上 下
670 / 1,035
第三章 第五節 エンマアイの記憶

第669話 もし、自分が逆の立場なら……

しおりを挟む
 こんなとき、どんな感情を沸き立たせればいいのかわかない——。

 すでに怒りや憤り、悲しみや悔恨、恨みや自己憐憫じこれんびんなどの感情は、人生の通過地点においてきた。
 心の奥底に押し込め封印した、と言っていいかもしれない。

 あらためて抱く感情など、もうない……はずだ。
 
 ショートはリンが映るモニタに目をむけた。
 アスカとクララの精神状態に問題ないとわかって、気を取り直していた。
 背筋をしゅっと伸ばした姿勢で、ブライトのことばに耳を傾けている。事実を正面から受けとめる覚悟なのかもしれない。
 アヤトの死にリンが責任を感じていることの証左なのだろうか。それともただの開き直りなのだろうか……。
 もし、自分が逆の立場なら……、リンとおなじ行動をとったにちがいない。

 愛おしいひと、いや運命共同体、というべき相手の頼みごとなのだ——。

 そもそも選択肢はないに等しかっただろう。
 いまなら、その立場にも共感できる。

『カミナ・アヤトをうしなったあと、デミリアンのパイロットはヤマトとアイのふたりだけになってしまいましたが、このふたりのペアはよくやってくれました。歴代パイロットの討伐数を塗り替える快進撃で、おかげで私も歴代最高司令官の栄誉をいただく恩恵にあやかることができました——』

『あの「ナポリの悲劇」までは……』

「90番目の亜獣ジグーね……。ナポリの100万人もの人々を死に追いやった……」
『えぇ、そして——』

『エンマ・アイをうしなった戦いです』

 ブライトは続けようとした。が、喉がはりついたようになったのか声が掠れた。とてもつらそうな表情を浮かべる。
『私はあのときの戦いの経験を、二度と味わいたくない……。カミナ・アヤトのときも悩み苦しみましたが、その苦しみのさなかに起きた悲劇は、堪えがたいものでした……』

『あのときの体験を共有した仲間が今まだここにいます。おそらく彼らは、責任者、クルー、かかわらず、みんなおなじ気持ちでしょう』

 ブライトは手のひらで額を拭った。
 いつのまにか汗が浮き出ていたらしい。生体チップの制御下にありながら、それが機能していない。どれだけのストレスなのか——。

『ですが、一番、つらいのは、ヤマト・タケルです』

『だが、あの亜獣は、あのときの悲劇を、ふたたび体験させようとしている。今、さきほどエンマ・アイの記憶を見せつけられて、私は、いや、みんなそれを確信した』

『私はヤマトを信じている。腹立たしいがメンタルの強い男だ。人類で一番タフかもしれない。だが……、もしそのヤマトが耐えきれなかったら……、デミリアンに取り込まれるようなことになったら……』

 そのあとのブライトのことばは聞こえなかった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

狭間の世界

aoo
SF
平凡な日々を送る主人公が「狭間の世界」の「鍵」を持つ救世主だと知る。 記憶をなくした主人公に迫り来る組織、、、 過去の彼を知る仲間たち、、、 そして謎の少女、、、 「狭間」を巡る戦いが始まる。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

謎の隕石

廣瀬純一
SF
隕石が発した光で男女の体が入れ替わる話

淫らな蜜に狂わされ

歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。 全体的に性的表現・性行為あり。 他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。 全3話完結済みです。

ユーヤのお気楽異世界転移

暇野無学
ファンタジー
 死因は神様の当て逃げです!  地震による事故で死亡したのだが、原因は神社の扁額が当たっての即死。問題の神様は気まずさから俺を輪廻の輪から外し、異世界の神に俺をゆだねた。異世界への移住を渋る俺に、神様特典付きで異世界へ招待されたが・・・ この神様が超適当な健忘症タイプときた。

聖女の、その後

六つ花えいこ
ファンタジー
私は五年前、この世界に“召喚”された。

転生したら貴族の息子の友人A(庶民)になりました。

ファンタジー
〈あらすじ〉 信号無視で突っ込んできたトラックに轢かれそうになった子どもを助けて代わりに轢かれた俺。 目が覚めると、そこは異世界!? あぁ、よくあるやつか。 食堂兼居酒屋を営む両親の元に転生した俺は、庶民なのに、領主の息子、つまりは貴族の坊ちゃんと関わることに…… 面倒ごとは御免なんだが。 魔力量“だけ”チートな主人公が、店を手伝いながら、学校で学びながら、冒険もしながら、領主の息子をからかいつつ(オイ)、のんびり(できたらいいな)ライフを満喫するお話。 誤字脱字の訂正、感想、などなど、お待ちしております。 やんわり決まってるけど、大体行き当たりばったりです。

処理中です...