時ノ糸~絆~

汐野悠翔

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第一幕 京編

小次郎の決意

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その頃__

千紗の身に危険が迫っている事を知らない秋成は、牛車を離れ市へと戻って来ていた。そしてあるものを探し、市の中を彷徨い歩いていた。


「確かこの辺りで……あった!!」


秋成が足を止めた場所。そこは、先程千紗が足を止め魅入っていた装飾品が並ぶ店の前。
秋成は、足を止めるなり迷うことなくあるものを手に取ると、店の主人に声を掛けた。


「すまない、これをくれ」

「へい!ありがとうございます!!」


懐に入れていた銅銭を店の主に手渡し、代わりに目当ての物を受け取ると、秋成満足気にその店を後にした。
そして、“それ”を大事に袖の中へ仕舞い、急いで千紗の元へと引き返す。



「秋成?」


千紗の元へと急ぐ道中、聞き覚えのある声で不意に後ろから名前を呼れた秋成。振り返った先にいたのは


「兄上!」


仕事の途中なのか、馬に跨り、驚いた表情で秋成を見下ろす小次郎の姿。


「お前、何故こんな所に一人でいる?千紗はどうした?」

「千紗なら先に屋敷へ。俺は私用を思い出して……」

「お前、千紗から離れたのか? 何故だっ!!」

「……え?」


いつも余裕が伺える、大人で雄大な印象の兄の態度とはどこか違って、顔は青ざめているようにも見える。何やら焦っているような義兄の様子に、秋成は言いようのない不安を覚えた。


「何か……あったのですか?」

「……」

「兄上!」


なかなか口を開かない兄に対して、不安を抑えきれなかった秋成の口調は無意識に強くなっていた。


「最近、この辺りで貴族が盗賊に襲われる事件が多発している。だから京の治安を守る検非違使けびいしの方々が見回りを強化していたんだ」

「………」

「そして今、新たに賊騒ぎがあったと知らせを受けた。目撃情報によれば、今回襲われたのは姫君で、牛車の豪華さから、かなり格式の高い家の者ではないかと」

「……っ!」


小次郎の話に、息を呑む秋成。まさか、その盗賊に襲われたのは__


秋成の反応に、馬から下りる小次郎。秋成の胸ぐらを掴んで荒々しく揺さぶった。


「秋成……何故お前がここにいる?何故千紗の元から離れた!!答えろ秋成!」

「申し訳……ございません………」

「謝って済むと思っているのか! 俺はお前に千紗を任せると言った。俺がどんな気持ちでお前に任せたか分かるか?!」


  ◇◇◇


-三年前-

小次郎が二十歳を迎えた日、忠平の働きかけで小次郎は検非違使見習いとして、朝廷内の仕事を手伝う事となった。

見習い扱いでまだ正式な役職とは言えなかったものの、働きが認められれば、検非違使として取り立てて貰える。正式な役職を手に入れられるかもしれない、その一歩手前まで近付いたのだ。

小次郎は、もとは地方豪族の生まれであったものの、先祖を辿ればそれなりに格式のある家柄。それゆえに、政治的地位を取り戻す為、京で何かしらの役職を賜る事を目的に、十一の歳に故郷板東ばんどうより一人京へと上って来ていた。

この時代、小次郎のような境遇の者は決して珍しくはなく、“地方豪族”と呼ばれる多くの者が京での肩書きを求め、京へ上った。
だか、雅やかな京の貴族社会の中では田舎者の野蛮人と毛嫌いされ、なかなか役職を賜る事は難しかった。

そんな中、苦労して苦労して、九年かけてやっと手にしたのが、検非違使見習いの仕事。

小次郎としては、なんとしてもこの機会をものにしたいと意気込んでいたが、検非違使になったばかりの頃、彼に懐いていた千紗はこの事実を喜んではくれなかった。


『イヤじゃ!小次郎は千紗の護衛。なのに何故検非違使などに……京にとられなければならぬのだ!?』


そう言って、彼女は幼子のように駄々をこねた。


千紗の護衛として藤原家に仕えていた筈の小次郎が、京の護衛として京に取られたと思ったのだろう。


『千紗、大丈夫。俺は検非違使になっても、千紗の護衛である事には変わらない。これからも千紗の側にいる』


その場凌ぎの偽りではない。本心からでた言葉で千紗を宥め、その時は何とか納得させたのだが、彼女が危惧していた通り、検非違使見習いとなった事で、彼女に構う時間が減ったのは紛れもない事実となった。

幼い頃から傍で見守り、世話して来た千紗に寂しい思いをさせてしまっている事に、小次郎の胸は痛んだ。

おかげで、何度検非違使の仕事よりも、千紗の護衛の仕事を優先させようと思った事か。

千紗の寂しそうな顔を見せられる度に、京に来た目的も、家柄も、何もかもを捨てて、千紗の傍にいてやりたいと思う自分がいた。

そして、そんなすれ違いが続く日々の中で、ある日千紗がついに事件を起こした。


『小次郎の居らぬ生活など退屈じゃ。こんな退屈な家など出て行ってやる。高志と秋成は人質として連れて行く。帰ってきて欲しくば、小次郎を妾の護衛に戻すこと』


たった一枚の置き手紙を残して、千紗は秋成と高志を連れ、家出してしまったのだ。


『あんの馬鹿!』


幸い、いち早くその手紙を見つけたのが小次郎であった為、千紗の行動を知り尽くした小次郎の手によって、大きな騒ぎになる事なく、事件は無事解決したのだが。

千紗を見つけた時、千紗の傍には自分ではなく秋成が寄り添うようにいて、千紗も絶対的な信頼を自分だけではなく秋成に寄せていて、今までの自分の居場所が秋成に奪われたと、この時小次郎は十近くも下の子供に、初めて感じる醜い感情を抱いたのだ。

その感情が、“嫉妬心”だと分かった時には、可笑しくて笑いが止まらなかった。七つも下の子供に嫉妬?何故?
妹のように可愛がって来た千紗を取られたと思ったから?
そんな馬鹿な。それではまるで……

自分でも気付かないうちに、育っていた千紗への感情を、最初は認めたくなくて、目を逸らせようとした。

だって、千紗はまだ十二の子供で、何より左大臣の娘である千紗と自分では住む世界が違う。
忠誠を誓うべき相手に主以上の感情を抱く事など……あってはならない事だ。

けれど、目を逸らせようとすればする程、自分の中に芽生えた感情を偽ることは出来なかった。
あぁ、自分は千紗の事が、好きなのだと。

だからこそ……
自分の気持ちに気付いてしまったからこそ、小次郎は検非違使見習いの仕事を辞める訳にはいかないと悟った。

今のままでは、千紗を想う事すら叶わない。貴族である千紗に見合う男にならなければ。

その為にも、この京の貴族社会でもっと、もっと権力ちから》を持たなければ。検非違使の仕事を真っ当しなければ__

それが小次郎の決意。
秋成とは違った形で、千紗を大切に思っている小次郎なりの決意。

千紗の側を離れる間、守れない自分の代わりに、千紗が絶対の信頼を寄せている秋成に、彼女の護衛の任を託した。

好きな女を自らの手で守れない悔しさ。義弟とは言え、他の男に託さなければならない苦痛。全てを噛み殺して、小次郎は秋成に千紗の事を託したのだ。

それなのに――


「何故お前は千紗の元から離れた!!」


小次郎の剣幕に、秋成は唇を噛み締めながら拳をキツく握りしめ、一目散に走り出す。


「……ッチ」

そんな秋成の後ろ姿を見ながら小次郎は小さく舌打ちする。
そして連れていた馬へと乗馬し、秋成の後を追い掛け馬を走らせた。


「秋成!乗れ!!」


小次郎から差し出された手。
小次郎の真っ直ぐな眼差しに頷くと、秋成は差し出されたその手を握り、走る馬に飛び乗った。






二人を乗せた馬は、風をきり走り、千紗の元へと急ぐ。

(千紗、どうか……どうか無事でいてくれっ!)

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