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秋物語
もしも、願いが叶うなら
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「そう言えば葵葉……」
「何?」
その拾ったスケッチブックを見て、何かを思い出したようにお兄ちゃんが私に問いかけてくる。
「向こうの病院でずっと描いてた絵があったよな。どうだあの絵、完成できそうか?」
「………絵? 何の事? お兄ちゃん」
お兄ちゃんが言っている絵が、何のことか全く覚えのなかった私は、問いを問いで返した。
「何って、お前……」
「?」
「………あれ? なんだったけ?」
お互いに見つめ合った私とお兄ちゃんは、お互いに首を傾げて、クスクスと笑いあった。
「変なお兄ちゃん」
「いや、すまない。ほら、スケッチブック」
手にしていたスケッチブックをすっとお兄ちゃんは私に向けて差し出した。
その差し出されたスケッチブックを受け取ろうと手を伸ばした時、私の頭の中を一瞬、ある記憶が掠める。
――『今日から、私の宝物』
「っ………」
その掠めた記憶が私の心をざわつかせた。
「どうした葵葉、急に固まって。また苦しいのか?それともどこか痛いのか?」
「………ううん。何でもない。ねぇ、お兄ちゃん。そのスケッチブック、家に持って帰って。私の部屋の棚にしまっておいてくれないかな」
そのざわめきが、今の私に鬱陶しく感じられて、私は無意識にそれを遠ざけようと、お兄ちゃんにお願いする。
「え、いいのか? 入院中暇さえあれば絵を描いてたのに」
「………うん。どうしてか今は、絵を描く気にはなれないから……」
「……そっか。分かった」
一瞬躊躇いながらも納得してくれたのか、お兄ちゃんは私の着替えやタオルと一緒に、スケッチブックを持ってきていた鞄の中へと仕舞った。
目の前からスケッチブックが消えた事で、私の心のざわつきもゆっくりと落ち着きを取り戻して行く。
「じゃあ俺、今日は塾があるから帰るな。また明日様子見に来るから、良い子で待ってろよ」
「うん、ありがとうお兄ちゃん。受験勉強忙しいのに、いつもごめんね」
「何言ってんだよ。可愛い妹の為ならなんて事ないさ。じゃあな、葵葉」
「うん。バイバイ」
お兄ちゃんが病室から出て行く、その後ろ姿を見送って、私は再びベットに横になった。
一人になった病室はとても静かで、その静けさが目覚めた時からずっと心に感じている空虚感を、更に大きなものへと増大させて行く。
いつもなら、ペンを握ってスケッチに走らせていた手も、今日は布団の中から出すことすら面倒に感じる。
本当に何もする気になれなくて、ただぼんやりと病室から見える景色を眺め続けていた。
私の心の中は今、酷く空っぽで、虚しい。
何故、そう感じてしまうのか、その理由を考える事さえ煩わしい。
ただただぼんやりと、今日と言う時間が過ぎるのを待っている間に、いつの間にか私は深い眠りへと誘われていた。
夢すら見ない深い深い眠りへ――
◇◇◇
葵葉が無気力に、外を眺めるその先には、彼女を見守る二人の神様の姿があった。
葵葉がその存在を忘れてしまった神耶と、神耶が師匠と呼ぶ神様の姿が。
「神耶……これで、満足しましたか?」
「あぁ、師匠。あいつの記憶を消してくれてありがとう。最後にもう一度、あいつの姿を見せてくれて……ありがとう。これでもう俺は……」
「満足しましたか?」
「……あぁ」
「本当に? 本当に貴方は、これで満足出来ますか?」
「……」
「貴方の願いは、葵葉さんの幸せだと言いました。では、葵葉さんの幸せとは何ですか?」
「あいつが笑って、生きて行く事」
「あの方は今、笑っていますか?」
「………」
「笑ってなどいませんよね。それどころか、まるで心を持たない人形のように空っぽだ。哀しみや、怒りの感情すら捨ててしまったかのように、あの子の目は虚ろで、光を失っている。そんな葵葉さんの姿が、本当に幸せだと胸を張って言えますか?」
「それは……」
「もう一度聞きます神耶。貴方は本当にこれで……良かったのですか?」
「………」
「このまま、彼女から笑顔を奪ったまま消えてしまって……本当に貴方は良いのですか?」
「…………」
「神耶、最後に1つ、1つだけなら貴方の願いを叶えてあげられる。そう言ったら貴方は、どうしますか?」
「師匠……?」
「今まで神として頑張って来た貴方へ、私からの細やかなご褒美です」
「……………」
「私が最後に貴方の願いを一つだけ叶えてあげると言ったら、貴方は何を望みますか? 」
「……一つだけ……?」
「さぁ神耶、もしも願いが叶うなら、貴方は何を望みますか? 貴方の本当の願いは?」
「…………俺の?……俺の願いは……?」
(――生きて欲しい。
葵葉にこの先もずっと……ずっと、生きて行って欲しい。
そして幸せになって欲しい。
いつも楽しそうに、心からの笑顔を浮かべながら。
なのに……どうしてお前は今、そんなつまらなそうな顔をしているんだ。
俺は、お前に生きて欲しいのと同時に、笑っていて欲しかったのに……
笑えよ、葵葉……
なぁ、笑ってくれよ。
もう一度、あの笑顔を見せてくれよ。
俺は、お前の笑った顔が好きなんだ。
お前から笑顔を奪うために、俺はお前の前から姿を消したわけじゃない。
お前に幸せになって欲しかったから――)
――『もしも、願いが叶うなら?』
「俺は……もう一度あいつの笑顔が見たい」
最後の別れを前に、師匠との対話により引き出された神耶の心からの願い。
彼が紡いだ願いに、彼の師匠はそれまでの厳しい表情をふっと和らげて、神耶の頭を優しく撫でた。
そして高々に宣言する。
「その願い、叶えましょう」と。
瞬間、目の前が真っ白い光に包まれて、神耶の姿を飲み込んで行く。
光に包まれ、消えて行く神耶の姿を見送りながら師匠もまた願った。
葵葉と神耶、二人の想いが、二人の未来に奇跡を生むことを――
山に色づく紅葉が、秋の終わりを予感させる。
木々の葉っぱが姿を消せば、次に訪れるは寒い寒い冬の季節。
冬は辛く厳しい事柄もたくさんある。
だが同じくらいに祭りごとや祝い事の多い季節でもある。
多くの生き物達が眠りにつく中、自然界の厳しさと向き合いながら逞しく生きる人間達には、厳しい季節を喜びに変え得る力を持つ。
次に巡りくる新しい季節には、いったいどんな出来事が待っているだろうか?
今しばらく、冬の訪れを待とうではないか。
秋物語.END
「何?」
その拾ったスケッチブックを見て、何かを思い出したようにお兄ちゃんが私に問いかけてくる。
「向こうの病院でずっと描いてた絵があったよな。どうだあの絵、完成できそうか?」
「………絵? 何の事? お兄ちゃん」
お兄ちゃんが言っている絵が、何のことか全く覚えのなかった私は、問いを問いで返した。
「何って、お前……」
「?」
「………あれ? なんだったけ?」
お互いに見つめ合った私とお兄ちゃんは、お互いに首を傾げて、クスクスと笑いあった。
「変なお兄ちゃん」
「いや、すまない。ほら、スケッチブック」
手にしていたスケッチブックをすっとお兄ちゃんは私に向けて差し出した。
その差し出されたスケッチブックを受け取ろうと手を伸ばした時、私の頭の中を一瞬、ある記憶が掠める。
――『今日から、私の宝物』
「っ………」
その掠めた記憶が私の心をざわつかせた。
「どうした葵葉、急に固まって。また苦しいのか?それともどこか痛いのか?」
「………ううん。何でもない。ねぇ、お兄ちゃん。そのスケッチブック、家に持って帰って。私の部屋の棚にしまっておいてくれないかな」
そのざわめきが、今の私に鬱陶しく感じられて、私は無意識にそれを遠ざけようと、お兄ちゃんにお願いする。
「え、いいのか? 入院中暇さえあれば絵を描いてたのに」
「………うん。どうしてか今は、絵を描く気にはなれないから……」
「……そっか。分かった」
一瞬躊躇いながらも納得してくれたのか、お兄ちゃんは私の着替えやタオルと一緒に、スケッチブックを持ってきていた鞄の中へと仕舞った。
目の前からスケッチブックが消えた事で、私の心のざわつきもゆっくりと落ち着きを取り戻して行く。
「じゃあ俺、今日は塾があるから帰るな。また明日様子見に来るから、良い子で待ってろよ」
「うん、ありがとうお兄ちゃん。受験勉強忙しいのに、いつもごめんね」
「何言ってんだよ。可愛い妹の為ならなんて事ないさ。じゃあな、葵葉」
「うん。バイバイ」
お兄ちゃんが病室から出て行く、その後ろ姿を見送って、私は再びベットに横になった。
一人になった病室はとても静かで、その静けさが目覚めた時からずっと心に感じている空虚感を、更に大きなものへと増大させて行く。
いつもなら、ペンを握ってスケッチに走らせていた手も、今日は布団の中から出すことすら面倒に感じる。
本当に何もする気になれなくて、ただぼんやりと病室から見える景色を眺め続けていた。
私の心の中は今、酷く空っぽで、虚しい。
何故、そう感じてしまうのか、その理由を考える事さえ煩わしい。
ただただぼんやりと、今日と言う時間が過ぎるのを待っている間に、いつの間にか私は深い眠りへと誘われていた。
夢すら見ない深い深い眠りへ――
◇◇◇
葵葉が無気力に、外を眺めるその先には、彼女を見守る二人の神様の姿があった。
葵葉がその存在を忘れてしまった神耶と、神耶が師匠と呼ぶ神様の姿が。
「神耶……これで、満足しましたか?」
「あぁ、師匠。あいつの記憶を消してくれてありがとう。最後にもう一度、あいつの姿を見せてくれて……ありがとう。これでもう俺は……」
「満足しましたか?」
「……あぁ」
「本当に? 本当に貴方は、これで満足出来ますか?」
「……」
「貴方の願いは、葵葉さんの幸せだと言いました。では、葵葉さんの幸せとは何ですか?」
「あいつが笑って、生きて行く事」
「あの方は今、笑っていますか?」
「………」
「笑ってなどいませんよね。それどころか、まるで心を持たない人形のように空っぽだ。哀しみや、怒りの感情すら捨ててしまったかのように、あの子の目は虚ろで、光を失っている。そんな葵葉さんの姿が、本当に幸せだと胸を張って言えますか?」
「それは……」
「もう一度聞きます神耶。貴方は本当にこれで……良かったのですか?」
「………」
「このまま、彼女から笑顔を奪ったまま消えてしまって……本当に貴方は良いのですか?」
「…………」
「神耶、最後に1つ、1つだけなら貴方の願いを叶えてあげられる。そう言ったら貴方は、どうしますか?」
「師匠……?」
「今まで神として頑張って来た貴方へ、私からの細やかなご褒美です」
「……………」
「私が最後に貴方の願いを一つだけ叶えてあげると言ったら、貴方は何を望みますか? 」
「……一つだけ……?」
「さぁ神耶、もしも願いが叶うなら、貴方は何を望みますか? 貴方の本当の願いは?」
「…………俺の?……俺の願いは……?」
(――生きて欲しい。
葵葉にこの先もずっと……ずっと、生きて行って欲しい。
そして幸せになって欲しい。
いつも楽しそうに、心からの笑顔を浮かべながら。
なのに……どうしてお前は今、そんなつまらなそうな顔をしているんだ。
俺は、お前に生きて欲しいのと同時に、笑っていて欲しかったのに……
笑えよ、葵葉……
なぁ、笑ってくれよ。
もう一度、あの笑顔を見せてくれよ。
俺は、お前の笑った顔が好きなんだ。
お前から笑顔を奪うために、俺はお前の前から姿を消したわけじゃない。
お前に幸せになって欲しかったから――)
――『もしも、願いが叶うなら?』
「俺は……もう一度あいつの笑顔が見たい」
最後の別れを前に、師匠との対話により引き出された神耶の心からの願い。
彼が紡いだ願いに、彼の師匠はそれまでの厳しい表情をふっと和らげて、神耶の頭を優しく撫でた。
そして高々に宣言する。
「その願い、叶えましょう」と。
瞬間、目の前が真っ白い光に包まれて、神耶の姿を飲み込んで行く。
光に包まれ、消えて行く神耶の姿を見送りながら師匠もまた願った。
葵葉と神耶、二人の想いが、二人の未来に奇跡を生むことを――
山に色づく紅葉が、秋の終わりを予感させる。
木々の葉っぱが姿を消せば、次に訪れるは寒い寒い冬の季節。
冬は辛く厳しい事柄もたくさんある。
だが同じくらいに祭りごとや祝い事の多い季節でもある。
多くの生き物達が眠りにつく中、自然界の厳しさと向き合いながら逞しく生きる人間達には、厳しい季節を喜びに変え得る力を持つ。
次に巡りくる新しい季節には、いったいどんな出来事が待っているだろうか?
今しばらく、冬の訪れを待とうではないか。
秋物語.END
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