僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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九章

償いの機会、1

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 その後も美夜さんや咲耶さんの話を僕らは続けた。初めて寮に泊まった日は早朝研究を休み、二回目以降は土日をまたいで寮に泊まりそのままサークルに参加したため、寮からこの研究室へ直接やって来たのは今日が初めてだった。それもあり挨拶もそこそこに昨夜から今朝にかけての友人達のおもしろ話が始まってしまい、エイミィもそれをとても楽しんでくれたと来れば、研究そっちのけで美夜さんと咲耶さんの話題に突入して当然なのである。というか、人とAIの関係はここ数カ月ずっと考えてきたテーマで、将来の研究分野候補として個人プロフィールにも公開しているから、エイミィとの会話も研究の一環と言えなくもない。いやそれどころか、この自然なおしゃべりの先にこそ僕の追い求める研究テーマがあると、僕は都合よく考えることにしていた。
 そのばちが、きっと当たったのだと思う。
「眠留さん。ミーサの容姿を、もうお決めになりましたか?」
 エイミィから何気なくそう訊かれた僕は両手で頭を抱えて、机に突っ伏す羽目になったのだった。

 冬休みの、年末年始の出来事。
 神社の仕事に掛かりきりでサークルに参加できない日が続き、身も心もまいっていた頃。
 年の暮れと一月三日の計二回、アイとエイミィが僕の部屋へ遊びに来てくれた。それは突然の訪問だったが就寝前のその楽しい一時ひとときは、心と体にビッシリ付着していた多大な疲労を、綺麗に拭い去ってくれた。僕を案じたHAIがスケジュール的にもバイオリズム的にも最適な日時を見計らい、アイとエイミィに来訪を頼んたのだと僕は考えている。
 けどそれは、回想している今だからそう思える事。アイが訪問を希望しているとHAIに言われた時は、何らかのミスをしでかした僕へ罰則を告げるためにアイはやって来るのだと項垂れてしまった。心身ともに疲労が蓄積していたせいで、物事を悪く悪く考える思考状態に、僕は陥っていたのである。
 しかしそこは、さすがHAIなのだろう。項垂れる僕にHAIはすぐさま身をかがめ、「アイが自分を叱りに来るって、考えていたりする?」と問いかけてきた。物心つく前から聞いていた優しい声と、物心つく前から見ていたその仕草だけで自分の勘違いに気づいた僕は、改めてHAIの問いかけを吟味してみた。自分の勘違いに気づいた上での吟味だったお蔭で、悪く悪く考える思考をたちまち脱し、「遊びに来るならおもてなしをせねば!」と、僕は部屋の片づけを始めた。時間に追われる日々がこの部屋を、ちょっぴり掃除を必要とする状態にしていたのである。
 幸い一分と経たず、部屋は見苦しくない様相を取り戻してくれた。僕はコタツの下座に着き、3Dティーセットを三人分用意する。そして満を持し、
「おまたせしました、どうぞ」
 アイとエイミィをコタツに招待した。
「おじゃまします」
「おじゃまします」
 楚々たる声の合奏とともに、対照的な二人の美少女が僕の部屋に現れた。一人は黒絹の髪にうりざね顔の、十二単に身を包むお姫様。もう一人は黄金の髪をサイドテールに結った、制服を着た青い瞳の少女。どちらの小顔もとんでもなく整っていることと、その所作が気品に満ちていること以外はまこと対照的な美を具現化した少女が二人、お粗末な僕の部屋に降臨したのである。だがここで気おくれしたら、礼をしっしてしまう。僕はさりげなく、お好きな場所へどうぞと着席を促した。HAIが気を利かせ、つと進み出て僕の右隣を選び、続いてアイが正面にエイミィは左隣に、それぞれ淀みなく腰を下ろした。紅茶を丁寧に入れ、それを三人へ差し出す。HAIに褒めてもらった紅茶はアイとエイミィにも好評で、温かな空気がコタツを包んだ。それに背中を押されたのか、アイが申し訳なさそうに尋ねた。
「突然押しかけてごめんね。迷惑だったんじゃない?」
 迷惑という語彙が事実に反し過ぎていたせいで暫し呆けたのち、合点のいった僕はHAIに頼み真相を映し出してもらった。アイに叱られると思い込み項垂れた僕の映像にエイミィは風にそよぐコスモスのごとく笑い、アイは酷い冤罪を背負わされたとばかりに唇を尖らせた。それは本気で怒っているのではないと一目で分かる怒り顔だったが、「そんな顔をするから眠留が怖がるんじゃないの」とHAIが大げさに僕をかばったものだからもう大変。アイは「違うの違うの」を十回近く連発したのち「私って、そんなに怖いのね」と、身をすぼめ俯いてしまったのである。五千人の生徒を預かる湖校の教育AIとして時に厳しい態度をとるアイを幾度か目にしていた僕は、その姿に本物の悲しみを感じ、急いでハイ子を取り出した。そしてこんな日もあろうかと用意していたとっておきの3Dケーキを、俯くアイの前に置いた。
「アイ、僕ら湖校生は、アイの優しさも厳しさも僕らのためにしているんだって、ちゃんと知っている。だからこれは、僕からのお礼。どうぞ、召し上がってください」
 差し出されたカラフルなフルーツタルトに、アイの顔がパッと光を放った。この純和風のお姫様は外見からは想像し難いが、意外と欧米好きなのである。僕は同じものを二つ取り出し、HAIとエイミィの前にも置く。
「HAI、僕達家族をいつも想ってくれて、ありがとう。エイミィも研究の手伝いはもちろん、公式AIとしても嵐丸としても、本当に感謝しています」
 僕はこの光景を、少し前から予見していた。HAIに初めて紅茶を振る舞った際、次は紅茶の隣にケーキがあり、そしてアイとエイミィもそこに加わっている様子が、脳裏をちらりとかすめた。クリスマス会の日の夜、寝入り間近のぼんやり意識にそれが再度やって来たため、僕は布団を跳ね除け起き上がりネットにアクセスして、ティーセットを選んだお店でケーキを購入していたのだ。
「凄い!」
「美味しい!」
「ケーキって、こういう味だったんですね!」
 粗雑な男部屋に三人の黄色い歓声が満ちる。フルーツタルトを夢中で頬張る三人は、真実ケーキを楽しんでいるようだ。
 ――味覚成分をデータとして知っているだけで、それが心と体にどのような効果をもたらすかを、AI達は知らなかったんだな――
 そう思った僕は、胸に微かな痛みを覚えざるを得なかった。
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