狗神と白児

青木

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本編

第十七話 妖狐と妖狸からの忠告

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 斑とシロの前に、ぼやけた輪郭が浮かび上がる。巨大な〈門〉だ。ゆっくりと開かれ、中から溢れる歪んだ光から、女と男の影が現れた。
 金色の留袖を身にまとう、年増の女。その少し後ろから、同じ年頃であろう、サスペンダーが似合う洋装の伊達男。
 女は豪快な足取りで、遠慮無く斑へと歩み寄る。
「よお、『血と闇の斑』。元気そうじゃねえか。こうして顔を合わせるのは何百年ぶりだろうな。アンタは覚えちゃいねえだろうけど」
 荒々しい口調で言うと、斑の反応を待つよりも、その隣にいるシロを見た。
「アンタが神宿りかい」
 一歩、女の足がシロへと進む。それと同時に獣じみた左腕が出され、近付くのを防ごうとする。
 歌天は鼻で笑った。
「アタシはアンタとは違う。取って食ったりなんかしねえよ」
 その刺々しい物言いに斑は僅かに眉根を寄せた。
「アタシを視ろ、神宿り。〈本性〉、分かるんだろう?」
 命令されたシロは戸惑い、一応斑を見上げるが、制されない。それなら、確実に逆らってはいけない空気の目前の女に対し、奥を視る為に眉間に集中する。
 浮かぶ。紺青の火が浮かぶ――金色の毛並みが美しい、巨躯の狐。花めく細長い九本の尾。全ての足と尾の先に紺青の火が灯っている。〈本性〉が、〈擬人〉の奥から、こちらを真っ直ぐに見つめている。
「九尾の……狐」
 歌天は、ニヤリと笑みを浮かべた。
「ご名答だ。アタシの名は歌天かてん。千と五百を生き、妖狐一族を束ねる当代の頭さ」
 千という桁違いの年月を生きている、威光を放つ大きな狐の姿。常世の何たるかを知らないシロでも、この女が権力者であるというのを肌で感じる。
「どうなんだい、コイツの斑模様は。神宿りからしてみりゃあ、やっぱりおぞましいだろ?」
「え……?」
 隈取りをひくつかせる斑の横で、シロは不思議がる。斑模様と言われても、長着姿を見る限り、それらしい所は無いのだから当然だ。
 その反応から歌天は察した。
「勘違いしてるようだね。コイツの〈擬人〉は、この中途半端な犬面だ。これがアタシら妖で言う所の、人に化けた姿だ。〈本性〉はこれじゃない」
 その事実を告げられた瞬間、「視るな」という想いに拒絶されたことをシロは思い出した。別に探るつもりは無かったが、彼の掴めない善意を考えようとした時だ。また、今思えば、命の恩人に改めて礼を言いに行った時も、人の体に犬の頭という異形を考えた途端、思考が掻き消された感じもあった。
 歌天は怪訝そうな顔で続ける。
「神宿りなんだから、呪術師と違って、視ようと思えばいつだって視られるだろうに。まさか視るなとでも言われて、律儀に飼い主の言いつけを守ってんのかい? 寝てる間にこっそり心眼を使えばいいものを」
 フンと鼻を鳴らしてから、口を噤んだままの斑へと向いた。
「それより、神宿りなんかを白児として迎えたからには、ちゃんと伝えたんだろうね。古の戦の最中、かつて多くいた神宿りの里を滅ぼした張本人は自分だってことを」
 辺りの空気が冷え切った。そして、重く、暗いもやが漂うようだった。
 ここで伊達男が額を掻き、軽薄にも聞こえる呆れた声で嘆く。
「アカンわ、これ。まだ言ってへんな」
 軽々しい伊達男とは反対に、歌天は憤怒した。
「テメェ……! こんな因果な話、普通は真っ先にするのが筋ってモンだろうが!」
 怒声と同時に歌天の手から紺青の炎が溢れ、それを斑の足元へと投げつける。その部分だけが一瞬で焼け焦げた。
 斑は一切動かなかった。威嚇だと分かっていたからだ。そして、歌天の言う通りであるとも分かっていたからだ。
「気ィつけな、神宿り。二つ世の戦なんか知らねえ今時の若い連中は、コイツの半端な面を擬人化が下手だと笑うけどね、そういうことじゃないよ。コイツは戦の時代、妖も人も……神宿りも食い荒らした。それでたっぷり力を蓄えて、暴れ回ったのさ。見かねた呪術師が刻印で封じても、未だ溢れる呪力のせいで、〈本性〉の一部を晒さずにはいられないんだ。ご機嫌伺いしてなきゃ、アンタも餌になっちまうよ」
 歌天の視線は斑の左手へ。獣のような厳つい手の甲に刻まれる、勾玉の刺青。この左腕も斑の〈本性〉の一面であると、怒りの眼差しで語るのだ。
 少し乱れた横髪を整え、歌天は背を向ける。
「アタシは先に帰るよ。忠告したからね。……あとは楽助らくすけに任せる」
 巨大な〈門〉を軽々と創り、開いた向こう側へと消えて行った。
 残された伊達男――楽助は、やれやれと両手を上げた。
「ま、そんな感じや。ただ補足しとこか。あの頃のお前さんは、妖怪やなくて犬憑きやった。厭物えんもつ、人の手で作られた呪いの道具の一種や。そんなもんが手に負えんようになるんは目に見えとる。案の定暴走して……まあ、食い散らかしたんやな。その辺のこと、覚えとるんか?」
 斑は目を伏せた。今はそれが答えなのだろうと楽助は納得し、そのまま続ける。
「今日来たんは、確認と忠告や。俺と歌天は、お前さんの監視役を長年務めてきた。気付いとったな?」
「……ああ」
 それについては、すんなりと頷く。具体的な存在を発見したことは無いが、いつからか気配を察せられるようになった。だが、特に何もされないので、「許されている」と理解し、そのまま過ごしていたのだ。
 楽助は腕を組み、溜め息を吐いた。金にならない世話焼きなど、本来は領分ではないのだが、ここで見捨てるというのも息が詰まる。
「それと、歌天の弁明もしといたろ。あいつは戦の後、人間に夫を殺されとる。せやけど復讐せんかった。妖と人の殺し合いを禁じる、〈禁令〉が敷かれとったからな。あいつはそれを破ったりせん、筋を通す奴やねん。そもそも終戦はな、皮肉にも、犬憑きの恐ろしさを知った二つ世が、手を取り合って封印しようと気張ったからや。それが〈禁令〉の始まりでもある。せやから、復讐出来ひんようになった原因に当たりたぁなってまうんや。戦を終わらせた、ある意味立役者やねんけどな、お前さんは」
 楽助は、また溜め息を吐いた。この世話焼きがいつか転じて利益になってくれまいかと、密やかに高望みする。
「今更やけど、俺の名は楽助。妖狸ようりの長や。歌天とは幼馴染っちゅうやつでな、二人がかりで厭物を食い止めながら常世に連れてくるんは、ホンマ苦労したで。まあでも、俺は別に今の狗神にはそこまで不信感無いわ。よぉ自制しながら暮らしとる。歌天には歌天の事情があるでなぁ、気が立っとんねん」
 言いたいことを言い終えた楽助は、投げやりな手付きで〈門〉を開いた。
「白児の神宿り。俺らが喋ったこと、気に留めといてくれ」
 去り際に、それだけを残す。



 ◆◆◆



 昼前、カセ鳥の店から帰ってきた大福は、家の空気の変わり様に困惑した。大根と人参、醤油を買うだけだったのに、店主のお喋りに付き合わされ、予定よりも帰りが遅くなった。それくらいの日常茶飯事、長居とも言えない長居の僅かな間に、何事かあったらしく、斑とシロの様子がおかしい。
 しかも、どちらかと言うと、シロよりも斑の方が妙だった。帰ってきた大福を迎えると、すぐに自室に引っ込んだ。今までは、入手した食料の具合、万屋での出来事などに触れ、話題の一つになったというのに。
 昼時になり、大福はシロと共に台所に立った。大方慣れた手付きで火を扱い、大福に次の工程を訊ねながら料理を進める。平静を保っている、そんな雰囲気。ただ、以前のような恐れに満ちた顔はしていない。
 息詰まる沈黙の昼餉。シロが家に来る前から、斑と大福の食卓は特別盛り上がるものではなかったが、明らかに何らかの事情と感情が渦巻いている沈黙には、大福も戸惑うばかりである。
 そんな時間が、その日の夕餉も、その次の日の朝餉も続き、ついに昼前になって斑は言った。
「少し出かける。昼は要らない。夜も遅くなるかもしれないから、二人で食べておくといい」
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