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第一章 最終節 決意

第109話 レイ、すまないけど、もう少し一人で時間稼ぎしていてくれないか

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 司令室が突然喧騒に包まれた様子を、ヤマトタケルはモニタ越しに感じとった。ある女性クルーは非嗚をあげ続け、別のひとりはその場にへたり込んだまま、顔をゆがませている。騒々しいというよりも、すでにパニック状態といってよかった。
「リンさん、なにが起きた?」
 誰に尋ねてもよかったが、こういう非常時には春日リンに聞くのがまちがいない。彼女にはそういう信頼だけはあった。だが驚いたことに、その春日リンから返事がなかった。
「ブライトさん、司令室!。どうなってる!」
 司令室内の別のカメラがメインモニタに、目の前の事態におろおろとしているブライトの様子を映しだした。ブライトの視点の先には、咽をおさえて床の上で、身悶えしている春日リンの姿があった。
 間違いない。
 春日リンの身に、いや女性クルーたちの身に、なにか重篤な事態がふりかかっている。
 もう一度、声を荒げる。
「司令室、どうなってる!」
 その声にブライトが気づいて、カメラの方へ顔をむけた。ブライトの顔はあからさまに硬ばっている。会見でメディアに吊るしあげられた時でも、ブライトがこれだけ険しい顔を露わにしたことはない。
「ヤマトか!」
「なにが起きてるんです?」
「わからん!」
「だが、レイの母親がここに出現しているらしいんだ」
「レイの母親?。そんなの無視すれば……」
「実体化してるというんだ」
「だが、われわれにはまったくなにも見えない。どうしていいかわからんのだ」
 ブライドはなにをすべきかわからず、自分でももどかしそうだった。突然、横からカメラにアルが割り込んできた。
「タケル、今、女性クルー、全員が襲われてる。信じられねーが、実体のない『なにか』に襲われてンだ。どうすりゃいいんだよ」
 いつもの『すまねーな』という、もったいぶった口調はなりをひそめていた。つまり確実に状況はひっ迫しているということだ。
 ヤマトはアルの『全員が』という言葉がひっかかった。
「全員?」
「俺たちには見えねーけど、ひとりひとりに別々のヤツが取り憑いているようなんだよ」
 ヤマトはモニタの前で親指を折って、四本指を空中にかざすと、そのままゆっくり横に動かした。その動きに合わせてメインカメラの画角が横にスクロールしていく。司令室内全体を見回すと、女性クルー全員が何かしらの襲撃を受けているようにみえた。
 ヤマトには今、レイの母親の幻影たちが司令室内を占拠する姿が、見えたような気分になってきた。にじり寄って壁際まで女性をおいつめる老姿。足首をつかんで離さない老婆、背中に覆いかぶさり離れない老姿。天井を這いつくばって上から飛びかかる機会を伺う老姿。おそらくその口からは夥しい血が滴り、床に大量にまきちらしているだろう。
 阿鼻叫喚の絵図。
 この幻髟たちは司令部を麻痺させようとしている。
 日本国防軍と連携する作戦遂行のため、今までとは比べられないほど本部の役割が重要だ、という状況を狙い撃ちされた。完全に敵に先手を許してしまった。
 ヤマトはハッとした。前回レイの母親をかいま見た女性陣が、もう一段踏み込んだ接触をうけているとしたら、すでにそれと同等の目にあったアスカは、危険度がさらに高いということだ。
 ヤマトは心で念じてメインモニタにアスカのコックピットを呼びだした。
 モニタに映ったアスカはリアル・バーチャリティで『ゴースト』を使用しているため、目の前にゴーグルを着用していた。
「アスカ!」
 ヤマトは叫んだ。だが装置に没入しているアスカには外部からの連絡は届かない。
 ヤマトは思わず歯噛みした。今、コックピット内にレイの母親があらわれ、襲われたとしても、街中を『ゴースト』で動き回っているアスカには、何が自分の身におきてるかわからない。
 自分の判断ミスを呪った。彼女は今、無防備だ。襲われればなすすべもない。
 ヤマトはレイに回線を切り替えた。
「レイ、君は無事か?」
 レイはきょとんとした顔を、モニタの方へ向けてきた。
「タケル、どうして、そんなこと聞くの?」
「レイの、元の母さんが司令室で暴れているんだ。君のところにも」
「ええ、いるわ。だから?」
 ヤマトはレイのあまりの日常的な物言いに、ぼわっとした驚きを感じた。
「あ、いや……、どこに?」
「足元に……、踏みつけて動けないようにしてるの」
「踏みつけてる?」
「ええ。邪魔ばかりするから……。母親だからって、我が子に何をしてもいいなんてことないでしょ」
 レイがそういいながらカメラをパンさせて、足元を映して見せた。ヤマトには何も見えなかったが、レイの足元は不自然な位置で浮いていた。ちょうど横になった人間の幅分のスペースがそこにはあった。
「レイ、その幻影は触われるのか!」
「タケル、何を言ってるのかわからないけど。相手が触れるんだから、こっちからも触われるにきまってるでしょ」
 ヤマトは目を大きく見開いた。
 そんなあたりまえのことを、あたりまえに気づいて、それをあたりまえに実行できる。レイの冷静さはむしろ驚異ですらあった。
「だったら、司令部にいる君の母さんも……」
「勝手にひっぱたくなり、殴るなりして構わないわ。殴り倒せば、吹っ飛ぶから」
 ヤマトはこの幻影が心理攻撃なのをあらためて思いだした。
 誰かがやっつけたと感じればいいのだ。助けてもらったと思えればいいだけなのだ。
「レイ、すまないけど、もう少し一人で時間稼ぎしていてくれないか」
「タケルは来ないの?」
「アスカを助けにいかないといけないんだ」
「そう……」
 レイは少し落胆したような表情をしてうつむいたのが見えた。
「タケルは安全なの?」
「ああ、『ゴースト』を使っていくから、これ以上ないほど安全だ」
「わかった。どれくらい粘ればいい?」
「十分、いや五分……」
 レイが黙りこんだ。その短かくも、長く感じるであろう時間を心の中で咀嚼しているようだった。レイがカメラの方に顔をむけた。



「なるべく早く戻ってきて。そうでないとたぶん一人で倒してしまっているから」
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