僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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二十二章

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 急に咳き込んだ北斗は「ノロケ話」という六音節しかない語彙を、たっぷり三十秒かけて発音した。そこまでしてきちんと口にしたかったのかと思うと胸に温かさを覚えたが、それ以上に、
 ――なんで目を閉じたままんだよ!
 と北斗を詰問したくて堪らなかったのが正直なところだ。けどまあコイツの事だから、ちゃんと理由があるのだろう。溜息を胸の中でつくにとどめて、僕は先を続けた。
「卒業式の日に六年生校舎の前で真田さんと荒海さんにお会いした時、僕は北斗に違和感を覚えなかった。どうして?」
「多分それは、そよ風の半分の半分ほどの風を、吹かせられるようになったからだと思う」
「そうなんだ。それって上達してる?」
「残念の極みだが、上達してない。もし上達してたら・・・」
 北斗は途中で言葉を切り、顔を上に向けた。ほぼ真上を見上げるほどの傾斜角にピンと来て、問うてみる。
「空を翔ける僕を、もっとはっきり見えたはずって、考えてる?」
「ああ、そうだ。あのとき俺は眠留の気配を、遥か上空に感じた。インハイの埼玉予選と長野決勝で感じたのと同じ気配だったから、俺は命懸けでお前の気配を探った。朧気に、眠留が俺の真上に向かって凄いスピードで走っているのが観えた。眠留は1キロほど駆け、そして俺の真上で直角に折れ、そして光を増した。三倍くらい明るくなったように、感じたよ」
 北斗の話に幾つもの考察が生じたので、僕は北斗に請い、それらを整理する時間をもらった。
 最初に着手したのは、インハイの埼玉予選と長野決勝で北斗は翔化した僕をやはり感じていたんだな、だった。ただ、北斗の発言から判明したのはここで終了だったため、翔化中の僕をどのように感じたかを北斗に尋ねる決定を胸中くだした。
 次に着手したのは、あの特殊な悲想についてだった。北斗の口調と気配から、あのとき自分が悲想を生んだことを、北斗は知らないように思えた。だがこれについて尋ねるのは、北斗が翔人になってからなのだろう。しかし水晶には、帰宅するなり説明せねばならない。そのリハーサルを簡単に済ませ、僕は最後の一つに移った。
 最後に着手したのは、三倍くらい明るくなった、についてだ。北斗の見立ては正確であり僕は確かにあの時、百圧から九百圧に切り替えた。生命力圧縮中の時間は平方根の速さで流れ、百圧中は十倍、九百圧中は三十倍になるから、三倍明るく見えたのは正しいと言える。ただそれでも、僕はある可能性を捨てきれなかった。それは、
 ――2メートルの距離を隔てて座っている僕を、北斗は見えていないのでは?
 だった。僕は約二年前、輝夜さんの九百圧を見た。仮にあの時の輝夜さんが2メートル先にいたとするなら、僕は痛いほどの眩しさを翔化視力に覚え、まともに目を開けられないに違いない。また僕と末吉は四百圧なら戦闘で多用しており、それぞれの四百圧に眩しさをはっきり覚える事から、四百圧でも同種の痛みが視力に生じると予想される。比較的多用する四百圧ですらそうなのだから、命を危険にさらす九百圧は、ひときわ強烈な光を周囲に放つはずなのだ。
 にもかかわらず、眩しさを連想させる語彙や口調が、北斗の話には無かった。朧気という語彙を使っている事からも窺えるように、「薄っすら見えていたモノが三倍明るくなったお陰でようやくはっきり見えるようになった」に類する印象を、北斗の話に僕は抱いたのである。強い輝きを放っていたら、たとえ500メートル離れていても、人はそれを強い輝きとして知覚するもの。あの時は夜空を背景にしていたのだから尚更だろう。然るに僕は、この可能性を捨てきれなかったのだ。「百圧でも朧気だったのだから、生命力圧縮をしていない今の僕を、北斗は見えていないのではないか」と。
 そしてそう仮定すると、瞑目を続けている北斗の意図を推測できた。瞼を閉じていると瞳孔が開き、暗がりでも目が効くようになる。早朝自主練を六年間続けた北斗は、それを身をもって知っているはずだ。よって北斗は、こう考えたのではないか。「肉眼の暗視視力は瞑目で向上するのだから、特殊視力も瞑目で向上するのではないか」 これは、概ね正しいと言えよう。その最大の理由は、北斗の確信にある。瞑目と暗視視力に関する北斗の確信が翔体に影響を及ぼし、翔化視力を向上させたとしても不思議はないからだ。かくして僕は、「北斗の瞑目はれっきとした翔化視力増強術」と結論づけるに至った。ならば僕も、
 ――その手助けをしよう。
 努力する友を助けるのは、当然だからさ。
 といった具合に脳内の整理を終えた僕は、予め決めていた質問をした。
「インハイの埼玉予選と長野決勝で感じた僕の気配を、教えてくれるかな?」
「埼玉予選の気配は、勘違いとして破棄するギリギリしかなかった。隣で一緒に応援している眠留の気配を1000とするなら、1程度の気配が眠留から離れて戦場上空に飛んで行った気が、チラッとしただけだった。勘違いとして破棄していたら、戦闘が終わった時の『戻って来たような気配』を、到底感じられなかっただろうな」
 北斗はそれ以降、部活をしている僕の気配を、目に頼らず知覚する訓練を秘かに始めたと言う。そんなの全然気づかなかったぞと口を尖らせた僕に、索敵感度ではなく受信感度を鍛えたからななどと、恐ろしく穿った返答を北斗はした。レーダーの電波のように意識を周囲に放つと魔想の位置を特定できるが、それは翔人の意識が魔想に届いたという事でもあるため、魔想も翔人の存在に気づいてしまう。よってこちらから索敵するのではなく、魔想の放つ魔意識の受信感度を上げるべく、翔人は日々鍛錬を続けている。とはいえ幾ら鍛えても猫や犬や鳥には勝てないから翔猫や翔狼や翔鳥がいるのだけど、それは脱線なので話を元に戻すと、北斗は正式な訓練を受けていないのに、索敵より受信を鍛えるという正攻法に独力で到達していたのだ。まあそれが北斗の北斗たる、所以なんだろうけどさ。
 再度脱線しかけたので話を戻すと、目に頼らず僕を知覚する訓練が活き、長野のインハイ決勝では予選を十倍する、10の気配を感じる事ができたと言う。勘違いではないとの確証を得た北斗は引き続き受信感度を上げつつ、特別な視力も鍛え始めた。ただこれはうまく行かず、鋼さんの光を奇跡的に知覚できただけに留まり、自分には才能がないのではないかと北斗は悩んでいたらしい。「だから眠留が空を水平に駆けている様子が朧気に見えた時は興奮してさ!」 そう興奮して話す北斗に、今の僕は見えていないのではないか仮説が、仮説ではなくなってゆく。ならば僕がすべきは、
 ―― 努力する親友を助けることのみ!
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