僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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十三章

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 しかし、人は完璧ではない。
 僕の友人になる道を選び、僕との友情を深めていったとしても、そこにいささかの苦痛も覚えないとは限らない。
 智樹が何を思い何を感じているかは、智樹しか知らないのである。
 だから僕はそれを尋ねた。
「神社の仕事を日々している、神社に生まれた僕と関わって、苦しかった?」
 夕焼け色に染まり始めた光に背中を温めてもらえていなかったら、僕はそれを、震える声で言ったと思う。
 冷や汗にめっきり冷たくなった指を、テーブルの下でぎゅっと握りしめた。
「眠留が去年の夏、サッカー部にやってきた日の最初の三十分は、少し苦しかったな」
 肩甲骨あたりに感じていた温かさが、ふと増した。苦しかったという智樹の告白に背中が丸まり、お日様に温められた衣服が肌に直接触れたのだ。
 その温かさに感謝と別れを告げ、僕は背筋を伸ばす。左隣の智樹も、同じタイミングで居住まいを正した。そして遠い目をして、誰に話しかけるでもなく智樹は口を開いた。 
「子務放棄権を行使した子供達の専門施設に俺が入ったのは、小学六年の春休みだった。そこはとても居心地が良く、九割の子供が併設された高校を卒業するまでそこで暮らしていた。俺もそのつもりだったが、なぜか研究学校の入学案内が届いてさ。そこを出てゆく一割の子供に、俺はなったんだよ」
 その施設には一般平均の二倍にあたる、10%の子供に入学案内が届くそうだ。京馬が小学一年と二年を過ごしたクラスも同じ比率だったから、
 ――艱難かんなんなんじを玉にす
 という言葉は、きっと真実なのだろう。
「一年時のクラスメイトに、宗教の熱烈な信者はいなかった。それは寮もサッカー部も同じだったが、厳密にはサッカー部は、少し違うんだ」
 智樹はここで一旦言葉を切り、目線を上に向け「アイ、話していいかな」と問うた。「この場でのみそれを許可します」との教育AIの返答とともに、相殺音壁最大の文字が僕らにだけ見える指向性2Dで表示された。食堂で歓談する他の生徒たちの注意を引かぬよう、僕らはさりげなく、教育AIに秘密厳守を約束する。皆に謝意を述べ、智樹は秘密を明かした。
「熱心な信者と関わりたくなかった俺は、そういう部員のいない部を教えてほしいとアイに頼んだ。それは教えられないが候補に挙げた部の該当者の有無なら二回まで答えると、アイは言った。正直、アイを恨んだよ。答えてもらえるのはたった二回だから俺は候補を厳選せねばならず、厳選するためには部に体験入部せねばならず、そして体験休部したら該当者と関わってしまうかもしれないからだ。幸運にも真山と知り合い、その人柄に惚れた俺は、真山と該当者を秤にかけた。真山のいない部で過ごす六年と、該当者が多少いても真山と一緒に過ごす六年を、天秤に掛けたんだ。真山には悪いが、三日三晩悩んだよ」
「仲良くなったヤツが急にやつれて行ったから、あの時は驚いてさ」
「真山は親身に理由を訊いてくれたが、男惚れしたお前と過ごす六年間を天秤に掛けてるなんて言えなくて、俺スゲー困ったよ」
「困った度合いなら俺も負けてないよ。だって部活後いきなり呼び止められて、『俺はお前に惚れたからお前と六年間過ごす!』なんて、大声で宣言されたんだからね」
 最高レベルの相殺音壁でも消しきれない大爆笑が周囲に満ちた。特に香取さんは笑うだけでは収まらなかったらしく、瞳を爛々と輝かせながら真山と智樹にマイクを向け、俺はお前に惚れた大宣言をインタビューしていた。その流れで那須さんと香取さんの席が入れ替わり、智樹と香取さんが並んで座るようになった事は、二人を見守る僕らの胸を甘酸っぱい気持ちで満たしてくれた。
 僕ら七人は、テーブル東側に新メンバー三人が、テーブル西側に旧メンバー四人が、それぞれ分かれて座っていた。一見するとそれは、旧メンバーが横並びになって新メンバーを迎え入れた形になっていても、内実は違った。トイレ休憩時に新メンバーが合流した際、智樹を除く男子四人は、智樹と香取さんを隣同士にする方法を話し合った。その結果、最初からあからさまに二人を並ばせない方が無難という真山案が採用された。その案に、新メンバーを加えることを請うた智樹が七人の中央に座るという要素を加えると、席順はおのずと決まった。那須さんと香取さんは西日を背にする場所に座りたがるから、テーブル西側に旧メンバー二人がいて、東側に新メンバー三人がいれば、彼女達は自然と西側を選ぶはず。その際、真山が新メンバーの北の端に座っていれば、香取さんも旧メンバーの北の端に座りたがるだろう。実際は椅子を少しずらしており、香取さんの真向かいが真山にはならないのだけど、僕らが座っている場所と女子トイレは二十メートル近く離れているから、一瞥しただけでは分からないだろう。よって旧メンバーは西側北から香取さん、那須さん、智樹、僕になり、新メンバーは東側北から真山、猛、京馬になると僕らは予想した。ただその時点では、那須さんと香取さんの席を入れ替える方法を僕は知らされていなかったが、真山が「俺に任せて」と微笑んだので不安はなかった。現にこうして、真山の予想どおりになったしね。
 ともあれ、大爆笑とインタビューが一段落したところで、智樹は話を再開した。
「宗教を熱心に信仰している部員がサッカー部にいるかどうかは、教育AIに尋ねなかった。そして時が経つにつれ、尋ねなくて良かったと思うようになっていった。俺は、部活が楽しかった。俺はサッカー部が大好きだった。そしてそれは、サッカー部に該当者がいないからではなかった。該当者がいないという前提がなくても、俺は同級生や先輩方と仲良くなり、その結果、サッカー部が大好きになった。教育AIに尋ねなかったからこそ、俺はそう思えたんだよ」
 適切な譬えなのか自信ないけど、大手術後はまず安静を命じられ、続いてリハビリを求められることを僕は思い出していた。子務放棄権の行使は心の大手術に相当するから、その後しばらくは、社会から離れた場所で同じ経験をした子供達と安らかに暮らす。そして心がある程度回復したら、少しずつリハビリに励んでゆく。このリハビリを、智樹は部活選びで行ったのではないか。該当者の有無を完璧に教えるのではなく、二回までという制約を設け、智樹に努力を求めたのではないか。僕は、そう感じたのである。
 然るに僕は思った。
 いや、願った。
 宗教関係者であっても、盲目的服従のない神道系の生徒である僕の存在が、ほんの少しでもいいからリハビリの一つに、どうかなれましたように・・・  
 その耳に、
「まったくよう」
 智樹の呆れ声が届いた。
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