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本編
第十三話 通名と真名
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正史は好物の杏子餅を一つ口に放り込み、よく堪能してから切り出した。
「今度は僕から質問してもいい?」
シロはパンケーキを食べながら頷く。
「文字が読めるんだね。書くことも出来る?」
「はい。お母ちゃんに教わりました」
「凄いね。都だと読み書き出来る人が当たり前になってきたけど、シロちゃんはこっちに来たこと無いって言ってたよね。つまり、お母様も君も、読み書きが必要な仕事に関わってるのかな」
シロは手を止めた。ただの食事会で済むはずがない、質問の時間をくれた、つまりこちらも質問される、身の上を話すことになるだろうと、予感はしていたのだ。
ふう、と息を吐く。涙腺を緩ませることも無く、落ち着いた調子で語り出す。
「私は、都から遠く離れた村の、墓守りの家に生まれました。そして、両親の手伝いをしていました。でも、母は去年亡くなりました。父も一昨年に」
もなかをかじっていた大福は固まった。身内全てを殺された自分の話は聞かせたが、シロもまた似たような境遇だったのだと、今知った。
正史の表情は気不味くなる。
「……そうだったのか。ごめん、せっかくの食事中に」
「いえ。平気です」
シロの口振りは、強がっているようには見えない。むしろ、どこか淡白にも思えた。両親とは不仲だったのだろうか。正史は訝しがりつつ、まず掘り下げておかなければならないことに触れる。
「斑様に白児として迎えられたという話だから、シロちゃんの周りの人達は、今頃どう思ってるのかなって、それが気懸かりだったんだ。亡くなられた両親じゃなくても、村の人達が心配して――」
「あの人達は、全然気にしていません」
冷ややかに言い切り、そして続けた。自分の、最期になるはずだった、あの夜のことを。
「私、日照り乞いの生贄に選ばれたんです。村では大雨が続いて、川が氾濫しそうだったので。だから川の神様を鎮める為にって。先日、満月の夜に、川に投げ込まれました」
場の空気が凍りつく。
「まだ、そんな風習が残っているのですか。人身御供だなんて、酷い……」
静乃の顔は青ざめ、怒りに満ちた震える声で言った。
大福は目を逸らし、大人しくもなかを食べることにする。シロが家に運ばれてきた夜、斑から推測交じりの様態について聞いていたが、本人の口から語られると、やはり痛ましい。
「死にそうだったので、あまり覚えていないんですけど、自分でも幸運すぎておかしなくらい、川のどこかに引っかかっていたみたいで。そしたら、あの方と会いました」
「斑様と」
「はい。そして、問われました。……『自ら選んだお前の居場所は、冷たい川の底なのか?』」
流れるように、斑の言葉が口から出た。死の淵に立ち、ぼんやりとした頭で聞いたのに、急に鮮明に思い出した。
「私、違うって答えました。望んでない。望んだわけない。お父ちゃんも、お母ちゃんも死んで、穢れに満ちた、右目に呪いを持った子だから、生贄に丁度いい。私に選択肢なんか無かっただけ。そう思ったから、違うって答えてしまっていました」
言うつもりは無いが、確かにシロが生贄に選ばれるには、あまりにも適役だと正史は納得する。墓守りや助産婦、生死に関わる職に就く者は、敬われると同時に恐れられ、迫害や差別の対象になりやすい。死者ノ國からの使いだとか、死者ノ國の門を開ける者だとか、そんな言い伝えは珍しくない。
更に、シロは神宿りだ。恐らく村にいた頃から「普通ではない人間」の片鱗を見せていただろう。
(右目が赤く光ること、病気じゃないから安心してなんて言っちゃったけど、軽々しかったな。この子にとっては「病気」かもしれないのに……)
和ませようとしたつもりだったが、良くなかった。正史は自負するが、妖怪相手だとやり合えるものの、人への気遣いは静乃の方がずっと上手だなのだ。
己の軽薄さについて謝ろうと口を開きかけた正史だが、シロが言い出したことに懸念を抱く。
「それで、あの方と契りを交わしました」
「契り?」
「はい。お互いに、本当の名前を明かしました。そして白児として迎えられました」
「ああ……常世ではよくある儀礼だね。普通、妖怪が真名を他人と明かし合うのは大きな契約を結ぶ時だけだ。儀礼というか、真名を知り合わなければ効果を発揮しない強力な契約があるから、転じて通名制度が習慣化したんだと思うけど。習慣だけなら婚儀で初めて互いの本名を知る夫婦は珍しくないし、主従関係の表れとして新たな名付けも行われる」
シロは、奪われた母の形見と自分の腕を引き換えに波蛇に迫られた時のことが過った。確かに、あれはいかにも形式的なやり取りだった。
「名は魂と等しく、高位の者に知られたら命取りになるとも言われましたけど、それは?」
「言葉に呪いをかける〈言霊〉の一種だね。呪力の器量人が相手の真名を呼べば自由自在に操れる、そんな高度な技さ。まあ、夫婦も主従も言霊の対象内ではあるけど……」
正史の窺う視線に、あんこがついた指をペロペロ舐めながら大福は反論する。
「オイラは自分から旦那様に真名を明かしてお仕えしてンだ。別に〈言霊〉で無理矢理従わされてるわけじゃねーぞ」
「すみません。邪推でしたよね」
正史の言い方からして、大福の斑に対する忠誠の謂れ――悲惨な過去は知らないのだろう。
大福はフンと鼻を鳴らした。
「人間は初対面で真名を明かすンだよな。びっくりすンぞ。お前らも、シロもそうだった。初めて喋った日、覚えてるよな? ちゃんと通名で名乗れるか確かめてこいって、旦那様に言われたンだぜ」
やけに威張った感じの挨拶だったが、うっかり口を滑らせてしまいそうなのを慌てて止められた訳も今なら分かる。
名の重大さを教えられ、曖昧な不安を覚えるシロに、正史は諭すように言った。
「でもね、人間には名の呪縛が効かないから、そんなに重く受け止めないで。大昔には効力があって、人間も身内や信頼関係を築いた仲以外には通名を使うのが習慣だったけど、現世では廃れていったから、効かなくなったらしい。あくまで妖怪同士の技だ」
すると、シロは当然の疑問を浮かべる。
「じゃあ、どうして私、通名を貰ったのでしょう。……人間なのに」
正史は考え込む目を伏せ、言葉を選んだ。
「多分……斑様が常世の習わしを重んじる妖怪だから、かな。それは尊重したいから、僕らにも本名を明かさないようにして。勿論、斑様のも」
シロは小さく頷き、パンケーキを一口食べた。
正史は杯に口をつける前に、複雑な感情が込められた呟きを漏らした。
「それにしても、そうか。そういう経緯だったのか……」
程良い口触りの淡溶茶だ。体に染みつく整った作法で啜り、今まで食べていた杏子餅や揚げ餅で満ちていた胃袋が、温かい波で浸される。
「僕らは呪術師で、あくまで調停者だから、狗神と白児の関係に介入する権利なんて端から無いけど、聞いておいた方が今後の方針というか、まあ、何かあった時の対処の参考になるかもしれないし……シロちゃんは、これからどうしたい?」
とても漠然とした質問だ。それでも、調停者として、精一杯人間側に立つとこれだけになってしまう。
しかし、答える方も漠然としている。
「考えたいです」
「斑様の元で?」
シロは、ゆっくりと、深く頷いた。
「最初は、どうしていいか分からなかったけど……いえ、今もまだ、分からないけど、でも、助けて下さったのは事実です。他に親類はいないし、行く宛てもありません。置いてもらえるなら、恩返しくらいしないと。今日だって、まさか私の生活用品を揃えてもらえるなんて……」
「シロさん、ほだされてはいけませんよ」
ぴしゃりと、静乃が言い切った。眼鏡に差す影は湯気によるものではない。
「貴方は生贄にされ、死ぬ運命に従うべきだったなんて微塵も思いませんし、今こうして生きていらっしゃって本当に良かったです。それは斑様に助けられたからこそではありましょう。ですが、意識が朦朧として、追い詰められた状態の貴方を連れ去った斑様も、倫理に即しているとは言えません。ましてや、向こうが貴方を迎えたのですから、生活用品を揃えるなんて当然のことです。必要以上に恩義を感じなくても……」
静乃は、押し込んだ怒りで言葉を紡ぐ。甘っちょろいシロにも、そのシロに付け込んだ斑にも、苛立つ。
シロは、どこか他人事のような気分で静乃の言葉を聞いていた。それから、じわじわと、自分に言い聞かせられているのだと悟り、胸の奥が温かくなった。
「静乃さんって、凄いですね」
「は?」
「人のことなのに、色々考えられるから、凄いなあって。私のこと、考えてくれてるのが分かります。そんな人、村に滅多にいなかったから……何て言えばいいのかな……」
緊張しながら、シロは懸命に絞り出した。
「嬉しい、です」
年の近い子とこんなに長く一緒にいて、手を握って、同じ席で食事を取って、自分の為に物を言ってくれるなんて、今までの人生で一度も無かった。だから、どういう応じ方をすれば誠意が伝わるのか、分からない。
想像していなかったシロの返事に静乃が戸惑うばかりなので、その代わりに正史が笑顔になった。
「そう。静乃は凄く優しい子なんだ。それに賢いし、気配り上手だし、兄として自慢の妹。静乃もシロちゃんが気になって仕方ないみたいだから、これからも甘えてくれていいからねえ」
「な、何を……」
怒りから恥じらいへ、静乃の顔は赤くなった。言い返せなくなり、咳払いをすると、誤魔化すように雑煮を食べた。眼鏡の曇りなど一切気にしない。
十も歳が離れているせいか、こういう時の妹の仕草は幼児の頃と変わらないように見えると、正史は密かに思う。
「流石に毎日は無理だけど、たまに訪問させてもらうよ。今回こうして呪術師を頼ってくれた斑様だから、邪険にしたりしないだろうし。それに、生きてる人間の君にこんな言い方するのは悪いけど、神宿りというのは本当に貴重で、興味深い対象なんだ。これからも記録したいし、話したいことは山ほどある。というか、僕が今回の件を呪術師会に持ち帰ったら、確実にそういう流れになる」
シロは頷くしかない。自分は自分として生きてきただけなので、未だに呑み込めない所はあるし、常世に来てから、より奇怪な出来事が続いている。しかし、神宿りを理解出来ずとも、神宿りであると自覚した今からどう生きなければならないのか、それも考えたいのだ。
重々しい表情のシロを和らげようと、眼鏡を曇らせる妹の肩を叩く。
「見習いの静乃を一人で常世に行かせるのは違反だから、なるべく訪問の際は連れてくるよ。仲良くしてくれると、僕も嬉しいな」
「何度も言うのは止めて。安っぽくなるから」
妹に肘で小突かれても正史は軽く笑い、揚げ餅を次々とつまんでは食べる。
雑煮を食べ切った静乃は、まだ恥ずかしそうに視線を落としつつ、それでもどこか浮ついた口調で言った。
「この後は怒涛の買い出しですよ。覚悟して下さい、シロさん」
「今度は僕から質問してもいい?」
シロはパンケーキを食べながら頷く。
「文字が読めるんだね。書くことも出来る?」
「はい。お母ちゃんに教わりました」
「凄いね。都だと読み書き出来る人が当たり前になってきたけど、シロちゃんはこっちに来たこと無いって言ってたよね。つまり、お母様も君も、読み書きが必要な仕事に関わってるのかな」
シロは手を止めた。ただの食事会で済むはずがない、質問の時間をくれた、つまりこちらも質問される、身の上を話すことになるだろうと、予感はしていたのだ。
ふう、と息を吐く。涙腺を緩ませることも無く、落ち着いた調子で語り出す。
「私は、都から遠く離れた村の、墓守りの家に生まれました。そして、両親の手伝いをしていました。でも、母は去年亡くなりました。父も一昨年に」
もなかをかじっていた大福は固まった。身内全てを殺された自分の話は聞かせたが、シロもまた似たような境遇だったのだと、今知った。
正史の表情は気不味くなる。
「……そうだったのか。ごめん、せっかくの食事中に」
「いえ。平気です」
シロの口振りは、強がっているようには見えない。むしろ、どこか淡白にも思えた。両親とは不仲だったのだろうか。正史は訝しがりつつ、まず掘り下げておかなければならないことに触れる。
「斑様に白児として迎えられたという話だから、シロちゃんの周りの人達は、今頃どう思ってるのかなって、それが気懸かりだったんだ。亡くなられた両親じゃなくても、村の人達が心配して――」
「あの人達は、全然気にしていません」
冷ややかに言い切り、そして続けた。自分の、最期になるはずだった、あの夜のことを。
「私、日照り乞いの生贄に選ばれたんです。村では大雨が続いて、川が氾濫しそうだったので。だから川の神様を鎮める為にって。先日、満月の夜に、川に投げ込まれました」
場の空気が凍りつく。
「まだ、そんな風習が残っているのですか。人身御供だなんて、酷い……」
静乃の顔は青ざめ、怒りに満ちた震える声で言った。
大福は目を逸らし、大人しくもなかを食べることにする。シロが家に運ばれてきた夜、斑から推測交じりの様態について聞いていたが、本人の口から語られると、やはり痛ましい。
「死にそうだったので、あまり覚えていないんですけど、自分でも幸運すぎておかしなくらい、川のどこかに引っかかっていたみたいで。そしたら、あの方と会いました」
「斑様と」
「はい。そして、問われました。……『自ら選んだお前の居場所は、冷たい川の底なのか?』」
流れるように、斑の言葉が口から出た。死の淵に立ち、ぼんやりとした頭で聞いたのに、急に鮮明に思い出した。
「私、違うって答えました。望んでない。望んだわけない。お父ちゃんも、お母ちゃんも死んで、穢れに満ちた、右目に呪いを持った子だから、生贄に丁度いい。私に選択肢なんか無かっただけ。そう思ったから、違うって答えてしまっていました」
言うつもりは無いが、確かにシロが生贄に選ばれるには、あまりにも適役だと正史は納得する。墓守りや助産婦、生死に関わる職に就く者は、敬われると同時に恐れられ、迫害や差別の対象になりやすい。死者ノ國からの使いだとか、死者ノ國の門を開ける者だとか、そんな言い伝えは珍しくない。
更に、シロは神宿りだ。恐らく村にいた頃から「普通ではない人間」の片鱗を見せていただろう。
(右目が赤く光ること、病気じゃないから安心してなんて言っちゃったけど、軽々しかったな。この子にとっては「病気」かもしれないのに……)
和ませようとしたつもりだったが、良くなかった。正史は自負するが、妖怪相手だとやり合えるものの、人への気遣いは静乃の方がずっと上手だなのだ。
己の軽薄さについて謝ろうと口を開きかけた正史だが、シロが言い出したことに懸念を抱く。
「それで、あの方と契りを交わしました」
「契り?」
「はい。お互いに、本当の名前を明かしました。そして白児として迎えられました」
「ああ……常世ではよくある儀礼だね。普通、妖怪が真名を他人と明かし合うのは大きな契約を結ぶ時だけだ。儀礼というか、真名を知り合わなければ効果を発揮しない強力な契約があるから、転じて通名制度が習慣化したんだと思うけど。習慣だけなら婚儀で初めて互いの本名を知る夫婦は珍しくないし、主従関係の表れとして新たな名付けも行われる」
シロは、奪われた母の形見と自分の腕を引き換えに波蛇に迫られた時のことが過った。確かに、あれはいかにも形式的なやり取りだった。
「名は魂と等しく、高位の者に知られたら命取りになるとも言われましたけど、それは?」
「言葉に呪いをかける〈言霊〉の一種だね。呪力の器量人が相手の真名を呼べば自由自在に操れる、そんな高度な技さ。まあ、夫婦も主従も言霊の対象内ではあるけど……」
正史の窺う視線に、あんこがついた指をペロペロ舐めながら大福は反論する。
「オイラは自分から旦那様に真名を明かしてお仕えしてンだ。別に〈言霊〉で無理矢理従わされてるわけじゃねーぞ」
「すみません。邪推でしたよね」
正史の言い方からして、大福の斑に対する忠誠の謂れ――悲惨な過去は知らないのだろう。
大福はフンと鼻を鳴らした。
「人間は初対面で真名を明かすンだよな。びっくりすンぞ。お前らも、シロもそうだった。初めて喋った日、覚えてるよな? ちゃんと通名で名乗れるか確かめてこいって、旦那様に言われたンだぜ」
やけに威張った感じの挨拶だったが、うっかり口を滑らせてしまいそうなのを慌てて止められた訳も今なら分かる。
名の重大さを教えられ、曖昧な不安を覚えるシロに、正史は諭すように言った。
「でもね、人間には名の呪縛が効かないから、そんなに重く受け止めないで。大昔には効力があって、人間も身内や信頼関係を築いた仲以外には通名を使うのが習慣だったけど、現世では廃れていったから、効かなくなったらしい。あくまで妖怪同士の技だ」
すると、シロは当然の疑問を浮かべる。
「じゃあ、どうして私、通名を貰ったのでしょう。……人間なのに」
正史は考え込む目を伏せ、言葉を選んだ。
「多分……斑様が常世の習わしを重んじる妖怪だから、かな。それは尊重したいから、僕らにも本名を明かさないようにして。勿論、斑様のも」
シロは小さく頷き、パンケーキを一口食べた。
正史は杯に口をつける前に、複雑な感情が込められた呟きを漏らした。
「それにしても、そうか。そういう経緯だったのか……」
程良い口触りの淡溶茶だ。体に染みつく整った作法で啜り、今まで食べていた杏子餅や揚げ餅で満ちていた胃袋が、温かい波で浸される。
「僕らは呪術師で、あくまで調停者だから、狗神と白児の関係に介入する権利なんて端から無いけど、聞いておいた方が今後の方針というか、まあ、何かあった時の対処の参考になるかもしれないし……シロちゃんは、これからどうしたい?」
とても漠然とした質問だ。それでも、調停者として、精一杯人間側に立つとこれだけになってしまう。
しかし、答える方も漠然としている。
「考えたいです」
「斑様の元で?」
シロは、ゆっくりと、深く頷いた。
「最初は、どうしていいか分からなかったけど……いえ、今もまだ、分からないけど、でも、助けて下さったのは事実です。他に親類はいないし、行く宛てもありません。置いてもらえるなら、恩返しくらいしないと。今日だって、まさか私の生活用品を揃えてもらえるなんて……」
「シロさん、ほだされてはいけませんよ」
ぴしゃりと、静乃が言い切った。眼鏡に差す影は湯気によるものではない。
「貴方は生贄にされ、死ぬ運命に従うべきだったなんて微塵も思いませんし、今こうして生きていらっしゃって本当に良かったです。それは斑様に助けられたからこそではありましょう。ですが、意識が朦朧として、追い詰められた状態の貴方を連れ去った斑様も、倫理に即しているとは言えません。ましてや、向こうが貴方を迎えたのですから、生活用品を揃えるなんて当然のことです。必要以上に恩義を感じなくても……」
静乃は、押し込んだ怒りで言葉を紡ぐ。甘っちょろいシロにも、そのシロに付け込んだ斑にも、苛立つ。
シロは、どこか他人事のような気分で静乃の言葉を聞いていた。それから、じわじわと、自分に言い聞かせられているのだと悟り、胸の奥が温かくなった。
「静乃さんって、凄いですね」
「は?」
「人のことなのに、色々考えられるから、凄いなあって。私のこと、考えてくれてるのが分かります。そんな人、村に滅多にいなかったから……何て言えばいいのかな……」
緊張しながら、シロは懸命に絞り出した。
「嬉しい、です」
年の近い子とこんなに長く一緒にいて、手を握って、同じ席で食事を取って、自分の為に物を言ってくれるなんて、今までの人生で一度も無かった。だから、どういう応じ方をすれば誠意が伝わるのか、分からない。
想像していなかったシロの返事に静乃が戸惑うばかりなので、その代わりに正史が笑顔になった。
「そう。静乃は凄く優しい子なんだ。それに賢いし、気配り上手だし、兄として自慢の妹。静乃もシロちゃんが気になって仕方ないみたいだから、これからも甘えてくれていいからねえ」
「な、何を……」
怒りから恥じらいへ、静乃の顔は赤くなった。言い返せなくなり、咳払いをすると、誤魔化すように雑煮を食べた。眼鏡の曇りなど一切気にしない。
十も歳が離れているせいか、こういう時の妹の仕草は幼児の頃と変わらないように見えると、正史は密かに思う。
「流石に毎日は無理だけど、たまに訪問させてもらうよ。今回こうして呪術師を頼ってくれた斑様だから、邪険にしたりしないだろうし。それに、生きてる人間の君にこんな言い方するのは悪いけど、神宿りというのは本当に貴重で、興味深い対象なんだ。これからも記録したいし、話したいことは山ほどある。というか、僕が今回の件を呪術師会に持ち帰ったら、確実にそういう流れになる」
シロは頷くしかない。自分は自分として生きてきただけなので、未だに呑み込めない所はあるし、常世に来てから、より奇怪な出来事が続いている。しかし、神宿りを理解出来ずとも、神宿りであると自覚した今からどう生きなければならないのか、それも考えたいのだ。
重々しい表情のシロを和らげようと、眼鏡を曇らせる妹の肩を叩く。
「見習いの静乃を一人で常世に行かせるのは違反だから、なるべく訪問の際は連れてくるよ。仲良くしてくれると、僕も嬉しいな」
「何度も言うのは止めて。安っぽくなるから」
妹に肘で小突かれても正史は軽く笑い、揚げ餅を次々とつまんでは食べる。
雑煮を食べ切った静乃は、まだ恥ずかしそうに視線を落としつつ、それでもどこか浮ついた口調で言った。
「この後は怒涛の買い出しですよ。覚悟して下さい、シロさん」
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