性暴力が星を滅ぼす

シネラマ

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第1話 映画は独りで見たい

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 ダメだ、チャンネルを変えないと。私は室内を見回し、リモコンを探した。だが、見当たらない。仕方なしに、テレビに近づき、高い位置にある電源ボタンを見上げる。背筋を伸ばしてボタンに指が届いたときには、もうキスシーンは終わっていた。夜の室内、老朽化した洗濯機から発せられる唸り声が響き渡った。
「まだ、こんなことすらダメか」と私は声に出して言った。あと一時間も過ぎれば日付の変わるこの時間帯、コインランドリーには、私の他に誰もいない。

 自宅の洗濯機が故障したせいで、今日は近所のコインランドリーに来ている。深夜二時まで開いているこのランドリーには洗濯機が六台、乾燥機が四台あり、暇つぶしのためにテレビと雑誌類が置いてある。テレビモニターにはさっきまで、学園ミステリーもののドラマが映し出されていた。インターナショナルスクールを舞台に、不審な死を遂げた生徒の、その死の真相をクラスメイトたちが探る、いま話題のドラマだ。日本のドラマには珍しく、人種問題もテーマとして強調されているところが高評価と聞く。恋愛ものじゃないからと安心していたのが迂闊だった。特に恋仲ではなかった男女の生徒が、人けのない路上で何の伏線もなく突如、濃厚な接吻を始めたのだ。それまで、スウェット姿でぼんやりとモニターを眺めていた私は、急に胸が苦しくなり、ぜいぜいと喘いだ。あのドラマも、もう見続けるのは難しいだろう。性や愛情表現としての肉体的接触はキスシーンですらダメなのだから。

 数分程だろうか、目を閉じ、胸に手を当ててゆっくりと呼吸をし、気持ちを落ち着かせた。目を開けると、視界の中に獣がいた。大きさは手足の長さを除けば猫くらい、褐色の体毛に覆われ、黒光りする目玉には威圧感すらある。そいつ、猿は軽やかな動きで、テーブルを挟んだ私の向かいにある椅子に座った。
 まったく可愛くない。動物を好きになろうとした時期もあったが、犬も猫も好きにはなれなかった。目の前のこいつは何なんだろうか。幼い頃、住宅地に猿がよく出没する地域に住んでいたから、いきなり猿を目の前にしたところで驚きはしない。とはいえ、いま住んでいる街で野生の猿が徘徊するわけはないから、不思議に思った。どこかで飼われていたものが逃げ出したのだろうか。
 そのとき、異変が起こった。第一に気づいた異常は電子機器だ。テーブルの上にあった私のスマートフォンがバイブ機能とは異なる振動で本体を震わせ、狂ったリズムを奏でる。次に、まだ脱水の高速回転中だった洗濯機が急に活動を停止。消えていたテレビモニターには一瞬だけ、光の瞬きが流れた。それから、室内の電灯が何秒間か点滅を繰り返す。ホラー映画で目にするポルターガイスト現象みたいだ。最後の異変は床で起こった。猿の近くにある洗剤自販機の脇、それまで存在に気づくことのなかった紙袋の中からパチパチと音が弾ける。その直後、紙袋は燃え上がり、瞬時に炭と化した。中にあったものが床に散らばる。ラベルの貼られていないビデオテープだ。五、六本のテープはそれぞれがキュルキュルと音を立て、自ら巻き戻り始める。非現実。ありえないことが起きている。だが、それもあくまで、現実に存在する物の非現実な動きにすぎない。そのあとに生じたことは存在自体がありえなかった。最後のテープが巻き戻ったとき、それは出現した。

 ×××

 映画を見るのが好きだった。ライブハウスやカフェに比べると、映画館では女一人でも、声をかけられることが少ない。最初はリラックスして過ごせる場所として通い始めたが、映画自体も好きになり、恋愛映画以外はジャンルを問わず見るようになった。ただ、ホラーはいまでも女の一人客は珍しいようで、たまに奇異の視線を感じることはあるが。性別に関わらず、隣にはなるべく人がいないほうが安心できるから、基本的には空いてそうな時間帯で見ている。とはいえ、私の住む地方都市では、映画館が満席になることは稀だ。一度、法事で東京へ行った際、新宿の劇場で鑑賞したことがあり、平日のレイトショーだというのに、ほぼ満席だったのを驚いたことがある。私には閑散とした空間こそが心に優しい。
 最近のアクションやホラーはいわゆるベッドシーンがあまり出てこないから助かる。恋愛要素がダメなわけじゃない。肉体が接触する描写が耐えられないのだ。アメコミ原作映画で、キャラクター同士が惹かれ合っても構わない。それでも、キスなどの交わりは見ていられなくなる。男全体を憎むわけじゃないが、男ばかりで画面が埋め尽くされるのも厳しいから、戦争映画も苦手だ。逆に、ことさら女の活躍を強調した作品も、かえって意識してしまい、楽しめない。作り手の志には賛同する。しかし、私には受け止められるだけの余裕が持てない。家族愛を描いたものも、親子の関係なら大丈夫だが、夫婦になると拒絶反応が出てしまう。男も女も私情を抑えて、事に当たるサスペンスなんかがいい。ジョージ・クルーニーとニコール・キッドマンが出演した『ピースメーカー』はそんな映画だった。ああいうのが見たい。『マッドマックス』の最新作もよかった。あの作品でフュリオサ役を演じた、シャーリーズ・セロンは好きな俳優だ。他にもSFは好きで、昔の白黒の海外ドラマ『アウター・リミッツ』はDVDで全話見た。あのドラマの第一話に、ラジオの受信機を介して、目に見える電磁波の形状をした宇宙人が登場する。いま、ビデオテープから現れたのは、それに近いやつだった。

 ×××

 巻き戻ったビデオテープの内、一本が今度は再生をするように回転し始めた。すると、カセットの中からチラチラとした粒子の集まりに見える平べったい模様が立ち上ってくる。色はネイビーとグリーンが混じり合った感じだ。波打つオーロラさながらの動きをする、一辺が一メール程の正方形に近いそれは、数秒程度、空中を漂ったあと、猿の耳の中に吸い込まれていった。私は一連の出来事をそれこそ映画のワンシーンを見るかのごとく、微動だにせず眺めていた。

「まず、冷静に話を聞いてほしい」とそいつが言う。
「もちろん、落ち着けるわけがないことは承知している。君に信じろというほうが無理な話だろう」
 私は特に慌てもせず、慎重でもない手つきで、テーブル上のスマートフォンに手を伸ばした。その行為が助けを呼ぶためか、何かを調べるためか、あるいはテーブルを挟んだ数十センチ先で喋くる動物を撮影するためかは自分でもよくわからない。
「すまない、機能を停止させてもらった。誰かを呼ばれたり、記録に残されたところで、我々に害はないが、君が困るだろうと思って。ちなみに、この話し方に違和感はないだろうか。希望があれば変えるが」

 恐怖はない。パニックにも陥っていない。だが、室内に異常が現れてから胸の鼓動は高鳴っている。理解の追いつかない事態が続き、しまいには猿が人の言葉を操っている。なんだ、これは。
「科学がどんなに進歩しても心を読むことはできない。こちらの勝手な都合で申し訳ないが、君の表情から、このまま話を続けても問題ないと判断させてもらうことにするよ」
「あの、えっと、帰っていいですか?」
 尋常ならざる存在を前にして、私はこう口にした。それが本心だった。
「なるほど……」と猿は私を見つめながら独り言のように漏らした。それから「どうしたものか」と呟いた。
「下調べはしてきたが、私にとってもファーストコンタクトだからね。まず、これはわかってほしい。君に危害は加えない。次に、この機会は君にも得があるはずだ。そして、この状況について、これから説明をする。だから、話を聞いてくれないか」

 本当にわけがわからない。現実であってほしくない。いっそ、私の頭が狂っていたほうがマシだ。現実にこんなことが起きうるとしても、私の人生ではごめんだ。椅子から立ち上がろうとするが、腰が抜けたような感覚で体が持ち上がらない。力めば何とかなりそうだが、体にまとわりつく倦怠感がそれを拒む。もうどうでもいい。
「あなたはオスなんですか?」
 最初の質問がそれなのかと、言った矢先に苦笑した。気づくと、動悸は収まっていた。
「ふむ、それを含めて話そう」

 猿は説明を始めた。やつが言うには、地球より遥か遠く、単純に距離だけの問題ではないらしい、私たちには理解が及ばない場所の星に住んでいるという。水や空気や動植物のいる星には違いないようで、彼ら自身の故郷では地球人と同じく肉体を持っているそうだ。なんらかの装置を使い、あの粒子のオーロラ状の形態で地球へやってきたと言った。技術的なことは教えてくれなかったし、こちらも特に質問しなかった。一つだけ、なぜビデオテープから現れたのかは聞いてみたところ、どうも磁気テープが伝送を行う上で相性がいいらしいとのことだった。粒子のままでは会話ができないため、猿の肉体に、地球でいうところの〈憑依〉をしているのだという。ふざけた話だ。

 私は猿の説明を、セミロングの毛先をいじりながら適当な相槌を打ちつつ、聴き続けた。途中、ダークブラウンの中に一本、白髪を発見し、一瞬、私の顔は醜く歪む。
「理解してないし、なんでもいいんだけど、最初の質問に答えてないよ」
 私はタメ口になっていた。
「そうだった。失礼。まず、この動物はメスだ。だが、私の声はどちらかといえば、地球の男性に近い」
「吹替版」と私は言った。「あんたの喋り方、洋画の吹替とかアニメのキャラクターみたい。『ふむ』なんて言う人、実際にはいないよ」
「そこも説明させてもらおう」と妙にかしこまった、まったく自然体ではない口調で猿は言う。低いトーンでありながら、はっきり聴き取れる活舌のよさも声優みたいだ。
「ここへの訪問前、君たちの文化を受信して集めたアーカイブで学習したんだ。テキストを翻訳するより、音声から解読するほうがやりやすかった。私のケースでは、君の指摘したコンテンツからの学習が多かったせいだろう」
「うん、まあ、わかった」
 私は気のない返事をした。
「我々の星にも肉体的に二種類の性差がある。精神的な面や解釈を考慮すれば、さらに多くのパターンを持つ」
「へえ、地球と同じなんだね」
 また気のない返事。
「君の質問について、二種類あるといっても地球での男女とはやや異なる。が、どちらかに分類するならば、私はオスだろう」
「それで、男の声ってわけ?」一つ理解が増えたが、何もすっきりしない。頭はぼんやりしたままだ。
「それで、目的は?」

(続く)
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