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第一章 第一節 100万人殺しの少年

第5話 チッ、何人か踏んづけた。気持ち悪い

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 マンゲツは空中に張り巡らされている『流動電磁パルスレーン』の道筋に沿って、マッハに迫るスピードで飛んでいた。飛行コースは軍専用の特別レーンを最優先で使うことで、何にも邪魔されることもなく最短距離で飛行できるように設定されていた。数百メートル下には、民間向けのスカイモービル用のパルスレーンが光のグリッドラインとなって縦横無尽に伸びている。民間用は自分が飛んでいる軍専用とはちがい、空中のレーンの各所で渋滞が起きていた。あれだけ警告しているにもかかわらず、誰もがスカイモービルを使って逃げようとしているので、こんな事態になっているのだろう。センサーの反応では、空だけでなく、地上の道でも車が渋滞しているようだった。
 この様子をみて、ヤマトはそろそろだなと準備をはじめた。
 地上の様子を知らせる監視カメラの映像を呼びだし、3D映像を目の前に投写した。各所で破壊された建物からあがる火や煙が見える。
 上陸してきた亜獣の痕跡。
 すでに亜獣の通り道になった村や街はなすすべもなく、焦土と化しているといってよかった。しかし、それでも防衛軍はなにかしらの抵抗を試みてくれていた。亜獣を市街地に近づけるのを一分、一秒でも遅らせるために戦ったと思われる『重戦機甲兵』と呼ばれる人型戦闘兵器や、最新鋭の重戦車が見る影もないほどに破壊されて、農地や山の斜面などあちらこちらに散らばっている。その近くには兵士とおぼしき服装をした死体も転がっていた。
 ヤマトは自分たちの兵器ではまったく歯が立たないとわかっていながら、わずかでも亜獣の進行を食い止めるためだけに、命をかけた軍人たちに気持ちをはせた。
「まぁ、よくがんばったよ」
 ヤマトの顔が決意に満ちたものに変わった。
「あとは、ボクがなんとかする」

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 仙台の市街地が見える距離まで近づいてくると、遠めにも亜獣が暴れている位置がわかった。もうもうと燃え盛る火煙ひけぶりにまじって、ビルが崩れ落ちて間もないことをしめす土煙がふきあがっている。その近くには逃げまどう人々の姿。時間があったはずにもかかわらず、まだ逃げ遅れた人々がいる。
 ヤマトは亜獣のうしろに回り込んで攻撃をしかけることにした。ビルの合間を縫うようにマンゲツの高度を落としてゆくと、亜獣の進行方向とは逆の位置に降りたった。ゆっくりうまく着地したつもりだったが、想像以上に大きな地響きを響かせてしまった。マンゲツの巨体ではどだい、静かに降りるのは無理なのだ。
 異変を感知したのか、がむしゃらに進行していた亜獣がぴたりと動きをとめた。亜獣サスライガンはうしろをむいたままで、三本の首のうちの左右の二本を、ゆるりとこちらへむけた。爬虫類のような縦長の細い瞳孔をさらに細くしてマンゲツを見すえる。
 気づかれた。
 三本目の真ん中の首が自分の背中越しに、かま首をもたげるようにして顔をこちらにむけてきた。三本の顔、6つの目がこちらを睨みつけている。
 先に動いたのは亜獣のほうだった。大きな咆哮をあげたかと思うと、マンゲツにむかってものすごい勢いで突進してきた。そのスピードは鈍重そうにみえた巨体から想像できないほど速かったが、ヤマトは亜獣の左と右の首をぐっと押さえて、まずはスピードを殺すことに成功した。が、亜獣はスピードだけではなくパワーもひときわ強く、マンゲツは押さえつけているにもかかわらず、うしろに押されはじめた。
 マンゲツが足を踏ん張る。
 が、渾身の力にもかかわらず、からだがズルズルとうしろへ押しやられはじめた。マンゲツの足元付近で逃げまどっていた人々が踏みつけられ、押し潰されていった。引きずられた赤い血の帯が道路にべったりと刻まれていく。

『チッ、何人か踏んづけた』

 ヤマトは操縦席の右側の壁にとりつけられた機器にチラリと視線をむけた。そこには設置されたパネルはパタパタとめくれるタイプのかなり旧式のカウンター。6桁の数字がカウントできるような設定になっている。
 通称、デッドマン・カウンター。
 そのカウンターのパネルがパタパタとめくれて、『5』の数字が表示される。

『うぇっ、裸足で芋虫を踏んづけたみたいだ』

 ヤマトは出撃ごとに何度も味わってきたはずなのに、気色の悪いこの感触には絶対に馴れそうもなかった。いらついて大声で叫ぶ。
「アル!。センサーがデリケートすぎる!」
 アルの映像が目の前に投影されると、彼は本当に申し訳なさそうに言った。
「タケル、すまねぇな。ちぃとばかり我慢してくれや。それ以上センサーの精度、下げちまうわけにはいかねーんだよ」
 それを聞いて軽く舌打ちをすると、ヤマトは目の前にぐいぐいと迫ってくる亜獣の顔をぐっと睨みつけた。
「おまえかぁ、おまえのせいか」
 マンゲツは踏ん張っていた足をずらして亜獣の勢いをわきに反らすと、そのまま身体をくるりと回転させた。猛進する亜獣の勢いをそのまま借りて、亜獣を背負い投げする。
 亜獣の巨体が宙を舞う。
 亜獣が飛んできた方角にいた人々は、まさかの状況に驚愕の表情であわてて逃げだそうとするが、しょせん間にあうはずもなかった。
 ドォォーンと轟音とともに高層ビルが何棟も崩れ落ち、さらに低位のビルをなぎ倒した。
ヤマトの右壁のコックピットのカウンターパネルが、パラパラともの凄い勢いでめくれていく。
『88』
 ヤマトはその数字をチラリと見ると、驚くほど静かな声で言った。
「サーモ」
 そのコマンドで、目の前に、周辺のサーモグラフィーが浮かびあがった。
 燃え上がる炎が赤く、崩れ落ちたビルや道路は青や黒っぽく表示されるが、そのところどころに、オレンジ色の点が数多く点在するのが見てとれる。
「ブライトさん。避難どうなんってんの!」
「こっちだって何度も強制アラートを発信してる!」
「どうせ、こいつら、リアル・ヴァーチャリティで別世界で楽しくやってるか、ヴァーチャルドラッグでフルトランスぶっこいてんだろ」
「強制遮断くらいしないと……」
 と、その瞬間、ものすごい衝撃にコックピットが揺れた。
 ヤマトは予想より早くおきあがった亜獣の突進をもろに受けたと、瞬時に判断した。うしろに突き飛ばされたマンゲツは、轟音を響かせて、古いつくりのタワーマンションにからだをめり込ませた。
 衝撃でビルの上層部の4階分が、ボキッと折れて崩れおちていく。

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 その女性はリアル・ヴァーチャリティ装置でセーヌ岸をデートしていた。
 彼女は『素体』と呼ばれるアンドロイドに、遠隔で人格や感覚を憑依させ、あたかもその場所にいるかのように体感できる機器の虜だった。これを使えば、部屋にいながらにして、リアルに世界中を旅できるのだ。
 視覚や聴覚はもちろん、触覚や嗅覚、完璧ではないものの味覚ですら感じられる。
 そうやって彼女は何人もの男性とつきあってきた。今度の相手は東南アジアのあまり聞きなれない国の若者だったが、驚くほど洗練されていてとてもやさしかった。
 今も自分の背中に回した手の暖かみがじんわり伝わってきてちょっとドキドキしている。もちろん素体に憑依させた自分の意識体を通じてだが、生身で経験していることとどこが違うというのか。青年の話は楽しく、マイナーな言語のため自動通訳が少しまどろっこしく感じたが、彼女はそれすら楽しんでいた。
  青年の顔が近づき、ほんのりスパイシーな香りがふっと鼻をくすぐる。
 あ、この匂い、好きかも……。
  彼女がゆっくりと目を閉じようとした時、突然地面が揺れた。
 え、なに?
「揺れてる!」
「え、なにが?」
 相手の青年が怪訝そうに自分の顔をのぞき込もうとする。が、自分はすでに青年の数メートル向こうへ跳ね飛ばされていた。地面に転がる彼女を周りの人々が驚いて見ている。
 彼女の足に痛みが走る。
 痛いってどういうこと?。
 目の前に火花が散ったかと思うと、いきなり自分の部屋が目に飛び込んできた。コネクトが切れて、フランスの華やかな有名観光地から、自分の質素な部屋になんの前触れもなく引き戻されたのだ。
 なにかおかしい?。
 そこは見慣れたはずの自室とは思えなかった。ぼうっとしている自分の横顔に本がバサバサと音をたててぶつかった。
 なぜ本が横から落ちてくるの?。
 疑問が頭をよぎる間もなく、彼女は気づいた。この部屋が傾いているのだと。
 椅子から投げ出された体がゴロゴロと床を転がり外窓のほうへ転がっていく。彼女は手をばたつかせて、反対側の壁への激突を避けようとした。
 ガクンという衝撃とともにからだの落下が止まった。
 彼女は荒々しく息を弾ませながら上を仰ぎみた。落下が止まったのは自分のおなか部分から伸びているリアル・ヴァーチャリティ装置のケーブルのおかげだった。最新鋭の無線タイプでなかったのが幸いした。
 彼女はほっと息をした。
 しかし、それ以外の機器は無慈悲だった。RV装置の周辺機器や電化製品、調度品は重力に逆らいきれず、彼女に襲いかかるように落ちてきた。仰向けのままつり下がっているだけの彼女には、なにかしらの抵抗を試みる余地はなかった。彼女は悲鳴をあげた。
 だがさいわいなことに、落下物は彼女に興味がなかったらしい。軽く触れた程度で見事なまでに脇をかすめていった。下のほうでいくぶん鈍い衝撃音が聞こえてくる。
 彼女は自分の幸運に息つく暇もなく、自分を吊りさげているケーブルにすぐに手をかけた。こんな細いケーブル一本では、この状態はそんなには長く持ちそうにもない。
 上をみあげると、数メートル上に玄関のドアが見えた。日頃から部屋が狭いことが不満だったが、今は到底辿り着けるとは思えないほど長い距離に感じた。
『絶対に戻る』
 彼女はドアを見あげながら呟いた。あの東南アジアの青年とは、うまく行きそうな気がする。今までこんなに相性があった人はいなかった。絶対に幸せになれる自信がある。
 彼女はふと、目の前にAIポットが浮かんでいるの気づいた。先ほど自分の脇をかすめて落ちていったはずのポットだった。彼女は不思議そうに自分の下方をのぞき込んだ。
 ベランダに続くテラス戸越しに外の風景が見えた。
ものすごい勢いで地面が迫ってきていた。
 落ちているのだ……。
 この部屋が落ちているのだ。
『神様……』
 彼女にできるのは……
 目をぎゅっとつぶることと、ただ祈ることだけだった。
 突然、落下が大きな揺れとともに止まった。
 その衝撃で彼女のからだをつなぎとめていたケーブルが切れ、彼女は仰向けになったまま落ちていき、数メートル下の部屋の壁に激突した。痛みに嘆息したが、あと数十センチ横だったら、テラス窓から外に飛び出し、数十メートル下の地面に叩きつけられていた。
 彼女は壁に背中をつけたまま安堵と恐怖でさらに息を荒げた。この背中は、ほんの数分前まで、あの素敵な彼がやさしい手つきでなでてくれていた場所だった。
 だが今は、汗でびっしょりと濡れた服越しに、壁が生身の自分をひんやりと冷してくれている。
 彼女には今、その冷たさがありがたかった。

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 落ちてきたビルの先端の4階分の塊を、マンゲツは肩で受け止めていた。態勢を崩したところに崩落してきたビルの塊は避けるのが難しかった。ならばいっそ迎えにいく形で受け止めたほうが間違いない、という瞬時の判断だった。
 肩と首の部分に一瞬だが、猛烈な痛みが走った。痛みをシャットアウトするまでの、0・25秒分のタイムラグ分だけの洗礼。
 痛みがひくまでぎゅっと目をつぶって耐えていたヤマトが、目を開けると亜獣が自分のほうへ襲いかかってきているのが見えた。

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 彼女は壁に寝そべったまま上をみあげた。たった数メートル、大股歩きならたった数歩でいける距離に、玄関のドアがあった。リアル・ヴァーチャリティの機材は買い直しになってしまいそうだけど、あの数メートルをなんとかできれば、またあの彼と会えるチャンスはかならずあるはずだ。
 彼女は上からぶら下がっている機材のケーブルを見つけた。あれをつたえば、もしかしたら……。彼女はすっくと立ち上がりつま先だちすると、そのケーブルに目一杯手を伸ばした。ケーブルの端がぐっと手に食い込む。リアル・ヴァーチャリティでは味わえない、本物を握った時の血管を圧迫するような感触。
 いける。
 が、その瞬間、ものすごい勢いでからだが上にひっぱられた。からだが宙にふわりと浮き、一気に玄関前のキッチンスペースにまで到達する。目の前に玄関ドアノブが見えた。
 彼女は必死で手を伸ばして玄関のドアノブに手をかけた。
 あと少しだ……。あと少し……。
 彼女はドアノブにぶら下がったままの姿勢でドアノブをまわした。
 ガチャと音がして、ドアの隙間から差し込む光が彼女の目に飛び込んできた。
 待ってて……。

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 マンゲツはビルの窓に指を潜り込ませ、肩の上に抱えたビルの塊を両手でぎゅっと握りしめた。目の前にはマンゲツの喉笛に噛みつこうと、鋭いキバをむき出しにした亜獣の3本の顔が迫っている。亜獣を睨みつけるヤマト。
「てめぇ、痛かったぞぉぉ」
 マンゲツは、せまってきた亜獣めがけて、まるで大木でも振り回しているかのようにして、両手でビルの先端を大きく振り回した。
 その遠心力で、そのマンションにまだ残っていた人々が窓から放りだされ、近くのビルの壁に激突した。
 べちゃ、べちゃ、と嫌な音をたて、ビルの壁に赤い斑点の花が咲く。
 ヤマトが叫ぶ。

「『月』に代わって……」

 その棍棒のようにふりまわしたビルで、亜獣の真ん中の顔を力のかぎりに強打する。

「おしおきだべぇぇぇぇ」

 あまりのパワーにビルの先頭がしなってみえた。
 ものすごい破壊音がしてビルが砕け散り、砂ぼこりが亜獣のからだの周りを舞う。

 が、亜獣はなにひとつ損傷を受けていなかった。
 なにごともなかったかのように、ただ一回まばたきをしただけだった。
 ヤマトは両手の中で破片となってしまったマンションの残り部分を、ぽいと投げ捨てた。
 デッドマン・カウンターが『95』の数字を刻む。
 あのマンションにはまだ何人か残っていたことがわかった。一度は救ったかもしれない命だったかもしれなかったが、ヤマトにはまったく興味がなかった。
「ヤマト、相手は『移行領域トランジショナル・ゾーン』にいるんだ。地球上にある物質で攻撃しても無駄だぞ」
 ふいにブライト指令の映像が目の前に飛び込んできた。 
 ヤマトは嘆息した。
「わかってますよ、ブライトさん」

「ちょっとムキになっただけです」
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