僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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十三章

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 おそらく僕は数秒間、我を忘れていたのだと思う。
 ふと気づくと僕は意識を二分割し、一方を体から解き放って、真田さん達と共に砦を目指していた。その解き放った方は、普段の翔化と同じく「意識の焦点がずれる感覚」があったのに、翔人の規則を破っている気はなぜかしなかった。ただ、三人チームとして登録している大会の規則には違反していると感じたので、僕は先輩方から離れて上空へ移動した。すると思いがけず、そこは戦闘を観察する理想の場所だった。ズルをしている気がしないでもなかったが、真田さん達の技術を学ぶ最高の機会を逃していいのだろうか、と自問するや迷いは消えた。最上の特等席を与えられた幸運を活かすべく、僕は意識を研ぎ澄ましていった。
 湖校チームは荒海さんを先頭に、三人縦隊で砦に近づいていた。観客と他校の選手達は、この三人縦隊に異なる反応をしていた。観客は、「正門に通じる道の端を歩いて砦に近づいている湖校チームは、熟練度が低いのかな」に類する顔をしていた。対して選手達は一様に、驚愕の表情を浮かべていた。魔族で最も狡猾な猿族は、砦の周囲に魔族随一の罠を張り巡らせると言われていた。かつその罠には、侵入者の存在を知らせるだけのものも含まれているため、上級チームさえ、壁を越えたとたん猿達に包囲される事があった。よって櫓の見張りが建物内に引っ込む雨天時は、罠の存在しない正門の道を使う方法もあるにはあったが、それを公式戦で加点要素にしたチームは事実上、新忍同本部直属のチームしかなかった。なぜなら新忍道の公式AIは、技術的裏付けのない運の良さだけで成された作戦を、評価対象にしないからである。そして他校の選手達は、その技術的裏付けが湖校チームにあることを知っていた。現時点で最高評価を得ている武州高校の選手達の会話を、僕の聴覚が捉えた。
「おい、あの砦は、猿族の砦で間違いないよな」
「猿族は数本の木を故意に残して砦を作る。生木がそのまま残っているのは成人チームだけで、俺達未成年は木の上部が切り取られた形になっているが、それでも敷地内に木が五本も残っている砦は、猿族以外に考えられないな」
「そんなことは分かっている。俺が言いたいのは、上級以上のチームのみに類人猿との戦闘が許可され、しかもあれは高確率で狒々の砦だってことだ。つまり!」
「ああ、俺もそう思う。つまりあの三人は直近一か月と先週の受け身試験で、最上級に認定されたって事だな」
 武州高校の、おそらく部長と副部長の推測は正しかった。真田さん達三人は、去年の八月末に上級の仲間入りをし、そして今年の三月末に最上級の認定をもらった。そしてその後の二か月を難度最高のモンスターとの戦闘に費やし、万全の態勢でもってこの大会に臨んだのである。
 だがこれらの推測を立てられるのは新忍道関係者に限られ、それに該当しない大多数の観客達は、弛緩した顔をフィールドに向けていた。それが吉と出るか凶と出るか現時点では判らないが、一つだけ確信していることが僕にはあった。それは、湖校の三戦士が観客席の弛緩した空気に惑わされることは、決して無いということだった。然るに僕も先輩方に倣い、モンスターとの戦闘に意識を集中した。
 湖校の三戦士は、腰を落とし身をかがめ、歩調を自然にばらして正門を目指していた。腰を落とし身をかがめると足音が小さくなるのは本能的に理解できるので、これは上達が比較的容易な技術と言えた。だが、歩調を自然にばらす歩行は、相当の訓練を必要とした。足並みをそろえると足音も振動も大きくなるから足並みを意図的にばらす必要性は理解できても、それを各自が無意識下で行うのは時間がかかった。歩調を意図的に変えることから始めて、次いで敵の気配を探りながら同じことを行い、そして最後は、全注意力を周囲へ向けつつ足並みを無意識にばらしてゆく。これを体得したチームは、不規則に地面を叩く雨粒の如き歩調になるため、新忍道を知らない人ほどこの高等技術に気づけないという現象が生じた。しかし新忍道関係者にとっては真逆であり、そしてその両極端の状態が、今まさに観客席で起きていた。湖校チームの高等技術に興奮する選手達を、大多数の観客が不思議そうに眺めていたのだ。その結果、湖校の前にモンスターと戦った七校では見られなかったざわめきが観客席に生じていて、普通ならそれは戦闘中のチームに不利な状況なのだろうが、僕はそれに少しも不安を覚えなかった。なぜなら僕らは嵐丸のお陰で、ギャラリーが大勢いる中での戦闘に慣れていたからである。僕は胸の中で嵐丸と、ギャラリーのための観覧席を作ってくれた咲夜さんへ、真摯に手を合わせた。
 正門は、砦南部の西端に作られていた。高い技術力を有する湖校チームは正門横の壁に無事到着したが、狡猾な猿族は人間の接近に気づいていない演技をしているだけかもしれない。真田さんと黛さんが横に並び、その肩の上に荒海さんが立ち、櫓の柱に隠れつつ赤外線スコープを砦内部へ向けた。モンスターの建物は目立たない場所に外部監視穴を設けていることが稀にあり、その監視穴をこのAIスコープは見つけてくれる。よって見張りが建物内へ移動する雨天時は必須装備になっているはずなのだが、湖校の前の七校はスコープを用いず壁越えを行っていた。観客席の複数個所から聞こえてきた「来年は絶対スコープを使おうな」という声へ、僕は静かにエールを送った。
 必要な情報をすべて確保したのだろう、荒海さんは頭を動かさず右手でスコープをしまった。と同時に左手を腰に添え、まず指を二本立て、続いて親指と人差し指で丸を作った。「監視穴は二つあるが穴の向こうに猿はいなかった」というハンドサインを出したその手を、真田さんがそっと叩く。それを受け荒海さんは、
 スルル 
 そう表現するしかない滑らかさでもって壁の向こうへ消えて行った。この高等技術は、真田さんと荒海さんのある意味ネタになっていた。真田さんが「絹のドレスから絹のストールが滑り落ちるような、と表現したくても荒海は男だしな」とわざとらしく肩を落とし、「気色悪いこと言ってんじゃねえ真田」と荒海さんがドスの効いた声を出すという、男友達特有のやり取りをお二人はしばしば交わしていた。そしてそれは、戦闘中も変わらなかった。お二人は言葉に頼らずとも無限の信頼を介し、戦闘中もそのやり取りを交わす事ができるのである。それは僕ら後輩達を感動させ、よって感嘆の声を上げぬよう押し黙るのが僕らの常なのだけど、それは湖校新忍道部に限った現象だった。これまで見てきた七校とは明らかに異なる、シルクを彷彿とさせる荒海さんの壁越えに、観客が騒ぎ出したのだ。しかもその上、真田さんと黛さんも荒海さんに準ずる滑らかさで壁越えをしたものだから、観客席は煮えたぎる鍋のような状態になってしまった。公式AIが気を利かせ、砦が観客席に近づいて来る際のBGMを大きめにし、おどろおどろしいエフェクトも加えてくれたお陰で、喧騒はなんとか収まってくれた。そしてひとたび収まると、今度は張り詰めた静寂が訪れた。これから始まる戦闘を一挙手一投足たりとも見逃すまいと、皆が息をつめ目を皿にしたのである。そんな皆の様子に、
 ――ここにいる全員が戦友
 との想いが胸にせり上がって来た僕は、皆と心を一つにして三人の勇者へ視線を注いだ。
 といっても3D壁に遮られ、観客は湖校チームをまだ視野に収めることができなかった。でも、それで良いと僕は思った。なぜなら壁の向こうで何が行われていたかを、知られずに済んだからだ。
 強化プラスチックをコンクリートでコーティングした壁は、10メートル四方の自走車の上に設置されている。そしてその自走車は、選手が壁越えを完了させるとフィールドの外へ去ってゆき、代わりに虚像の壁が出現する。つまりどういう事かというと、壁越えを終えるなり選手達は歩いて自走車から降り、砦の3D映像と共に観客席側へ移動し、そして「今まさに壁から降りました」という体勢を整え、虚像の壁が取り払われるのを待つのである。戦闘に臨む選手たちの真剣度合いを知らない観客がその光景を見たら、興ざめは避けられないだろう。よってこれで良かったのだと、僕は思ったのだ。
 とここまで考えたところで、ある疑問が沸き起った。それは、紫外線視力を持つ人にはどう見えているのかな、という疑問だった。三原色に紫外線を加えた四つの色を吸収できる四色型色覚を持つ人は女性に多く、約3%の女性が紫外線視力を持つことが判明している。神経から漏れ出る電気信号と生命力は紫外線側にあることを考慮すると、200人を超える女性観戦者の中には、それを知覚できる人がいるかもしれない。ならばその人には壁越え以降の様子が見えているのかな、と疑問を覚えたのである。するとそれが基となり新たな疑問が芽生えようとしたのだけど、
 シュワ~~ン
 それより先に砦の3D壁が取り払われた。僕は頭を振り芽生えかけた疑問を外へ追い出して、戦闘に集中した。
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