僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

文字の大きさ
上 下
417 / 934
十二章

二つの違い、1

しおりを挟む
 その日の午後から、香取さんは運動系の選択授業を次々試して行った。小学校の体育の授業が唯一の運動経験という香取さんのような人にとって、それはやはり、体力と精神力の双方を大量消費する行為だったのだろう。日に日に疲労をにじませてゆく香取さんを、僕らは大層心配した。それでも香取さんは、選択授業めぐりを決して止めなかった。香取さんにとって心と体に蓄積されてゆく疲労は、友人達を侮辱してしまった償いでもあったからである。それを知っていた僕らは、全力で香取さんをサポートした。それに応え香取さんも、常に増して前向きな態度で選択授業に励んでいた。そして翌々週火曜の四限目、香取さんが有言実行の人となった丁度二週間後、それは実ることとなる。香取さんは心中、直感的に「これだっ」と叫んだそうだ。それは本人はもちろん僕らの誰もが想像していなかった、剣道の選択授業中の出来事だった。
 香取さんは初期、中期、後期で、性質の異なる運動を選んでいった。かつて運動音痴だった僕には、香取さんの気持ちが痛いほど解った。初期に選んだ陸上や水泳は、同じ授業を受ける生徒達に、迷惑をかける場面が極力少ないスポーツ。それに対し中期に選んだ球技は、迷惑をかける場面が多いスポーツ。そして後期の格闘技は、迷惑うんぬんのレベルではない、相手を打ち負かそうとする気持ちをむき出しにする競技だ。小学校の体育が唯一の運動経験で、体力的にも精神的にも自信を持てなかった香取さんは、一人で黙々と行えるスポーツを初期の選択授業に選んだ。それを四日間続け、香取さんは結論付ける。将来はどうか分からないが少なくとも今の自分にとって、皆に迷惑をかけないという理由で個人競技を選ぶのは、間違っているのだと。
 運動をしている友人達から体力回復のコツを教えてもらい、土日を心身の回復に充て、香取さんは翌月曜から球技に臨んだ。それは、重い決断をしたうえでの行為だった。球技未経験の自分がいるせいで周囲の人達に迷惑をかけてしまうことは、クラスメイトが楽しい学校生活を送れるよう心を砕いてきた香取さんにとって、とても心苦しい事だったのだ。しかしそれは、甚だしい勘違いだった。とんでもない体育教師がゴマンといた祖父母の時代ならいざ知らず、教育AIが目を光らせている研究学校に、基礎体力のついていない球技未経験者へ試合参加を強制する指導者など、いるはず無かったのである。香取さんは胸をなでおろし、未経験者用の練習メニューを黙々とこなして行った。作家の卵として培った集中力が活き、週の終わり頃になると、香取さんは没我状態でメニューをこなせるようになった。するとそれが、朧気に教えてくれた。個人競技より球技の方が選ぶべき授業に近いが、それでも球技は、近いだけでしかないという事を。
 有言実行の人となって迎えた、二回目の土日。香取さんはその二日をまるまる使い、ある決断をした。それは月曜から、格闘技を試してみようという決断だった。根っからの文系人間の香取さんにとって、格闘技は未知の世界だった。例えば陸上競技者が「より速く走りたい」や「より高く飛びたい」という願いを持つのは、文系の香取さんにも容易く理解できた。球技もチームプレーという面を介せば、シュートが決まって浮かれ騒ぐ選手達の気持ちに共鳴できた。だが、格闘技は違った。手足や道具を使い相手の体を打ちのめし敗北を味わわせる格闘技は、香取さんから余りに遠かったのである。けれども最後は、試みる決意をした。その根幹をなしたのは、
 ――友人達を侮辱してしまった
 という慙愧ざんきだった。香取さんは己を罰するつもりで月曜の二限、合気道の選択授業に臨んだ。そしてその授業中、香取さんは再度知ることとなる。自分は格闘技を、侮辱していたのだと。
 道という名を与えられた、日本の武道が合っていたのかもしれない。指導者に恵まれたのかもしれないし、同じ授業に臨む生徒達と相性が良かったのかもしれない。考えられる理由は幾つもあり、そのどれが正しいか判らないが、とにもかくにも香取さんは人生初の格闘技の授業を、楽しいと感じた。礼節をもって技を磨き、相手への敬意を忘れず試合をする。香取さんはそれを、素晴らしいと思った。もちろん香取さんが試合をする事はなかったが、それでも先生や先輩方とする型の稽古を通じて日本武道の精神を体感した香取さんは、知った。自分は格闘技を、そしてこの人達を、侮辱していたのだと。
 その慙愧を、「私は格闘技について何も知らないのだから他の授業も受けてみるべき」という自戒へ昇華させ、四限は柔道の選択授業に充てた。そこで自戒をさらに強め、翌火曜の二限に空手の授業を、そして四限に剣道の授業を受けてみた香取さんは、とうとう天啓を得る。脳の中心からほとばしる電気を感じ、香取さんは心中叫んだそうだ。「私がこれから磨いてゆくのは、これだっっ!!」 
 そして、今。
 香取さんが剣道の選択授業を取った日の、お昼休み。
 刀術を学ぶものとして意見を求められた僕は、重要事項の一つ目を尋ねた。
「その電気放電がやって来たのは、何をしている最中だった?」
 以前よりほんの少し姿勢の良くなった香取さんは、同じく以前よりほんの少し彩度の増した声でハキハキ答えた。
「竹刀を上下に動かす、最も基本的な素振りをしている最中だった」
 ふむ、と考え込む僕を気づかい、女子二人が小声で言葉を交わしてゆく。
「頭の中心から電気が流れたなんて、やっぱり変なのかなあ」
「結、思い出して。猫将軍君は、結から聞いた電気を、電気放電って言い変えているの。さあ考えてみて。電気を電気放電に変えたら、結の感覚から離れてしまう?」
「わっ、考えるまでもないよ。というか電気放電の方が、適切な表現だって思えるよ!」
「そういう事。猫将軍君は結と同じ経験をしているから、より適切な表現ができたの。つまり、変だなんて思ってないって事ね」
「ああ良かった」「良かったね」
 春の日差しを浴びながら素の笑顔を振りまく女の子たちを、頬を緩めていつまでも見守っていたかったが、意見を求められた者にそれは許されない。よって目尻を下げまくる役目は、もとい温かく見守る役目は智樹に任せることとし、僕は重要事項の二つ目を尋ねた。
「磨いてゆくって表現を香取さんはしていたけど、それは作家として培った語彙力に由来するのかな。それとも、電気放電を翻訳した結果なのかな」
 すると斜向はすむかいの香取さんではなく、右隣の人物が僕の鼓膜を震わせた。
「電気放電を翻訳、か・・・」
 目尻の下がったデレデレ顔を改め、智樹は納得顔でしきりと頷いている。お昼休みを共に過ごす仲間となり、約三週間。こういう場面でこういう呟きをした智樹が一聴に値する発言をする事を知っていた僕らは、静かにその時を待った。智樹は、気心の知れた会話を習得済みの仲間として口を開いた。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

淫らな蜜に狂わされ

歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。 全体的に性的表現・性行為あり。 他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。 全3話完結済みです。

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~

おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。 どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。 そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。 その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。 その結果、様々な女性に迫られることになる。 元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。 「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」 今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。

百合系サキュバスにモテてしまっていると言う話

釧路太郎
キャラ文芸
名門零楼館高校はもともと女子高であったのだが、様々な要因で共学になって数年が経つ。 文武両道を掲げる零楼館高校はスポーツ分野だけではなく進学実績も全国レベルで見ても上位に食い込んでいるのであった。 そんな零楼館高校の歴史において今まで誰一人として選ばれたことのない“特別指名推薦”に選ばれたのが工藤珠希なのである。 工藤珠希は身長こそ平均を超えていたが、運動や学力はいたって平均クラスであり性格の良さはあるものの特筆すべき才能も無いように見られていた。 むしろ、彼女の幼馴染である工藤太郎は様々な部活の助っ人として活躍し、中学生でありながら様々な競技のプロ団体からスカウトが来るほどであった。更に、学力面においても優秀であり国内のみならず海外への進学も不可能ではないと言われるほどであった。 “特別指名推薦”の話が学校に来た時は誰もが相手を間違えているのではないかと疑ったほどであったが、零楼館高校関係者は工藤珠希で間違いないという。 工藤珠希と工藤太郎は血縁関係はなく、複雑な家庭環境であった工藤太郎が幼いころに両親を亡くしたこともあって彼は工藤家の養子として迎えられていた。 兄妹同然に育った二人ではあったが、お互いが相手の事を守ろうとする良き関係であり、恋人ではないがそれ以上に信頼しあっている。二人の関係性は苗字が同じという事もあって夫婦と揶揄されることも多々あったのだ。 工藤太郎は県外にあるスポーツ名門校からの推薦も来ていてほぼ内定していたのだが、工藤珠希が零楼館高校に入学することを決めたことを受けて彼も零楼館高校を受験することとなった。 スポーツ分野でも名をはせている零楼館高校に工藤太郎が入学すること自体は何の違和感もないのだが、本来入学する予定であった高校関係者は落胆の声をあげていたのだ。だが、彼の出自も相まって彼の意志を否定する者は誰もいなかったのである。 二人が入学する零楼館高校には外に出ていない秘密があるのだ。 零楼館高校に通う生徒のみならず、教員職員運営者の多くがサキュバスでありそのサキュバスも一般的に知られているサキュバスと違い女性を対象とした変異種なのである。 かつては“秘密の花園”と呼ばれた零楼館女子高等学校もそういった意味を持っていたのだった。 ちなみに、工藤珠希は工藤太郎の事を好きなのだが、それは誰にも言えない秘密なのである。 この作品は「小説家になろう」「カクヨム」「ノベルアッププラス」「ノベルバ」「ノベルピア」にも掲載しております。

九尾の狐に嫁入りします~妖狐様は取り換えられた花嫁を溺愛する~

束原ミヤコ
キャラ文芸
八十神薫子(やそがみかおるこ)は、帝都守護職についている鎮守の神と呼ばれる、神の血を引く家に巫女を捧げる八十神家にうまれた。 八十神家にうまれる女は、神癒(しんゆ)――鎮守の神の法力を回復させたり、増大させたりする力を持つ。 けれど薫子はうまれつきそれを持たず、八十神家では役立たずとして、使用人として家に置いて貰っていた。 ある日、鎮守の神の一人である玉藻家の当主、玉藻由良(たまもゆら)から、神癒の巫女を嫁に欲しいという手紙が八十神家に届く。 神癒の力を持つ薫子の妹、咲子は、玉藻由良はいつも仮面を被っており、その顔は仕事中に焼け爛れて無残な化け物のようになっていると、泣いて嫌がる。 薫子は父上に言いつけられて、玉藻の元へと嫁ぐことになる。 何の力も持たないのに、嘘をつくように言われて。 鎮守の神を騙すなど、神を謀るのと同じ。 とてもそんなことはできないと怯えながら玉藻の元へ嫁いだ薫子を、玉藻は「よくきた、俺の花嫁」といって、とても優しく扱ってくれて――。

あやかしのお助け屋の助手をはじめました

風見ゆうみ
キャラ文芸
千夏小鳥(ちなつことり)は幼い頃から、普通の人には見ることができない『妖怪』や『あやかし』が見えていた。社会人になった現在まで見て見ぬふりをして過ごしていた小鳥だったが、同期入社で社内ではイケメンだと騒がれている神津龍騎(かみづりゅうき)に小さな妖怪が、何匹もまとわりついていることに気づく。 小鳥が勝手に『小鬼』と名付けているそれは、いたずら好きの妖怪だ。そんな小鬼が彼にペコペコと頭を下げているのを見た小鳥はその日から彼が気になりはじめる。 ある日の会社帰り、龍騎が日本刀を背中に背負っていることに気づいた小鳥はつい声をかけてしまうのだが―― ※妖怪たちが見える小鳥と、妖怪が見えて話ができる龍騎が妖怪たちの困りごとを解決していくお話です。

御話喫茶 テラー 【完結……?】

君影 ルナ
キャラ文芸
とある街のとある場所。そこにひっそりと存在しているのは『御話喫茶 テラー』。そこに行けば色々な話を聞くことが出来る。面白い話然り、悲しい話然り。 「いらっしゃいませ。此度はどのようなお話をお求めで?」 さあさあ、貴方様もリスナーとなってお話を聞いてみては? 〜目次〜 いち 泣ける話 に キュンとする話 さん スッキリする話 ───── ※2000パーセント フィクションです!「物語」としてお楽しみください!! ※基本的にテラー語りです。 ※テラーの容姿性別は敢えて書きません。そこも皆様に想像していただければと思います。 ※ ※ 独白の章は見る人を選ぶものになっております(多分)。独白の章に入る時に一応ワンクッションありますが、ただの短編集で終わらせたい時はそこまでで閉じていただければと思います。

堕天使の詩

ピーコ
キャラ文芸
堕天使をモチーフにして詩や、気持ちを書き綴ってみました。 ダークな気持ちになるかも知れませんが、天使と悪魔ーエクスシアーと一緒に読んでいただければ、幸いです!( ^ω^ )

デリバリー・デイジー

SoftCareer
キャラ文芸
ワケ有りデリヘル嬢デイジーさんの奮闘記。 これを読むと君もデリヘルに行きたくなるかも。いや、行くんじゃなくて呼ぶんだったわ……あっ、本作品はR-15ですが、デリヘル嬢は18歳にならないと呼んじゃだめだからね。 ※もちろん、内容は百%フィクションですよ!

処理中です...