上 下
159 / 1,035
第一章 最終節 決意

第158話 ごめん、ちょっと遅刻した

しおりを挟む
 アスカががっくりと首を垂らしてその瞬間を覚悟した時、ビチャビチャという水が撥ねる音がアスカの意識を呼びさました。
 なんの音?。
 アスカが顔をあげた。
 そこに右腕を力強くつきあげているヤマトの姿があった。
 その手には根元から引きちぎられた静脈チューブ。切断面から青い血がふきだし、床にあふれ落ちていた。
「タケル……」
 ヤマトはアスカのほうをむくと、懸命に笑顔をつくってみせた。

「助けるって、誓ったろ」

 アスカは不思議そうにヤマトの顔を見た。
 なんでタケルはここにいるの?……。
 ヤマトのからだは全身ずぶ濡れだった。超撥水生地の制服には水滴ひとつなかったが、生身の部分は濡れそぼって、髪の毛からは水滴がしたたっていた。
 さっき聞こえてきたブライトとのやりとり……。
 あぁ、タケルは外のタラップをつたって、ここまで昇ってきたんだ。
 ヤマトは静脈チューブを無造作に放り投げると、アスカの操縦席に近づき、頭上にあるいくつかのスイッチを押して、手元のコンソールパネルを操作した。作業をするヤマトの顔が、すぐ目の前に近づいてくる。
「タケル……、あんた、遅すぎよ」
 まだすこし意識がはっきりしなかったが、アスカは精いっぱい虚勢をはった。
「ごめん、ちょっと遅刻した」
 アスカの両手首に刺さっていた穿刺針が抜けていく。
「これで、もう大丈夫だ」
 ヤマトがアスカの方へ手をさしだした。
 アスカはあたり前のようにその手に手をおくと、シートから体を持ちあげた。
 意識はしっかりしていたが、からだはまだおぼつかなかった。
 アスカは床に足をつけるなり、よろめいてその場に崩れおちた。あわててヤマトがその体を支えようとする。が、受けきれず、ふたりは抱きあったまま床に倒れ込んだ。
 気づくと、ヤマトにうしろから抱かれるような状態で、アスカはからだを預けて倒れていた。床からつたわる下半身の冷たさと、ヤマトの胸に抱かれた上半身の暖かな感覚が、アスカにはとても不思議に感じられた。
 アスカは顔をあげた。すぐそばにヤマトの顔があった。心配そうな目をしていた。
 アスカは心のなかで臍を噛んだ。
 自分はそんな思いを受けるだけの人間じゃない。あなたとの誓いを破ろうとした——。 ただやりそこねたから、今、ここにいる。
「大丈夫?」
「あ、あったり前でしょ。ちょっとふらついただけ……」
「よかった」
 そう言うと、ヤマトはアスカの頭に手をそえて、やさしく自分の胸におしあてた。
 ヤマトの鼓動がきこえてきた。
 とても早い鼓動。
 平静を装ってるが、ヤマトが心臓が張り裂けんばかりの勢いで、自分を救いにここまで駆けあがってきたのだとわかった。
 ヤマトがおだやかな目でアスカにほほえんだ。
「ねぇ、タケル……」


「もう、泣いていい?」


 ヤマトがやさしく頷いた。
「アスカ、よく我慢した」

 とたんにアスカは大声をあげて泣き出した。ぼろぼろと大粒の涙がこぼれ落ちるのをとめられなかった。

「あたし……、お兄ちゃん、殺しちゃったぁぁぁぁぁ……」


 ヤマトはなにも言わなかった。アスカを抱きしめる腕に、ぎゅっと力をいれただけだった。
 
 アスカはヤマトの胸に顔をうずめて、ずっと、ずっと泣き続けた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

孕ませねばならん ~イケメン執事の監禁セックス~

あさとよる
恋愛
傷モノになれば、この婚約は無くなるはずだ。 最愛のお嬢様が嫁ぐのを阻止? 過保護イケメン執事の執着H♡

JKがいつもしていること

フルーツパフェ
大衆娯楽
平凡な女子高生達の日常を描く日常の叙事詩。 挿絵から御察しの通り、それ以外、言いようがありません。

全ての悩みを解決した先に

夢破れる
SF
「もし59歳の自分が、30年前の自分に人生の答えを教えられるとしたら――」 成功者となった未来の自分が、悩める過去の自分を救うために時を超えて出会う、 新しい形の自分探しストーリー。

僕の家族は母様と母様の子供の弟妹達と使い魔達だけだよ?

闇夜の現し人(ヤミヨノウツシビト)
ファンタジー
ー 母さんは、「絶世の美女」と呼ばれるほど美しく、国の中で最も権力の強い貴族と呼ばれる公爵様の寵姫だった。 しかし、それをよく思わない正妻やその親戚たちに毒を盛られてしまった。 幸い発熱だけですんだがお腹に子が出来てしまった以上ここにいては危険だと判断し、仲の良かった侍女数名に「ここを離れる」と言い残し公爵家を後にした。 お母さん大好きっ子な主人公は、毒を盛られるという失態をおかした父親や毒を盛った親戚たちを嫌悪するがお母さんが日々、「家族で暮らしたい」と話していたため、ある出来事をきっかけに一緒に暮らし始めた。 しかし、自分が家族だと認めた者がいれば初めて見た者は跪くと言われる程の華の顔(カンバセ)を綻ばせ笑うが、家族がいなければ心底どうでもいいというような表情をしていて、人形の方がまだ表情があると言われていた。 『無能で無価値の稚拙な愚父共が僕の家族を名乗る資格なんて無いんだよ?』 さぁ、ここに超絶チートを持つ自分が認めた家族以外の生き物全てを嫌う主人公の物語が始まる。 〈念の為〉 稚拙→ちせつ 愚父→ぐふ ⚠︎注意⚠︎ 不定期更新です。作者の妄想をつぎ込んだ作品です。

ヒューストン家の惨劇とその後の顛末

よもぎ
恋愛
照れ隠しで婚約者を罵倒しまくるクソ野郎が実際結婚までいった、その後のお話。

魔境に捨てられたけどめげずに生きていきます

ツバキ
ファンタジー
貴族の子供として産まれた主人公、五歳の時の魔力属性検査で魔力属性が無属性だと判明したそれを知った父親は主人公を魔境へ捨ててしまう どんどん更新していきます。 ちょっと、恨み描写などがあるので、R15にしました。

生贄にされた先は、エロエロ神世界

雑煮
恋愛
村の習慣で50年に一度の生贄にされた少女。だが、少女を待っていたのはしではなくどエロい使命だった。

処理中です...