性に任せたゆとりのある方針だったのか。
「でも…何もしなかったってことだよな?」
「ああ。叶芽に対しても、な。
両親は元々宗教に疎かったらしく
生まれつき虚弱体質の叶芽をサナトリウムに
入れるつもりで天羅協会の門を叩いたらしい。
だかそれも体調が安定するまでだ。
完全に経済的な自立まで果たしてしまうと
叶芽一家は生活のすべを失ってしまう。
だから御両親は働きながら施設利用費を納めて、
幼少の叶芽を年長から小学校卒業まで
天羅協会のコミューンで過ごさせたわけだ。」
「でも、慢性骨髄性白血病が発症した。」
「あぁ。いつもの様に発熱を起こしたかと
思ってもその日だけは違ったんだろう。
初期症状は高熱と皮下出血。痣のことだな。
療養の範疇を出ない医療設備ではとても対処出来ない。
直ぐに山を降りた集落の病院に送られ
慢性骨髄性白血病の診断を受け、
入院治療を開始したんだ。」
「………………」
閉ざす。黙するのみで。
そのハナシに現れている百合音は
彼女の乗り越えた過去だ。
当時のボクにはどうこうできたものではないし、
そもそも過ぎたコトなのだから結果論で
とやかく言うのは何処までもお門違いなんだ。
力む。ただ握り込む。
だが何だ。この胸に沸々と煮え上がる
四肢の骨髄に溜まっていくような激情は。
篭める。抑え込むまま。
爪の下が鬱血する。閉めるようでいて膨らむような発露。
街角とはいえ街路沿い。常識人には有るまじき硬直と下に伸び切った両腕。
「お、おいサトル…」
声が、震えている。
ーーー、?
「っふぅ………何だ?」
気に当てられたというか
拍子抜けしたというか。
途端どうでも良くなって弛緩。
今となっては最早火照りもない。
「ーーー、いや。いい。話を続けるぞ。
彼女の容態は深刻だった。
痣や出血が起きやすいことはさっきも説明したが
それ以上に危険視しなければならないのは
免疫細胞の低下による感染症の併発だ。
ワクチン接種も臓器移植も
結局は人体の精巧な自己保全機能を
頼りに内向的な成果を期待するもんだ。
でも造血機能が異常を起こし肝心の病原菌と闘う
白血球が少なくなっちまっては意味がない。
彼女は治せないんだよ。要するに。
投薬治療をするにも免疫が更に弱くなって
無菌状態でも現在発症している感染症に
対抗出来ない。
さらにはドナーから骨髄を移植しても既に癌細胞が
血流に乗って転移しているであろうステージでは
再発の可能性が非常に高い。」
唐突なフラストレーションに渇ききった口腔内が
複雑な専門用語の羅列を前にして再び潤いを取り戻していく。
まぁ要するに。
入念な事前調査に裏付けられた
ハヤトの丁寧な講釈に対し、
半分以上も内容を理解できないボクは
話の内容ではなくアホのように滲み出る唾液を
飲み下すことしか出来ないわけで。
「言っちゃあなんだが千日手。
いや、それどころかすこしづつ衰弱していく叶芽百合音に
移転先の医療設備ですら最適解を示すことが
出来なかったんだ。」
「じゃあなんだよ…
そもそも今現在よりもっと前、
高校でオレたちが出会ったことすら
お前からしちゃ奇妙な出来事だったってのか?」
ヤツはまぁまぁ、と少し鬱陶しそうな
ニュアンスまで滲ませて横槍をいなしてみせる。
「ハナシは最後まで聞け、サトル。
とにかく当時の医療技術じゃ精々が延命措置どまりだったわけだ。
だが、まだ医療未満のアプローチ、
学術領域の臨床試験まで視野に入れるなら
事態は変わってくる。」
「え…?」
「オマエはさっき奇妙といったが。
調べ上げた俺が評価するなら奇跡に近い。
抗がん剤を投与した輸血でもって
全身を人工透析しながらの骨髄移植。
海外を含めて成功例が3件そこらの大手術だったらしい。
結果は………言うまでもないな。
手術自体もそうだが肝心は患者の体力勝負でな。
彼女はその大博打に打ち勝った。
ああ見えてジッサイは相当にタフなんだぜ?彼女。」
そうか、そうなのか………
結果の分かりきった憂慮に胸を撫で下ろす。
だが、それもじきに、ーーー
「でも、それってさ。」
「ああ、叶芽一家は表立って
天羅協会の教義に背反した。
手術もそうだが余すことなく全身輸血なんか
自然派の奴らにとっちゃ自害もんだ。
彼らは脳みそを自意識の在りどころと
見なしちゃいないからな。
機械論と神秘主義は何処までも相容れない。
ーーー、あの夫婦だって。
娘のためにやれる事は全てやっていたんだ。」
「なら………それで全部いいじゃないか!
全員が助かって、全員が今を生きていられるなら、ーーー」
ーーー、そこまで言って。
ボクは、喉仏まで出しかかった愚かな妄言を抑え込んだ。
あぁ。これが絵本、御涙頂戴のドキュメンタリー番組なら
ここでハッピーエンドだろう。
だが、生き残ったからには。
やはり死ぬまで物語はつづいているのだから。
「………そうさ。中学生の思い出をすべて犠牲にした
院内での経過観察ののち、叶芽百合音は再発した。
2年生での高校転入をひかえた頃だったらしい。
そこまでやった後の再発だから、
がん細胞は全身にまで転移してしまっている。
叶芽百合音は抗癌治療を拒み、
叶芽夫婦のココロはガラガラと音を立てて崩れてしまったわけだ。」
「ーーー、っ」
早足で引き返す。
「お、おい!ちょ………待てよ!」
またしても眼前にそびえる古風のアンティークドア。
丁寧ながらも勢い余った入店でカランと
短く大きく音を立てるベル。
「ーーー、ユリネ。」
「お話は済みました、か?」
後から店内の空気を乱さぬよう
ゆったりと取り繕った歩速でテーブルに手を置くハヤト。
「オマエの言う通りだ、サトル。
全員が助かって。全員が今を生きている。
………そうなんだろう?」
奇跡はとうに果たされた。
であればやはりこの邂逅は奇妙だとでも?
いや、違う。そうじゃないだろう。
「変わらず、ボクは。
ボクのやるべきことを、するまでなんだ。」
無論、知る由もない。
ハヤトがボクより多くのことを知っている
コトは今に始まった話じゃないから。
「まあ無理もないさ。
学会というからにはそりゃあ学術的な側面もあるが
大方は宗教論みたいなもんさ。
高度成長期、アカだの右だの左だので
混乱していた日本に輸入された考え方の一つで
叶芽夫婦はその宗教法人に入り込んでいる。」
「そっか。
百合音は話したがらなかったけど
何となくそういう過去があったのは知ってる。
でも何処の宗派かってのは初耳だよ。」
「成程な。まあ当然っちゃ当然だ。」
少し間を置いて説明を再開するハヤト。
「宗教ブームで異質で過激な活動内容が
問題視された団体は幾つかあったんだ。
ただ、そこの宗教法人、「天羅協会」は善良そのもの。
自然派って言うのかな、
来たる事象に対しなにもしないんだ。」
「ーーー、なにもしない?」
「達観的っていうか諦念的。
これから起こる出来事は俺たちの認知出来ないような
高次元で仕組まれたシナリオで………
心の平穏と調和でもってそれらを受け入れ
その高次元ってのに対する理解と
祝福を得ようとする動きだな。」
思わず身をすくめる。
ソレってさ。
今ある暮らしから視点をずらして
ノーサイドどころか蚊帳の外にいて
傍観者として生きるってことなんじゃないか?
話の腰を折らないように口にしなかった感想。
そんなのは素振りで簡単に見透かされてしまったようで。
「ははっ、そりゃお前はそうだろうな。」
長い付き合いの親友は短く苦笑した。
「そんな理念の団体だから
資金の使われ方はちょっとした田舎に
コミューンを設立し、」
ほんのりおどけた尊大な声色で
「うつしよに疲れた迷える仔羊たちを
阻むことなく受け入れていたわけだ。」
「………ウツシヨってのは?」
「現世!現代社会のことだよ!」
………なるほど。
確かに何もしていない。
環境を整えるのみで悟りに対する教導は
自主性に任せたゆとりのある方針だったのか。
「でも…何もしなかったってことだよな?」
「ああ。叶芽に対しても、な。
両親は元々宗教に疎かったらしく
生まれつき虚弱体質の叶芽をサナトリウムに
入れるつもりで天羅協会の門を叩いたらしい。
だかそれも体調が安定するまでだ。
完全に経済的な自立まで果たしてしまうと
叶芽一家は生活のすべを失ってしまう。
だから御両親は働きながら施設利用費を納めて、
幼少の叶芽を年長から小学校卒業まで
天羅協会のコミューンで過ごさせたわけだ。」
「でも、慢性骨髄性白血病が発症した。」
「あぁ。いつもの様に発熱を起こしたかと
思ってもその日だけは違ったんだろう。
初期症状は高熱と皮下出血。痣のことだな。
療養の範疇を出ない医療設備ではとても対処出来ない。
直ぐに山を降りた集落の病院に送られ
慢性骨髄性白血病の診断を受け、
入院治療を開始したんだ。」
「………………」
閉ざす。黙するのみで。
そのハナシに現れている百合音は
彼女の乗り越えた過去だ。
当時のボクにはどうこうできたものではないし、
そもそも過ぎたコトなのだから結果論で
とやかく言うのは何処までもお門違いなんだ。
力む。ただ握り込む。
だが何だ。この胸に沸々と煮え上がる
四肢の骨髄に溜まっていくような激情は。
篭める。抑え込むまま。
爪の下が鬱血する。閉めるようでいて膨らむような発露。
街角とはいえ街路沿い。常識人には有るまじき硬直と下に伸び切った両腕。
「お、おいサトル…」
声が、震えている。
ーーー、?
「っふぅ………何だ?」
気に当てられたというか
拍子抜けしたというか。
途端どうでも良くなって弛緩。
今となっては最早火照りもない。
「ーーー、いや。いい。話を続けるぞ。
彼女の容態は深刻だった。
痣や出血が起きやすいことはさっきも説明したが
それ以上に危険視しなければならないのは
免疫細胞の低下による感染症の併発だ。
ワクチン接種も臓器移植も
結局は人体の精巧な自己保全機能を
頼りに内向的な成果を期待するもんだ。
でも造血機能が異常を起こし肝心の病原菌と闘う
白血球が少なくなっちまっては意味がない。
彼女は治せないんだよ。要するに。
投薬治療をするにも免疫が更に弱くなって
無菌状態でも現在発症している感染症に
対抗出来ない。
さらにはドナーから骨髄を移植しても既に癌細胞が
血流に乗って転移しているであろうステージでは
再発の可能性が非常に高い。」
唐突なフラストレーションに渇ききった口腔内が
複雑な専門用語の羅列を前にして再び潤いを取り戻していく。
まぁ要するに。
入念な事前調査に裏付けられた
ハヤトの丁寧な講釈に対し、
半分以上も内容を理解できないボクは
話の内容ではなくアホのように滲み出る唾液を
飲み下すことしか出来ないわけで。
「言っちゃあなんだが千日手。
いや、それどころかすこしづつ衰弱していく叶芽百合音に
移転先の医療設備ですら最適解を示すことが
出来なかったんだ。」
「じゃあなんだよ…
そもそも今現在よりもっと前、
高校でオレたちが出会ったことすら
お前からしちゃ奇妙な出来事だったってのか?」
ヤツはまぁまぁ、と少し鬱陶しそうな
ニュアンスまで滲ませて横槍をいなしてみせる。
「ハナシは最後まで聞け、サトル。
とにかく当時の医療技術じゃ精々が延命措置どまりだったわけだ。
だが、まだ医療未満のアプローチ、
学術領域の臨床試験まで視野に入れるなら
事態は変わってくる。」
「え…?」
「オマエはさっき奇妙といったが。
調べ上げた俺が評価するなら奇跡に近い。
抗がん剤を投与した輸血でもって
全身を人工透析しながらの骨髄移植。
海外を含めて成功例が3件そこらの大手術だったらしい。
結果は………言うまでもないな。
手術自体もそうだが肝心は患者の体力勝負でな。
彼女はその大博打に打ち勝った。
ああ見えてジッサイは相当にタフなんだぜ?彼女。」
そうか、そうなのか………
結果の分かりきった憂慮に胸を撫で下ろす。
だが、それもじきに、ーーー
「でも、それってさ。」
「ああ、叶芽一家は表立って
天羅協会の教義に背反した。
手術もそうだが余すことなく全身輸血なんか
自然派の奴らにとっちゃ自害もんだ。
彼らは脳みそを自意識の在りどころと
見なしちゃいないからな。
機械論と神秘主義は何処までも相容れない。
ーーー、あの夫婦だって。
娘のためにやれる事は全てやっていたんだ。」
「なら………それで全部いいじゃないか!
全員が助かって、全員が今を生きていられるなら、ーーー」
ーーー、そこまで言って。
ボクは、喉仏まで出しかかった愚かな妄言を抑え込んだ。
あぁ。これが絵本、御涙頂戴のドキュメンタリー番組なら
ここでハッピーエンドだろう。
だが、生き残ったからには。
やはり死ぬまで物語はつづいているのだから。
「………そうさ。中学生の思い出をすべて犠牲にした
院内での経過観察ののち、叶芽百合音は再発した。
2年生での高校転入をひかえた頃だったらしい。
そこまでやった後の再発だから、
がん細胞は全身にまで転移してしまっている。
叶芽百合音は抗癌治療を拒み、
叶芽夫婦のココロはガラガラと音を立てて崩れてしまったわけだ。」
「ーーー、っ」
早足で引き返す。
「お、おい!ちょ………待てよ!」
またしても眼前にそびえる古風のアンティークドア。
丁寧ながらも勢い余った入店でカランと
短く大きく音を立てるベル。
「ーーー、ユリネ。」
「お話は済みました、か?」
後から店内の空気を乱さぬよう
ゆったりと取り繕った歩速でテーブルに手を置くハヤト。
「オマエの言う通りだ、サトル。
全員が助かって。全員が今を生きている。
………そうなんだろう?」
奇跡はとうに果たされた。
であればやはりこの邂逅は奇妙だとでも?
いや、違う。そうじゃないだろう。
「変わらず、ボクは。
ボクのやるべきことを、するまでなんだ。」
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