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田舎蛙の真剣勝負

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 天正十年、本能寺の変が起こった年。

 上総国にある鹿山村でも天下分け目の戦いが村長の家の庭で行われていた。
 すでに腕に覚えのある者達がすでにへたれこみ、村長と一緒に呆然と最後の決戦を眺めている。

 「お前が最後だ」

 相手にそう言われた最後の大柄の男はまくり上げた着物の袖からは汗だくの太い腕を見せすでに息を切らせていた。

 「くそっ…」

 木剣をぎゅっと握りしめ気合全身で打ち込んだ。
前方の敵は、軽快な足捌きを見せたと思ったら男の木剣を軽く弾いた。
 木剣の切っ先がゴッと音を鳴らした。
 男の顔が激痛でしわくちゃになった。
 男が腰から尻もちをつくと、目の前に木剣の切っ先が向けられた。
 男よりひと回り小さく細い、おなごのような顔立ちで、いや若者というより背丈のある少年だ。
 そして腰には似合わない長剣が差してあった。
 純粋な目が、まっすぐ男を見下ろしている。

 「俺が村で一番の剣士だ!」

 「わ…わかった…」

 「俺の名を言ってみろ!」

 「え…と…て、典膳…」

 「神子上典膳だ!三神流、神子上典膳だ。覚えておけ!二度とおなごみたいな顔だとかぬかしたらこんなものでは
 すまさんぞ!」

 男は額から血を流し、朦朧としたままうなずいた。

 「お前ら、仕返しがしたくばいつでも来い!俺は逃げも隠れもし
 ない」

 そういってへたれ込んでいる敗者達を睨んだ。
 すでに闘志を失った者達の耳には良く通る声だった。

 「東鹿山の典膳の勝ちじゃな」

 村長は、ニヤリとして縁側で白湯をすすった。

 「村長、庭を貸してくれてありがとう」

 「いやいや、面白いものを見せてもらったよ」

 典膳は、悠然と立ち去った。
 その後ろ姿を敗者達は無言で見送るしかなかった。
 その姿の良さ、顔立ちに一振りで倒せると舐めてかかった敗者達は剣で身を立てるという夢をあきらめざるおえなかった。
 敗者達は最後の大柄の男を合わせてその場に八人。
 北村、西村、南村から典膳が腕くらべをするために全員呼び出したのだ。
 そしてひとりひとり打倒していった。
 最後の男は七人を戦ったのだから相当疲れていると高を括ったが、あっという間に打ち込まれた。
 東鹿山の典膳、三神流の典膳、うわさは聞いていたがこれほどとは思ってなかった。
 剣で名を上げる者。
 それは強直無垢で純粋な眼差し、相手にうむを言わせない典膳のような者なのだろうか。
 敗者達は、去ってゆく典膳の後ろ姿にそんなことを思った。
 しかし当の典膳は、八人倒したがはじめから当然倒せると思っていた。
 そして結果、そのとおりになった。
 しかも稽古ほどにも疲れなかった。

 物足りない…
 村で一番の剣士になったとしてそれもなにか物足りない。
 村の外にはどれほどの剣客がいるだろうか。
 自分はどれくらい強い?

 腕を試したい…

 すると前方から二人の武士があぜ道を歩いてきた。
 細い目をした痩せた男と、顎髭を生やしたがっつりした男。

 こいつら…強いのか?

 こんな村にわざわざやってくる者といえば役人か旅商人か旅芸人だ。
 浪人がやってくるのは珍しい。
 武者修行者に違いないと典膳は思った。
 細い目の男が声をかけてきた。

 「おい、坊主!村長の家はどこだ?」

 「村長になにか用か?」

 「神子上という者が今日、村中の腕自慢を集めて喧嘩すると聞いてな。面白そうだから見に来たんだ」

 典膳は高揚した。
 村の外から来た武士達がわざわざ自分を見に来たのだ。

 「腕試しはもう終わった」

 「終わったのかぁ。チッ」

 見ると目の前の少年も剣を腰に差し木剣を右手に携えている。
 二人は試合の参加者だと思った。

 「坊主、誰が勝ったんだ?」

 「神子上典膳だ。三神流の神子上典膳」

 「ほう」

 顎髭の男が髭を撫でた。

 「神子上というのは強いのだな」

 「自分で腕自慢を呼び出すくらいだから、自信はあったのだろう」

 細目の男が言った。

 「しかし三神流か…聞いたことがないな」

 典膳は答えた。

 「三門の流派を合わせて三神流だ」

 「三門の流派か。有名な流派であれば鹿島神道流かしましんとうりゅう新陰流しんかげりゅう、タイ捨流などがあるが…」

 「どの流派を合わせたか知りたくば、己で試してみたらどうだ?」

 「なに?」

 「神子上に合わせてくれるのか?」

 「俺が神子上典膳だ」

 二人の武士は一瞬、きょとんとした。

 目の前のおなごのような顔をした少年が、まさかその神子上典膳だとは思わなかった。

 「おぬしが?」

 「真剣か?木剣か?どっちにする?」

 典膳は右手に持った木剣を左手に持ち替えた。
 右手で木剣、真剣を握るためだ。
 典膳の目は闘志にみなぎり、空気を一瞬で変えた。
 のどかな畑のあぜ道が、狭くひどく足場の悪い武士泣かせの戦の場となった。
 二人の武士達は神子上典膳という者の戦いぶりを高みの見物するつもりだったが、まさかその神子上と試合をするはめになるとは思ってなかった。
 しかもこの狭いあぜ道で。
 細目の男は木剣を握って前に出た。

 「腕試しなら、木剣でよかろう」

 そう言って、木剣を正眼に構えて言った。

 「来い!」

 その瞬間、典膳の身体が宙に浮いた。
 着地と同時に男の頭を打った。
 男は木剣を握ったまま横の畑へ倒れ落ちた。

 速い!

 髭の男は目を見張った。

 獣のような速さ。これはいかん…

 こやつの容姿に油断したらやられる!

 髭の男は真剣を抜いて見せた。

 しょせん田舎の若造の剣。

 真剣勝負の経験はまだあるまい…

 髭の男はそう考えたのだ。

 「わしは真剣勝負しかしないがよいか?」

 真剣で命をかけて勝負をする、そう言えばひるむはず。
 実戦では心理的に有利に立つことが大事だと髭の男は知っていた。

 真剣か!

 生まれて初めての真剣勝負だ。
 
 田舎の木剣のチャンバラ腕比べとはわけが違う。

 典膳の全身の血は逆流した。
 白刃の殺し合い。
 
 この勝負で俺の運命が決まる。

 ただの井の中の蛙、いや田舎蛙の背比べで終わるのか。

 それとも世に出て最強を目指す者なのか…

 典膳は相手を見据えながら剣を抜きすぐに脇構えをとった。
 敵から見えるのは柄頭つかがしらのみ。
 故に剣の長さは測れない。
 髭の男は八相の上段に構えた。
 大上段。とくに大きく見える構えだ。
 典膳は脇構えのまま飛び込み、髭の男が剣を振り落とす腕に下から剣を握る二の腕で止め、足を絡めて体ごと押し込んだ。
 髭の男は重心を失い畑に落ちた。
 髭の男は泥まみれになり泥のついた剣を構えなおした。
典膳は悠々と畑に降りて男を見据えた。
 髭の男は泥の中の足に気づいたとき焦った。

 泥がまとわりついて重い!

 畑仕事など一度もしたことがない男は動揺した。
 村で畑仕事を手伝って育った典膳には畑の泥は慣れっこである。
 髭の男は先手を取り、なんとか踏み込んで典膳に斬り込んだ。 
 しかし、間合いを見切っている典膳は背中を反らせて切っ先をかわした。
 二尺三寸(六十六センチ)の通常の剣がとどかない。
 もう一度男が剣を振り上げた瞬間、典膳の剣が男の腕を切り飛ばした!
 典膳の二尺八寸(八十五センチ)の長剣が初めて人を斬った瞬間だった。
そして典膳は後に自分が佐々木小次郎となり、この時の長剣が小次郎の物干竿になることになろうとは夢にも思ってなかった。

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